コロナ禍が続く。
取材に行けず多摩から出ることもなくなった今年の春夏、感染者数の伸びが落ち着いているがまだまだ余談を許さない状況。
体がなまってしょうがないので近所をぶらぶらすることにしている。
今日は自転車で調布駅まで出たついでに近藤勇の墓参りをしてみた。
近藤勇は調布市野水の富農の家宮川家の三男として生まれた。
現在の野川公園のあたり人見街道沿いに生家跡がある。
天然理心流に入門して才能を発揮し近藤周助の養子となる。
「試衛館」の多摩方面へ出稽古を行う内に土方歳三と出会う。
土方や井上源三郎らは日野の生まれ、新選組の初期メンバーは多摩出身者が多い。
近藤は文久3年(1863)に京へ上り新選組を結成、勤皇と佐幕の派閥争いの渦中にあった。
鳥羽伏見の戦いで負けて江戸に撤収、以後負け続けて流山で捕縛されて斬首された。
最初に行ってみたのが西光寺、旧甲州街道沿いにあり甲府城を守備する命を受けた近藤らは「甲陽鎮撫隊」を結成、西へ向かう折に立ち寄って休息した。
この時、近藤は大久保剛と改名しており若年寄格の身分を得て長棒引戸の駕籠に乗って現れ地元民の歓待を受けた。
そして故郷に錦を飾って得意満面出発、笹子峠を超える頃には甲府城はとうの昔に新政府の手に落ちており敗走する。
西光寺には仁王門や常夜灯が当時のまま残っているが周囲の環境は21世紀の様相。
往時の面影は全くない。
中高生の頃には新選組のマニアであった私もこの史跡の存在を知らず、最近通りがかりに見つけた。
境内には近藤勇の坐像がある。
意匠は有名な肖像写真から起こしたものであろう。
西光寺から北上していくと調布飛行場の向こう、人見街道沿いに近藤勇の生家跡、隣が龍源寺。
板橋の刑場で斬首された近藤勇、首は京に運ばれて三条河原に晒された。
胴体の方は兄と養子勇五郎が刑場から持ち帰り近藤家の菩提寺である龍源寺に埋葬したという。
(諸説あり)
墓は本堂の裏手にあって今日も花など手向けられていた。