ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ラバウル

2007年08月13日 | Weblog


NHKの「La tour de France」の総集編を見たが、
いつも思うが過酷なレースだ。
薬物でもやらなきゃ、走れない、とついそういうもの
に手を出す選手に同情したくもなるが、本質は全然違
うところにある。
多分チーム絡みのことだと思うが、一位になればそれ
なりの報酬が約束されているのだろう。
つまり、目的は、スポーツ選手としての誇りあるチャン
ピオンではなく、他のスポーツ全般を支配しているお
馴染みの経済原理による価値、それなのだと思う。
そして、それに対する手段としての薬物。
競技に対する理想、所謂ロマン主義とは反するもの
に支配されたスポーツ界は、この先どこまで現実を
ごまかし、人々に「夢と希望と勇気」を抱かし続け
ることが出来るだろうか。
そんな数少ない成功例が、アマチュア純粋幻想を上手
い具合に植えつけた今の時期の甲子園(興味のない人
にとっては、うるさいだけだが)であるわけだ。
真夏の風物詩。
親父どもの好物。
しかし、いくら薬物汚染のTourであっても、見たいと
思うのは間違いなくTourの方。
山岳コースで間近で応援というのは、一度やってみた
いことなのだ。
日本人選手で完走した人がいないことからも分かるが、
レベルが違う走りを間近で見たいというのは、野次馬
的好奇心の正しい姿ではないだろうか。

そのTourのあと、今度はNHK総合の「水木しげる」
のニューギニア体験を基にしたドラマを見た。
玉砕命令の出た島での、自らの戦争体験を総括するた
めに「漫画家水木しげる」が二十年後に当時のことを
描く、という構成になっていて、現在(終戦から二十
年後)と過去が交錯するという、よくある作りのドラ
マとなっていた。
少しは期待していたが、コミカルにした部分がわざと
らしく、悲惨な状況もあまり伝わらないし、非常に中
途半端な出来のドラマで、ちょっと損した気分。
幻想的な部分も、全体を寓話化するならありだと思う
が、とても効果的とは言えない。
折角、南の島でロケしているのにもったいない。
でも一番の問題は、権威を脱力するキャラクター「水
木しげる」の描き方がどうにも「上滑り」、というこ
とだろう。
残念でありました。
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スペインチーズ

2007年08月12日 | 食べ物


それにしても暑い。
こんな書き出しのブログも多いと思われる今日この頃、
皆さんどうお過ごしでしょうか。
信州の夏も、結構日中は暑く、避暑気分で来た人は、きっ
と騙されたと思うことでしょう。
と言っても、朝はそれでも20度くらいにはなるので、
それなりに爽やかな空気を感じることが出来ます。
これで、騙された気分も大分和らぐというものです。
でも、なんだかんだ言っても、寒い夏よりは、馬鹿みた
いに暑い夏の方が皆さん好きなのではないでしょうか。
その証拠に、涼しくなった途端に殆どの人は寂しさを
感じます。
「暑い暑い」と言い合いながら、「ちょっとビールで
も」、なんて言ってる時が、至福の時、なんですね。

「というわけで」というわけではないが、ニューヨーク
土産でスペインチーズを貰った。
何故、ニューヨーク土産がチーズなのか、誰でも不思
議に思うところだが、この場合、買った店がたまたま
ニューヨークであったと考えた方が良さそうだ。
普通考えると、アメリカにまともなチーズがあるとは
思えない。
正確には、アメリカ製のチーズでだが。
中にはあるとしても、「アメリカに美味いものなし」、
という確信のような偏見を持った身からすると、どう
してもそう思えてしまうのだ。
で、そのチーズだが、羊と山羊の二種類、こちらの好
きなものである。
よく見ると「マンチェゴ」と表示してあった。
もう一つは、「goat」と書いてあったので、山羊
は間違いないのだが、銘柄はよく分からなかった。
いずれにしろ「スペインチーズ」であった。
つまり、そういう専門店で買ってきたというわけだ。

