退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

楽しいのは確かだけれど

2010-04-12 04:25:16 | Weblog
たまには何もないまま深夜。

「玉石混交」というものの実は「玉」は少なく
わずかに触れる「玉」の味わいに魅了されつつ。

ほんのわずかなことが
たとえば「一生」を決めることもあるとして。

そういうものに数多く触れること。
そうだったらいいなと思うことなど。

そしてさらなる「世界」が見えてそれを目指す気持ちが生まれるということ。
それを称して「ロマンチック」という。

あなたはいい人だけれど
それはそれでいいのだけれど。

何を優先するのかといえば
それは「あなた」ではないことも少なくなく。

思わず走り出す気持ちの心地よさに
しばしばあなたを忘れる事実もあり。

そこで「ありがとう」と言って
「ごめんね」と続けることがあなたをむしろ遠ざける。

結局わたしはエゴイスト。
それを補って余りあるものが仮にあるとしても。

誰もが「自分」に引きこもる中で
さらに「ロマンチック」はいたずらに高まり。

「ドラマ」は設定が同じならば長続きする。
けれども人はまたそれぞれに「流れる」。
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女性のあれこれふたつ

2010-04-12 00:05:18 | Weblog
くもりのち晴れ。朝に霧雨。

中村うさぎ「女という病」を読む。

「女の自意識は、それ自体、病である」という女性編集長の言葉の下、
女性が犠牲者や犯人である事件について著者がその「内面」を想像して描いたもの。

基本の骨組みは「自分探し」。
当然他人の目からでなく「自分の目から見て」苛立ち不満を覚える女たち。

「別な顔」を持ちたがったり「理想的な家庭」を演じるのに疲れたり
「虚言癖」があったり「極端な愛憎」に振り回されたり。

「被害者という物語」を作りたがったり「虐待を受けての虐待」をしてしまったり
「容貌」にこだわりすぎたり「親友と恋人による裏切り」を受けたり。

「寂しさに耐えられず漂う生活」をしたり「女としてダメだ」と烙印を押されたり
「自分の中に引きこもったままの生活」を続けたり。

程度の差はあれ女性ならうなずける部分が多く
男性なら「なるほど」と興味を惹かれる内容。

青山真治「サッド・ヴァケーション」(’07)を観る。

幼い頃に捨てられた母に偶然再会、「流れ者」の集まるその運送会社で
「復讐」を心に秘めつつ共に暮らし始めた健次だったが、という話。

「何をしても受け入れてしまう母」は「怖ろしい」。
「血筋」さえ続けばそれでいいというのは昔の「お家システム」を思い出させる。

「母」に必死に抵抗する息子は
「自分の痛み」と「母の痛み」の違いに気付かないまま「復讐」をしかける。

実は「血筋を絶やすこと」が一番の「復讐」だと気付かないまま。
「息子」は「母」を「客観的」に見られないものなのだろう。

光石研の「九州男児ぶり」がいい感じ。
川津祐介の医師免許を剥奪された元医者も悪くない。

何もかも飲み込む母の石田えりに
辛うじて平手打ちをくわせる現夫の中村嘉葎雄が「男の反抗の限界」なのか。
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