日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

空気読めない、先も読めない“退場モノ”の与謝野発言

2008-12-22 | その他あれこれ
与謝野経済財政担当大臣が、昨日のテレビ番組でまたつまらないことをのたまわれており、穏やかに過ごしたい年末の貴重な日曜日だと言うのに、ついついブチ切れさせられてしまいました。

お話は消費税についてです。現状の国家財政状況では、福祉関連の財源を確保していくことは難しく、2011年度からの段階的引き上げを含めて2015年度までに消費税を10%まで上げなくてはならないというもの。現状で福祉財源確保が難しい点はまぁ良しとして、今この景気急降下のタイミングで2015年度までに10%という時期および数字を明確にすることの、狙いと効果は一体どこにあるのでしょうか?

まず1点目、2011年から2015年にかけてという時期について。わが国を含めた世界経済は100年に一度という大不況に陥れられようとしているその最中、消費税率を2011年度から引き上げはじめて2015年度に10%にしようって、2011年度に景気がどうなっているのかそっちが先の問題じゃないのですか。すなわち、「政府としてこうこうこんな具体的な効力のある景気対策を講じることで、2011年度には景気回復にメドが立つと考えられるので、無事想定どおり回復した暁には消費税率見直しに手をつけさせてください」と言う話ならまだ許せますが、この先どこまで悪化するのか見当もつかない大不況を前に、何の有効な対策もなく無策のまま失言を繰り返し支持率ばかりを下げ続けていく今の内閣の一員が、何を言い出しているのかです。

しかも、日銀短観で戦後二番目の最悪ともいえる景況悪化が明らかになり、ソニーショックに続いて世界に冠たるトヨタも営業赤字転落というショッキングなニュースが駆け巡り、国民一人ひとりの懐はと言えば時期も時期、賞与支給で景気の悪化をいよいよ実感したこの折ですよ。こんな時に、さらに国民の暗い気分に追い討ちをかけて冷や水を浴びせるような「消費税率引き上げ宣言」、空気も先行きも読めないバカな発言です。この人は、何度でも言いますが前回の総裁選最中のリーマンショック時に、「日本経済への影響はハチが刺した程度」とのたまわれた稀代の“経済オンチ”なのです(一部では自民党一の経済通とか言われているそうですが、知識と経済感性は別物です。言ってみれば、音符は読めるけどリズム感ゼロって奴と一緒ですね)。もうこれ以上、景気を悪くするようなことは言わないで欲しいです。

2点目。これも繰り返しになりますが、消費税上げはまず官僚とその周辺組織の無駄遣いを徹底的に実施して、その実績を国民の前に具体手的な形で提示をしてからです。ここにきての景気の悪化で、民間企業はどこも皆、生き残りをかけての無駄の排除、経費の削減に必死です。官僚をはじめ“親方日の丸”の方々にどれだけその気持ちがありますか。消費税を上げなければ福祉財源の確保はできませんという早急な結論づけは、“既得権”死守で何の努力もしたくない官僚たちの受け売りです。本当にそうであるとしても、官僚も政治家も本気でまず自分たちの無駄遣いや非効率をただし、少しでも財政の改善に寄与する姿勢を見せるべきではないでしょうか。

相変わらず夜更けの霞ヶ関官庁街には、客待ちタクシーの列が見られています。一等地格安の公務員住宅は叩かれても叩かれても依然そのまま、優良国家資産を有効活用する動きは全くありません。さらに最近では、新たに独立行政法人の「昼食費支給」問題なども明るみに出ています。これらの問題を棚どころか2階3階に上げたまま、財源確保は新たな国民負担に頼りきっていては、誰も納得しませんよね。一日も早く、具体的目標を掲げて無駄排除、経費削減、資産活用を実行して欲しいものです。企業経営でもそうですが、具体的目標ないところに成功はあり得ません。

誰が考えても時期も内容も全然おかしいと思うことを、平気で公共の電波に乗せて国民に軽々しく伝えてしまう。こんなバカな政治家に日本を任せていたら、本当にわが国は抜け出せない大不況の袋小路に入ってしまいそうで、背筋が寒くなる思いです。

