東京タワー(オカンとボクと、時々、オトン)
のロケ地を訪ねました。
こう言うと、おや? っと思われる方もいるでしょう。
実はこの物語、筑豊の炭坑町と東京などが舞台の中心になっていますが、炭坑町のシーンは、主に宮城県の鴬沢町で撮影されたのです。私もビックリです
閉山後、その殆どが取り壊されてしまった炭坑住宅・・・。
ところが鴬沢町にある細倉鉱山の跡地には、未だにその一部が残されていたのです。
ここも取り壊す予定だったというのですから、
正にぎりぎりセーフでした。
ロケ地までは我が家からでおおよそ40分。
(ここ細倉は、つい先日(3月31日)に廃線となった「くりはら田園鉄道」の
終点の駅でもあるんですよ)
さぁ、舞台は昭和30年代
今回はブログ友の皆さんを、懐かしの旅へご案内します。
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一軒の家が「やきとり屋」に姿を変えています。
懐かしいガラス戸ですね。このガラス戸が残っていたことも、ロケ地に選ばれた大きな理由だったそうですよ。
樽、ゴミ箱、看板……ウルウル
ここは「オトンの家」として撮影に使った家。
真空管のテレビ、蓄音機などが置いてありました。
小さな庭にご注目。地元で造園業を営む方の力作です。
何気なく植えているように見えますが、古い植え込みのように工夫されています。
オカンが勤めた居酒屋です。
女給さん募集……の看板に哀愁が漂っていますねぇ。
そして小道具さんの「技」いろいろ……。
昔はこんなミシンがどこの家にも一台はありましたよね。
これはオカンの店の前にあった看板のアップです。
古いイメージを忠実に再現しています。
昔の字がいいですねぇ~
「やきとり屋」の看板です。
昭和30年代は、1本10円でしたかぁ……
そしてこれが究極の技
想像するに、店仕舞いした店主が書いたものと思われます。
閉山後、新天地を求めて旅立ったのでしょう。
転居先は「長崎県島原」となっています。
一枚の紙の切れ端しから、故郷を離れる悲しみが伝わってきます…プロの技はスゴイ!
今回、私は懐かしさで胸がいっぱいになりましたが、もう一つ感動したことがあるんですよ。
それは真の主役とも言える"オカン"こと、樹木希林さんのお人柄に触れたこと。
お昼どき、近くの食堂に入ったときのことです。
そのお店に希林さんのサイン色紙が飾ってありました。
その内容は・・・
『だるま食堂さんへ、ご出演おめでとうございます
・・・・・・・・・・○月○日 樹木希林』
詳しい内容は「だるま食堂」さんで見てね。
希林さんの心配りと優しさに、心がほんわか温かくなりました。
演技も人間的にも大きな人。ますますファンになっちゃいました
私たち夫婦はラーメンを注文しましたが、こんど訪れるときは、
絶対「かつどん」にしよう、と心に決めました(笑)
原作は210万部を超える大ベストセラーとなった、
リリー・フランキーさんの同名小説です。
確か別な配役でテレビ映画にもなりましたよね。
ロケ地に近い所に住んでいることもあり、ついつい熱が入ってしまいました。
たくさんの画像と長い文章にお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
最後に、パンフレットに書いてあった言葉を記します。
ーー安易に "泣かせる映画" ではなく、人と風景の佇まいに、日本映画が本来持っている豊かな心を描き出しましたーー
私もご一緒した気分になりました。
懐かしいもの尽くめですね。
ミシンそうそうこういうのがありました。
昔は今のように豊かでもなく便利でもなかったけれど、今の時代に無くなってしまった大切な何かがあった気がします。
希林さんは私も大好きですよ。
暖かそうな方ですよね。
演技も上手いし一流の女優さんですね。
ロケ地の取材、ご苦労様でした。
そうなんですか、宮城県で撮ったのですか。
昔の炭坑町の風情がそのまま再現されているロケ現場の写真を見せてもらって、楽しかったわ。
な-んか、懐かしい町並みですね。
映画を見るとき、この写真がどこに出てくるか、楽しみですよ。
たくさんの写真や映画の貴重な裏話も紹介していただいて、本当に沙羅さんご夫妻とご一緒にロケ地を歩いているような、懐かしく素敵な気分になりました。
最後の張り紙は本当に何年も風雨にさらされたような感じが出ていて、凄いですね。
それを見逃さずに、撮った沙羅さんの感性もさすがですね。
田吾作だったらこのブログを作るのに3日はかかる。
いや、3日かかっても出来ないな。
映画なんかどうでもよくなっちゃった。
沙羅さんのおかげで、しみじみと昔を偲ぶことが出来ました。
ありがとう、マタ来るね。
……そうですね、おっしゃる通りです。
あの頃にはあって、今は無くなってしまった
「何か」。
そして変わらずに残っている「何か」の尊さを、私たちはもう一度見直さないといけませんね
日本人の「心」を描いた小説や映画は*流行っている*のではなく、*求められている*のかも…
それだけ世の中が、世知辛くなったのでしょうか
そうでしたか、テレビ映画を観られたのですね。
私もで~す。
楽しんでいただけて、よかった~
ロケ地を訪ねていて、北海道の「夕張」が思い浮かびました。廃坑の後に生き残るには、大変なご苦労があったのでしょうね……。
市民の皆さんには、つくづく頑張っていただきたい、と思っています
劇場映画も楽しみになりました
あれも、これも、と欲張ったものですから、長い記事になってしまいました。読んで下さった皆さんには感謝です
でも良かったぁ~、懐かしんでくださって。
あの「張り紙」を見た瞬間、私は廃坑の町に佇んでいるような錯覚を覚えたんですよ。じ~んとくるものがありました。
映画のロケ地というのは、そう見られるものではないと思いますが、本当にラッキーでした。
今回はするのに力が入ってしまい、昨夜は早めにです(笑)
とりとめのない文章になってしまいましたが、最後まで読んで下さって、ありがとうごさいます。
皆さんに、昔を偲んでいただくことができただけで、アップした甲斐がありました。
こういう機会はそうありませんので、張り切っちゃった
これを書くのに、やはり三日かかりましたぁ
田吾作さんなら、もっともっと早く、そして読みやすく、上手にまとめられること、間違いなし
私も14日の封切りを待っているんです。この時代背景が好きで
「三丁目の夕日」もそうだったけど、人間味のある映画が大好きです。
あの当時、東京タワーは生きるシンボルみたいだったもんね。
こうして、沙羅さんに撮影場所から中継してもらうと
余計に楽しみに
なりました。この写真だけでも泣けてきますよ。
出演の樹木希林さんも悠木ちほさんの時代から大好きで
こんなすばらしい女優さんがいるんだぁと心に刻んでました。
楽しみに観てきますね。因みに「三丁目の夕日」も
続編なのか?
最近、我が家から40分位のところで撮影があったようです。
こんなに素晴らしい映画(観ていなくても判ります)のロケ地を訪ねることができて、私は幸せ者でした。
映画通のゆきひめさんのこと、きっと封切りを待っているだろうな、って思っていましたよ。
「三丁目の夕日」は、涙なくしては観られませんでしたよね。(続編を撮ってくれたら、嬉しいなぁ)
今度もハンカチを二枚用意して、臨みます
ゆきひめさん、希林さんの熱烈なファンだったのですねぇ。サイン色紙のこと、本当に感動しました。
素晴らしい女優さんですね。
このところ眼がお悪いそうで、ちょっと心配です
さあ、封切りも間近に迫りました。
泣いて、笑って……思いっきり楽しみましょう ねっ