退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「再生産されること」について

2012-01-22 03:17:18 | Weblog
くもりのち雨。パラパラ降り続ける。

「リヴァイアサン序説」ようやく読了。

著者ウォルツァーの文体はかなり「硬い」感じ、
ようやく慣れてきた頃に読み終わるというタイミングの悪さ。

「本家」ホッブズを読んだ上で再読決定。
とりあえず「本家」は今日図書館から借りてくるつもり。

ところでいわゆる「現実」と向き合えない若者は増えているのか。
自分に「不都合な真実」を認めようとしない模様。

勝手に「テンパって」は「魂を飛ばす」始末。
「盲動」の後に「見かけだけの反省」を繰り返す。

口とは別にその行動は「わずかな成功体験」にこだわり
やがてくる「破局」をいたずらに待つのみ。

彼ら彼女らはなぜ
そんな「ちっぽけで間違ってばかりいる自分」を認識できないのだろう。

「同じような仲間」と一緒に
感じている不安をまぎらわせるための束の間の「笑い」に走り。

それが結局は「堂々めぐり」であることも知らず
日々を「ごまかしやりすごそう」として。

おやおや。

この姿は若者ばかりでなく見られるもののよう。
まして「大人」が彼ら彼女らの親であるならある意味仕方のないことか。

そうした「負の教育」については
できるだけその影響を少なくしたいものではあるけれど。

そして、貧しい「現実」は続く。
コメント
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