朝日杯フューチュリティS

2008-12-21 | 競馬
先週に引き続き今週は2歳GⅠ戦です。牡馬牝馬混合のナンバーワン戦。とは言え最近は中距離馬は他に回ることも多く、2歳マイルナンバーワン戦と言えそうです。

子供の運動会の徒競争みたいなものですから、まだ脚質も定まらず実力の有無もはっきりはしない者同士の争いですので、真剣に予想するだけアホらしいのかもしれません。先行馬が多く展開的には一応差し馬有利とは思えますが…。

馬的には前走マイルGⅡデイリー杯で逃げた1番人気ホッコータキオンを豪快に差し切った②シェーンヴァルトに大物感を感じます。ただ父ジャンポケで豪快さと裏腹にちょっと器用さに欠ける気がする点が中山でどうかです。

豪快な差し脚と言えば③セイウンワンダーの前走新潟2歳Sは、道悪で最後方からのものすごい脚でした。その後一息入れたことが吉と出るか凶と出るか。

騎手では絶好調ルメールの⑪フィフスペトルがおもしろそうです。骨折から復帰の武くん(⑤ブレイクランアウト)は、今週はこのレースのみの騎乗で、来週の有馬へ向けた肩慣らしと見て今回は見送り。

一応、②③⑪有力とみます。

〈70年代の100枚〉№56 ~ ウエストコースト・サウンド誕生の瞬間

2008-12-20 | 洋楽
70年代の10年を、前期と後期で全く印象の異なるグループとして第一線で活躍した重要なバンド、ドゥービー・ブラザーズの登場です。まずはその前期の代表作から。

№56   「キャプテン・アンド・ミー/ドゥービー・ブラザーズ」

ドゥービー・ブラザーズは71年の結成、80年が最初の解散で、まさに70年代を生き抜いた、時代を代表するアメリカン・バンドです。71~75の前期はギターアンサンブルを中心としたウエストコースト・サウンドで、76~80年の後期はキーボード・アレンジを中心としたAORサウンドをメインに活動を展開し、幅広い人気を博しました。

前期の代表作は彼らの3作目、73年リリースの「キャプテン・アンド・ミー」です。同時代のウエストコーストを代表するもうひとつのバンドイーグルスもそうですが、この時代に確立されたウエストコースト・サウンドは、乾いた音色のギター・サウンドをメインにカントリーの影響も感じさせる若干のアコースティックな味付けが特徴です。この「キャプテン・アンド・ミー」はまさに、そんなアメリカ西海岸からしか生まれ得ないような当時の新しい「音」を全米に向けて発信し、大成功したのでした。

そんな新しいアメリカンなサウンドの要を務めていたのが、ギターとボーカルを担当する2人のフロントマン、トム・ジョンストンとパトリック・シモンズです。どちらかと言えばロック寄りのトムとフォーク&カントリー寄りのパットの二人が、それぞれの特徴を活かした曲作りとアレンジで重すぎず軽すぎずの見事な「音」を生みだし、当時の新たなロックの流れであるウエストコースト・サウンドを、広く認知させるに至ったのです。

このアルバムでは、何と言ってもA面に収められた彼らの代表曲であるヒットシングル2曲が最高に強力です。A2「ロングトレイン・ランニン」は、必殺のギターカッティングで始まるイントロがその後長くロックの定番として語り継がれる名曲。A3「チャイナ・グローブ」は、これぞドゥービーという軽快でキャッチーなギターリフとメロディが実に魅力的な佳曲です。この2曲はそれぞれ全米チャートで最高位8位、15位を記録し(アルバムは7位)、彼らの人気を決定づける役割を十分すぎるほど果たしたのです。

他にも、軽快なアメリカンテイストのロックリズムとハーモニーが印象的なA1「ナチュラル・シング」、パットお得意のカントリー風メロディを都会的なアレンジで仕上げたB2「サウスシティ・ミッドナイト・レディ」、B面ラストを物憂げな余韻を漂わせながら締めくくるタイトルナンバーのB6「キャプテン・アンド・ミー」など、まさにウエストコースト・サウンドが生まれた瞬間を確実に感じさせてくれる素晴らしいアルバムです。

