扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

2009年大晦日

2009年12月31日 | 来た道

いよいよ今年も終わりである。
00年代の終わりでもある。
この10年、世間とはどうであったか。

2001年に9.11があった。
2008年に金融危機があった。
このふたつは米国の威信低下の契機になった。
前者で軍事、後者で経済、もはや米国は世界の頂点にはいない。
言い方を変えれば米国が頂点であるような評価軸を世界は放棄しつつある。

また、日本の地位も低下しつつあるといえよう。
こちらはもはや世界2位の経済大国ではない。
何をもって我々日本の順位を考えるか。これは難しい。
皆、戦後ゼロから出発したことを忘れ、2位だったこと以外思い出したくないのだからどうしようもない。

おのれのことを考える。
2001年にNTTをやめ、会社を興した。
今期は7期目であるがめざす方向にいきつつあるようにも思えるし、場当たりで糊口を凌いでいるようにも思われる。
そもそも何をしたかったかさえ定かではない。

この10年で得たものとは何であったか。
改革開放前の中国(天安門直後だ)に行ってから10年ぶりに訪れたのが2004年。
それから半年ごとに何度も行った。
上海・北京・広州・香港をはじめ、地方都市にも行く機会があった。
上海に入った瞬間、「もうこれは日本は負けだ」と心底思った。

欧州にも米国にも再訪した。
インドには初めて行きあまりの異次元ぶりに驚きかつ、「何と精神の居心地のよいところか」と感じた。

私はITマーケティングを活動の柱としてきたが、インターネットや携帯電話の進化はすさまじかった。
もっとテクノロジーに長じていればきっとビジネスチャンスはあったろうがもはやその分野では消費を動かす原動力が実感できない。
老いを感じるところではある。

これからどうするか。
「本を書いて書店に置いてもらい棚差しの背表紙の自分の名を眺める」、この夢はかなってしまった。
しかも宗教や哲学という分野においてだ。
また、今、歴史という縦糸を太くしようとしている。
40年あまり生きてきた中で考えていたこと、学んだことが奔流のように頭の中を巡っている。
よくも悪くも趣味と仕事が一致していることは間違いないが次の10年どうなるか。

私はさほど信心深いほうでもないが、ここまでの人生は何やら大いなるものにつつき回されているようなものであった。
最近、またぞろ誰かが背中をつつきだした。
漠然としたものが「小説を書け」というようなお告げに変化しつつある。
それが次の目標である。

次の10年、どうなるか。
まあゼロからのスタートであったと思えばマイナスにはなるまいて。

保護ネコを2匹受け入れて4匹になった。

ネコがいると毎日が楽しい。