デリカテッセンの様な店は、ニューヨーク辺りに多そ
うだし、日本で言うところの高級輸入食料品屋も、ス
ノッブなニューヨーカーには好まれそうだ。
そうやって考えると、一般的な食べ物はひどいが、そ
ういうものではない食べ物は、ニューヨーク辺りでは
充実していると考えられる。
つまり、食べ物の階層化が、ニューヨークでは激しく
進んでいるのではないか。
などと、いつものように適当な分析を交え、チーズを
喜んでいただいたのだが、買ってきたのは「勘三郎」
のニューヨーク公演の時だから(関係者)、結構前の
話だ。
飛行機を経由して、こちらに来るまでの間冷蔵庫に眠
り、状態は大丈夫だろうか。
しかし、わざわざこちらの好みのチーズをニューヨーク
で買ったということを考えると、そんなことも言って
られないのである。

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巡業

2007年08月11日 | Weblog


相変わらず「朝青龍」問題で、スポーツ紙が賑わって
いる。
本当に鬱状態なのか今ひとつ疑問なのだが、こういう
事態にした責任は、どう考えても協会にあるのだろう
と思う。
放任のツケが回ってきただけのことではないか。
元々「品位」が欠けると言われてきた横綱を、その状
態で野放しにしてきて、ここに来て急に厳しい措置を
取ろうとしても、横綱からすれば、何で唐突にこんな
いじめのようなことを、と思ってしまっても不思議で
はない。
それに、協会の強気な態度も裏がありそうだ。
つまり、問題横綱であっても、人気面から見れば価値
があった「朝青龍」。
要するに、今までは大事な商品としての「朝青龍」の
ご機嫌を窺う弱い立場だった協会が、新たな商品「白
鳳」の出現によって、相対的に価値のなくなった「朝
青龍」に対して手のひらを返したのである。

朝青龍の基本的な考えは「強くさえあれば良い」であ
ろう(八百長問題は、とりあえず置いといて)。
様式、儀式性よりは格闘技としての勝負、飽くまでも
スポーツとしての相撲。
方や協会は、日本の伝統的国技としての精神性を体現
するのが「横綱」(実際は全然違うと思うが)、と言
いたいのではないか。
ところが現実は、国際化と共に、日本人より強い力士
が誕生し、誕生したはいいが、その日本の国技として
の相撲の精神性を教え込まなかった、というより教え
られなかった。
何故かと言えば、そんなものはないから。
日本の中で暮らしていると、なくてもあるかのように
思えるので、儀式をすることによって立派な演者にな
れた(外見上は)。
しかし、共通の文化がない外人力士には、それを一か
ら教えないといけない。
数学と違い、客観的で具体的でない「精神性」をどう
やって教えられるか、歴史の中で初めてのできごとだ
から、ノウハウもない。
結局、今回のような事になってしまうのだ。

やはり、「伝統芸としての相撲」を保存。
相撲が相撲であるためにはそうやるしかないのではな
いか。
国際化すればするほど、伝統的な魅力はなくなるのだ
から、鎖国化。
これが一番。
しかしそうなったらそうなったで、今度は日本人の継
承者がいないという事態になることはまず間違いない。
どちらにしろ問題は不可避なのだと思う。
一言で言えば、時代にそぐわない競技ということか。
ここまで書いてきてなんだが、本心からするとどっち
でもいい。
結局、相撲に対しては大して興味がないのだった(な
んとも無責任ではあるが)。
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枝豆にビール

2007年08月10日 | 食べ物


枝豆にはビール、これは夏に欠かせない必須アイテム
である、と思っている人は多いと思うが、枝豆とビー
ルは本当に相性が良いのだろうか。
何となく、というより完全に刷り込みで、枝豆がある
と「取り合えずビール」、ということになってしまっ
ているのが現実だ。
実は、前々から思っていたのだが、枝豆にビールは合
わない。
枝豆は枝豆で、単独で食べた方が旨い。
ビールと合わせると、ビールの苦さばかりが際立つ。
同じことは、「冷奴」にも言える。
本当は、夏でも「湯豆腐」が好きなので「冷奴」はそ
れ程食べたくは無いが、それでも食べる機会がある。
冷えた豆腐に冷えたビール、生理的には欲するのかも
しれないが、豆腐の大豆の香りもあまりしないし、ビー
ルの苦味が邪魔をする。
ビールには、そんな淡白なものより、もう少しあぶらっ
けが強いものが合うのではないだろうか。