ドゥービーブラザースは70年代前半は、このアルバムをピークにウエストコースト・サウンド創生の旗手としてポピュラー・ミュージック・シーンに大きな足跡を残します。しかしながら彼らの活躍はそこにとどまることなく、70年代後半においては、全く別の形で更に大きな成功を手にすることになるのです。そのあたりの話はまた次回です。

大不況到来に思う、今再び「安全性低下」「偽装」への不安

2008-12-19 | 経営
ニュースは連日、不景気な話ばかり。こちらも不景気ネタを続けます。

今週初めに大不況の到来によってトレンドが変わる話をしました。当然のことですが、「価格-安」を求めるの傾向が強くなり、「質」の問題は徐々に端に追いやられていくのではないかと…。消費者が「価格-安」を求め、「質」は購買決定要素としてのポジショニングが下がるとしたら、やがて再びデフレの傾向が強くなるかもしれません。

一方の企業は、厳しい収益環境の中で消費者の求める「価格-安」に向けた競争を強いられることになります。ここで気をつけなくてはいけないのは、「価格ー安」と「質-高」は確実に、トレードオフの関係にあるということです。すなわち、より「価格-安」をめざした商品を作りだそうとすれば、一定割合で「質-高」は失われていくのです。

消費者側は「価格-安」を優先はするものの、今の時代の流れの中では危険を感じさせるような「質-低」は絶対に容認してくれません。どこまでが、消費者が受け入れられる「質-低」であるのか、その部分は十分に考えた上で「価格-安」戦略を練る必要がある点は絶対に忘れてほしくないと思います。今思えばの話ですが、前回の金融危機以降のデフレ傾向の中で、「なるべく安く」を実現するために一部安易に生産・加工を中国へシフトした食品業界。結果として「質」において安全性を脅かす部分にまで入り込むことになりました。こうなってしまっては、これは安全性への配慮を欠いたいき過ぎた価格低下戦略であったと結論づけざるを得ないのです。

もうひとつ今から懸念するのは、「価格-安」を目指すあまりの意図的な「質」の低下とその隠ぺいです。デフレ進行による価格低下競争の激化はそのまま製造コストダウン競争になる訳で、企業防衛のあまりついつい違法と知りつつ、“禁断の手段”に手を染めたくなる誘惑が経営者を襲う危険性もあると、今の段階から十分に理解をしておく必要があるのです。建築偽装、原材料偽装、産地偽装、消費期限偽装、使い回し偽装…、続発する「偽装」問題でも分かるように、“禁断の手段”は明らかなコンプライアンス違反であり(法令違反であるかどうかは別として)、結果として必ず企業の崩壊につながることなのです。

この点の防止をどうするのかですが…。
人間は弱いもので、これは経営者とて同じことです。つまり、窮地に追い込まれれば、「一度ぐらいはいいだろう」で“禁断の手段”に手を出してしまうことも、十分にありうるのです。そして「一度ぐらい」が経常化して、最後は内部告発によって事実が明るみに出て企業は崩壊する、最近の「偽装事件」のお決まりのパターンです。コンプライアンス違反を止められない一番の理由は、「トップの関与」に他なりません。すなわちトップの暴走抑制策を作ることが一番の防止策になるのです。

では、トップの暴走抑制策をどするかです。自らを律するためには周囲の監視の目を強化することが一番です。そのために目下のことろ一番有効な策は、外部「ヘルプライン」の設置ではないでしょうか。経営が関与しない中立な第三機関に内部通報の受付窓口を委託し、トップも含めた社内不正行為の抑止力とするとともに、組織の自浄作用を強化するのです。このような「外部窓口」があることで、トップの“禁断の手段”に傾きかけた誤った判断も思いなおすきっかけがつくれると思うのです。
(「こんな時に、金額はともかくヘルプライン契約で新たな出費などとんでもない」と感じられた方、そんな考え方が最も危険なのです。)

今回のような急激な景気下降局面では、企業は規模の大小を問わず存亡をかけてあらゆる戦術を検討することになります。このような重大局面にあってもビジネスに携わるすべての人は、「疎かにしてはいけないもの」「犯してはいけないもの」は何なのか、それだけは常に意識をし良識ある行動を心がけて欲しいと切に思います。

雇用は契約~職場選択の自己責任が求められる大不況時代

2008-12-17 | その他あれこれ
今話題の雇用のお話です。

このところニュースで連日伝えられる、雇用調整、特に臨時雇用の相次ぐ解雇、新卒内定取り消し問題等が、クローズアップされています。報道のトーンは一貫して「悪いのは企業」という感じですね。放蕩経営が原因のケースはともかく、今回のような不可避的経済危機対策の場合、果たして一方的に企業が悪いのでしょうか?

