「箱根強羅ホテル」と同様、井上ひさし作 栗山民也演出の「夢の痂(かさぶた)」を観てきました。終戦直後、東京裁判が行われている頃、天皇は「人間宣言」を実行に移し、国民とじかに接しようと全国行幸を行ったそうです。これは、その宿泊先候補になった実業家の別邸のお話。重いテーマながら、井上さんならではの楽しい音楽と踊り、質の高い役者さんの演技で、とてもわかりやすく深い舞台になっていました。
東京裁判の場面はありませんが、元陸軍大佐、大本営参謀(角野卓造)が「戦争責任は、作戦立案した我等にあり」と断崖絶壁から自殺を図る場面から始まります。(大きな松にひっかかって未遂におわる)彼が実際に天皇陛下と接した経験を持つことから、彼を陛下に見立ててご接待の予行演習が始まります。
その練習の席で、別邸の持ち主である実業家の娘で恋人を戦争で失った国語教師(三田和代)が、みがわりの天皇陛下に向かい、天皇として国民に謝って欲しいと訴えます。「このたびの戦で亡くなられた方々の無念はもちろん、残された者たちの悲しみも深く、いまだに涙の谷間をさまよい、苦しんでおります。『すまぬ』のひと言で、そのものたちは涙の谷よりはいあがり、それぞれの人生を歩みはじめることができるのでございます。私もそのひとりでございます。」すごい、と思いました。井上さんは「9条の会」でも積極的に発言されていますね。ここまでストレートに言わせる勇気に感動しました。自分の思いを吐き出すことで、彼女の頑なな心が溶けて行く。心理療法に、そんなのがありましたね。
国語教師の文法の講釈も面白いです。「日本語には主語がない。」「苦手だなあ・・にも主語がない。」「わからない・・・にも主語がない。」そうですよねー「なんかおいしいもの食べたいよねー」とは言っても、会話の中で「わたしたちは、おいしいものが、食べたいよねー」とはあんまり言わない。
「日本語の主語は、かくれんぼの名人です。日本では、状況が主語なんです。」
「わたしが」や「わたしは」は、状況の後ろに隠れる。そうだなあ・・私も、状況によって主語を変えているかもしれない。「私はこう思う」と言わずに、「みんながそう思っている」と、責任をあいまいにしたりしているかも。
このひとたちの
これから先が
しあわせかどうか
それは主語を探してかくれるか
自分が主語か それ次第
自分が主語か 主語が自分か それがすべて
角野さん、三田さんのほかにはキムラ緑子さん、熊谷真美さん、藤谷美紀さん、福本伸一さん、高橋克実さん、犬塚弘さん、石田圭祐さん。どの方も芸達者!安心してみていました。客席にも男性や年配の方が多く、帝劇や日生とは違った趣でした。劇場は紀伊国屋ホールや博品館のような雰囲気で、「えんげき!」という感じの密な空間でした。・・・しかし、ここもやはり椅子かたい!シートだけは帝劇なみのやわらかさにしてください!