退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「お付き合いと痛い映画あるいは潜水艦映画」について

2019-12-31 01:54:55 | Weblog
晴れ。ほぼひきこもり。

上の妹夫婦とドンキへ買い物に出かける。

それにしても買い物の多いこと。
「正月のため」らしいが「普段通りの暮らし」ではマズいらしい。

掃除だの片付けだの何だのとあれこれあって。
すべては「母親の思い通り」のために。

長年「生活のない暮らし」をしてきた身としては
この「異様な盛り上がり」には正直うんざり。

結露をどうのとか網戸を直せとかもあり。
「休み」って何もせずにのんびりしていることじゃないのか。

要は「どうでもいい『イベント』とのお付き合い」。
やはり「そばに人がいる生活」には向いてないと思うことしきり。

コラリー・ファルジャ「リベンジ」(’17)を観る。

主演のマチルダ・ルッツの「変貌ぶり」にふむふむ。
とはいえ「痛い描写」が多くていやはや。

申し訳ないが何度も目を背けた次第。
そこに拘る意味はどこに。

その種の描写と言えば
シルベスター・スタローンの「ランボー」を思い出し。

自分の傷を自分でどうにかする「マッチョぶり」は
ある種の女子も同じように描くのね。

男優陣にあまり魅力がないので「復讐」のカタルシスも微妙。

ただ自動車の影を描いたシーンや
最後の「堂々めぐり」には「感覚」があるような。

久方ぶりに「潜水艦映画」をと思って
ジョナサン・モストウ「U-571」(’00)を再見。

「爆雷に脅える姿」が見たかったのかも。
「眼下の敵」(’57)のロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスの関係はなく。

「水圧」というものを理解するにはこうした作品を観るだけで十分。
爆雷を避けて深く潜るとあちこちから水漏れが起きて。

ドイツのUボートが連合国の船をさんざんに撃沈したという「歴史」が
「エニグマ」という暗号を解くことに繋がり。

それを解読することになるアラン・チューリングの話も映画に。
ゲイであることが「違法」だった時代を思い出そう。

さて。

明日は何をしろと言われることやら。
「自分の思い通りのために人を使うことに何の躊躇もない存在」は怖ろしい。
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