当然、企業側には企業側の事情があって雇用調整をする訳です。特に製造業では、受注が大幅な減少に転じれば大量のラインが稼働停止を余儀なくされ、雇用を続けても労働現場を与えることのできない臨時雇用職員が大量に発生します。当然企業が売り上げが大幅ダウンする中で、経費をそれ以上に落とせなければ利益を圧迫することになる訳ですから、危機的状況下で“遊んでいる”人員にタダで賃金を払い続ける訳にはいかないことは、誰にでも容易にわかる仕組みであると思います。

雇用に対する考え方が日本と大きく異なる欧米においては、過去においても臨時雇用はおろか正社員でも大量のレイオフが行われることは決して珍しくありませんし、今回のような危機的な景気下降局面においては明らかな雇用契約違反でもない限り、解雇された社員が大騒ぎすることも稀です。なぜ日本では、大騒ぎになり企業ばかりが悪者扱いされるのでしょう。それはおそらく、戦後の長きにわたって培われてきた「終身雇用」文化に根付いた企業と労働者の「対等契約の無意識化」による、雇い入れ側の継続雇用責任を当たり前のように考える風潮にあるではないかと思います。

日本では10年前の金融危機からの立ち直り以降人材の流動化が一気に進み、働く側も今や転職は当たり前、終身雇用も期待する方が少ないと言う意識に変わってきたように思います。しかしながら、欧米的な雇用に対する考え方がそうそう短期間に完全に根付く訳もなく、今回のような問題に直面したとき、やはりどこかで「日本的終身雇用文化=生活を保障される対価としての雇用契約」という「主従関係」に根ざした意識は未だに強く、法解釈も含め企業経営よりも雇用は優先して「守られるべき」との考え方が根強く生きていると感じさせられます(今回のような緊急危機回避的状況下で有効かという問題提起で、企業の雇用責任を否定するものではありません)。

欧米の雇用関係は対企業であっても完全に「対等契約」です。契約相手である勤務先企業が不調であるなら、契約に沿った早期の契約解除の場合、ゴタゴタともめごとで時間を費やすよりもむしろ早期に他へ移ることに専念するべきという考え方が主流であるように思います。同レベルで語れるケースではないかもしれませんが、リーマン破たんの時に、多くの社員が早々に荷物をまとめてオフィスから立ち去る姿をニュースで見た人も多いと思います。その際彼らの大半は、残念であるとは言いつつも、恨み事を口にする社員はほとんどいませんでした。彼らは、こんなことになった企業と契約した自己の責任もきっちりと感じた上で、早々に次の行動をおこしているのです。

今回の期間契約の工場労働者のケースを同じ様に語る訳にはいかないかもしれませんが、内定取り消しに対する学生諸氏の対応については、上記に学ぶべき点が多いように思います。冷たいことを言うように聞こえるかもしれませんが、就職先の選択はまさに「自己責任」であり、企業自らが「あなたを雇う余力が当社にはありません」と言っている訳で、それはもう「悪いこと言わないから、こんな会社に入るのはやめておきなさい」と言っているのと同じです。今から新たな先を探すのは大変な苦労であるとは思いますが、米国のビジネスマンよろしく、誤った企業選択の「自己責任」を認識し、一日も早く気持ちを切り替えて就職活動に専念し、前向きにがんばって欲しいと思います。何をおいても、これからの日本を支えるのは君たちなのですから。

一方、今後一層深刻化するであろう大不況時代の到来の中で、すでに働いている我々が認識すべきこと…。企業との雇用関係は「契約」であることは間違いのない事実であり、自己の生活を守るものは自己でしかなく、職業、就業先選択の責任は常に自分に課せられているのだという点を今一度認識しておく必要があるのだと思います。企業との「主従関係」を信じ雇用契約に頼り続けていく昭和的思想は、万が一の場合に自らの生活回復力を低下させ、再起不能にも陥れられかねないのですから。大不況を乗り切るため、「頼れるものは自分だけ」を肝に銘じたいものです。

「篤姫」ブームは、来年に向けたトレンド・ヒント?

