退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『物語』を拒絶する物語あるいは個人的な『アイドル』」について

2018-07-04 02:52:48 | Weblog
くもり。夜になって少し降る。

宮坂和男「生きること 死ぬこと 物語ること」を読む。

「大学生の教科書」としてはいいのか。
ただし「すれっからし」の身にはいささか物足りず。

具体的な例を挙げるのはいいとして
それ以上の「考察」がいささか甘いような。

ここには「真面目さ」はあるが「知性の匂い」がしない。
それが「わかりやすさ」のための「犠牲」だとしたら残念。

「死を受け入れるためには『物語』が必要」だというのは微妙。
「自爆テロ」を認めることにもなりそうで。

「どこにも『正解』がない世界」でどう生きるのかといえば
それぞれが「実験」を繰り返すしかないかも。

出来れば淡々と生きて淡々と死ぬのがいい。
個人的には「物語」を排除したい気持ちが強く。

過去を振り返っても「なるほどこう来たか」という感じで
「意味ありげな出来事」を「偶然」で片付けることが少なくなかったはず。

もちろんそこに「意味」を見出すのもまた一興。
このあたりは「好みの問題」なのでご自由に。

もっともいずれ「物語」だと言われればそれまで。
ただしその「破綻」にこそ「世界」が見えるのだと言っておく。

「結末」によってすべてが解釈されるより
その「途中」にも素敵なことはいくらでもあるのだと。

繰り返すがわれわれの脳は常に「単純化」を目指すものであることを忘れずに。

深夜ウィンブルドンの大坂なおみを観る。

圧倒的なサーブと叩きつけるようなリターンエースの「えげつなさ」よ。
それとは別に決めに行ってミスする「愛嬌」もあり。

何度観てもあの「はぁ?」という顔が好き。
この試合に関してはあまり調子はよくなさそうだけれど。

これまた繰り返せば卓球の伊藤美誠と同様の魅力。
ふたりは自分にとって「アイドル」だと言っていいかも。

いやはや。

おっさんアホかという次第。
コメント
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