静聴雨読

歴史文化を読み解く

左手で輪をつくった・2

2010-02-28 08:43:01 | Weblog
2月1日。

兄は、再び、腹水を抜いてもらうために、入院した。奥さんから電話があり、「医師から、『会わせておきたい人にはできるだけ早く会ってもらいなさい。』とアドバイスされた」、とのこと。

2月2日。

もう一人の兄と連れ立って、午後3時半、病院へ。
兄はベッドの上に起きて、迎える。顔が細くなり、亡くなった父の相貌に瓜二つなのに驚いた。

それから、これまでの経緯を話し始めた。その話しぶりはしっかりしていた。
その後、もう一人の兄に向かって、「お前は大丈夫か?」と聞く。
「前立腺を患ったが、検査の結果、(がんは)陰性だった。でも、2週間入院して、前立腺を削る手術をしたよ。今は、何ともない。」
「それは、よかった。」

私に向かっても、「お前は大丈夫か?」と聞く。
「高血圧と高脂血症の生活習慣病で薬を飲んでいるが、それ以外は何ともないよ。」
「それは、よかった。」

「ところで、母はその後どうしている?」
昨年9月まで、交代で母を見舞っていたのだが、その後の様子を気にしていたのだ。
「きょう、母を見舞ったが、とても元気だった。食欲も十分にあったよ。」
「それは、よかった。」

その後、「息子の先行きだけが心配で、それがなければ、俺は、いつ死んでもいいと思っている。」と兄はいう。それを聞いて、はっとした。これほど、死の覚悟ができているとは。

1時間ほどの面会時間の前半は起き上がった状態で、後半は臥せった状態で会話したが、思った以上にことばがしっかりとしていた。
午後4時半、退出。

2月6日。

確定申告のことが気になって、午後2時、病院へ。
「確定申告を手伝おうか?」
兄はうなずいて、「一昨年の・・・」という。つまり、「一昨年の控えを見れば大体わかるから。」ということをいったのだろう。
「xx万からxx万は戻るはずだ。」

「一昨年」を「おととし」ではなく「いっさくねん」といったのには驚いた。依然、ことばが丁寧だ。
時々、からだを起こすが、2月2日に比べると、衰弱の度合いが甚だしい。
午後6時、退出。

2月9日。

午前10時半、奥さんが医師に呼ばれ、「危ない」といわれる。
午前11時半、病院。
時々、起きたがる。
私を認めて、「悪いねえ。」という。二時間後には「ありがとう。」という。これが、兄から聞いた最後のことばになった。
午後6時、退出。

2月10日。

午前11時半、病院。酸素吸入器を装着。のどがぜいぜいと鳴る。10秒ほど無呼吸状態を続け、やがてふっと息を吸い込む。それの繰り返し。
午後1時、退出。

午後6時半、再び病院。状態は変わらず。
午後8時半、退出することにし、兄に「帰るよ。」というと、うなずく。
「帰っていいか?」と再び聞くと、左手の親指と人差し指で「○」を作る。「OK」のサインだ。そのユーモラスなしぐさに一同歓声を上げた。ふだんは、ユーモアの少ない兄だったのだけれど。結局、これが私の目撃した兄の最後の反応になった。

2月11日。

午後2時、病院。昨日とは変わって、規則正しい呼吸音。1分間に13回。眠ったまま。
午後2時半、血圧90-61。
午後3時半、清拭。
午後4時半、呼吸が10秒から15秒ほど止まる事象が起こる。それを繰り返した後、午後4時47分、呼吸停止。 (2010/2)

左手で輪をつくった・1

2010-02-26 05:46:03 | Weblog
兄が亡くなった。享年69。あっという間のことだった。

昨年9月下旬、兄から電話をもらったのが始まりだった。
「最近、体調がよくないので、病院で検査してもらう。尿が黄色くなるのと、嚥下(えんげ)障害がある。」ということだった。

10日後の10月上旬、再び兄から電話があり、「検査の結果、胃がんが見つかった。」とのこと。医師と相談の結果、抗がん剤を飲みながら治療することにした、という。発見が遅くて手遅れだということが推察できた。

以後は自宅で治療を続けたが、大変な痛みに襲われ、兄は、抗がん剤の投与を断ったようだ。やがて、腹水がたまるようになり、それを抜いてもらうために入院を繰り返した。
(2010/2)

定年後の過ごし方

2010-02-23 08:05:04 | Weblog
サラリーマンの多くが60歳で定年を迎える。その後、どのような生活を営むか、人それぞれで、興味深い。何人かの知人の例を挙げてみる。

Aさんは、定年を待っていたかのように、国際協力機構(JICA)の主催するシニア海外ボランティアに飛び出した。技術や技能を持つシニアを募って、主として、発展途上国に派遣する。彼は、コロンビアと中国に派遣された。現役時にメキシコや韓国に駐在した経験のある彼には海外生活は何ら違和感ないらしい。

奥さんは自分の好きなことを持っているが、彼の任地に旅行するのが楽しみになっているという。南米の小国や中国の内陸部はなかなか行く機会はなかろうから、彼の招待を進んで受けている。