2008-12-16 | マーケティング
人気のNHK大河ドラマ「篤姫」が14日に放送を終え、最終回の平均視聴率が関東地区で28・7%(関西地区26・2%)だったそうです。全50回の平均は、24・5%(同23・1%)となり、02年「利家とまつ・加賀百万石物語」の22・1%(関西22・5%)を抜いて、21世紀に入ってからの同ドラマで最高を記録したそうです。

NHKは今年の「篤姫」人気について、「『幕末ホームドラマ』と称し、ヒロイン篤姫とその家族の心の触れ合いを軸にした作品が、ともすれば、難しくなりがちな今までの幕末大河ドラマと一線を画すものとなった」と要因分析しているようです。ただこの分析が必ずしも当たっていないのは、04年の「新撰組」がやはり三谷幸喜脚本、SMAP香取慎吾主演の下“脱従来路線”で作られながら、平均視聴率で17.4%と“惨敗”したことを考えれば明らかです。しかも、「新撰組」は当時多くの視聴者から、「従来の大河ドラマとかけ離れすぎている」との“脱従来路線”批判を浴びていたのですから。

一方「篤姫」の脚本を書いた田渕久美子さんは、人気の秘密についてこんなことを言っています―
「現代人は自分の決めた生き方に責任を持つという覚悟が足りず、言い訳や逃げ道も多いのが現実です。ストレスへの耐性も弱く脆い。きっと今の日本人が失った大事な何かが、篤姫にはあったのではないでしょうか」

さすがはヒット作品の生みの親です。こちらの意見の方がNHK氏よりも数段説得力があるように思います。確かにネット上でも「主人公のセリフの一言一言に気づかされる部分が多い」との視聴者の声があり、多くの視聴者にとって「日曜夜=“仕事前夜”」のテレビ番組として、けっこう意義深い役割を果たしていたのかもしれません。

人気になるモノ売れるモノには必ずや世相を反映した何かが潜んでいます。特に1年間を通して放映される大河ドラマが、従来と異なる“ホームドラマ様式”でありながら尻上がりに視聴率を伸ばしたと言うのには、確実に世相反映があるとにらんでまちがいありません。田渕さんの話や先のネット上のコメントから推察するに、「夢をかなえるゾウ」に代表される今年のベストセラー本とも共通する「自己啓発」ブームがそれではないかとみて間違いないように思えるのですが、いかがでしょう。

当初は平凡な数字でスタートしたものの、春以降徐々に視聴率を伸ばして11月30日に29・2%の年間最高を記録。物語後半の視聴率上昇は従来でも見られはするものの、今年の秋以降の急速な景気下降が生活防衛の危機感に由来する「自己啓発的」意欲の高め、一層視聴率を高めたと見ることもできるのではないでしょうか。

もちろん、景気が悪くなりはじめたことで、世の中のギスギス感や先々への不安感を緩和したいと言う本能が働き、暖かみを感じさせる女性ヒロインが活躍する“ホームドラマ様式”が好感されたということもまた、無視できないヒット要因のようにも思われます。いずれにしましても、今年後半から急激な人気上昇を見せた「篤姫」ブーム。そこには、来年のトレンドを捉える大切なヒントが潜んでいるように思えます。

本格化する大不況で、消えるトレンド?

