日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「増税の枠組み」よりも「復興債の考え方」の議論を!

2011-09-25 | その他あれこれ
24日の日経新聞にも取り上げられていたので、復興債について思うことろを少し書いておきたいと思います。

首相の交代を機に、いよいよ復興財源の話が具体的に動き出した訳ですが、どうも首相の話のリードが悪いのか「復興財源=増税議論」オンリーの話に終始している嫌いがあるように思います。ここで確認しておきます。今分かっている民主党政権の復興財源に関する考え方は、
①復興債を発行する
②集めた資金で復興に着手する
③復興債償還原資づくりとして臨時増税をする
④増税により税収で復興債の償還をおこなう
という流れであると認識しています。

このような流れにありながら、なぜはじめに出口に近い「増税」の話ばかりが問題になっているのか。どうも私にはその点がしっくりこないのですが、皆さんはいかがでしょうか。上記の流れに沿って考えるなら、常識的にまず真っ先に十分な議論をしておくべき問題は入口に位置する「復興債の考え方」ではないでしょうか。なぜなら「復興債の考え方」次第で、増税の総額や臨時増税期間に関することも大きく異なって来ると思えるからです。そこで以下に、復興債に関する私見を少々述べさせてもらいます。

まず復興債の償還期間ですが、政府は原則2022年までに償還を終える実質11年でことを完結させる枠組みを検討しています。これは野田総理の「次世代に負の遺産を引き継がない」という強い要望に沿ってのことと理解していますが、この考え方は本当に正しいのでしょうか。私はかなり違和感を感じています。投資に対する負担の考え方は、世代別「受益者負担の原則」を基本に据えるべきであり(被災地にのみ負担を負わせると言う意味はありません)、被災によって失われたものの復元や救済投資に関しては現世代負担とすることでよろしいでしょうが、新たな未来を築くための基礎部分への投資については現世代だけでなく次世代にも負担をお願いしても理解は得られるのではないかと考えます。

となれば、債券は「現状に資する部分」と「未来を築く基礎づくり部分」との二種類に分け、前者は先の最大11年償還の復興債として調達し、後者は通常の建設国債と同じ60年償還の債券で調達するという考え方がふさわしいのではないかと思うのです。これだけでも臨時増税の負担はかなり軽くなると思われます。さらに前者の11年償還復興債については一部を個人国債として、これまでも何度か当ブログで提言してきた、具体的資金使途別の債券発行による無利子の“ボランティア国債”として資金を集めることはできないかと思っています。我が国の豊富な個人貯蓄をこういった時に活用しない手はないのです。

必要資金が集まらなければ、不足分を改めて有利子の復興債として発行する形になりますが、今回の震災後に見せた日本人のボランティア精神の強さを鑑みれば、かなりの金額が無利子調達できるのではないかと思います。もし「現状に資する部分」全額が無利子発行で賄えるなら、当面は「未来を築く基礎づくり部分」を除いた債券の元本償還資金をどうねん出するかに的は絞られ、政府保有資産の売却等を優先的に検討することで増税は最小限に抑えられもするのです。もちろん、最長60年償還の建設国債の償還スケジュールも場当たり主義的対応ではなく、しっかりとした国家ビジョンの下策定される財政再建策の中でしっかりと計画的償還をしていくということになるのは前提条件かと思います。

出口の見えない世界的不況と円高のダブルパンチにあえぐ現況下で、「増税ありき」の復興策として所得税、法人税の大幅な増税を決定することは、さらに景気マインドを冷え込ませ確実に日本経済をより一層暗い影を落とすことになる訳です。上記案がそのまま現実的に機能するという意味ではありません。ただ今日本のリーダーがすべきことは出口近くの「増税」の枠組みを真っ先に決めることではなく、まずどうしたら「増税」を最小限に抑えられるのか、もっと入口の「復興債の考え方」すなわち未来の日本づくりを前提とした「我が国の復興のあり方」から十分な議論をリードすべきではないかと思い、あえて稚拙な私案を申し上げたまでです。根本の議論を御留守にして、国民への早目の根回しとばかりに安易に「増税」「増税」と叫ぶのは、結局前首相同様のリーダーとしての無能ぶりを明らかにするようなものではないかと思えてなりません。

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