◎ジェイド・タブレット-外典-11-8
◎世界樹-6
◎閻浮樹の根には黄金が埋まっている
仏教の世界観では、世界は四州からできているが、インドの所在する南の州を閻浮提と呼び、その中央に巨大な世界樹がある。これを閻浮(Jambu)樹という。
室町時代の禅僧一休の別号は、めくらのロバである。しかし、臨済の後継者三聖は臨済の後継者に値しなかったが、自分こそそれに値すると意気高い。一休には、それほど厳しく修行してきたという自負がある。
生真面目とは言えない破格の詩集狂運集において、彼は閻浮樹という世界樹について詩を残している。
閻浮樹(えんぶじゅ)
閻浮樹 乾坤に逼塞し
葉々枝々 我が脚跟
太極 梅花 紙窓の外
暗香 疎影 月黄昏
『閻浮樹 乾坤逼塞
葉々枝々 我脚跟
太極 梅花 紙窓外
暗香 疎影 月黄昏』
(大意)
時間のない世界で、天地の中央にある閻浮樹は、天地を塞(ふさ)ぎ、
たわわな葉も繁れる枝も、私の足の下にある。
陰陽の分かれる以前の万物の根源(太極)のシンボルである梅花は、障子の外にある
どこからともなく漂う香りと障子に映る梅花のまばらな影をたそがれの月が映じている。
閻浮樹は、世界樹であり、北欧神話のイグドラシルである。世界樹は、根の側が頭頂サハスラーラ・チャクラに当たる。だから閻浮樹の根には黄金が埋まっているともいわれる。
世界樹を足元に置いている一休の立ち位置は現象世界の外側に立つ。これはつまり、合気道植芝盛平の言う天の浮橋に居るということなのだろうと思う。
太極である梅花が、障子(紙窓)の外にあるというのも同義。
その障子に、現象世界の転変が、シネマのように月の光を受けて映写されるのだ。
これはとても秘教的な詩だが、一休自身が、生死も超え、現象の相対性をも超えた外側を生きていることを自分で説明している印象的でロマンチックな詩に仕上がっている。