2008-12-15 | マーケティング
本日発表の日銀短観で、大企業製造業の景況感は過去2番目の下落幅となり景気悪化傾向が明確化。100年に一度といわれる不景気は本格化の様相を呈してきたようです。景気が悪くなるということは、世の中のトレンドにも大きな変化を及ぼすことが多く、ビジネス上でのターニング・ポイントになりうるので注意が必要です。

まず一番明快なトレンド変化は、「高級品」「贅沢品」の買い控え、「安くても良いもの」歓迎への消費性向の移動です。「価格」と「品質」を縦・横軸にしたマトリクスで見ると、消費性向は景気が右肩あがりの時期には『価格「高」・品質「高」』に向かうのですが、景気低迷初期にはまずおしなべて『価格「低」・品質「高」』に流れ、不景気が本格化するにつれて品質「低」でも可とするような傾向が強く出ます。もちろん同じ価格「安」なら、より品質「高」を求めるのは当然のトレンドではあります。不景気になるとユニクロやマクドナルドが売上を伸ばすのは、まさにその典型的現象と言えます。

ここで注目すべきは、一層の景気の悪化によりますます価格「安」が重んじられ品質が後回しにされることで、何が起きるかです。景気が悪くなればなるほど、価格「安」は消費行動の圧倒的な動機付け要因になる訳で、「質」的要因はますます軽んじられるようになるでしょう。もちろん「安全性」を損なうような「質」の低下は受け入れられないでしょうが、そうでないものは不景気が長引けば長引くほど隅に追いやられ、徐々に軽んじられていくことになるのです。

となると、加速度的に進む景気悪化傾向の中、今後予想しうるトレンドの変化が存在することに気がつきませんか?それは、これまで大きなうねりとして世の中に新たな潮流を作ってきたと思えるトレンドであっても「質」にかかわるものは、100年に一度の大不況で様相を一変させられるのではないかということです。もっと具体的に言えば、10年前の金融危機に端を発したデフレ時代からの脱却後、大きく世間を動かしてきた新たな“質的”トレンドには、衰退の危機が訪れうるという話です。

真っ先に思いつくのは、ここ数年急激に浸透した消費における「エコ」や、「ロハス」「スローライフ」など「自然志向」等の“質的”トレンドでしょう。「エコ」に関して言うなら、ハイブリッド・カーのようにガソリン代が安くなる等「エコであることが他の出費を抑えることになる」ような商品はともかく、単なる「エコ」商品は「エコ品質」であるがために金額が多少なりとも高くなるのであれば、敬遠される傾向になると予想されます。

食品における「自然志向」にしても、例えばオーガニック野菜などは安全性の面で優れていたとしても、最低限の安全性を確保した野菜との価格差があるならば、恐らくそれまでは多少高くともオーガニックを選んであろう購買層までもが、比較上安価な「普通に安全な野菜」を選択をするようになるであろうことは想像に難くないのです。

すなわち、ここ数年の大きなトレンドであった「エコ」も「自然志向」も、ごく一部のマニアックな人たち限定の嗜好に逆戻りする危険性がとてつもなく大きいと個人的に思っています。不景気の波が押し寄せてくることは、個々人の生活における経済的安定を脅かす大事件です。その大事件を目の当たりにして、国民の大半を占めている「中流階級」は確実に「下流階級」への転落を恐れ、生活維持上重要度の低いトレンドに乗ったプラス出費は間違いなく抑える行動に出ると考えられるのです。半永久的に続くと思えていた昨今のトレンドを、安易に信じた上でのビジネス展開は要注意でしょう。

12月のボーナス・シーズンを迎えて、いよい大不況の実感を肌で感じはじめた日本国民は、来るべき新しい年に向けてますます財布の紐を固く締めることでしょう。そうなれば、これまでの景気回復基調下での“質的”トレンドは風前の灯火です。100年に一度の大不況は、根付きつつあった今世紀型の大きなトレンドをも魅力の薄いモノに変え、いとも簡単に吹き飛ばしてしまうほど恐ろしい破壊力を持っているのです。

阪神ジュベナイルフィリーズ

2008-12-14 | 競馬
2歳女王戦「阪神ジュベナイルフィリーズ」。海のものとも山のものともつかない2歳しかも牝馬ですから、レース名と同じぐらい難解なレースです。