「焼き鳥」「餃子」「ピザ」(本格派ではない、例え
ばピザーラもの)が個人的にビールがほしくなる食べ
物だ。
あと、フライドポテトなんかも嬉しい。
「レバニラ」にビールなんてのもいい。
やはり、ポイントは「油っ気」だ。
苦味が、効果的にその油分を拭うのだ。
誰がなんと言おうと、ビールには油だ。

そして次の問題になるのは、ビールそのもの。
ここで銘柄がどうのとなるのが普通かと思われるが、
はっきり言って銘柄なんてどこでもいい。
大枠で日本のビールは大差ない。
微妙な差を競っているだけのように感じる。
つまり、5.1と5.2の争い。
どうやって0.1の差を感じるというのだ。
それより、その時の体調ビールの状態のほうが0.5
以上の差を持っているのではないだろうか。
そして何より大事なのはその鮮度だ。
明らかに美味くないと感じるビールは、大体製造年月
日から一ヶ月以上経っている。
経験的にそう感じるのだが、それらはビールの酵母の
香りがしない。
これも経験的に感じるのだが、美味いと思うのは製造
から一週間以内。
ビール工場で飲むビールが美味しいのはこのせいだ。
全部が出来たて生ビールなのだから。

何が鬱陶しいといって、ビールはどこそこのじゃなく
っちゃと言う人間。
そういうことを言う人間に限って、ビールを馬鹿みた
いに冷やし、焼肉を馬鹿みたいに食らうのである。
ああ、これは関係なかった。
ただ、馬鹿みたいに冷やすというのはちょっと問題だ
と思う。
ビールには適温というものがある。
常温(生温かくても)でも普通に飲める身からすると、
大体が冷えすぎなのだ。
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野菜

2007年08月09日 | 食べ物


昨日の夕飯は、とうもろこし(クロスバンタムという
今や幻の品種、畑のもの)三本、枝豆一盛り(貰い物)、
野菜サラダ(サニーレタスとロケット、畑のもの)と
それにビールという、完全ヴェジタリアンメニューだっ
た。
しかも全て(ビール以外)自家製。
それにしても、草食動物か。

ヴェジタリアンは、からだのことを思って野菜を摂る、
というより思い込むことによって健康になろうとする。
「野菜だけを摂る」という行為に精神的な拠り所を見
出す、正にそのことのためのヴェジタリアンなので(
そう見える)、ともすれば味は二の次になる。
個人的には、その辺が付いていけないところだが、こ
ちらの基本的スタンスは、「味が良い」かどうかとい
うことだけなので、野菜だけでも美味ければ全く「無
問題」なのだ。
あと最近は、安全かどうかというのも気になることで
はある。
それは、味に対してどうのではないのだが、疑心暗鬼
的に食べると、それだけで心理的に不味くなる。
結局、安心感がないと美味くないということになるの
で、安全性はやはり重要である。
進んで危険なものを食べたくはないからね。

コンビにもそうだろうし、ファストフード、ファミリー
レストランも、一体どんな食材を使っているのか分から
ないのが最近の日本のフード状況。
輸入物に頼ってるのは100パーセント間違いないの
だが、ダンボール肉まんほど極端でなくても、それに
近いものを結果的に出したとしても、全く不思議では
ない。
練り物なんて、何が入ってるかそれこそ成分分析でも
しないと分からないものだ。
野菜だって、どんな農薬を使われたか、見た目では分
からない。
あと、魚介類、例えば海老、養殖場での抗生物質漬け
は、容易に想像できるし、味そのものがなんだか薬品
臭く感じるときがある。
これは、その環境によるものなのか、だから一時は好
きだった「海老かつ...」も最近は食べる気が起こ
らない。

