日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ26 ~ PDCAサイクル「C」の重要性

2008-04-10 | 経営
「PDCAサイクル」という言葉をご存知ですか?

元々は「生産管理」「品質管理」の現場で生まれた理論ですが、今や仕事の進め方の基本「鉄則」のひとつとして、仕事は「P(PLAN=計画)」→「D(DO=実行)」→「C(CHECK=チェック)」→「A(ACTION=行動)」のサークルで繰り返し進めることで、その仕事は質の向上に向かうと理解されています。まず「計画」を立てて、次にそれに沿って「実行」、「実行」できたらうまく進んでいるか「チェック」し、うまくないなら原因の究明「行動」してふたたび修正「計画」を立てて、「実行」→「チェック」→「行動」→「計画」→「実行」→「チェック」・・・と続く訳です。

例えば、今4月上旬で新年度入りの企業も多いかと思いますが、たいていはまず年度計画を立てるハズです。年間売上目標はいくら、年間目標収益はいくら、経費はいくらに抑える・・・等々。「計画」ってここで、終わってません?ここまではあくまで「計数計画」に過ぎません。大切なのはこの計数目標達成のために、少し掘り下げて「何をどれだけすべきか」という、「行動計画」を立てることです。そこまでできて、とりあえずの「計画(P)」は完成です。

次に「実行(D)」。「行動計画」ができていれば、そこで決められた「何をどれだけすべきか」について「実行」あるのみです。「計画」は立派なものができるんだけど、どうもいつも「計画倒れ」に終ってしまう、という場合は「実行」が伴っていないケースがほとんどのようです。管理者は「計画」完成で安心せずに、必ず「実行」の旗振り&管理をしなくてはいけません。「実行なくして成果なし」です。

その旗振り&管理の重要な役割を果たすのが「チェック(C)」です。「チェック」は、「計画」に沿って「実行」した経過がどうか、その進捗管理をすることです。「計画」どおりにできているか(当然計数計画だけでなく、行動計画についても検証する訳です)、「計画」どおりにできているもの、「計画」を上回っているもの、「計画」に及ばないものはそれぞれ何か、きっちり点検する必要があるのです。これができていないと「計画(P)」→「行動(D)」は、のんべんだらりと行ってしまう事になるのです。

そして、その「チェック」を受けてサイクルの一順目の最後は「行動(A)」です。「チェック」によって明らかになった、「計画」どおりにできているもの、「計画」を上回っているもの、「計画」に及ばないもの、それぞれの原因は何かを究明し、よりよい成果に結びつけるための対応策を検討するのです。そして、それを再度「修正計画」として軌道修正をはかって、次なる「実行(D)」へとつながっていくのです。

さてここで、「PDCAサイクル」で一番大切なものは何か考えましょう。もちろん「P」「D」「C」「A」それぞれが皆大切な事柄ではありますが、一番大切なものはと問われれば迷わず「C=チェック」であるとお答えします。「チェック」が他の3つに増して大切な理由は、「チェック」することによって、計画進行は“見える化”させることができるようになるというメリットがあるからなのです。「チェック」によって、「計画」は適切だったのか、「実行」はきっちりされていたのか、が“見える化”され、良かった部分の更なる強化や悪かった部分の原因究明および方向修正ができるようになるのです。

「チェック」には、日次、週次、月次など、頻度の違いによるいろいろなチェック方法があります。「日報」「週間実績管理」「月次分析」等がそれです。いずれの「チェック」もとてもとても大切です。「チェックなくして向上なし」を心に刻んで、この年度初めの「計画」を“絵に描いた餅”に終わらせぬよう、がんばっていただきたいものです。ちなみに「PDCAサイクル」での仕事の管理は、個々人の業務管理上もとても有効です。私も日々「PDCA」を心がけて業務に取り組んでいます。

