退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『キャラクター』だらけの昔の世界とそれが足りない映画」について

2022-04-20 02:39:48 | Weblog
晴れ。予報がはずれる。

色川武大「寄席放浪記」を読む。

昭和四年(1929)生まれの著者が書いた内容ゆえ。
「席亭になりたかった人」によるほぼ知らない人々について。

知っている範囲で言うと林家三平を代表に。
「人を観ること」をあらためて思わされる格好。

ビートたけしの師匠深見千三郎や泉和助。
あるいは「アノネのオッサン」髙勢実乗など。

志ん朝も談志もいなくなった落語界は今どうなっているのだろう。
もっとも本書は志ん生や桂文楽の時代で。

「たくさん出演者が出てきても、本当にいい高座は一夜に一つあるかなしかで
 大部分は辛抱してきかなければならない。」

「ところがそこに中毒してくると、まさにその退屈を味わいに来ているので、
 そこが贅沢な遊びになるのだ」と著者は言う。

いやはや「せわしない現代」ではとてもじゃないが「味わえない感覚」。
何とも「魅力的」だったり「残念」だったりするキャラクターの数々よ。

ジョン・ハーツフェルド「大脱出3」(’19)を観る。

冒頭はドキュメンタリーのようにオハイオの姿が。
何となく哀しい音楽も流れて。

「物語」は正直つまらない。
「堂本剛が老けたような」マックス・チャンが印象に残るのみ。

スタローンはここでも「復讐のカタルシス」のために恋人アビゲイルを「殺し」。
ラストはデイヴ・バウティスタと「次なる舞台」を探したりして。

その他の描写も「さすがにこれではダメでしょう」。
たぶんこの「監獄」はさまざまな映画で使われているはず。

このシリーズもどうやら「打ち止め」か。
いや、まだまだわからんなと思いつつ。

よく出来たシナリオと俳優陣を集めれば「どうにかなる」し。
もう少し「キャラクターの描写」をする必要がありそう。
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