すでに、食生活の六割はそれらによって賄われている
という事実。
健康面で問題ありと言われている割には、まだ長寿で
あるが、今現在の長寿の人たちに対する影響は僅かで
あるので問題ないが、子供の時からどっぷりの、30
代から下の人間にこれからどんな影響が出るのか、そ
れが恐いところである。
彼らの平均寿命50歳、なんてことになったら、日本
全体が限界集落だ。


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うつぼ

2007年08月07日 | 食べ物


夏はやはりカレーだ、ということで、いつものカレース
パイスセットで「野菜カレー」を作った。
野菜はとりあえず手元にあるもの、トマト(イタリアン
トマト貰い物)ジャガイモ(取れたての畑のもの)人参
(スーパー)玉ねぎ(スーパー)ナス(畑のもの)ブロッ
コリーではないがブロッコリーのようなもの(畑のもの)
を使った。
要するに何でも良いのだが、この時期が一番豊富に色
々あるので、食材的にも生理的にも、一番カレーに適
した季節ではないかと思う。

そうであるにも拘らず、今回のカレーは今ひとつ味が
変だ。
イタリアントマトが、なかなか実が崩れないとかそう
いうことではなく、味が微妙にいつもと違うのだ。
正直なところいつもより若干美味くない
そこで気付いたのは、オイルの違い。
いつもは、ギーを使うのだが(嘘です、普通のバター
でした)、今回どうせなら全部植物性にしようとオリー
ヴオイルを使ったのだ。
どうも、これが微妙にカレーに合わないようなのだ。
煮込みにオリーヴオイルが合わないなんてことは、ま
ず考えられない。
しかし、ことカレーに関しては合わないのだ。
カレーソースだったら問題ないだろうし、カレールー
のカレーでも問題ないと思うが、スパイスの調合だけ
の本場スタイルのカレーには、オリーヴオイルは合わ
ない、これが今回やってみての結論だ。

と、いかにも自信ありげに書いたが、本当のところそ
れほど確信があるわけではない。
実際のところどうなんだろう。
周りに、カレー好きはいっぱいいるが、本格カレー探
求者はいないので、確認できない。
現時点では仮説、だ。

で、タイトルの「うつぼ」だが、別に意味はなく、兎に
角タイトルは必須なのでとりあえず「うつぼ」にした
のだが、一応「うつぼ」の季語は夏だし(全く適当)、
昨日見たクイズ番組で「うつぼ」という漢字が出てこ
れでうつぼって読むのかと感心したので、そういうこ
とになった。
因みに、魚へんに単でうつぼ。
正確にはこれ「鱓」。
そうそういつもテーマがあって書けるものではなく、
特に最近そうだが、日に日にテーマ決めは適当になっ
ている。
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落胆のY

2007年08月06日 | サッカー


映画少年Yが「ストローブ=ユイレ」のDVDを返し
に来た。
甚く気に入った様子で、しきりに感激していたが(ちょ
っと感激症の嫌いがあるが)、それは良かったとこち
らは気の無い返事を返した。
そして、「ゴダールの映画史」(Yに借りた)に関し
て見たか聞いてきたが、相変わらずまだの状態で、も
うちょっと待ってくれと答えた。
その後、時節柄もあり「アジアカップ」の反省会となっ
た。
ここからは「サッカー少年Y」である。

「もうショックですよ」(Y)
「別にいいじゃない」(私)
「三連覇がかかってたんですよ」(Y)
「三連覇することが目標ではないだろう」(私)
「八年がかりですよ」(Y)
「だから?」(私)
「それだけ大変ということです」(Y)
「そりゃ大変だけど、日本が現時点で図抜けているわ
けではないのだから、こうなってもおかしくないだろ
う」(私)

どうも、始まる前に念を押していた事実、つまり、日
本が圧倒的に強いわけではないということを、案の定
忘れていて、あるアジア通の言った「アジアでは日本
が抜けている」ということを鵜呑みにしたようだ。
Yは、自分に都合の良い事実を盲信する傾向がある。
それか、全く逆に全否定。
今ひとつバランス感覚に欠け、極端なのだ。