「見える化」「トヨタ方式」「5S」「PDCAサイクル」・・・、厳しい管理下の生産現場で生まれた手法は、経営全般に応用の効くものが沢山あるのです。

どこまで続く、「官」の非常識&コンプラ違反

2008-04-09 | ニュース雑感
役人の非常識、またまた大噴出です。

何かと話題の渦中にある国土交通省の関東地方整備局道路計画1課の職員計7人が、またもや官費を官費と思わぬ愚行をしてくれたようです。

民主党の大久保勉参院議員が入手した資料によると、国土交通省関東地方整備局の道路計画1課の職員計7人が、道路特定財源を原資とする道路整備特別会計(道路特会)から、07年4月~08年2月末にかけ1134回分約2200万円のタクシー代をチケットで支出していたことが分かったそうな。

11カ月間で1人平均162回利用しており、勤務日の7割以上をタクシーで帰宅していた計算になるとか。中でも、一人での最高額が490万円、一人での最高利用回数は274回。490万円って、国民一人当たりの平均年収以上ですよ。最高回数274回ってことは、11か月での計算ですから要はほとんど毎日タクシー帰りな訳じゃないですか。もう、国民をバカにするものいい加減にしろって言いたくありませんか。

深夜の霞ヶ関の官庁ビル前に並ぶタクシーの列が、実はコンプラ違反の税金を貰い受ける列であったとは、想像だにしていませんでした。何でも、国土交通省全体では、5年間で特別会計から81億円のタクシー代が支出されていたとか。タクシー代で81億円って何?????世界何周分ですか?

しかも、またもや国交省のアホ役人は、「深夜勤務などの場合のタクシー利用で、法令上問題はない(同省会計課)」と釈明したとか。ひっかかる法令がなければ、それで問題ないっていうのは、コンプライアンスの考えが全く分かっていません。「お前はホリエモンか?」状態です。「官」のオソマツ、ここに極まれりです。毎度毎度、当ブログでは「官」の官費意識のなさ、コスト意識のなさを訴え続けているところですが、ほんともう出るは出るはの状態で、ここまで来ると完全に病気です。神経が麻痺しているのか、「常識」という概念がないのか・・・。

私は、社会人の基礎研修で一番最初にお話しする基本の中で、「誰からお給料をもらっているのか考えて、行動基準を頭に描きなさい」という事と、「公私混同は最も身近なコンプライアンス違反です」という事を意識づけしています。そこで、民間の新社会人が真っ先に身につけるこの2点から、今回の問題のバカさ加減を少々掘り下げてみましょう。

☆誰からお給料をもらっているのか考えて、行動基準を頭に描きなさい☆
民間なら「お客さま第一で考えろ」という意味ですね。「官」ならイコール「国民第一」です。「国民の税金を平気で無駄遣いすること」が、「国民第一」ですか?そういう文化が、「官」の中に蔓延していることがおかしいと、なぜ思えないのでしょうか。
「遅くまで仕事をするほど忙しいのだから、タクシーが帰りは仕方ない」って?ふざけるなですよ。残業はクセになります。そうでなく電車のある時間に仕事が終わらないなら、人員体制を含めた組織構造か業務プロセスか、何かがおかしいのです。なぜそれを放置するのか。民間企業で同じ事態が起きたなら、労務問題、経費問題あらゆる点からすぐに大問題となり、担当管理者は「管理者失格」で更迭必至です。「官」の異常さを本当に認識できない、この体質は一体何なのでしょう。

☆公私混同は最も身近なコンプライアンス違反です☆
「官」に「公私混同」の概念はない?「公=私」?仕事が終わらないのは自分の手際の悪さのせいなのだから、終電を乗り逃したなら“自腹”でタクシーで帰るのが常識ではないのですか。それが嫌なら、効率的に仕事をして電車があるうちに帰るんですよ。想像するに、「あー、遅くなったちゃったなぁ~。もう少しやって電車がなくなったらタクるか。その方が楽だもんなぁ」みたいな声、聞こえてくるようです。これはもう完全に「公私混同」。もっと言えば「官費横領」、コンプライアンス違反です。
国民の範を示すべき「官」が、コンプライアンス違反とは、何たることでしょう。経常的タクシー利用者は、即刻利用金額全額を返還すべし!最低でも国税は、タクシー利用者の利用額は給与所得として所得税課税すべきです!

