日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№94~70年代ディスコ・ブーム、ブラック系の立役者

2009-11-23 | 洋楽
R&B、ソウル、ファンク…、ブラック・ミュージックのジャンルに関する呼び名はいろいろあれど、ディスコと言えばこのバンド。KC&ザ・サンシャイン・バンドです。

№94   「KC&ザ・サンシャイン・バンド/同」

日本では、♪「ザッツ・ザ・ウェイ!アハー、アハー、アイ・ライク・イット!アハー、アハー…」でおなじみKC&ザ・サンシャイン・バンド。まぁ何と言ってもこのノリは、日本のディスコ黎明期における最大のヒット・チューンではなかったでしょうか。一方、この曲が流行った75年当時すでに半端じゃない“洋楽中坊”だった私は、ディスコねーちゃんたちが、当時新宿界隈の安ディスコで「ソウル・ドラキュラ」とか「怪僧ラスプーチン」とかとこの曲を同レベルで愛でていたことを、本当に腹立たしく思ったものです。こちとらはいかがわしい企画モノではなく正真正銘の全米№1ヒットですからね。「ドラキュラ」で踊り狂うロクに洋楽も知らないねーちゃん達に、♪「ザッツ・ザ・ウェイ、アーハー」とか言われるのが歯がゆかった訳です。

そんなおかしな売れ方をした日本では、「ザッツ・ザ・ウェイ」がバカ売れしたがために一発屋的印象が強いKC&ザ・サンシャイン・バンドですが、本国アメリカでの70年代の活躍ぶりには目を見張るものがあります。「ザッツ・ザ・ウェイ」以外にも「ゲット・ダウン・トゥナイト」「シェイク・ユア・ブーティ」など全部で5曲もの№1ヒットを持つ一大ヒット・メーカーなのですから。それと、ブラック系のバンドと言うと、スライ&ファミリー・ストーンをはじめ、アース・ウインド&ファイアーやオハイオ・プレイヤーズなど、ファンクに分類されるバンドが多い中、黒人、白人混成チームの彼らは純然たるディスコ・バンド(いわゆる踊るための音楽を演奏するバンド)としてトップ・ポジションに上り詰めた最初のグループであったように思います。

グループは、73年にボーカルでリーダーのハリー・ウェイン・ケーシーを中心としてセッション・ミュージシャンを集めた5人組で結成され、74年のデビューアルバム「ドゥ・イット・グッド」が英国でヒット。追っかけアメリカでは、75年リリースの本アルバムからのシングル「ゲット・ダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウェイ」が連続№1ヒットとなり、一躍人気グループにのし上がります。アルバムも最高位4位を記録し彼ら最大のヒットとなっています。ジャケットのロゴはその後も、彼らの編集盤が出されるたびに使用されていますから、このロゴに見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

バンドはディスコ人気の衰退とともに84年に一度空中分解しますが、90年に復活。リーダーのケーシー以外は度重なるメンバーチェンジがあった模様ですが、現在ではバック・コーラスやダンサーを含めて15人の大所帯バンドとして活躍中です。70年代のディスコ・ブームを語る時、白人バンドの立役者であるビージーズに対するブラック系の代表格として決して忘れてはならない存在であると思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