「オーストラリア戦がピークだったんだよ」(私)
「そうですか?」(Y)
「精神的にも肉体的にも」(私)
「でも韓国にも負けですよ」(Y)
「PKは運だから、オーストラリア戦の勝ちは内容も
伴っていたから納得だけど、韓国戦は本当どっちでも
いいって感じだよ」(私)
「悔しいですよ」(Y)
「でもジーコの時の全く内容が伴わなく勝ってしまっ
て、結果が全てだ、なんてよりは問題点もよく分かっ
て良いと思うよ」(私)
「オシムはちゃんと分かってるんですかね?」(Y)
「基本的な形は、明らかにジーコの時よりは見えてき
てるんじゃないの」(私)
「メンバー固定の意図とか、選手交代とか、今ひとつ
納得できないですよ」(Y)
「選手交代がずばりとか、確かにうまくはいかなかっ
たけど、選手の見極めのためとか、オシムの言ってる
ことが事実なら納得だよ」(私)
「大丈夫ですかね」(Y)
「長期的に見ないと、そう直ぐに強くなるものでもな
いだろう」(私)
「やっぱそうですかね」(Y)

最後は、何となく納得したYであったが、どうせまた
「もう駄目ですよ」などと泣きが入ることは容易に想
像できるのである。
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レジーム

2007年08月05日 | Weblog


戦後レジームからの脱却、と言うのは「安倍ちゃん」
であるが、レジームなどという言葉を使わず、何故
「体制」と言わないのか。
頼みもしない改革を唱える姿といい、言うことが「軽
い」と感じるのは、彼の中身を反映させているから故
のことだろうと思うが、もし、結果的に自民党一党独
裁体制が壊れれば、正に戦後レジームからの脱却にな
るから、有限実行の首相としてそこは大いに評価した
い。
しがみつくだけしがみつけば良い。

ところで、最近テレビのCMでかかっている曲、確か
オダギリジョーの車のCMだと思ったが、キング.ク
リムゾンの「太陽と戦慄」の「イージーマネー」であっ
てるだろうか。
あまりに懐かしく、というかかなり身体にしみこんで
いるので、耳が反応というより、細胞が反応する。
それで、ひょっとしたらその辺の情報がネット上にあ
るかと思い検索してみた。
そしたら、ありました。
トヨタの「ist」という車のCMだ。
曲も「イージーマネー」で正解だった。
それを書いている本人も驚いていたが、「トヨタ」が
「キング.クリムゾン」の曲を使うという事実。
時代はそういうことなのか。
そういうことがどういうことなのかは分からないが、
この選曲のセンスには一票。

過去、記憶しているところでは、キング.クリムゾン
でCMに使われたのは「二十一世紀の精神...」と
「ムーンチャイルド」という曲。
どちらも「宮殿」に入っている曲だが、普通考えると
ちょっとキング.クリムゾンはCMには、と躊躇しそ
うに思えるのだが、実際はそんなことなく堂々と使っ
ている。
当時の音楽が如何に個性的だったのか、それだけ今の
音楽が個性的でないのか、はたまた実際製作している
人間が、70年代ロックにどっぷりなのか、いろいろ
考えられるが、全てが当てはまるのでは、と思ってい
る。
70年代ロックに関しては、郷愁もやや含まれるが、
今から見てもその充実度は群を抜いているのではない
か。
今聴いても古臭くないし、この点では同意出来る人が
多いのではないかと思われる。

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高原

2007年08月04日 | 食べ物


一番の観光シーズンだから、高原の店はどこも混雑と
昨日書いたが、その中でも一際混雑する店というのが
何軒かある。
そういう店は、確かに流行る理由というのはあるのだ
が、ここが問題なのだが、必ずしも「美味しいから」
という理由だけで流行っているわけではない。
むしろ、そんなに美味しい店ではないというのが多い。
勿論、自分の基準からするとという話だ。
実は「並ぶ店に美味しいものは無い」という法則を密
かに温めている。
好みの問題と言ってしまえばそれまでだが、過去もう
一度並ぼうと思った店がないのは事実だから。
並ぶに値する秀逸な味とはとても思えないのだ。

