日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№74“ビートルズ再結成熱望論”が生んだヒット作

2009-06-13 | 洋楽
70年代は“アフター・ザ・ビートルズ”の新たな時代であったハズでありながら、世の音楽ファンたちは心のどこかでビートルズの再結成を心待ちにしている、そんな10年であったように思います。今から33年前の76年6月7日、突然リリースされたこの“新作”に世間は色めき立ち、「今度こそビートルズ再結成」がまことしやかに囁かれアルバムは大ヒットを記録しました。

No.74       「ロックンロール・ミュージック/ザ・ビートルズ」

ビートルズが設立したレコード・レーベル「アップル・レコード」の消滅を待って、米キャピトル・レコード主導の企画として立ち上がった本作のリーリス話。当時の世間一般はそんな事情を知る由もなく、世界の多くの人がビートルズからの再結成準備スタート宣言であると信じて疑わなかったのです。ビートルズの各時代から選ばれた28曲がLP2枚組4面に収められていますが、「ツイスト&シャウト」から「ゲット・バック」に至るその選曲には、日本でのレコード発売元である東芝EMIが大きく関与したと言います。

その選曲ですが、「ヘルター・スケルター」や「ゲット・バック」が“ロックンロール”というコンセプトの下、「ツイスト&シャウト」や「ロール・オーバー・ベートーベン」などと一緒に収められているのには、当時でも少なからず違和感を覚えたものです。特に日本でのみアルバムからのシングルA面曲としてリリースされた「ヘルター・スケルター」は、明らかに日本サイドの要望による収録でしょう。曲の良し悪しはともかく、元祖ヘビメタと言われるこの曲はどうみてもこのアルバムにふさわしいとは言い難いミスキャスト選曲で、コンセプト思考に乏しく好み先行で企画をぶち壊す日本人的センスの悪さを象徴し、アルバムそのもののイメージをも混乱させる結果となっています。

アメリカでは、「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」がシングル・カットされました。元々アルバム「リボルバー」収録曲ですが、当時中坊の私なんぞはまだレコード・レンタルもない時代で、ビートルズの過去の作品まで手が伸ばせるほどの経済的余裕もなく、ほとんど“新曲”として受け入れ、こんないい曲もあったのかとビートルズの奥深さに感心させられたものです。当時はアメリカでも、ビートルズのヒット曲は知っていてもアルバムはあまり聞いたことがないという人が多かったのでしょうか、この曲は結局全米7位にまで上がるヒットとなりました。当初の発表から10年も立ってからリリースされたシングルがTOP10に入るということ自体、解散から5年以上たっていまださめぬ当時のビートルズ再結成願望を象徴していると思います。

アルバムの方もチャートをグングン上がって、最終的には第2位まで上昇します。ベスト盤でもなく新曲や未発表テイクも含まない単なる編集盤が全米2位にまであがるというのは、後にも先にもこのアルバムぐらいではないでしょうか。それと、このアルバムの全米1位獲得を阻んだのが、元ビートルズ、ポール・マッカートニー率いるバンド、ウイングスの「スピード・オブ・サウンド」であったというのは、なんとも皮肉なお話です。「ロックンロール・ミュージック」は、アルバム価値はほとんどゼロに等しい作品ですが、世の“ビートルズ再結成熱望症候群”に押されて大ヒットした事実当時の一大事件であり、70年代のリアル体験のインパクトの大きさから“100枚”に選出しました。

なお、米キャピトルはこの企画の大ヒットに味をしめたのか、翌77年にはビートルズのラブソングを集めた同種の2枚組編集盤企画「ラブ・ソングス」をリリースしましたが、こちらは最高位24位。2匹目のドジョウはいませんでした。同時に、「ラブ・ソングス」リリースの頃には、「ビートルズ再結成」の話題も次第に下火になっていくのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