こんなレースを真剣に予想して堅い馬券を狙ってもバカみたいな話なので、買い目抜きで穴狙いの個人的ヒントを少々。

大レースで激走するのはGⅠ血統。人気薄でも血統的魅力を感じるのは、母ファレノプシスの④アディアフォーン。母は人気⑬ブエナビスタの母ビワハイジより格上です。

この時期の2歳牝馬戦での個人的戦略セオリーで考えると、秋中央場所で牡馬混合のオープン経験馬が穴メーカーというのがあります。②ダノンベルベール③レディルージュ⑦ショウナンカッサイ⑫ワンカラット⑮パドブレですが、②以外は人気薄でうま味十分です。さらにこの中で距離経験ありは、②③⑫です。

本日は以上。競馬ファンの皆様のご健闘をお祈りいたします。

〈70年代の100枚〉№55~“天才の悲劇”が産み落とした名作「狂気」

2008-12-13 | 洋楽
70年代は組曲的な音楽を展開する新たな流れとして、プログレッシブ・ロックと言うジャンルが確立された時代でもありました。クラシックとの安易な近未来的融合でやや“考えオチ”の部分も多く、中身的に希薄なものも目立つジャンルですが、ピンク・フロイドは数少ない明確な功績を認め得るアーティストであります。

№55    「狂気/ピンク・フロイド」

ピンク・フロイドは67年に“鬼才”シド・バレットを中心とした、サイケでポップなロック・バンドとしてデビューします。しかし、シドは精神面に問題を発症して2作目の制作過程でバンドをリタイヤ。残されたメンバーで活動を継続するも、核を失った影響は如何ともしがたく、迷走気味な活動がしばらくは続きます。メンバーのロジャー・ウォーターズは、バンドの方向性を試行錯誤する中で、シドが残した“問題提起”である「人の心の闇」を見つめ続け、「狂気日食(Eclipse)」というテーマを約3年かけて膨らませて大作を作り上げます。その作品が73年10月に発表された「狂気」なのです。

アルバムは、アマチュア時代からシドと共に過ごしたロジャーが、「ヒトと違うこと」をテーマにすべての歌詞を書きおろし、1枚まるごとをこのテーマに沿ったコンセプト・アルバムに仕上げました。本作は、発売と同時に瞬く間に大ヒットを記録。それまで最高位でも全米40位以内を記録したことのなかったバンドに、全米チャート制覇と言う快挙をもたらします。アルバムは、その後も売れ続け実に741週にわたってアルバムTOP200にチャートインを続けるという、恐らく今後も破られることは難しいであろう前人未到の大記録を打ち立てたのです。

このアルバムが売れ続けた理由、それは「ヒトと違うこと」=「狂気」が誰にとっても危機感を抱かせる普遍性のあるテーマであったこと、そのテーマを鮮やかにとらえてそれまでのポピュラー音楽とは一線を画する芸術的な領域にまで高めたことにあります。それでいながら、楽曲に取り上げられる事象とメロディーは、とっつきにくさのない大衆的な一面も保ち続けているという不思議なバランス。アルバム全体を1曲として捉え聞くことが正しい聞き方なのかもしれませんが、B1「マネー」A3「タイム」といったメロディアスなナンバーがアメリカで人気を集めたことも、アルバムの大ヒットを牽引したように思えます。

アルバムの原題は「The Dark Side Of The Moon」。B面のラストB5「狂気日食」中で、作者ロジャー・ウォーターズがそのコンセプトたる独自の世界観を歌いあげています。

~すべてのものは太陽の下で生かされていながら、時として月によってその陽を遮られるのです。そうです、すべてのものには明るい面と暗い面が存在するのです。~

シド・バレットと言う狂気の天才を襲った“心の闇”の衝撃が、ロジャーの世界観を揺り動かし、奇跡の名作を作り上げさせたのでしょう。そしてその後のピンク・フロイドの活躍は、すべてこの作品を起点としてテーマとすべき世界観、人間観、問題提起に至っています。シドそのものをテーマにした次作「炎」、物質文明の階級社会をモチーフにした「アニマルズ」、人間社会の疎外感を“壁”に見立てた「ウォール」などの数々の傑作は、“悲劇の天才”シド・バレットの人生と、それに対峙したロジャー・ウォーターズの問題意識がもたらした名作「狂気」なくしては生まれ得なかったのです。

イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー…、数多くのプログレッシブ・ロックバンドが70年代には活躍をしましたが、「狂気」を作り上げたピンク・フロイド以上に21世紀に至るまでその衝撃を伝え続けたアーティストを私は知りません。

経営のトリセツ48 ~経営マインドで決算書を理解する大切さ

2008-12-12 | 経営
久々に連日で「経営のトリセツ」いきます!

