晴れ。ほぼひきこもり。
上の妹夫婦とドンキへ買い物に出かける。
それにしても買い物の多いこと。
「正月のため」らしいが「普段通りの暮らし」ではマズいらしい。
掃除だの片付けだの何だのとあれこれあって。
すべては「母親の思い通り」のために。
長年「生活のない暮らし」をしてきた身としては
この「異様な盛り上がり」には正直うんざり。
結露をどうのとか網戸を直せとかもあり。
「休み」って何もせずにのんびりしていることじゃないのか。
要は「どうでもいい『イベント』とのお付き合い」。
やはり「そばに人がいる生活」には向いてないと思うことしきり。
コラリー・ファルジャ「リベンジ」(’17)を観る。
主演のマチルダ・ルッツの「変貌ぶり」にふむふむ。
とはいえ「痛い描写」が多くていやはや。
申し訳ないが何度も目を背けた次第。
そこに拘る意味はどこに。
その種の描写と言えば
シルベスター・スタローンの「ランボー」を思い出し。
自分の傷を自分でどうにかする「マッチョぶり」は
ある種の女子も同じように描くのね。
男優陣にあまり魅力がないので「復讐」のカタルシスも微妙。
ただ自動車の影を描いたシーンや
最後の「堂々めぐり」には「感覚」があるような。
久方ぶりに「潜水艦映画」をと思って
ジョナサン・モストウ「U-571」(’00)を再見。
「爆雷に脅える姿」が見たかったのかも。
「眼下の敵」(’57)のロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスの関係はなく。
「水圧」というものを理解するにはこうした作品を観るだけで十分。
爆雷を避けて深く潜るとあちこちから水漏れが起きて。
ドイツのUボートが連合国の船をさんざんに撃沈したという「歴史」が
「エニグマ」という暗号を解くことに繋がり。
それを解読することになるアラン・チューリングの話も映画に。
ゲイであることが「違法」だった時代を思い出そう。
さて。
明日は何をしろと言われることやら。
「自分の思い通りのために人を使うことに何の躊躇もない存在」は怖ろしい。
上の妹夫婦とドンキへ買い物に出かける。
それにしても買い物の多いこと。
「正月のため」らしいが「普段通りの暮らし」ではマズいらしい。
掃除だの片付けだの何だのとあれこれあって。
すべては「母親の思い通り」のために。
長年「生活のない暮らし」をしてきた身としては
この「異様な盛り上がり」には正直うんざり。
結露をどうのとか網戸を直せとかもあり。
「休み」って何もせずにのんびりしていることじゃないのか。
要は「どうでもいい『イベント』とのお付き合い」。
やはり「そばに人がいる生活」には向いてないと思うことしきり。
コラリー・ファルジャ「リベンジ」(’17)を観る。
主演のマチルダ・ルッツの「変貌ぶり」にふむふむ。
とはいえ「痛い描写」が多くていやはや。
申し訳ないが何度も目を背けた次第。
そこに拘る意味はどこに。
その種の描写と言えば
シルベスター・スタローンの「ランボー」を思い出し。
自分の傷を自分でどうにかする「マッチョぶり」は
ある種の女子も同じように描くのね。
男優陣にあまり魅力がないので「復讐」のカタルシスも微妙。
ただ自動車の影を描いたシーンや
最後の「堂々めぐり」には「感覚」があるような。
久方ぶりに「潜水艦映画」をと思って
ジョナサン・モストウ「U-571」(’00)を再見。
「爆雷に脅える姿」が見たかったのかも。
「眼下の敵」(’57)のロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスの関係はなく。
「水圧」というものを理解するにはこうした作品を観るだけで十分。
爆雷を避けて深く潜るとあちこちから水漏れが起きて。
ドイツのUボートが連合国の船をさんざんに撃沈したという「歴史」が
「エニグマ」という暗号を解くことに繋がり。
それを解読することになるアラン・チューリングの話も映画に。
ゲイであることが「違法」だった時代を思い出そう。
さて。
明日は何をしろと言われることやら。
「自分の思い通りのために人を使うことに何の躊躇もない存在」は怖ろしい。
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