日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№23 ~ “脱アイドル”志向が生んだ最高傑作

2008-05-24 | 洋楽
〈70年代の100枚〉のコーナーは、このところビッグ・ネームが続いたので、今回は少々「あの人は今?」的な感じで…。

№23 「サンライズ/エリック・カルメン」

以前、「音楽夜話」でラズベリーズというアメリカの“パワーポップ”バンドを取り上げました。そのリードボーカルで、ほとんどのシングル曲を書いていたのが、この人エリック・カルメンです。そもそも三田明(知らないよねぇ?)似の、彼の甘いルックスと声が災いして、実力派ながらアイドル的に売られてきた不幸が、バンドを大成させることなく解散へと向かわせたのでした。

そして、満を持してのソロデビュー作がこの75年発表の「サンライズ」なのです。アイドル“パワーポップ”バンドの印象を執拗に振り払うかのような、落ち着いた雰囲気のアルバムに仕上がりました。その“脱アイドル”の的落ち着いたムードを代表するナンバーが、ファーストシングルで全米第2位という彼最大のヒットでもあるA4「オール・バイ・マイセルフ」です。

ピアノの弾き語りで聴かせる珠玉のマイナーバラードは、中間部にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番第二楽章」を挟んで、美しい旋律を際立たせながら大仰ともいえる盛り上がりをみせてくれます。まさに「美しい」曲です。ちなみにこの曲、96年にはセリーヌ・ディオンのカバーで再び全米チャートをにぎわしてくれました。名曲はいつの世にも名曲として受け入れられるわけです。

他には、まるでバリー・マニロウのように歌う全米11位のA3「恋にノータッチ」、明るいソロデビューを夜明けに例えたかのようなA1「サンライズ」、次世代アイドルのショーン・キャシディに取り上げられヒットしたA2「すてきなロックンロール」、美しい小曲B3「エブリシング」、唯一ラズベリーズ臭が漂う自伝的ナンバーB4「ノー・ハード・フィーリングス」などなど、どれもシングルヒットしそうな曲ばかり。改めて、彼のコンポーザーとしての能力の高さには感心させられます。

間違いなく彼の全キャリア中の最高傑作であり、「全米TOP40世代」は決して忘れてはいけない1枚であると思います。

次作「雄々しき翼」あたりまでは、けっこう調子よくいっていたように思われたのですが、その後は単発のヒットはあったもののどうも影が薄くなってしまいました。以前も書いたように、2年ほど前にはラズベリーの再結成ライブで元気な姿をアメリカのファンには見せてくれたようですが、その後はどうしているのでしょうか?

そろそろ久々に、エリックらしいメロディアスな作品を届けて欲しいですね。