日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方26」~ローリング・ストーンズ4

2010-11-21 | 洋楽
74年のアルバム「イッツ・オンリー・ロックンロール」リリース後、ギタリスト、ミック・テイラーの突然の脱退により、ストーンズは後釜探しの“グレート・ギタリスト・ハント”を始めます。これは、アルバムを制作しながら、ギタリスト候補をオーディションを兼ねてセッションに呼び寄せ次なるメンバーを決めようと言う大胆な企画でした。この時制作されたアルバム「ブラック・アンド・ブルー」に名を連ねたギタリストから推測するに、最終的に候補に残ったのは、ハーヴィー・マンデル、ウェイン・パーキンスそしてロン・ウッドの3人であったようで、結果はご存じの通り当時ちょうど所属のフェイセズが空中分解状態にあったロン・ウッドがある意味“順当”に後釜に収まった訳です。

彼が“順当”とされた最大の理由は、ミック・ジャガー、キース・リチャーズとは旧知の仲であり、その後のストーンズのイメージを決定づけた前作「イッツ・オンリー・ロックンロール」のタイトル・ナンバーの実質的作者とも言われるのが、ロン・ウッドその人でもあったからです。すなわち、68年の「ベガーズ・バンケット」以来ルーツ系に転換しスワンプ臭を付加しつつ試行錯誤を重ねた「70年代型ストーンズ」の最終形がいよいよ固まりつつあった時期に、ブルース・ギタリストのミック・テイラーが徐々に“場違い感”を感じつつその居場所を失っていった理由は、まさしくミック&キースにロン・ウッドが加わることで作り出された新たなグルーヴそのものであり、新型ストーンズにもっとも合うギタリストはロン・ウッド以外にない、とファンも含めて誰しもが薄々感じていたのです。

そして完成した76年の「ブラック・アンド・ブルー」(ロンは3曲に参加)で早くも登場したキース&ロン(写真)の真骨頂と言えるギター・アンサンブルは、B4「クレイジー・ママ」。まさにその後営々と続く“ストーンズ的な(ヘタウマな?)”ギターサウンドの原点は、この曲にあるといっていいと思います。そしてその新ギター・アンサンブルを引っ提げてロンの正式加入後初ツアーに出たストーンズは、このツアーを録音し77年に2枚組ライブ盤「ラブ・ユー・ライブ」をリリースします。これこそ「超」がつく名作ライブアルバム。60年代の代表曲も含め、キース&ロンの新ストーンズ・サウンドによって新たな息吹を与えられた名曲の数々には、まさに「70年代型ストーンズ」スタイルの完成形をみることができるのです。「ラブ・ユー・ライブ」はストーンズ・ファンのみならず、すべての洋楽ファン必聴の歴史的ライブアルバムなのです。

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