日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

雇用は契約~職場選択の自己責任が求められる大不況時代

2008-12-17 | その他あれこれ
今話題の雇用のお話です。

このところニュースで連日伝えられる、雇用調整、特に臨時雇用の相次ぐ解雇、新卒内定取り消し問題等が、クローズアップされています。報道のトーンは一貫して「悪いのは企業」という感じですね。放蕩経営が原因のケースはともかく、今回のような不可避的経済危機対策の場合、果たして一方的に企業が悪いのでしょうか?

当然、企業側には企業側の事情があって雇用調整をする訳です。特に製造業では、受注が大幅な減少に転じれば大量のラインが稼働停止を余儀なくされ、雇用を続けても労働現場を与えることのできない臨時雇用職員が大量に発生します。当然企業が売り上げが大幅ダウンする中で、経費をそれ以上に落とせなければ利益を圧迫することになる訳ですから、危機的状況下で“遊んでいる”人員にタダで賃金を払い続ける訳にはいかないことは、誰にでも容易にわかる仕組みであると思います。

雇用に対する考え方が日本と大きく異なる欧米においては、過去においても臨時雇用はおろか正社員でも大量のレイオフが行われることは決して珍しくありませんし、今回のような危機的な景気下降局面においては明らかな雇用契約違反でもない限り、解雇された社員が大騒ぎすることも稀です。なぜ日本では、大騒ぎになり企業ばかりが悪者扱いされるのでしょう。それはおそらく、戦後の長きにわたって培われてきた「終身雇用」文化に根付いた企業と労働者の「対等契約の無意識化」による、雇い入れ側の継続雇用責任を当たり前のように考える風潮にあるではないかと思います。

日本では10年前の金融危機からの立ち直り以降人材の流動化が一気に進み、働く側も今や転職は当たり前、終身雇用も期待する方が少ないと言う意識に変わってきたように思います。しかしながら、欧米的な雇用に対する考え方がそうそう短期間に完全に根付く訳もなく、今回のような問題に直面したとき、やはりどこかで「日本的終身雇用文化=生活を保障される対価としての雇用契約」という「主従関係」に根ざした意識は未だに強く、法解釈も含め企業経営よりも雇用は優先して「守られるべき」との考え方が根強く生きていると感じさせられます(今回のような緊急危機回避的状況下で有効かという問題提起で、企業の雇用責任を否定するものではありません)。

欧米の雇用関係は対企業であっても完全に「対等契約」です。契約相手である勤務先企業が不調であるなら、契約に沿った早期の契約解除の場合、ゴタゴタともめごとで時間を費やすよりもむしろ早期に他へ移ることに専念するべきという考え方が主流であるように思います。同レベルで語れるケースではないかもしれませんが、リーマン破たんの時に、多くの社員が早々に荷物をまとめてオフィスから立ち去る姿をニュースで見た人も多いと思います。その際彼らの大半は、残念であるとは言いつつも、恨み事を口にする社員はほとんどいませんでした。彼らは、こんなことになった企業と契約した自己の責任もきっちりと感じた上で、早々に次の行動をおこしているのです。

今回の期間契約の工場労働者のケースを同じ様に語る訳にはいかないかもしれませんが、内定取り消しに対する学生諸氏の対応については、上記に学ぶべき点が多いように思います。冷たいことを言うように聞こえるかもしれませんが、就職先の選択はまさに「自己責任」であり、企業自らが「あなたを雇う余力が当社にはありません」と言っている訳で、それはもう「悪いこと言わないから、こんな会社に入るのはやめておきなさい」と言っているのと同じです。今から新たな先を探すのは大変な苦労であるとは思いますが、米国のビジネスマンよろしく、誤った企業選択の「自己責任」を認識し、一日も早く気持ちを切り替えて就職活動に専念し、前向きにがんばって欲しいと思います。何をおいても、これからの日本を支えるのは君たちなのですから。

一方、今後一層深刻化するであろう大不況時代の到来の中で、すでに働いている我々が認識すべきこと…。企業との雇用関係は「契約」であることは間違いのない事実であり、自己の生活を守るものは自己でしかなく、職業、就業先選択の責任は常に自分に課せられているのだという点を今一度認識しておく必要があるのだと思います。企業との「主従関係」を信じ雇用契約に頼り続けていく昭和的思想は、万が一の場合に自らの生活回復力を低下させ、再起不能にも陥れられかねないのですから。大不況を乗り切るため、「頼れるものは自分だけ」を肝に銘じたいものです。