退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「非論理あるいは論理より使用例が重要なこと」について

2016-02-02 02:59:51 | Weblog
晴れ。コートの外の手は冷たくなる。

昨日のマル激。

Nコメでは「政党助成金」の意味について。
「企業献金廃止」の下に作られたはずの制度なのにと。

甘利前大臣の問題は「きちんと処理したかどうかではない」のだということ。
「企業献金」がOKなら政党助成金はやめるべきだというもっともな指摘。

本編は「AI=人工知能」について。

計算能力以外の面でAIが人間を超える日がやがて来るらしい。
「人間らしさ」を失いつつあるわれわれ以上にそれを発揮する日が。

そうなったらいったいどうなるのかといった話に映画を絡めて。
ハリウッドはその「恐怖」しか描かず「ドラえもん」のようにはならないことなど。

ブライアン・クリスチャン「機械より人間らしくなれるか?」を半分読む。

まさにマル激が採り上げていたことをわかりやすく教えてくれる内容。
久方ぶりに「目からウロコ」があれこれ。

「アルゴリズム」より「統計処理」が「人間らしさ」を生み出すこと。
「論理」より「使用例」が勝るというのがグーグルが示した「事実」。

翻訳ソフトの圧倒的な機能向上が「証拠」のようで。
将棋やチェスで人間を負かすのとは違う「次元」がある模様。

チャットによって相手がコンピュータか人間かを審査する「大会」にふむふむ。
すでに「人間並み」の話ができるボットがいろいろある「現在」よ。

「圧倒的な人間らしさ」が現実のものとなったあかつきには
「神」に代わる新たな「宗教」ができる可能性もあり。

相田みつをの「人間だもの」は常々「冗句」だと理解していたものの
別な解釈が出来る「現実」がすぐそこに。

そもそも「アンドロイド」はその「人間らしさ」によって「人間であること」を問うたけれど
むしろ人間だからダメなんだということになりそうな「未来」を垣間見た気分。
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