日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

週刊誌・政治家・テレビ、“やってはいけない”三つ巴の居心地悪さ

2012-06-20 | その他あれこれ
先週政治家小沢一郎氏の週刊文春記事に端を発したスキャンダルは、そのスキャンダルそのものは当然のことその後もおかしな展開に推移し、あらゆる部分に納得のしどころがない稀に見る居心地の悪さを我々に提供しているように感じています。

まずはその発端である文春の反小沢ネガティブキャンペーン、今更ですが卑劣の極みであると思います(文春WEBページは、http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442)。野田政権が、増税に向けて自民、公明と三党合意に一気に走り出した段階で計ったように世に出たスキャンダル。誰が見ても、小沢失脚と三党合意路線進行を狙ったものであることは明らかで、しかもネタがおよそお下劣な「下半身スキャンダル」ですから、ちょうど小説「運命の人」のモデルとなった昭和47年に起きた西山事件を思わせる、今の時代としてはあまりに古臭いしかも卑劣なやり方であり、小沢氏の肩をもつ訳ではありませんが本当に気分が悪いものでありました。

週刊文春はご存じ“名門”文芸春秋社の週刊誌ですが、先の山崎豊子著の西山事件をモデルにした「運命の人」も同社の看板月刊誌「文芸春秋」に連載され世に出された作品であり、まさしく“運命”を感じるところではあります。西山事件は、沖縄返還協定での佐藤内閣と米国間での密約の存在を暴いた毎日新聞西山太吉記者が、機密情報入手に関する国家公務員法違反で起訴され、当初世論は“国民の知る権利”を主張する西山氏寄りであったものが、情報入手元である女性事務韓とのセックス・スキャンダルが週刊新潮に暴かれたことにより一転、世論の集中砲火を浴びて“極悪人”に仕立て上げられたという事件。要するに昭和の古来より日本では、世論を動かすには女性蔑視を感じさせるセックス・スキャンダルをばらまくいことで世の女性陣を味方につけるという手法が効果的であると、されてきた訳です。まぁ実に古臭いやり口。

週刊文春の小沢夫人の夫の支持者に宛て手紙の内容を掲載するなんぞも、女性事務官の手記を週刊誌が掲載した西山事件とイメージがダブります。西山事件のセックス・スキャンダルにまだ救いがあるのは、スキャンダルと焦点の情報漏えいが直接かかわっていた点。しかし今回の小沢氏の件は、別に何の事件にも絡んでいるお話ではなく、余りに唐突にこのタイミングで政治家とはいえ一個人のプライバシーを暴いてイメージダウンをはかろうなどというもので、やり口の卑劣さも含め出版メディアが政局運営に加担した出すぎた“やってはいけない”であります。週刊文春ならびに文芸春秋社は、出版メディアとして大いに責めを負うべきであると考えます。

次に、気になるのは毎日新聞18日朝刊紙面掲載の山田記者のこの一件を扱った記事(http://mainichi.jp/opinion/news/20120618ddm002070050000c.html 毎日新聞は、先の西山事件における西山記者の所属新聞社。またまた“運命”を感じます)。「文春編集部は、発売寸前、東京のほぼすべての民放テレビの取材に応じていた。ところが、オンエアされない。調べてみると、小沢系の国会議員からプレッシャーがかかったらしいことが分かった。「取り上げるなら、もうオタクの番組には出ませんよ」と」。これが事実なら、これまたゆゆしき“やってはいけない”です。ここで責めを負うべきは小沢一郎氏。仮に文春のスキャンダルが事実でないのなら、正々堂々と出るところに出て言えばいい。何か言えない事情があるのならダンマリを通すこともいけないとは言いません。しかし小沢系の国会議員がプレッシャーをかけたと書かれたなら、直接小沢氏が関与していなかったとしても、当事者としてまた派閥の長として真偽のほども含め明確に弁明するべきであろうと思います。もちろん、小沢氏または秘書が配下の議員に言わせたのだとしたら言語道断。それこそ“やってはいけない”の極みでありますが。

さらにさらに、確かに今回のテレビの対応のおかしさは言わずもがなでしょう。テレビで週刊誌発の“下半身ネタ”をそのままとりあげることが望ましいとは申しませんが、少なくともテレビ番組が連日好んで取り上げている増税議論の行方に大きく影響を与えかねないスキャンダルであり、文春の報道姿勢の是非を含めてしっかりとフォローすべき問題ではあるはずです。それが一切ダンマリとは。小沢氏ルートからのプレッシャーであるか否かはともかく、何がしかの好ましからざる“政治的配慮”はあってのことでしょう。いろいろな場面で信頼性を欠く場面も多いテレビメディアではありますが、報道機関としてあるまじきだらしなさであり、誰かの利益誘導に平気で加担する己のなさはメディアとして万死に値する“やってはいけない”であるでしょう(言い添えておきますと、毎日新聞山田記者の記事の書き様も、どこか意図的なものを感じさせる新聞らしからぬ実に週刊誌的な居心地の悪さを感じるところでもあります)。

このように小沢氏の週刊文春スキャンダルがどこか得体のしれない極度の居心地の悪さを感じさせる背景には、週刊誌・政治家・テレビ、三つ巴(毎日新聞も加えるなら四竦み)の“やってはいけない”が絡み合った、稀に見る気持ちの悪さに起因するものであるのかと、つくづく感じる次第です。

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