(13)あらすじ
日本を発つ前に、『ニーベルングの指輪』については、次の本を読んでおいた。
ワーグナー『ラインの黄金-ニーベルンゲンの指輪』(寺山修司訳、1983年、新書館)
ワーグナー『ワルキューレ-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)
ワーグナー『ジークフリート-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)
ワーグナー『神々の黄昏-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)
いずれも、「ペーパー・オペラ」と称して、散文形式で楽劇を読めるように工夫している。これで、あらすじを理解するのが捗った。
例えば、タイトルにもなっている「ワルキューレ」が、神々の王ヴォータンが女神たちに産ませた女戦士であり、ブリュンヒルデもワルキューレの一員であることは、恥ずかしながら、今回初めて知った。
フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』に使われて有名な「ワルキューレ」のテーマが、その勇壮さに拘らず、女戦士のテーマだというところに、あっと思わせるところがある。
また、ジークフリートがブリュンヒルデを救い出し、「愛の成就」が成し遂げられた後に、グートルーネの「愛の媚薬」に心惑わされ、ブリュンヒルデを裏切るくだりも、この「ペーパー・オペラ」を読んで初めて理解した。
現地には、次の本を持っていった。
ワーグナー『ニーベルングの指輪 上・下』(高辻知義訳、2002年、オペラ対訳ライブラリー、音楽之友社)
これはリブレットで、ドイツ語の原文と日本語訳とが対訳形式で載っている。公演当日の午前中に読んだのはこのリブレットだ。もちろん、ドイツ語がわかるわけではないが、リブレットを読んでおくと、各幕・各場でのおおよその進行が頭に叩き込まれる。
おそらく、以上のような準備が、ワーグナーの楽劇を理解するために必要なのだということがわかった。
(14)演出・1
オペラの演出で注目されるのは、書き割り(装置)・照明・衣装だろう。ワーグナーの楽劇でもこれら三要素が重要だが、その背景となる時代の設定にも留意する必要がある。ワーグナーの楽劇は神話・伝説の時代を扱っている。ということは、物語がいくぶん荒唐無稽になりがちだ。それで、物語にリアリティを持たせるために、時代設定に工夫する場合がある。
時代設定には、神話・伝説の時代そのまま、ワーグナーの生きた19世紀、楽劇が上演される現代、時代を特定しない、の四通りある。
ワーグナーの生前の舞台では、当然、神話・伝説の時代をそのまま表現する演出であった。
一方、戦後、再開後、ヴィーラント・ワーグナーの演出した『ニーベルングの指輪』は、いわば、「時代を特定しない」演出の試みとして、圧倒的な評価を得た。書き割り(装置)は極めて簡素で、抽象的であった。指揮者のハンス・クナッパーツブッシュが、「何だ、まだ装置が完成していないではないか。」と誤解したという伝説が残っているほどだ。このような、書き割り(装置)では、照明が大きな役割を果たす。照明によって、舞台のどの部分が、また、登場人物の誰が注目すべきかを指示することになるからだ。
さて、今回の演出のスタッフを記しておこう。
演出:タンクレット・ドルスト
照明:ウルリッヒ・ニーペル
衣装:ベルント・エルンスト・スコツィック
一言でいえば、後に述べる『パルジファル』とは対照的に、奇を衒うところが少ない演出だった。
(15)演出・2
『ラインの黄金』では、第1場で、ラインの乙女たちが動き回り、小人族のアルベリヒを翻弄する場面をどのように演出するのかに興味があった。実際、ト書きの通りにラインの乙女たちが動き回るのは無理があるので、どうするのだろう。答えは、歌うラインの乙女たち、黒タイツでうずくまったり、動いたりする黒子のようなラインの乙女たち、そして、映像に映る裸で泳ぎまわるラインの乙女たち、というふうに、三通りの方法で表現していた。
映像の多用が現代のオペラ演出のいわば「常識」になっているが、それがここでも確認できた。
『ラインの黄金』第3場では、鉄パイプ丸出しの近代的工場が出現する。ラインの乙女たちから指輪などを奪って現世の覇権を獲得したアルベリヒが小人族をこき使って黄金製品を作り出す場の設定らしい。前回述べた「楽劇が上演される現代」の時代設定らしい。
と思ったら、近代的工場を映し出す幕が落ちて、アルベリヒが黄金製品を隠し持つ洞窟に変わる。ここでは、「神話・伝説の時代そのまま」の書き割り(装置)が現出する。すると、わざわざ近代的工場を持ち出した意味はどこにあるのだろうか。
『ワルキューレ』第3幕第3場、父ヴォータンの怒りにふれたブリュンヒルデが岩山に幽閉され、周りを火の輪で囲まれる場は、想像していたのとは違い、明かりの輪で火の輪を表現していた。意味を伝えるには、これで十分だ。
4作を通じて、子どもたちがチョロチョロ動く場面が付け加わっている。かといって、ワーグナーの原作にセリフや歌唱を追加することはないので、子どもたちを追加した意味が伝わらない。子どもたちを何かの象徴として寓意しているのかもしれないが。
このように、時代設定に関しては、中途半端で思い切りが悪い、という印象を持った。
照明・衣装に関しては特に感想はない。
ミーメ役のヴォルフガン・シュミット、ジークリンデ役のヴィルケ・テ・ブリュメル・シュトレーテ、ハーゲン役のハンス・ペーター・ケ-ニッヒなどへの拍手が多かった。
なお、指揮はクリスティアン・ティーレマン。 (2009)