退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「呼応すること」について

2013-07-17 03:04:09 | Weblog
晴れ。あるいはくもり。

「増補 幸田文対話(上) 父・露伴のこと」を読む。

教える父と反抗する娘。
やがて身に沁みたあれこれは娘を助けることになり。

露伴の「先読み」はそこまで届いていたのかという感慨と同時に
「長く付き合うこと」の濃さを思うのみ。

「人を育てる」ためにはこれほどまでの「愛情」が必要なのか。
そしてその結実として「存在」が輝きを増し。

特異なキャラクターの感性と語彙、観察眼を楽しむべし。
ある種の「豊かさの極致」があるような。

教える器量と教えられる器量の「幸運な出会い」よ。
「貧しい現在」を思えばさらに印象は強くなるばかりで。

せめてそういう時代と人々があったことは
誰もが知っておいていいはず。

(下)も途中まで読んで明日読了予定。
「典雅と鋭利とおきゃん」に彩られた会話の妙を味わうことにする。

さて。

昨日の帰り道の夜空には
線香花火の玉をざっくりと斬ったような半月。

今日は今日で工場群の薄い橙の明かりを背景に
灰色と黒のコントラストが見事な建物を見る。

毎日同じ道を歩きながらも「風景」は変わる模様。
これも読んだ活字の影響かと思いつつ。

何事かを感じさせるたたずまいのあるものには
これからも敏感でありたいもの。
コメント (2)
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