毎度同じことを言うことになりますが、国土交通省関東地方整備局道路計画1課の問題は間違いなく「氷山の一角」です。首相は全省庁に対して、即時同様のタクシー利用この一年間の実態について、包み隠さず報告させ国民に開示すべきです。今回の件をキッカケにして特定財源だけでなく、他にもあるであろう「官」の“裏の財布”の不透明な使い道をすべて白日の下にさらすべき時にきていると思います。

マスコミも政治家も世論も一体となって追求を続け、非常識な「官」の監視を続けなくては、問題の根本は決して正すことはできないでしょう。なんとも情けない国です。

ショウビスの観点からXJAPAN を叱る

2008-04-07 | その他あれこれ
もう少し古い話題になってしまいましたが、先日のXJAPANの再結成コンサート、遅刻だ失神だと世間を騒がしておりました。

内容があまりに子供じみていてアホらしく、いちいちコメントを出す気もなかったのですが、“本物”の音楽ライブを聞き倒すことをライフ・ワークとしている我が身を勘案し、正しい今様のショウビズのあり方の観点から、一言言っておくことにしました。

事の顛末は以下のとおり。3月28~30日にかけて東京ドームで企画されたXJAPANの再結成コンサート。その初日の公演のスタートが2時間以上も遅れた上に、最後はドラムのYOSHIKIが“失神”したとかで予定曲の半分強の半端な段階で時間切れエンドになったという事件です。開演遅れはYOSHIKIの遅刻だとか、そうじゃないとか、ネット上でもガヤガヤ騒がれておりましたが、私から言わせれば理由などどうでもよろしい。そもそも大きく待たせて倒れてチョンとは何事かと。会社に例えて言うなら、大幅遅刻した上に勤務中昼寝して挙げ句は早退。普通、「お前はクビだぁ~!」って言われる大失態です。

そもそも欧米でもショウビズが未成熟であった70年代には、アーティストはその名の通り芸術家であり気難しく一筋縄でいかないことも多く、いいパフォーマンスをするためなら多少のワガママは仕方ない、と思われていました。74年のエルトン・ジョンの来日公演が、開演から1時間以上も待たされた挙げ句70分足らずで終了してしまった一件でも、一部騒いだ人間はいたものの一般的には「それも致し方なし」と納得せざるを得ない時代的背景が彼を許したのでした。

ところが80年代以降、ショウビズという概念が一般化し、ショウは芸術である前にビジネスであるべきだという考えが、主導的になったのです。すなわち、ショウビズは芸術とは似て非なるものであり、自身のパフォーマンスを購入する人間がいてはじめて成り立つ、まさにビジネスであるということです。

現在はあらゆるビジネスの世界で、どんなに売り手市場の商品でも、顧客の満足度を無視したビジネスは考えられません。YOSHIKIくん、あなたが演奏の対価を目的としない芸術家であるなら話は別ですが、ショウビズとして音楽活動をしているなら、「観客=顧客」を軽視した行動は、心から反省を求められてしかるべきなのです。あのローリング・ストーンズが、40年以上もの長きに渡ってショウビズの世界で常にトップに君臨していられるのは、顧客が何を求め何に満足感を覚えてくれるのかを、常に第一に考えた行動をしているからに他ならないのです。

XJAPANの開演の遅れは、「遅刻ではなく、HIDEの追悼フィルムを使った演出が満足のいくものでなかった」との釈明も、その後されているようですが、そもそも待たされ十分な演奏に触れることができなくなる観客のことをどう考えていたのか。自己満足的完璧さを求め、観客の満足度を犠牲にする姿勢をどう考えるのか。

お詫びだけではないちゃんとした説明があってはじめて、ショウビズ・パフォーマーとしての責任が果たせるのではないでしょうか。だいたい事実であるかどうかは関係なく、釈明に亡くなった仲間の名前を出して共感を得ようなどという手口は、卑怯極まりないと思いますが、いかがでしょうか?このように翌日開かれた釈明会見でのやりとりを見る限りでは、過去に小泉元首相にファンであると言われたことを、“政府お墨付き”とでも勘違いしているのではないかと思いたくもなるような思い上がった話ぶりに感じられてなりません。

会見の席上、初のワールドツアーの計画をぶちあげたそうですが、顧客第一のビジネスの鉄則を分からない現状では、日本の“周回遅れ”の観客は騙せても、グローバル・スタンダードの海外のショウビズ界では百年かかっても一流の評価もらえないでしょう。日本のショウビズ界の恥さらしになりませんよう、余計なことはお止めになった方がよろしいと老婆心ながら申し上げておきます。

<音楽夜話> 懐かしのシルバーヘッドと74年“来日ラッシュ”

2008-04-06 | 洋楽
先般4~5月のビルボード・ライブ来日ラッシュの話をしておりましたが、ひょんな事で74年の来日ラッシュのことを思い出しました。

ひょんな事とは・・・
先日、とあるマニアックなCDショップをのぞいていてふと見つけたCDにビックリ!シルバーヘッドのライブでしかも、サンプラザでの日本公演がボートラで入っている!元グラムロック小僧としては即買いです。しかも来日音源の74年1月19日って、私が始めて外タレのコンサートを見たその日ではないですか!ただただ興奮して家に帰って聞きましたです。聞いてみれば予想通りといいますか、音の悪いこと悪いこと。でも、とりあえず懐かしく少年時代を思い出させてもらいました。

あの頃のシルバーヘッドの思い出といえば、なんと言ってもセカンド・アルバムのタイトルとジャケットがあまりに過激で、中坊の私には買う勇気が出なかったこと。「16才で犯されて」って、ほとんどポルノまがいですから。ジャケット写真、サービスで載せておきますが、昭和の中坊にはちょっと厳しいでしょ?まぁ、友だちがためらいもなく買って貸してくれたので、とても嬉しかったです。今は無事に成人したので、自分でCDを買って持っております。

シルバーヘッドは、グラムロックにしてはかなり音楽的に正統派で、どちらかというとストーンズ的ノリのバンドでした。タイトル曲のB④「16才で犯されて」とか、シングルになったA①「ハロー・ニューヨーク」とか、バラードのA③「オンリー・ユー」とか、けっこうよかったんですけどね。人気の盛り上がりはイマイチで、サンプラザはガラガラの閑古鳥でした。

この年の1~3月は、実は私にとって今回同様大変な来日ラッシュでして、それまで何年間も溜め込んだお年玉を握りしめてチケット屋に走り、続々来日するスーパースター達をナマで見ようとライブにはまりまくった年明けでもありました。1月がシルバーヘッド、2月がエルトン・ジョン(例の悪名高き70分コンサート)とロッド・ステュワート&フェイセズ(サイコーかっこ良かったぁ)、3月にスレイド(軽薄さが大好き!)、もう大変でした。

前年に始まった私の洋楽狂いは、この年この来日ラッシュで見事に開花です。何と言ってもサザンもXジャパンもいない当時、日本の歌手連中(ジュリーとかアグネスとか全盛でした)のステージとは大違いですから、レコード以上に“本物”のライブを見たことで、その魅力に完全にはまり込んだ訳です。

さて、シルバーヘッド。グラムロックのポストTレックス本命として、東芝EMIがかなり入れ込んで売り出したのですが、来日公演がコケたことでアッサリと終息してしまいました。この「16才で犯されて」は、かなりいいアルバムなんですけどね。来日公演も確か、このアルバムのプロモーション目的だったと記憶しています。その後、ボーカルでリーダーのマイケル・デバレス君は、80年代に大ヒットユニット「パワーステーション」のロバート・パーマー脱退後のツアーボーカルとしてちょっと話題になりましたが、その後彼はどうしたでしょうか・・・。

いずれにしましても、忘れかけていた中学時代のライブ音源を30年以上もたった今CDで聞けるというのは、なんとも味わい深いものです。突然出合ったこのこもった音のかたまりの歓声の中に、少年時代の自分がいるのかと思うと、なんかタイムマシンに乗ったような気分であります。(ジャケットのお姉チャンもこの時本当に16歳であったかどうかは別にして、今は50歳をとうに過ぎている訳ですよね。感無量也)

〈70年代の100枚〉№16 ~ 奇蹟のグループ奇蹟の名盤

2008-04-05 | 洋楽
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、俗称CSN&Yの超名盤「デ・ジャブ」です。

№16 「デ・ジャブ/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」
事の発端は、元バーズのデビッド・クロスビーと元バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルス、元ホリーズのグレアム・ナッシュの3人が68年にCS&Nを結成し、翌年のデビューアルバム「クロスビー・スティルス・ナッシュ」が大ヒット。70年に、元バッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤングが合流してCSN&Yとなり、リリースされたのが奇蹟の名盤「デ・ジャブ」です。

4人が4様の楽曲を持ち寄り、4人が4様のボーカルを聞かせ、4人が絶妙のコーラスワークを披露し、2人のギタリストが火花を散らす・・・。あらゆる意味で、60年代に登場したフォーク・ロックのジャンルにおいて、ひとつのかけ離れた頂点を極めたバンドの唯一無二の最高傑作がこのアルバムでした。

4人が2曲ずつを持ち寄った8曲に、スティルスとヤングの共作1曲とジョニ・ミッチェル作の1曲を加えた全10曲。クロスビーの「カット・マイ・ヘアー」、ナッシュの「ティーチ・ユア・チルドレン」、スティルス「キャリー・オン」、ヤングの「ヘルプレス」と各提供曲は、大半がその後の4人の4半世紀以上にわたる音楽活動の代表曲に数えられているということからも、このアルバムのものすごさが分かろうと言うものです。しかも、絶妙のコーラスワークがあるからこそ、単なるスーパースター達のソロ作の寄せ集めにならずに、CSN&Yという歴史に残る奇蹟のバンドを記憶させるに十分なまとまりをイメージさせたわけでもありました。

アルバムは70年5月に見事に全米№1に輝きます。全米TOP40もまだ番組スタート前で、私個人も本アルバムを聞いたのはリアルタイムではなく、リリース数年後のことでしたが、初めて聞いたときの衝撃はいまだに忘れられません。CS&Nの3人でリリースしたどのアルバムも、フォーク寄りなイメージが強目に出ているのですが、なぜかこのCSN&Y4人のアルバムだけは、“フォーク的”を感じさせない独自の音楽が展開されており、まさに4人のエネルギーがぶつかり合って起きた化学反応が、“バンド・マジック”を生み出したと言ってよいと思います。

バンドはその後ライブアルバム「4ウエイ・ストリート」を発表するも、強い個性のぶつかり合いから結局解散。18年後および29年後に、同窓会的再結成アルバムが2枚出されましたが、当然奇蹟は再び起こらず・・・。解散後のニール・ヤングの突出した活躍に裏づけされた、他の3人とのテンションの差は如何ともし難く、2000年のライブ・フィルムなどで見ると、バリバリ現役のニール+老人ホームオヤジ状態の3人の様相で、同じステージに立つには違和感すら感じさせられる状況ではありました。

現状はどうあれ、70年代の音楽シーンを語るときに決して欠かすことのできない1枚であることは確かです。

<余談>
昔流行った日本のバズというグループの「ケンとメリーのテーマ~愛と風のように」という歌、今聞くとアレンジ、コーラス、曲調、完璧にCSN&Yのコピーです。歌なんか、笑っちゃうほどニール・ヤングしてます。
※「ケンとメリーのテーマ~愛と風のように」
http://jp.youtube.com/watch?v=bObIXBo0p24

経営のトリセツ25 ~ 中小企業にもガバナンス意識を

2008-04-04 | 経営
今回は少し難しい話です。

「ガバナンス」って聞いたことありますか?一般的には「企業統治」と訳される単語ですが、「コンプライアンス=法令順守」同様、実態が理解されにくい言葉でもあります。「ガバナンス」というと、どうもその言葉のなじみの悪さからか、大企業のテーマと思われがちですが、個人的にはコンプライアンス同様中小企業経営にとっても大切な概念であると思っています。いやむしろ、権力の集中度合いが激しい中小企業ほど必要な概念かもしれません。

では具体的かつ簡単に「ガバナンス」を説明するとどうなるのかです。

一言で言うと、「経営破綻を招かないために、常時経営者を監視し続けること」とでもなるのでしょうか。中小企業の実態に合わせてもっと具体的に言うと、「経営者が、従業員や株主ステークホルダーの意思に反して自己の利益に走り会社を破綻させないよう監視すること」であります。すなわち、「ガバナンス経営」は、経営者は実権を握れば握るほど、自己利益や自己都合判断での勝手な経営をしがちであるという「経営者性悪説」に立って考えられた概念と言えるでしょう。

「ガバナンス経営」とは、そのような監視状態を維持できるような、仕組みづくりをし機能させること、に他ならないのです。では、具体的に何を監視するのかですが、経営学者のドラッカー氏は、「現代企業は、<損失回避の原則>ならびに<生産性向上の原則>に従うべきである」と述べています。この考え方に則るならば、経営者が、<損失回避の原則><生産性向上の原則>を守るような経営判断を常にしているか、を監視することが「ガバナンス経営」に他ならないということになります。

では具体的にどのように監視するのかです。

大企業では、一般企業における監査役の存在や委員会設置会社方式での社外取締役の存在がまさにそれにあたることろですし、会社法的原則論で言えば、取締役会において各取締役が相互牽制をしつつ、代表取締役の行動を監視するのが正しい「ガバナンス経営」のあり方になります。

しかしながら日本の場合、現状ではまだまだ大企業でも難しいこのような会社法的運用ですから、中小企業では全くお話にならないと思います。取締役会は形式的な場合が大半でしょうし、本来「取締役の互選により選出される代表取締役」が逆に取締役の任免権を一手に掌握しているケースがほとんどですから。

では、どうしましょう。
「ガバナンス」には、「内的監視」と「外的監視」があります。先の取締役会や監査役会による監視機能はまさに「内的監視」です。その「内的監視」が、形式に流れてしまう中小企業では、「外的監視」の力を借りる必要があるのです。

歴史的に見て日本では、銀行取引がそのひとつでありました。銀行は、決算書から知り得る企業経営の実態や、社長からのヒアリングによる決算書に現れない経営情報等を総合して経営のアドバイスをし、銀行が見て健全経営でなければ資金供給ができないのですよ、という力関係を提示することで経営者の経営健全性保持の動機付けを与える機能があると思います。特にメインバンクは、企業の育成と監視を旨とし、問題発生時には経営層に人を送り込むなどして企業の<損失回避の原則><生産性向上の原則>を守る手助けをしてきたわけです。

バブル期以降の利益優先の銀行のスタンスが、果たしてこのような機能を十分に果たしているかというといささか疑問ではあります。ただ、メインバンクを持つこと、すなわち適正な借入れによって銀行の監視下に入ることは、「外的監視」の観点からも中小企業経営にとって実は大変重要なことであると思うのです。

最後に「内的監視」のひとつとして、前回取り上げた「コンプライアンス相談窓口」をあげておきます。顧問弁護士やコンプライアンス・オフィサーであるコンサルタントを外部相談窓口として設置し、従業員からの「経営監視ホットライン」を作ることは、ある程度は有効であると言えます。「ある程度」と言ったのは、当然絶対的な権力を持つ中小企業経営者にとって、抑止力にはなるものの強制力はないからです。

いずれにしましても、「ガバナンス経営」の重要なポイントとして認識いただきたいことは、全権を握る経営者が企業経営に際して自己の報酬額設定をはじめ私利私欲を廃した気持をどれだけ保てるか、それがすべてであるということです。とにかく、あらゆる問題に関して社長の独断で突っ走らず、経営情報をオープンにし内外の関係者からの言葉に耳を貸すこと、これが一番大切なことかもしれません。

値上げラッシュに“家計力”を鍛える

2008-04-02 | その他あれこれ
4月1日からの値上げラッシュが巷の話題になっています。

原油高で暫定税率引き下げで揺れるガソリンはじめ石油関連商品が値上がるのは分かるものの、30%も上がった小麦をはじめ食卓に直影響の出る農作物関連まで値上がるのはどういうわけだ?便乗値上げか?と思われる向きもあるかもしれません。なのでまず、値上がりの構造について、おさらいしておきましょう。

原油高の影響で一番簡単なのは、加工品の加工品エネルギー費と輸送費の値上がりですね。たいていの加工には電力やガスを使う訳で、当然石油のお世話にならざるを得ないですから。輸送費も同様、国内輸送の車にしろ、海外からの輸入の飛行機にしろ、燃料はガソリンですから、当然原油高はモロに影響をうける訳です。

「それにしても小麦粉の30%値上げは何だ?」という問題が残ります。この理由はこうです。原油高の折からポスト原油として急激に脚光を浴びたのがバイオ燃料。主にトウモロコシなどを原材料としてエネルギー源とするものですが、この流れに敏感な海外農家が相次いで小麦生産からトウモロコシ生産へ乗り換えた結果、小麦の生産量が落ちて値が急増したという嘘のような本当のお話です。まるで「風が吹いたら桶屋が儲かる」式ですね。

まぁそんな訳で小麦はじめ、いろいろ値上げのこの4月。家計直撃で困った困ったと、主婦の嘆きがあちこちで聞こえています。きっと、「旦那の給料は上がらないのに、物価ばかりが上昇して、どうすればいいの?」って感じですね。コンサル的に見た局面打開策は、企業のリストラよろしく「ピンチをチャンスに変える」ことです。値上げを機に「家計の体質強化」をはかるのです。

中小企業では今や当たり前の、リストラ=「危機脱出時の体質強化策」。リストラと聞くと、なぜか「クビ切り」と同義語に使われることが多くて悪い印象が強いですが、正しい意味は「再構築」です。やれ人件費高騰だ、円高だ、エネルギー費高騰だ、で値下げを強いられるのは下請け中小企業の悲しいところ。だからと言って生きる為には嫌とは言えず、受けた以上は「再構築」の体質強化でコストダウンせにゃならんのです。

コストダウンを迫られた企業は、あらゆる無駄の排除や業務プロセス管理の徹底をはかることで「再構築」して、何とか対応する訳です。すると結果として企業は無駄を減らした分、効率化ができ「再構築」のたびごとに強い体質になっていくと言う訳です。

この「再構築」の考え方を家計にも導入するのです。商品が値上がりすると、「もうそれは買わなきゃいい」とか「使う量を減らして買う量を減らせばいい」と言う人が多いですが、それでは「家計の体質強化」上からは意味がありません。ここはぜひ「家計全体の無駄をみつけて、その無駄排除分で値あがった商品を今までどおり買おう」という考え方をしてみてはいかがでしょうか。

ないようでも必ずあるのが「無駄」です。“家庭内リストラ”の実行できっと知らず知らずに鍛えられて、ちょっとやそっとの物価上昇ならびくともしない家計が出来上がるのではないかと思います。

がんばれ!「街の喫茶店」応援団~後編

2008-04-01 | マーケティング
昨日の続き。カフェ業界の“仁義なき”「値段(価格志向)」勝負→「味(本物志向)」勝負の後に来る「次の勝負どころ」について、です。

喫茶店業界は、「ドトール」「スターバックス」などの大手資本の大量資本投下によって、第1ラウンド「値段(価格志向)」→第2ラウンド「味(本物志向)」の連続ラウンドで大手の圧勝となりました。もうこれ以上の展開はないのでしょうか?同様の動きが見られ、すでに「第3ラウンド」に入る動きが見られる他の外食産業があります。そこから、喫茶業界の来るべき「第3ラウンド」の展望を探ってみましょう。

喫茶店業界同様、「価格志向ラウンド」→「本物志向ラウンド」がハッキリ出た外食業界、それは居酒屋業界です。一時期は「安い」がウリの流れが押し寄せ、「和民」「魚民」「白木屋」「甘太郎」・・・、安居酒屋全盛時代がまず訪れ、独立系居酒屋は仕入力の違いでコスト競争に敗れまず半減。生き残った独立系は「味」と独自の内装や店構えで、土俵際で残ったものの、次なるチェーンのメニューのグレードアップや“隠れ家風”に代表される外観・内装攻めに、その大半が息も絶え絶えの状況に追いやられてしましました。まさに、今の喫茶業界と同じ「価格志向ラウンド」→「本物志向ラウンド」の展開です。

この展開で、一見勝負決したかに見えた居酒屋業界でしたが、ここに来て「第2ラウンド」を終了し、早くも「次の勝負どころ」=「第3ラウンド」に入ったように思います。それは、消費者の脱チェーン店化の動きです。理由は、まさに消費者の「飽き」です。各チェーン店が、趣向を凝らしてハイグレード・メニューをそろえたり、暗くておしゃれな内装で「本物志向」をめざし、一時期はかなりな人気を誇った訳ですが、結果はセントラルキッチン・メニューの限界とどのチェーンも同じような内装に収束し(居酒屋専門設計業者の限界?)、「非日常性」を目指したはずの居酒屋がいつしか大手中心の「日常性」に埋没して「飽き」られてしまったのです。

つまりは1、2ラウンドの淘汰によって、業界内が大手一色になると今度は、「非日常性の日常化」に伴う「画一性」に起因する消費者の「飽き」が顕著になるのです。消費者って、ホント自分勝手ですよね。

そして「第3ラウンド」、個人店や非大手資本居酒屋が再び脚光を浴びつつあります。「第3ラウンド」の勝ち組は個人店や非大手資本なら何でもOKかというと、もちろんそうではありません。キーワードは、オーナーの“こだわり”です。「価格」で圧勝し、「味」でも追撃してきた大手ですが、彼らが絶対にできない店づくりがこのオーナーの「こだわり」なのです。

チェーン店の店構え、メニュー、味付に、各店の店長がこだわったら、それはもうチェーン店では十分な対応できず、仮に対応ができたとしても、逆にチェーン店のメリットを捨てることになるのです。個人店や非大手資本がこだわる箇所は、消費者に理解させるものであるなら、どこでもOK。消費者に訴求力の高いこだわりを追求することが、「第3ラウンド」を征するポイントであると思われるのです。

このような居酒屋業界の「第3ラウンド」入りを見るにつけ、喫茶店業界での今後同様の展開は、十分予想されることであります。そろそろ飽きられるであろう画一化されたカフェ・チェーン店。来るべき喫茶業界「街の喫茶店」の「第3ラウンド」勝利のカギは、どうやら先の居酒屋業界「第3ラウンド」が強力なヒントとなるのは間違いありません。ただ問題もあります。すでに「第2ラウンド」までに大半が姿を消した「街の喫茶店」たちですから、新たな「喫茶起業家」が出てきてくいれないと、そう簡単に我々が望む「街の喫茶店」の復活とはいかない問題なのかもしれません。