それは多分、味付けに問題があるからだ。
その味をどの辺に置いているかというのが、その流行
る店の重要なポイントであることは間違いないが、そ
れが、コンビニ利用者多数派の味覚に違和感の無い味
付けになっているのだ。
つまり、それ故に、こちらからすると全く魅力の無い
ものになるのだ。
これは、本格的料理が受けないという現象にも通ずる
ところだと思う。
この場合の本格というのは、日本風にアレンジしない
本場の味付けという意味。

しかし、考えてみれば当然のことだ。
日本人には日本人の好む味というのがあり、その全体
の嗜好に合わせた味を探求して提供するのがコンビニ
なのだから、コンビニの味が即ち日本人の一般的好む
味となるわけだ。
並ぶ店というのは、多数派に受けないと成立たないの
だから。
他の理由、単に有名だから並ぶというのは現実として
あるが、それなりに利用者が満足しないと長くは続か
ない。
確かに、並ぶ店になるまでは良かった(コンビニ的で
はなく)という店もある。
そこには美味しいという理由(CPを含めた総合的に
美味しいという)が確かにあった。
その結果、並ぶようになり、有名になり更に並ぶよう
になるという、理想的な展開になりその状態を維持し
ている。
しかし反面、並ぶようになり質的に落ちるという事実。
数を捌くために同じやり方では出来なくなるから。
ここで金勘定を優先すると、そういう店になるのだが、
客のほうはそれが分からず装置、情報だけで美味しい
と思ってしまう。
そして、質的な低下が、結果コンビニ的になるという
皮肉。
ざっと見てみると、そういう店の方が多いと思うのだ
が。
だから「並ぶ店に美味しい店は無い」というのは、単
に好みの問題ではなくそれなりの根拠があることだと
思う。
強ち間違いではない、ということだ。

「美味しい店は無い」というのは極端だが、同程度の
店は他にいくらでもあるというのは、かなりの確立で
言えることではないか。
「どうしてあの店がそんなに流行るのか」の不思議は、
常々感じることなのである。
コメント

マルゲリータ2

2007年08月03日 | 食べ物


やっとのことで「吸血アブ」から開放され、時計を見
ると12時30分。
この時期の高原地帯は観光客も増え、一番の稼ぎ時な
ので、どこも混雑する。
それに、これと言った店もないので(有名店はあるが)、
結局、ほぼ帰り道に沿ったところにある「フォルマッ
ジョ」に寄ることにした。
あそこの場合、一般観光客がどどっと押し寄せるよう
な店ではないので大丈夫だろう、という予測の元で。

先客が二組ほどいたが、こちらの料理が来る前に二組
とも帰っていった。
「マルゲリータ」が食べたかったのだが、メニューに
無いので聞くと、水牛のモッツァレラが入った時しか
やらないということであった。
今週末と来週末はあると言われたが、そう言われても。
他のピザで食べたいのはなかった。
仕方ないので、「鮭のマリネの冷製カッペリーニ」を
頼んだ。
フェンネル、バジル、ケーパーなどの香草が、鮭、イ
クラなどの具材に絡み、酸味の利いたこくのある味で
なかなか旨いものだった。
量はやや少なめ。
そしてちょっと味が濃いので、パンでもほしいところ。
あとで頼めばよかったと少々後悔。
その後「疲労回復に効果あり」というハーブティーを
飲んでいると、シェフ(今日もACミランのユニフォー
ムだった)の奥さんが「マルゲリータ」の置かれてい
る状況を話してくれた。

つまりこういうことだ。
「マルゲリータ」を頼む人があまりに少ない。
これに尽きるのだ。
これを聞いて思わず「えええええ!」とえを五乗してし
まった。
ピザの基本と言うか、一番美味しく生地を味わえるの
は「マルゲリータ」だろう。
蕎麦だったら「盛り」。
うどんだったら「生醤油うどん」。
これはもう真理と言っても良いのではないか。
全く田舎の人間は(この後には味の分からないのが多
い、と続く)。
しかし、この店は地元客より都会客が多い。
となると、別荘族も大したことない、と言いたくなる
が、実際日頃見ているとそう感じることが多いので、
改めて別荘族も大したことない。

