暮れに「ほろほろ鳥」のコンフィなどを食べようと計
画していたが、結局、作る暇というか気力がなく作ら
ずじまいとなった。
その代わりに、以前作った「子牛のコンフィ」が冷凍
保存してあったのでそれで間に合わせた。
しかし、見栄えが今ひとつなので、華が足りなかった。
暮れにわざわざ使う、というには力量不足か。
そう言えば、「子牛のコンフィ」は「カスレ」に使う予
定だったのだ。
こちらの方も、計画通り進んでいなかったということ
になる。
そんなことばかりのここ最近、だ。
それにしても、以前だったら「ほろほろ鳥」などを入
手しようなどとは夢にも思わなかった。
大体、どこに行けば買えるのか、見当も付かなかった。
これは、田舎であろうが東京であろうが同じだ。
少なくとも10年前まではそんな状況だった。
それが今は、注文して二三日で届くのだから。
本当、便利になったものだ。
それに伴い、食生活が豊かになっているのかどうかは
不明だが、少なくとも、専門的な料理を自分で作る機
会は圧倒的に増えた。
これに関しては、周りに食べさせる店がないという田
舎の環境がそうさせたということであろうが。
そんな食材も、昔だったら気にもしなかった添加物が、
いやに気になる。
例えば肉類は、原産地だけで、基本的には余計な添加
物は使ってないので問題ないが(飼料に使っているか
は判らないが)、ハムとかの加工品は必ず確認するよ
うになってしまった。
入ってたら食べないというわけではないが、味調整し
てあるそれらは、大体が不自然な味で美味いとは思え
ない。
いうなれば「コンビニ味」なのだ。
画一的な味。
例えば、生ハムなどにそれが使ってあるとがっくりで
ある。
「ハモンイベリコ」でもそういうのがあった。
というより多くはそんなものかもしれない。
昔ながらの本物が、必ずしも受け入れられないという
現実があるので、全体の流れはむしろコンビニ主導な
のである、多分。
今や、コンビニがスタンダードなのだ。
テレビなので、コンビニの食べ物開発のドキュメント
などをやることがある。
苦労してヒット商品を作るという姿が感動を呼ぶ、と
いう製作側の意図もはっきりしていて、その通りに受
け入れる人もいるのだろうが、どうしても違和感を感
じる。
むしろ、味覚の劣化を助長している張本人、としかこ
ちらとしては感じられないのだ。
「ヒット商品イコール良いもの」という図式は、個人
的には全く持ちえていない。