経営者が「決算書」の基本を分かっているか分かっていないかは、不況時の企業経営に大きく影響します。

「決算書の基本を知る」とは「決算書がどのような構成になっていて、事業の何がどこに数字として現れるかを知る」ことです。「決算書」の構造意的説明を今この場でくどくどするつもりはありませんが、今はいろいろ分かりやすい「決算書の見方」的書籍がたくさん出ていますので、その中の1冊を一度読んでみるといいと思います。

自分で会社を立ち上げた人は、たいてい少しは決算書の構造を理解しているものです。なぜなら自分が少なからず出資をして、その出資金が決算書上でどこに掲載されどう動いているのか、消えてなくなっていないか、等を気に留めているからです。サラリーマン社長や二代目、三代目はその点ではどうも弱いのではないでしょうか。「決算書」は自社の成績表ですから、それが読み込めないのはやはり問題です。自分が指示している施策が、「決算書」のどこ数字にかかわることなのかぐらいは、指示しながら頭に描けるようにしたいものです。

以下、銀行員的決算書の読み方を少々。

「決算書」は「貸借対照表」と「損益計算書」からなっていますが、個人的には「貸借対照表」こそが会社の一定時点での“健康診断票”であり、より重要度が高いと思っています。「損益計算書」は一期分の売上、経費、利益を示しているもので、最近時の利益構造を見ることは大変重要ですが、会社の中身そのものを評価できるのは過去からの蓄積結果である「貸借対照表」に他なりません。

銀行員が不況時に「貸借対照表」のどこを見るか、重要なポイントをひとつあげるなら、“他人資本”である借入と自己資本(資本金+内部留保)の比率、すなわち「自己資本比率」です。過去からの蓄えである「内部留保」の積み増しによってどれほど「自己資本」が厚みを増しているのかは、会社が今のような不景気の中でも借金に頼らず存続していけるかどうかを示す重要なポイントなのです。(はじめに、“銀行員的見方”と申し上げたように、銀行員はあくまで「貸した金が返ってくるかどうか」を最優先で見るということを前提としたポイントではあります)

もちろん内部留保を積んで自己資本を厚くするには、毎年「損益計算書」上で利益を出していかなくていけませんから、当然税金をちゃんと払わなくてはいけません。「法人で利益を出して税金を払うくらいなら個人で多額の税金を払っても自分の懐に入れた方がいい」と考えると、経営者の所得は増えても「会社の貯え」=「自己資本」はいつまでたっても増えることがないのです。

利益体質なのに内部留保がほとんどなく自己資本が薄い企業は、経営者や株主が利益を“山分け”して会社を粗末にしている等、経営のスタンスまで読み解くことが可能です。銀行員はそういった部分からも経営者の姿勢を読み込んで、最終的な融資姿勢を決めていたりするのです。「損益計算書」上で当期利益が出ているかどうかにかかわりなく、「貸借対照表」上で「自己資本」が薄い企業は、儲かっているのに服やパンツを買わずにいつも無防備な裸の姿で歩いている経営者の姿が思い浮かんできて、えらく「かっこ悪い」のだと理解してもらったほうがよいと思いますね。

(景気が悪くなった今更言っても遅いかもしれませんが…)
このような「かっこ悪い企業」は景気が悪化傾向になればなるほど、お金が貸りにくくなる訳です。景気下降局面で、前期で利益が出ているのに融資が下りない場合は、そんなケースが多いのです。これを「貸し渋り」と言うかどうかですが、私は過去の経営者の姿勢や蓄え不足の実態から判断すれば、利益が出ているのに貸してくれないイコール「貸し渋り」とは一概には言えないと思っています。

「決算書」は企業の“健診票”であり、その“健診票”が「信用」を左右する訳で、やはり経営者がその内容を理解できないことは致命傷になりかねないのです。

※節税対策ばかりに熱心で「内部留保」に関心の薄い税理士は、早めに“チェンジ”した方がよろしいかと思います。