全体的な傾向としては、本格志向は受けないというの
がある。
ピザに限って言えば、どうしても「ピザーラ」もっと
辿れば「シェーキーズ」などのアメリカピザが基準に
なってしまっている。
チーズだって、ゴーダチーズでも良いとなるし。
だからいまだに「ピザにはタバスコ」などという、こ
ちらからすると噴飯ものの人間がいる。
具がたっぷり、下手すると更にマヨネーズの世界だか
ら、ナポリピザの生地を味わう、つまり粉物の粉を味
わうなどという世界には行かない。
そんな日本の事情を、慰め代わりに奥さんに話したが、
慰めにもならなかったか。
それより、水牛のモッツァレラじゃなくて牛のモッツァ
レラでもいいんだけど、と奥さんに言ったが、ACミ
ランのシェフは、ここまできたら水牛じゃないと、と
いう心境らしい。
職人気質、ですな。
それにしてもレベルが。
コメント

マルゲリータ

2007年08月02日 | Weblog


八ヶ岳の、登山道の始めの数キロを歩いた。
車でその始点までは行けて、登山者はこここらいよい
よい登山開始となるわけだが、その周辺は「ミヤマシ
ロチョウ」という希少な蝶の発生地域でもあり、実際
保護活動をしていて、採集禁止にもなっている。
そんなところに行ったのは、ひょっとしてその蝶が見
られるかなという僅かな期待があったからだ。
しかし、時期的には遅く、難しいだろうという予測は
ついていた。

ところが現場に到着すると、なんと捕蝶網を持った人
が歩いているではないか。
久しぶりにそういう姿を見た気がする。
こういう場合、やはり注意すべきだろう、しかしどう
いう風に言おうかな、などと考えて車を出ようとする
と向こうから挨拶してきた。
年のころは60歳以上の、温厚そうなおじさんだ(外
見からすると)。
やましいことは無いぞ、という意思表示の先手を打っ
てきたのか。
そこでずばり聞いてみた。

「採集ですか?」(私)
「ええ」(おじさん)
「それで、何を?」(ストレートに聞く私)
ここでミヤマシロチョウと答える馬鹿はいないよと思っ
たが。
「フタスジチョウなんですよ」(おじさん)
「ああ、この辺に一杯いますからね」(私)
フタスジチョウの多い地域で、この蝶だったら絶滅と
か考えなくてもいいというものである。
「でも、今年は全然いないんですよ」(おじさん)
「登山道上がったところに一杯いるでしょう」(私)
「そこも行ったけど、さっぱりです」(おじさん)
「そうなんですか」(私)
「どうも今年の低温で死んだのが多いんじゃないかと
思うんですよ、他の普通の蝶も数が少ないですから」
(おじさん)
「確かに、一番多いこの時期にしてはあまりに少ない
と感じてはいたんですけど、単に発生時期が遅れてる
んじゃないかと思ってたんですが」(私)
「そうじゃなさそうですよ」(おじさん)

蝶関係の世間話をひとしきりした後、再び核心に。
「ところで、この辺はミヤマシロチョウの保護地域だ
から捕蝶網を持ってると疑われると思いますよ」(私)
「ええ、でもミヤマシロチョウは20日までだから」
(おじさん)
「時期的に違うといっても、知らない人にとっては同
じに見えますから」(私)
「ええ、だから説明しますけどね」(おじさん)
「李下に冠を正さず、ということもありますから」(私)
最後の部分は、今創作した(格好つけるために)、現
実にこんな会話しないよね。

おじさんの言うことを一応信用したが。
その後別れ、登山道を3キロほど登り、「吸血アブ」30
匹あまりに纏わり付かれ、それらを引き連れて再びユー
ターンして戻ってきた。
それにしても、本当に蝶の数は少ない。
しかし、アブの数は相変わらず多い。

つづく
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