退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「低空飛行」について

2012-06-13 03:17:10 | Weblog
雨のちくもり。気温がぐっと下がるものの半袖。

「CODE Version2.0」を引き続き読む。

今日はこちらの調子が悪くて内容が身に沁みない。
ちょっとしたことで変わる「受容条件」よ。

おそらくは「加齢」のせいだと思われるものの
長年にわたる「通常でない生活」の影響かもしれない。

毎日細胞は死に新たに生まれるのだから
多少なりとも「流動的」になるのは仕方のないことだろう。

「昨日の自分」が「今日の自分」と違うのは
「生物学的な事実」だと思っていいはずなので。

少なくとも「想定外」ではなくむしろ「折り込み済み」。
それだけの年月は過ごしている。

さて。

昨日TVで観た映画「インセプション」をからめつつ少々。

つまらないのは「現実あるいはオチ」がきちんと「確保」されていること。
主人公の妻が「非現実」を信じてしまったという描写が逆に「現実の確かさ」を際立たせて。

たとえばマスメディアによって「日常の確認」が行われているのがたいていの人の「事実」だとして
その「日常」が「本物のリアル」なのかどうかについては実は何の「保証」もない。

なぜなら各メディアはそれぞれの「ルール」で動くだけであり
そもそも彼らが取り上げた「ニュース」とその扱いが「妥当」かどうかは不明なままだから。

発信する側の「切り取り方」と「報道する上での条件」次第で
「現実」はいくらでも違う「顔」を見せる。

だからこそありもしない「客観報道」が求められたりするのだが
少なくとも「自分たちのスタンス」を明らかにすれば「検証」はできる。

がしかし。

「原因追究」もままならないまま「原発は安全だ」という首相をもつわが国においては
「デタラメ」が「日常」。

出来ればその「貧しいリアル」を共有したいところ。
その上でどうするかはそれぞれの判断次第。

「個人的な状況」においても同様なことが言える。
そこで自分の「視野の狭さ」を思い出せれば幸い。
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