晴れときどき雨。粒が大きい。
フィリップ・ケンプ責任編集「世界シネマ大事典」を途中まで読む。
リュミエール兄弟「工場の出口」(1895)から「2001年宇宙の旅」(’68)まで。
昔観た懐かしい作品の数々のスチールが載っているのがありがたい。
どうにか「映画史」をたどれるほどは観ている模様。
もちろん同時に観ていない数々の作品があり。
いちおう明日読み終わる予定。
楽しい時間は早く過ぎることをあらためて。
米英仏独伊ソ連スウェーデンあるいはインド中国韓国そしてわが国など。
イランやフィンランド、ポーランド、ポルトガル、トルコ、チェコなどもそのうちに。
「そうそうそんな映画もあったよね」というのが楽しい。
正直紹介以外の「評価」はどっちでもよく。
この種の「ネタ」がある限り少なくとも一生「退屈すること」はないはず。
そこが案外肝心だったり。
マル激を観る。
今回は「新聞社崩壊」の話など。
朝日の営業畑にいた畑尾一知がゲスト。
それが新聞であろうとなかろうと
少なくとも「ある程度信頼できる情報源による情報の共有」がなければ。
再販制度もしくは記者クラブ制度によって守られている「現在」はダメ。
組織として大きくなり過ぎたのも問題だとして。
そもそも彼の著書が新聞の書評に出ないのがどうにも。
これも「忖度」ならわが国はどこも忖度だらけ。
結局のところ「生活の豊かさ」が「貨幣量」で量られるのみなので
いたずらに「高給な職場」を目指すことになる愚が続き。
その基本は「貧しさゆえの発想」だったり。
「生活の最低限」が確保できさえすれば何を選んでもいいのに。
つまり。
わが国ではいつまでたっても「豊かさの指標」が「貨幣=数字」でしかない。
それに先んじた「価値観」がないのは何故なのだろう。
「発展途上国根性」とでも言ったらいいのか。
さらには現実にたくさんある「貧困」にもまともに対応できない始末。
「まともな人」とは誰なのか。
知識量と関係ない「知恵」がもっと発揮されなければならないだろう。
フィリップ・ケンプ責任編集「世界シネマ大事典」を途中まで読む。
リュミエール兄弟「工場の出口」(1895)から「2001年宇宙の旅」(’68)まで。
昔観た懐かしい作品の数々のスチールが載っているのがありがたい。
どうにか「映画史」をたどれるほどは観ている模様。
もちろん同時に観ていない数々の作品があり。
いちおう明日読み終わる予定。
楽しい時間は早く過ぎることをあらためて。
米英仏独伊ソ連スウェーデンあるいはインド中国韓国そしてわが国など。
イランやフィンランド、ポーランド、ポルトガル、トルコ、チェコなどもそのうちに。
「そうそうそんな映画もあったよね」というのが楽しい。
正直紹介以外の「評価」はどっちでもよく。
この種の「ネタ」がある限り少なくとも一生「退屈すること」はないはず。
そこが案外肝心だったり。
マル激を観る。
今回は「新聞社崩壊」の話など。
朝日の営業畑にいた畑尾一知がゲスト。
それが新聞であろうとなかろうと
少なくとも「ある程度信頼できる情報源による情報の共有」がなければ。
再販制度もしくは記者クラブ制度によって守られている「現在」はダメ。
組織として大きくなり過ぎたのも問題だとして。
そもそも彼の著書が新聞の書評に出ないのがどうにも。
これも「忖度」ならわが国はどこも忖度だらけ。
結局のところ「生活の豊かさ」が「貨幣量」で量られるのみなので
いたずらに「高給な職場」を目指すことになる愚が続き。
その基本は「貧しさゆえの発想」だったり。
「生活の最低限」が確保できさえすれば何を選んでもいいのに。
つまり。
わが国ではいつまでたっても「豊かさの指標」が「貨幣=数字」でしかない。
それに先んじた「価値観」がないのは何故なのだろう。
「発展途上国根性」とでも言ったらいいのか。
さらには現実にたくさんある「貧困」にもまともに対応できない始末。
「まともな人」とは誰なのか。
知識量と関係ない「知恵」がもっと発揮されなければならないだろう。