扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

坂東三十三観音遍路 10日目 −常陸、二十二番妙福山佐竹寺−

2015年06月11日 | 御遍路・札所

日輪寺から次の札所に向かう。

来た道を引き返して平野に出る。

 

二十二番佐竹寺は常陸太田市、本尊は聖徳太子作という十一面観音。

本堂は茅葺きの寄棟づくりで国の重文。

その名が示すように清和源氏の名門佐竹家の祈願所として寺勢を誇った。

佐竹氏は新羅三郎義光の孫、昌義が佐竹郷に土着したことで発祥した。

常陸の平氏と結んで常陸北部を有していたが、源頼朝の挙兵時には反抗して征討を受けた。

奥州藤原氏を倒す遠征でようやく御家人の列に加わり常陸介となった。

佐竹氏が頭角を現すのは足利尊氏を助けて北朝の主力となった時、北畠親房が下向して常陸に達すると激戦を演じてこれを撃退した。

室町期の坂東は鎌倉府の将軍、関東管領が在郷武家を巻き込んだ争乱状態が長く続いた。

この激動期に佐竹家が勢力を伸ばしたのは地勢によるものが大きい。

筑波山を前に置き、霞ヶ浦を水堀に太平洋と那須の山塊を守りとした後堅固な平野部は守りやすく機を見て出撃するのにちょうどいい。

よって戦国期には北条家の侵入をついに許さなかった。

佐竹家は関ヶ原の際、西軍を支援したことで勝者家康により秋田に追われた。

よってその名が災いして寺勢が衰えていった。

 

そのような歴史のことは訪問しても実感できない。平地の閑静な住宅街の一角にちょこんとたたずむのみである。

 

 

 

 

 

佐竹氏の盛衰を思いながら納経、次の二十三番に向かう

 

御詠歌「ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 見ゆるむらまつ」 


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