退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好きであることあるいは宇多田は『詩人』であることもしくは『笑顔の価値』」について

2018-07-08 03:11:11 | Weblog
くもりときどき雨。各地では豪雨。

老舗バーのマスターからメールで「店を休む」と知らされる。
というわけでいつもより早めの帰宅。

またまた本切れで妙木浩之「フロイト入門」を100円で買って読む。

18年前の作品は「心理学者の人生にこだわる心理学者」の姿を露わに。
この「執着の源」は何なのだろう。

関連図書の紹介ぶりにもそれは伺えて。
これが「好きになる」ということなのだろうか。

意味もわからずに惹かれること。
誰しもが経験することではある。

そこに「正解」は必要なくそれでも何らかの「答え」は出て。
単純かつ複雑なのがわれわれの姿。

深夜SONGSスペシャルの宇多田ヒカルの再放送をまた観てしまう。

彼女が書く歌詞は「テロリスト候補」をなだめる効果があるかも。
あるいは「過去」に縛られた「物語」から人々を解放するかも。

少なくともかなりの「教育的効果」はありそう。
疑う向きは確認していただきたい。

「一寸先は闇」という「日常」を体感している者だからこその内容。
「詩人」と認定してもよさそう。

彼女の「幼少期の環境」と「世界の環境」がリンクした結果。
今後のさらなる作品に期待したいところ。

さて。

ボリビアのウユニ塩原は晴れた日に「大きな鏡」になる。
おそらくはテレビや写真で見たことがあるはず。

わが国では「逆さ富士」を思い出せばいいか。
いずれも「水鏡」のなせる業。

自然は自らの姿を何のためらいもなく映すけれど人はそうもいかず。
「歪んだ認識」に踊らされるのみ。

いずれ「人間万事塞翁が馬」。
「現在の価値観」でしか測れない「貧しさ」を知っておきたいもの。

それぞれの「リアル」をもっと「豊かなもの」に。
繰り返すが貨幣の量とは関係なく人はそのように生きられる。

マクドナルドは「笑顔の価値」を「0円」としたけれど
実はそこに貨幣では測りきれない価値があることを忘れずに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする