日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

シンジテマシター

2007-10-19 | ニュース雑感
日本ハム・ファイターズがロッテ・マリーンズを3勝2敗で下して、2年連続クライマックス・シリーズを制し日本シリーズへの出場を決めました。
応援いただいた皆さん、ありがとうございました(俺は日ハム関係者か?)。
後は巨人の勝ち抜けを待つのみ。裏切り者、恩知らずの小笠原、待ってろよ!コテンパンにしてやるからな!(でも巨人は中日に連敗だからなぁ…)。

今年のCSシリーズ、特に2勝2敗のタイで迎えた第5戦は、日ハムダルビッシュ(以下ダル)、ロッテ成瀬(以下ナル)の両エース対決というまさに大一番。風邪気味でハナがつまっていたというダルが、そんなことを微塵も感じさせず、今シーズンパリーグチームには負けていないナルに投げ勝つという、素晴らしいゲームでした。

勝因は何?
前日の段階で勝負は見えていたように思います。前日のインタビューで、ダルは「明日は監督の最後の試合にしたくない。全力で投げ、勝つ!」と宣言。一方のナルは、「ダルビッシュはいい投手。力で押してくるでしょう。私はそういうタイプじゃない。自分のスタイルでがんばる」。
勝因は、一言で「気迫」の違いですね。

ダルはとにかく勝つと言う「信念」と「気迫」の溢れていました。一方のナルは、「自然体」でがんばる、という感じのコメントでした。二人の年齢差はわずかに1歳。ナルが年上ですが、ダルに対して大人ぶるほどの年齢差ではありません。確かにダルはやや暴走気味のところもあるにはあるのですが、誤解を恐れずに言えば、二人の態度から試合前で既に「勝負あった」、というほどの「気迫」のちがいがあったと思います。

当日のマウンドの上でのパフォーマンスも、そのままの状態で全くの好対照でした。「気迫」のダルに対して、「自然体」のナル。ナインの中心たる投手の「気迫」は、絶対にメンバーに伝染します。しかもチームワークは球界随一のファイターズですから。CSシリーズ絶不調だった4番セギノールの試合を決めた先制3ランは、明らかにダルの「気迫」が乗り移ったものでした。
会社組織でも一緒ですよね。リーダーや中心人物たる存在が、「気迫」をもって目標達成に臨んでいれば必ず周りにも伝播し、好結果をもたらすものです。

もともと今シーズンの日ハムはナルの前に、0勝4敗。1試合平均2点が取れていない状況だったのですから、まさに「シンジラレナーイ!」展開でした。

勝負事は、スポーツでもビジネスでも目標達成に向けた「信念」と「気迫」が大切であると思います。
居酒屋「和民」の渡邉美樹社長も、「目標は口にして、書いて、信念を持って突き進めば必ず達成させる」と言っています。仮に目標が「自然体」で達せられるのであれば、それは目標にふさわしくないものなのかもしれません。普段は「自然体」であっても、ここ一番大仕事であったり、大きな目標であったり、絶対に譲れない仕事などは、達成に向けて「信念」「気迫」を持って立ち向かうことが必須であると、私も思っています。

優勝後の勝利インタビューでのヒルマン監督の第一声「シンジテマシター!」は、まさに日ハムにあってロッテになかった「勝利への信念」を象徴するすばらしい言葉であったと思います(「信念」の信は「信じる」ですからね)。
同時に、我々日ハムファンが「ナインは必ず「信念」で勝ち上がってくれる」と思い続けた気持の代弁でもありました。

前回の日ハムネタの時にも言いましたが、今年のチームは本当に素晴らしい。大きな柱となる選手が抜けた後の、この強さは、まさにチームワークのなせる技以外にありません。その象徴的な出来事が、ダルの「気迫」に引っ張られたCS第5戦であったと思います。

実は、この素晴らしいチームの作り上げには影の功労者がいます。その話は、また来週あたり「経営のトリセツ」でお話したいと思います。

※今日のブログ、アップされていると思っていたら、下書きに入ってました。なわけでアップ遅くなりました。

新時代のネーミングの話

2007-10-18 | マーケティング
以前、このブログでも商品サービスのネーミングの大切さについてお話しました。

売ろうとしている商品やサービスが、「より良いものとイメージさせられるか」、「商品の特徴を伝えているか」、「送り手のひとりよがりや“楽屋オチ”になっていないか」など、が商品やサービスのネーミングを考える際のポイントです。
従来のヒット商品はたいていこれらを忠実に守っていて、「実に的を得たネーミングだ」「うーんうまい!」「言いえて妙だねぇ」という印象のものにできあがっています。

例えばSONYの「ウォークマン」。1980年前後に登場した時、「ヘッドフォンをしたまま街を歩きながら好きな音楽が聞けるオーディオ機器」の使いかたを上手にネーミングに落とし込んだ好例です。
一方、現在のデジタル音楽プレーヤーの主流商品アップルコンピュータの「IPOD」は、ウォークマンとは逆にインターネットから音楽をダウンロードしてため込む機器の機能そのもののイメージから付けられたネーミングです。
どちらもそれぞれの時代の文化的背景を表す、実にうまいネーミングであることは異論のないところかと思います。

さてそんな中、気になったのは今年(正確には昨年末以降)最大のヒット商品であるゲーム機器任天堂の「Wii」。「Wii」って、どんな意味か御存じですか?

実はこれまで「Wii」の意味は任天堂からまったく説明されることがなく、何の意味も持たない、いやむしろ意味不明のある意味「ゲーム機らしからぬ画期的な」ネーミングとして理解されてきました。

その裏にある任天堂の戦略はこうです。
発売前の機器に関して何の情報も公表していない段階で、まず「Wii」の名称のみWEBで発表されました。意味不明の綴りと「うい~」というゲーム機らしからぬ響きに当然注目が集まりました。そしてその1か月後に「Wiiスポーツ」等のソフト内容を披露し、ゲーム機がコントローラーを使用する「画期的な」商品であることを明らかにしたのです。
すなわち、意味を持たない「画期的な」ネーミング「Wii」と全く新しいゲーム機の「画期的な」機能は、「画期的」というキーワードで関連づけられることになりました。すなわち任天堂が考えていた「画期的」を利用者に刷り込むネーミング戦略は見事に成功したと言って良いでしょう。

アメリカのマーケティング専門誌「ADVERTISING AGE」が最近明かしたところによれば、実はこのネーミング、ブランドコンサルティング企業「インターブランド」と任天堂が入念に検討を重ね名付けたものだそうで、意味不明の名前で話題を作っておいてその上で画期的機能を発表してインパクトを上乗せする、という新しいネーミング戦略に立脚したものだったのです。

さらに、ネーミングにおける新しい発想がもうひとつ。
意味不明でらしくない名前なら何でもよかったのかというと、実はそうではなくさらに練りこまれた戦略がありました。
「ADVERTISING AGE」誌によれば、「Wii」は世界中で同じ発音になり、英語の簡単な単語「WE=私たち」を連想させかつ、2つのは2人でゲームをする姿をイメージさせたり、2つのリモコンをイメージさせたりし、ネーミングから入って商品をCM等で知った人たちの潜在意識にこれらのイメージで働きかけるというイメージング効果まで綿密に考えられていたようです。
深いですね。

もちろん任天堂は正式にはコメントを一切していませんので、あくまで「ADVERTISING AGE」誌の“取材”による情報ではありますが…。

個人的には、特に「」の使い方、短い単語のネーミングの中で画像としてイメージさせる手法には脱帽させられます。
過去の日本の商品のネーミングでヒットしたもの、皆が印象に残ったものはたいてい「シャレ」や「言葉遊び」の領域に収まっています。日本製の商品でも国際舞台での活躍を期待されるものは、世界共通の「視覚」という“言語”に訴えるのだと言う考え方はとても斬新で、発想のトレーニングという観点から大変勉強になりました。

ネーミングは商品・サービスの認知、拡販において、想像以上に大きな役割を果たします。各業界が多額のコストを支払って大手広告代理店等の知恵を借りてでも、他社にない、他社を出し抜けるネーミングに力を注ぐ理由はまさにそこにあります。「任天堂の一人勝ち」と言われる現在のゲーム機戦争の裏舞台で綿密に練られた「Wii」のネーミング戦略が、この戦いに果たした役割は決して小さくなかったと思います。

フリーペーパー事情 ~ その2

2007-10-17 | ビジネス
昨日の続きです。

フリーペーパーのビジネスモデルというのは、①フリーペーパー発行者、②広告掲載者、③流通業者、④設置店、⑤読者、の5社それぞれのメリットバランスに立って成り立っているというお話をしました。

で、今日は②と③と④の微妙なお話です。

③は①を通じて②に対して、「いかに魅力的な配布先としての④を持っているか」をアピールする必要があります。そこで、③は魅力的な④を多数開拓し、①を通じて②にアピールしてもらうわけです。この場合の「魅力的な④」となりうる場所の意外に知られていない真実は、④の中にはⅠ「魅力的に見える場所」とⅡ「本当に魅力ある場所」があるということです。

Ⅰ「魅力的に見える場所」とは何か?これは、②に対してインパクトが強い場所でありながら、実際の持ち帰り比率はあまり高くない場所です。その典型的な例がコンビニ店頭です。
Ⅱ「本当に魅力ある場所」とは、その名の通り持ち帰りや立ち読み率が高い場所です。そのナンバーワンは何と言っても駅ですね。他にも置くものにもよりますが、病院なども場所的な印象(健康的ではないというイメージ)の割には意外に魅力的であると思われます。

ⅠとⅡの一番の違いはどこにあるのでしょう?具体的に「コンビニ」と「駅」で比べてみましょう。
「コンビニ」が、魅力的に写るのは時間を問わないその立ち寄り人数の多さにあります。「あれだけ多くの人が出入りしているのだからかなり持ち帰りが期待できる」「有料の雑誌も売っているし、無料のメリットを感じてもらいやすいだろう」というのが、利用クライアントの一般的な期待感です。ですから、配置先に「コンビニ」が入っていると②の広告掲載者は「いい媒体だ!」と思いがちなのです。

なぜ「思いがち」と言ったかと言うと、実は期待感ほど持ち帰り率は高くないんですね。「コンビニ」は何かを買うという目的を持って来店する人が多いですね。そして、来店数の割には滞留時間が短い。滞留時間の長い人は大抵有料雑誌の立ち読み者で、この人たちはフリーペーパーの持ち帰りターゲットにはなりにくいんです。なので、よさそうに見えて実はそうでもない場所なんです。まあ来店客の数はありますから、それでもそこそこのはけ方はするようですが…。

一方の「駅」。対象人数の多さは「コンビニ」の比ではないです。でも意外によく思われないのは、一見、通行人的人が多くて持ち帰らずに通り過ぎてしまうのでは、と思われるからでしょう。ところが、「駅」に来る人の目的は大抵「これから電車に乗る」ことですよね。ということは、電車の中で「移動」という「待ち時間」を持つことになるのです。すなわち、「待ち時間」対策を持たずに駅に来た人には、その「待ち時間」つぶしのアイテムとして、フリーペーパーの持ち帰りが期待できるという訳です。「待ち時間」ということでは、「病院」もいけるクチかなという感じですね。

すべての人が上記のケースどおりではないのですが、簡単に分析するとこのような傾向になるようで、配布先としての見た目の魅力は「コンビニ」ですが、配布実績から見る魅力では「駅」の方が上という結果が出ているようです。

で、わがビジネスの「複合ランドリー」。来店客数は「コンビニ」には到底及びませんが、「待ち時間」を持っているという点ではかなり有望ではないかな、と思っておりまして、今各方面への動きを開始しいろいろ仕掛けに入ったところです。

また進捗状況は、追ってお知らせいたします。

引き続き、おしゃれなフリーペーパー募集中で~す!
よろしく。




フリーペーパー事情 ~ その1

2007-10-16 | ビジネス
先日、フリーペーパーの流通業者さんにヒアリング&相談にうかがって、またまたいろいろ勉強になりました。

まずは、「ご存知ですか?フリーペーパー流通の基礎知識!」って話を。
フリーペーパーのビジネスモデルというのは、①フリーペーパー発行者、②広告掲載者、③流通業者、④設置店、⑤読者、の5社それぞれのメリットバランスに立って成り立っています。

①のメリットは、②からの広告収入。
②のメリットは、⑤が当該誌から情報を得て②の商品・サービスを購入する点に。
③は、当該誌の設置場所を開拓し、開拓メリットや運搬メリットを①に与えることでマージンを得ます。
④は、ラックの設置によって1ポケットあたりの月「家賃」を①から得ます。
⑤のメリットは、無料で有料誌並みの情報と娯楽感が得られることです。

他にも印刷業者とか、企画デザイン屋とか、②を集める広告代理店とか、いろいろな関係者が絡んでもいますが、大まかにはこんな感じです。一見小さく見えるビジネスでも、実にいろいろな企業が複雑にメリット・バランスを構成していて興味深いでしょ。

①~⑤で、一番大切なものは何か?
もちろん⑤が読んでくれるかどうかですね。
⑤は情報を得ることがメリットですから、「情報が有益である」「無料のお得感がある」「見てくれが良い」などが重要なポイントになります。なぜなら、安定的⑤が沢山できるかどうかこそが、②が広告費を払って広告を掲載するかどうか、①が発行コストを吸収してビジネスになるかどうか、の分かれ目だからです。

上記ポイントの中でも実は一番大切なのが、「見てくれが良いかどうか」なんですね。要するに⑤が雑誌を「手にとって」はじめてビジネスチャンスが生まれるのであって、「手に取るかどうか」はまさに「見てくれ」にかかっているのです。
以前は制作会社はなるべくコストをおさえて雑誌を作ろうという観点から、表紙に金をかけない傾向が強かったのですが、今は全く逆傾向でいかに「安っぽくない」「無料っぽくない」表紙こそが脚光を浴びているのです。
一般に売られている女性誌や情報誌顔負けのものも多く、中には有名モデルやタレントまで使って、本格的な表紙をつくるフリーペーパーも出てきています。

例のサンプル専門ショップ「サンプル・ラボ」でも、利用者の声としてポイントが高いのは「市販品と同じものがタダという感覚がうれしい」と言う点です。つまり、一目でサンプルと分かる「サイズ落ち」「量落ち」「サンプル仕様」は人気がイマイチなんですね。
フリーペーパーも同じことが言えます。見てくれが「いかにもタダ」「安っぽい」=「いかにもフリーペーパー」というのは、「持って帰る価値がない」「持って歩くのがかっこ悪い」「得した気がしない」となるわけです。ボリューム感(雑誌の厚み)も結構大切なようです。見てくれがおしゃれでも、ペラペラなフリペ仕様ではやはり「得した気分」にならないんですね。

とまあここまでは、結構常識的なお話です。③と④の関係もなかなかおもしろいんですが、夜も更けてまいりましたので続きはまた明日。
おやすみなさい。




「なぜか熊谷」の話

2007-10-15 | その他あれこれ
「東京タワーの話は懐かしげにしているし、港区の小学校出身???」
「横浜で仕事していたって聞いてるよ」「群馬にもいたんだって?」
「で、今なんで熊谷なのよ?」
最近、そんなご質問をよくいただきますので、「なぜ熊谷か」のお話を少々。

実は私、熊谷に越してまいりましたのが昨年の4月。まだ在住1年半の“熊谷新参者”です。それがなに、「熊谷発…なんたらのブログ」だと、と言われそうですが、熊谷と言う土地かなり気に入っておりますので、まあそこのところはひとつ大目に見てやってください。

なぜ熊谷に…?
理由は簡単でした。群馬と東京、神奈川で仕事の展開がありそうだったので、「うーん、どこに住んだら良いものか…?」。地図を広げて、「小山?」「佐野?」「高崎?」…、悩みに悩みました。そして見つけたのが「熊谷!」。
高崎、前橋へは在来線でOK、桐生、太田へは車でGO!、東京へは新幹線で40分、池袋、新宿、渋谷、おまけに横浜まで、湘南新宿ラインで1本。まさに私のために用意された場所でした。

住んで実感、暑さもさることながら、その便利さと言ったらないですね。

<便利さその1>
田園都市線沿線に住んでいた頃は、新橋界隈で飲みますと、「地下鉄銀座線で渋谷へ」→「渋谷で田園都市線へ乗り換え。乗り込むもなかなか発車せず既に汗だく、その後すし詰め状態で約40分」→「駅から坂道をテクテク約10分」。しめて1時間強のヘトヘトご帰還コースです。
ところが現在は、「新橋から山手線で東京」→「東京から新幹線で40分弱」→「駅から平地を徒歩約5分」。1時間弱、ゆったり座ってらくらく帰宅コースですから。

<便利さその2>
東京都大田区に住んでいた頃、年末に年賀状を刷っていて突然のインク切れ!→「しかたない。渋谷か有楽町まで電車で出かけて、仕方ないついでに飯でも食ってくるか!」のやけくそコースでした。
今は徒歩圏に、家電量販店はもちろん、ショッピング・モール、飲食&飲み屋街、市役所はじめ公的施設などすべてが揃います。
「都会が便利!」なんて言うのは遠い昭和の話ですね。

それとおまけに、賃貸料金の安いこと!我が家は、事務所兼用でかなり広いスペースなのですが、「この広さ」で、「駐車場付」で、「駅近」となると、東京だったら間違いなく、40~50万円は下らないでしょうね。
新幹線停車駅のお陰もあって、適度に都会的で人もいて賃料が安い!当社の仕事関係のインフラ上住んだはずの熊谷で、当初他で予定していた「ランドリー・プラス」の1号店が開店したものそんな理由によるものです。

「歳をとったら都会を離れて便利に、経済的に暮らそう!」が、これからの我々世代の生活スタイルかな、とか個人的に思っています?

まあ、困っているのは予想以上の「夏の暑さ」ぐらいでしょうか?
こればっかりはどうにもなりませんけど、それを埋め合わせして余りある、そんな魅力的な土地だと思います。
今は、この熊谷を拠点に、群馬、埼玉、東京、神奈川の1都4県を股にかけて精力的にがんばっております。

さらなる熊谷話は、また改めていたしましょう。

今日の写真は、江戸時代浮世絵に描かれた熊谷です。江戸時代もやっぱり熊谷は暑さで有名だったことがうかがわれます。「木曾街道六十九次」の中でも明らかに夏と分かる珍しい浮世絵なのです。


元祖3Dジャケ

2007-10-14 | 洋楽
昨日と同じく74年の音楽のお話です。

私にとって、アルバムの評価におけるジャケットの良し悪しと言うのは、「“ジャケ買い”の衝動を起こさせるもの=いいアルバム」、という公式がありますので、今も昔もとても重要度の高い要素になっています。

では「良いアルバムジャケット」とは何か?
大きく大別して3つあります。それは、・・・
①ジャケットのイラストまたは写真が優れている
②ジャケットのデザイン性が秀逸
③特殊ジャケなど凝った仕掛けが施されている
といったところです。

①の代表格はエルトン・ジョンの「グッドバイ・イエロー・・・」とか「QUEENⅡ」
②は昨日のバッドカンパニーやビートルズのホワイトアルバムなど
そして③のハシリで代表格が本日取り上げるグランドファンクの「輝くグランドファンク」です。

グランドファンクは、古くはグランドファンクレイルロード(略してGFR)と言いまして、70年代アメリカン・ハードロックバンドの代表選手です。
このアルバム「輝くグランドファンク」は、前年の大ヒット作品「アメリカン・バンド」に次ぐヒットアルバムです。

ジャケ写真を見て、「なんかピンボケ?」と思ったかもしれませんが、これ中央上部のメガネが切り抜けるようになっていて、メガネを通してみると立体ジャケットになると言う世界初の“3Dジャケット”だったのです(すなわち、ピンボケに見えるのは3D印刷だからなのです)。当時としては実に画期的(何年か前にスマップもそんなことやってましたが、30年も前にやっていたことの焼き直しだって知ってました?)!

このアルバムが発表された74年前後から次第に、この手の特殊ジャケットが増えてきます。一例をあげると、ジェスロ・タルの“飛び出す絵本ジャケ”やツェッペリンの“くりぬき窓ジャケ”、果てはアリス・クーパーのパンティ・レコード袋などなど・・・。後期ビートルズ以降、ジャケットも作品の一部という考え方の定着と浸透が、このような傾向を生んできたのではないでしょうか。

付け加えれば、先の良いアルバムジャケットの3パターンですが、これもまた、ビジネスにおけるパッケージングの基本として応用の効く要素でもあります。

さてさて、「輝くグランドファンク」肝心の中身ですが、何と言っても秀逸なカットはリトル・エバの「ロコ・モーション」のロック・バージョンです。ハンドクラッピング+ボーカルのイントロから重量感のあるロックアレンジへの展開は、素晴らしいの一言。前作からプロデュースを引き受けたトッド・ラングレンのセンスの勝利と言っても過言ではないでしょう。

タイトル・ナンバーの「シャイニン・オン」のような曲も、以前の彼らならばただ単に重たいだけのハードロックに終始したであろうところを、トッド・マジックで実に上手に軽妙さをなじませたアレンジになっていて、バンドとしても過去の「ハートブレイカー」の時代からは格段の進歩を感じさせます。

もともとが、不器用なハードロックバンドだった彼らを、鬼才トッド・ラングレンが洗練された都会派のサウンドで再生したのが前作の大ヒット「アメリカン・バンド」。それに続く「輝くグランドファンク」は前作以上にポップ感を加味し、「トッドさん、ちょっとやりすぎじゃない?」という感じさえあります。個人的にはけっこう好きですが・・・。音楽的には2枚セットで聞くのが正しい聞き方だと思います。

最近、限定紙ジャケットCD盤で特殊ジャケットが再現されたので、さっそく購入して74年版3D体験をしてみました(メガネはくり抜くのがもったいないので、家にあったスマップのを使いました)。ジャケットもさることながら、付録のポスターの立体感が半端じゃないのにびっくり!74年にこんな斬新ことをやっていたなんて、なんと先進的であったことよと、改めて感慨にひたらせてもらいました。


さて、最後に本日GⅠ-DAYですから、競馬「秋華賞」のお話です。

3歳牝馬限定秋のGⅠとしての新設から12年。ようやく穴の出現時の傾向が推測できる程度の経験則データが集まったように思います。

そんな中で思いついたのは、「GⅠ連対のない春の期待馬」よりも「夏、古馬戦線を戦った条件クラス馬」。

⑭タガノプルミエールに穴の期待を掛けます。
ただ穴資格が少々弱いのは、前走が古馬相手ながら牝馬限定戦という点ですね。
小回り京都内回り2,000㍍は、意外に先行争いが厳しく差し競馬になりやすいように思います。その点はプラスでしょう。
まあ、穴があくかどうかは展開とペース次第ですね。

⑭の複勝。ワイドは、⑭が馬券圏内に届く展開だと⑬はいないはずなので、⑪、⑯とおまけで⑰あたりへ⑭からの組み合わせ。
⑯ウォッカは、ダービー馬うんぬんよりも前走古馬GⅠ「宝塚記念」という点を評価したいです。(理由詳細は、9月23日および30日のブログ参照です)




「悪いやつら」の“GOOD”なブランディング

2007-10-13 | 洋楽
週末は音楽で。

74年当時、クイーンと並ぶロック界の新星として、鳴り物入りで紹介されたのが、バッド・カンパニーでした。彼らがクイーンと違っていた点は、クイーンが全くのニュー・フェイスだったのに対して、彼らは他のバンドで鳴らしたそれなりの強者が集まって結成したバンドだったことです。

中でも、ボーカルのポール・ロジャースはブルースロック・バンド「フリー」で大人気でしたし、ギターのミック・ラルフスは、「モット・ザ・フープル」の音楽的柱として活躍をしていました。
そして、当時のロック界の王者レッド・ツェッペリンが創設した新たなレーベル「スワン・ソング」の第一弾としての大々的なPRといい、芸術集団ヒプノシスがデザインしたセンス抜群のモノトーン・ロゴジャケットのインパクトといい、売れない方がおかしいというぐらいハマった、セールスプロモーションも見事でした。今思うにこのジャケットは最高のブランディング・センスだったと思います。まさにヒプノシス恐るべし!です。

そしてキャッチーなギターリフが印象的なファースト・シングルの「キャント・ゲット・イナッフ」の大ヒットと相まって、アルバム「バッド・カンパニー」は大ベストセラーに。当時の私には、アルバムデザインの重み、素晴らしさもあってその時点ですでに歴史に残る名盤を約束されたようにさえ思えました。

現実にアルバム「バット・カンパニー」の完成度の高さは素晴らしいものがありました。先のシングル「キャント・ゲット・イナッフ」をはじめ、モット・ザ・フープルのレパートリーの再演「レディ・フォー・ラブ」、彼らのテーマでもある「バッド・カンパニー」、第2段シングル(日本ではなぜか未発売でしたが…)「ムービング・オン」、ラストを飾るフォーク調のバラード「シーガル」・・・。本当に粒ぞろいの名盤であります。

演奏は至って単純明快。テクがあるとか、間奏でうならせるとか、は一切なし(って言い切っちゃってよい?)ただし、ボーカルのポール・ロジャーズのその独自のブルージーな歌声は、実に魅力的!うまいし聞かせるしロックボーカルのお手本と言っていい絶品ボーカルです。
楽曲の良さと、ポールの歌声、それがこのアルバムをロックの名盤たらしめたと言っても過言ではないと思います。

このアルバム発表後に、なぜかたった1日だけの日本公演も開催され、それもまた絶賛の嵐だったこともよ~く記憶しています。これまた、計算されたブランディング・プロモーションだったのかと、今になって思わされたりもするわけです。

この後、バンドはファースト路線の2NDアルバム「ストレート・シューター」を出しまずまずのセールスを記録しますが、その後はアルバム発表ごとに明らかにパワーダウン。遂にこの名盤デビューアルバムを越える作品を出すことなく解散しました。
デビューアルバムが最高傑作と言うバンドも珍しいですが、もともとが結成時既にキャリア豊富なメンバーの集まりであり、そんな場合は最初の競演における緊張感こそが、とてつもなくいいプロダクツを生み出す可能性が高いのだと言えるでしょう。
それに対して新人バンドは、手探りのデビュー作よりも、徐々にこなれてくる数作目に最高傑作が生まれるケースがほとんどです。
この点と、ブランディングにおけるロゴ戦略の重要性は、バッドカンパニーが教えてくれる大きなビジネス・セオリーでもあります。

また、最後に余談。
最近のポール・ロジャースはと言えば、なんとフレディ・マーキュリー亡き後のクイーンのボーカルとして、ツアーをこなし近年日本にもやってまいりました。
自身が油の乗り切った時代のライバルバンドであった一大人気バンドクイーンのボーカルを、初老の現在務めている姿は、たとえ歌はうまくとも過去を知る私から見れば“ハマリ役”とは言いにくく、むしろミスキャスト?かなりの違和感を覚えます。
クイーンのナンバーを歌うポール・ロジャースを見るたびに、郵貯銀行の初代トップを務める元住友銀行頭取の西川善文氏が姿が、目に浮かぶのは私だけ?ですかね?



東京っ子たちの元気の素

2007-10-12 | その他あれこれ
今日は、築地で打ち合わせの後、ビッグサイトに立ち寄り。

帰りがけには久々に、ライトアップされた東京タワーを間近に見て、何かこう感慨深いものがありました。

我々の世代の東京っ子にとって、東京タワーは新幹線、オリンピックと並ぶ、元気の素なのです。映画「オールウェイズ~四丁目の夕陽」で、あの当時のシンボル的に取り上げられた工事中の東京タワーは、決して誇張した扱いではないと思います。昭和30~40年当時、東京タワーの存在感はものすごく、ある意味では「僕らのヒーロー」にも似た存在だったのですから。

例えば、
40年代前半、私は港区の小学校に通っていました。その学童歌の一節に「東京タワーがそびえてる…辛くても…真心の花を咲かそう」という歌詞がありました。あの当時の僕ら東京の子供たちにとって東京タワーは、本当に元気づけられたり、勇気づけられたりした、特別な存在だったことがここからも分かると思います。

東京タワー、新幹線、オリンピックは、どれも戦後の“復興日本”を象徴する存在として、本当に「世界の中の日本」を身近に意識させてくれる「夢」や「勇気」を感じさせてくれる元気の源だったのです。

今の東京に、そんな子供にも大人にも、夢と勇気を与えてくれるような存在があるでしょうか?

丸ビルや六本木ヒルズや東京ミッドタウンは、確かに東京の新名所ではありますが、子供も含めて夢を感じさせる存在ではありません。
新幹線も型のバリエーションが増えて走行スピードが増してはいても、どこか普通の乗り物という存在になってしまいました。
2016年のオリンピック誘致にしても、都知事戦の争点になった以外に、話題にもなりません。

確かに時代の流れで、昭和の復興期と、平成の飽食の時代を同様に語ることはできないでしょう。そうは言っても、ライトアップされた東京タワーから昔を思い起こさせられ気がつかされる、今の生活のあまりの夢のなさには愕然としてしまいます。

企業は日本経済の成熟とともに現実路線を歩み始め、特に対消費者向けサービス業は大人ターゲットに偏り過ぎたのかもしれません。子供相手の商売やイベントも財布を握る大人経由での語り掛けという、考えようによっては味気ないやり方に終始しているように思えてならないのです。

確かに少子化の流れは如何ともしがたく、大人ターゲットであらゆることが進むのはやむを得ない状況かもしれません。ただ、企業にも自治体に忘れて欲しくないのは、大人ターゲットで物事を進ませることが、「子供の大人化」を進行させ、あの時代に子供や場合によっては大人までも巻き込んで「夢」を与えることができた昭和の出来事たちは、どこかに置き去られてはいないか、ということです。

美しくライトアップされた東京タワーの姿を間近に見て、これも今様の「大人」や「大人化した子供」たちに向けた“化粧”なのかと思うと、どこか寂しさを感じさせられてしまうのです。

経営のトリセツ9 ~ オヤジの背中

2007-10-11 | 経営
昨日に続いて「背中」シリーズ。
昨日は「上司の背中」の話でしたが、今日は「オヤジの背中」です。
全然、難しい話ではありません。できているかどうかは別にして、よく耳にする類のお話です。

まず、オヤジの定義から。中小企業なら社長、ある程度の規模以上の企業なら部門長(部長、所長、支店長などですか)のことと、ご理解ください。

昨日の話を要約すると、管理者の背中は自己を律して、手本となる、いわば「筋肉質な背中」である必要があるということになります。では「オヤジの背中」は?
「オヤジ」は、直接部下と仕事の細かい点にまで入り込む訳ではありませんから、必要以上に「筋肉質」であってもあまり意味はないですね。だからと言って、「贅肉」のかたまり(=平日からゴルフ三昧、夜は接待と称して飲み食いはすべて経費扱い)じゃ話の他ですが・・・。

適度の「筋肉質」は必要ですが(例えて言えば、昔はスポーツでならしたんだなぁと思わせる程度)、あとは余裕とか人間的大きさとかを感じさせる「大きな背中」であることが肝心じゃないでしょうか。
細かいことにあれこれ口出しすることは、社員も「オヤジ」に求めていません。こんな当たり前のことを、分かっていない「オヤジ」って意外に多いんですよ。
やたらに細かいことを指示したり、怒ってみたり、チェックしたり・・・。社員から見れば、「なんて気の小さい、器の小さいオヤジだろう」としか写らないですよね。

「イザというとき頼りになる」「懐が深い」「決断力がある」「包容力がある」「細かいことを気にしない」「余裕を感じる」・・・。オヤジとして求められる素養はこんなところじゃないでしょうか?「細かいことは気にするな!責任は俺が取るから、やるだけやってみろ!」なんて言うのは、ドラマの台詞みたいですが、本来あるべき「オヤジの背中」つて、まさにこれではないかと思いますね。

管理者の背中は「筋肉質」ですから、担当者が後から見たときに「おー、この筋肉質スゲーなぁ。俺も鍛えてああならなくちゃ」ってある種手本として見習える、努力で自分もなれる「背中」です。
でも「オヤジの背中」は違う!「おー、頼りになるなぁ。どうしてこんなに大きいんだろう?単に鍛えてなれるものじゃないし、さすがオヤジだなぁ」って、担当者が目標にできるものではなく、なろうと思ってなれる背中じゃない。

さらに一言、言えば服を着ているときは(平時ね)普通の背中なのに、ひとたび服を脱いだらその背中の大きいこと大きいこと(有事に強い、こそまさに「オヤジの真価」ですから)、というのが理想です。
いつもいつも、「俺の背中ってでかいだろう?」なんて感じで社内を裸で歩き回っているような「オヤジ」も考えもんですから。オヤジの大きな背中は、イザと言うときにこそ見せるものです(イザというとき服のまま背中を小さく丸めて逃げちゃう、最悪のオヤジもいたりしますけどね)。

「背中」って何なのかなって、よくよく考えると、一種の役づくり「パフォーマンス」の象徴なのかもしれませんね。管理者は、恥ずかしくない背中を常に部下に見せなくてはいけない。オヤジは、有事に頼れるように装って背中を見せなくてはいけない。

それぞれに「辛い」部分もあるかもしれません、無理をして筋肉質に見せたり、大きく見せたり「パフォーマンス」をしていることのほうが、むしろ普通なのかなと思います。
それは、組織が形づくられて、組織が組織として動き出し、下は上を敬い、命令系統がしっかりと機能して、単なる人の寄せ集めではない有機的な集合体として力を発揮するためには、それなりの「地位」「立場」のある人が「パフォーマンス」をしてでも、組織に力を注がなくてはいけないからなんですね。

社長をはじめ、役員、部長、課長、各管理者たちが、企業というステージで与えられた「役柄」を理解して、「はまり役」のパフォーマンスができれば、弟子たる担当者たちも自然と立派な役者になり、素晴らしい企業体が永続できるのではないでしょうか。

最後に余談ですが、ヤクザが背中に彫り物を入れて「大きな背中」に見せようとするのも、一種の「パフォーマンス」ですよね。本当はどうあがいても大きく見えない背中だから、わざわざ彫り物するんですよ。ちなみにその筋の方々も、本当の大物は、背中になんか彫り物しょってないそうですよ。やっぱり、どこの組織でも「本物のオヤジの背中」は“素”のままで立派なんですね。



経営のトリセツ8 ~ 上司の背

2007-10-10 | 経営
「部下は上司の背を見て育つ」という言葉があります。
組織において部下は上司の後をついていくものです。すなわち部下の目に入るのは常に上司の背中な訳です。

この言葉を簡単に言えば、部下は上司の行動を見てそれを基準に仕事をしてますよ、だから上司は気をつけなさい、と言うことです。
どちらかと言えば「上司が真面目に一生懸命なら、部下も真面目で一生懸命になる」ということを言っているのではなくて、むしろ「部下は上司の悪いところはすぐ真似るから気をつけなさい」と言っていると理解するのが正しいようです。

もちろん、いいこともたまには真似ます。自分が人の上に立つようになったとき、「あ、自分が昔仕えたあの温かい上司のまねをしてみよう」とか、こんな場合、手本にするものは過去の経験しかないので、その中で自分がいいと思った上司を真似るということは当然ありうることです。でも、それはその上司に仕えたずーっと後のコトがほとんです。すぐに真似られてしまうのは、もっぱら悪いことのほうなんです。

上司がいい加減で、平気で遅刻したり二日酔いでいい加減な仕事をしてたりすれば、部下も程度の差はあれすぐにそうなります。
人間は元来、勤勉家ではなくて怠け者なのです(私は自分を基準に性悪説を唱えます)。だから上司の勤勉な部分の真似はなかなかしませんが、自分が楽できる怠け者の部分のマネはすぐにするのです。上司が怠けたりだらしなかったりするのを見れば部下は、「あ~、あんなことやってんの。俺も同じことしよ。俺がやったって自分伸していることじゃ文句言えないだろ。楽勝じゃん」ってなもんです。

上司がサボリ屋の部下は、だいたいサボリ屋です。
上司が優柔不断の部下は、たいてい優柔不断です。
嫌な仕事をなかなか手をつけない部下は、上司が嫌な仕事を人に押し付ける上司だったりします。
自己主張のない担当者が、なぜいつまでも自己主張ができないのか、よくよく考えたらその上司に自己主張がなかった、などと言うこともよくあります。

悪い子供がいると「親の顔が見てみたいよ」と言いますが、まさにそれと同じ。
部下のダメな部分は、上司の鏡でもあるのです。
部下の態度や仕事ぶりに不満を感じたときは、ぜひ自分を振り返ってみてください。その不満な部分と同じようなところや似たところが、あなたにもありませんか?
部下はあなたが思っている以上に、よーくあなたのとこを見ています。特に上司の「手抜き」や、「いい加減さ」、「逃げ」なんかは絶対に見逃しません。

だからこそ、管理者たるもの、己に厳しく自分の行動を律して、部下から「あなたも人のこと言えないじゃないですか」などと絶対に言わせない、まず第一にその基本を守れなくては部下がちゃんと育つことはないのです。

管理者の一番大切な役割は、次代を担う部下を育て、組織を永続させることです。
部下の前では手を抜いたり気を抜いたりしない、自分の欠点や弱みを極力部下に見せない努力をする・・・。
「部下は上司の背を見て育つ」は、組織を永続的に成長させていくために、すべての管理者が常に頭に置いて、日々部下の前での自己の行動を省みることに役立ててほしい言葉であります。

「管理者の背中」は、組織の成長にとってとても大きな意味を持っているのです。
すなわち、組織において、管理者教育こそが最も大切であるとよく言われる理由はここにあるのです。