退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『真っ当さ』を忘れた『技術』がもたらしたものあるいは『運命の女』が死ぬことによって『自由』になる男子」を描いた映画について

2021-04-08 02:47:28 | Weblog
快晴。やや風が吹く。

石戸諭「ルポ 百田尚樹現象」を読む。

かの作家が「人を楽しませること」のみを追求した人物だということを知る。
自分の思いは全部twitterで。

なぜならそこに「お客さん」はいないから。
その「影響力」も意識せず。

どうやら「典型的な大阪のオッサン」のよう。
「イデオロギーもないままにある種の技術を持った人」らしい。

おそらくは「ダメ左翼」を「権威」だと見做している模様。
それに「反抗すること」に意味を見出していると。

なるほど「類は友を呼ぶ」。
われわれの「劣化具合」を教えてくれる内容。

「ライトノベル」が「日本語解読能力に欠ける人」を対象としたように。
「需要」が「供給」を呼んだだけの話か。

そもそもわが国は本当に「独立国」なのか。
そのあたりを真剣に考えると解釈は変わりそうだと思えるのだけれど。

ジョン・クロムウェル「痴人の愛」(’34)を観る。

原作はサマセット・モーム「人間の絆」。
遠い昔に読んだ記憶がある。

ベティ・デイヴィスの「魅力」は現在からだとわかりにくい。
若き日のレスリー・ハワードはいかにも神経質そうで。

ノラのケイ・ジョンソンの落ち着いた雰囲気にふむふむ。
サリーのフランシス・ディーは「真面目なキュートな女子」。

「酒場女」に恋してしまった「内半足」の障害を持つ主人公よ。
おそらくは彼女に「自分」を見たのだと思われる展開。

「ひきずったもの」を捨てた時に「新たな人生」が始まる次第。
ここにもどうやら「自意識の壁」がありそう。

主人公の姿はどうやら画家のロートレックを「引用」。
ジョン・ヒューストン「赤い風車」(’52)を観ているとわかりやすい。

本作は「レジナルド」という名前の俳優が3人も出ている不思議など。
ただし「運命の人」が死ぬことによって「自由になる設定」はいささか微妙。
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