Bさんは、首都圏に自宅と奥さんを置いたまま、京都に部屋を構えた。そこに隠棲してしまったわけではなく、首都圏と京都を行ったり来たりしている。
奥さんと仲が悪くなったのかと思ったが、そうではないらしい。京都の別宅に奥さんを招待したりしている。
奥さんはやはり、自分の趣味を持っていて、それで忙しくしている。

Cさんは、定年前に早期退職して、大学の教養学部に再入学して、勉強している。彼も、亡くなったお母さんの住宅を「隠れ家」と称して、時々勉強や研究のために、そこに籠もるらしい。
奥さんと仲が悪いわけではないが、一人になりたくなる時があるらしい。

Dさんは、定年後、両親の介護をするために、早々に首都圏の自宅を畳んで、故郷の九州に帰った。奥さんも行を共にした。
その後、お母さんを看取り、今は、お父さんの介護にあたっているという。

Eさんはまもなく定年を迎えるが、会社の嘱託再雇用に応じて、あと5年働くという。年金制度が変わり、60歳から64歳の間、老齢年金の基礎部分が給付されないので、厚生年金を補うため、低い給料に我慢して嘱託として働くのだという。私の世代にはなかった悩みだ。

その後は故郷に帰るかどうかは決めかねているという。首都圏で40年も生活すれば、首都圏に根付いてしまう。奥さんを同行させるのも難しい課題だという。これは、地方から首都圏に出て、そこで結婚した人が直面する共通の悩みのようだ。

こう見てくると、定年後の過ぎし方には、いくつかの判断基準があることが認められる。(カッコ内は私の場合)

その1 それまで考えていたことに飛び込む。研究、ボランティアなど。(研究)
その2 奥さんとの距離をどのように保つか? 付かず離れずか、同行か。(単身)
その3 親の介護が必要か否か。(必要)
その4 故郷に戻るか否か。(東京が故郷)
その5 さらに働くかどうか。(働かない)

このように、小さな悩みではあるが、人それぞれ悩みを抱えながら定年後を生きる。 (2010/2)



「モッタイナイ」精神・2

2010-02-19 08:58:43 | ユートピア探し
ケニアのワンガリ・マータイ女史は環境保護活動家として有名です。2004年にはノーベル平和賞を受賞しました。そのマータイさんが日本語の「もったいない」に注目しました。「もったいない」と思う心こそ、環境保護の原点だというわけです。

マータイさんは、講演の際には、いつも、聴衆に向かって、「さあ、一緒に、『モッタイナイ』と唱和しましょう。」と呼びかけるそうですが、こうなると、やや新興宗教に似た雰囲気を醸し出しますが。

さて、マータイさんが「もったいない」に着目したのは、このことばが、Reduce(消費削減) 、Reusu(再使用)、 Recycle(資源循環)、 Repair(修繕)という4つの「R」を表わしているからだそうです。なるほど、その通りで、不必要に、物を作り過ぎない、サービスを提供し過ぎない、消費し過ぎない、直せるものは直して使う、使える物は再使用する、物を廃棄する場合にはリサイクルに回す、という考え方はまさに「もったいない」精神そのものです。

鳩山内閣の「新成長戦略」に実は「再生戦略」が隠されている、と以前指摘しましたが、その「再生戦略」の中核を成すのが、Reusu(再使用)、 Recycle(資源循環)、 Repair(修繕)という3つの「R」だとも述べました。低成長下にあっては、既にあるものを最大限有効に活用する「再生」が必須になります。これは、まさに、マータイさんの呼びかけにも呼応するものです。

ところで、麻生内閣が始めて、鳩山内閣も継承することにしたという「エコポイント」制度なるものがあります。省エネルギーの度合いの高い電気製品・自動車・家などを購入したり買い替えたりすると、特典がつくというものです。

だまされそうですが、この制度は「エコポイント」と名がつくものの、消費を刺激するだけの政策です。電気製品を例にとると、大きな薄型テレビや大きな冷蔵庫ほど「エコポイント」が高く、そちらに消費が向かうようなエレクトロニクス産業振興政策にほかなりません。また、住宅を例にとると、国全体で見ると、わが国の空き家率は16%もあります。それを有効活用することに手を付けず、「エコポイント」を付けて新規住宅の着工を促進するのは、住宅産業振興政策そのものです。

マータイさんが「エコポイント」制度を聞いたら、目を丸くすることでしょう。「Reduce(消費削減)はどこに行ったの?」

・・・以上は、2010年初頭の四つ目の「初夢」でした。 (終わる。2010/2)

「モッタイナイ」精神・1

2010-02-17 06:50:28 | ユートピア探し
先日のテレビの報道で、わが国の空き家が急激に増えていることが紹介されていました。

空き家率16%。6軒に1軒が空き家だそうです。
思い当たることがあります。
母は自宅から特別養護老人ホームに移りましたが、自宅は置いたままです。
住宅地には、相続の決まらない旧家が数多く残っています。
大企業は空室の多い独身寮をかかえています。
地方都市の「シャッター通り」には、閉じた商店がそのまま残っています。
統廃合した小学校の一部は廃屋のまま放置されています。

その一方で、職を失った「非正規労働者」は、住むところもなく、役所の斡旋する臨時宿舎に身を寄せています。

何とも、「住のアンバランス」が目立ちます。もったいないことです。

これらの空き家を再利用する道はないでしょうか? 空き家率を16%から10%に減らせば、400万戸の新規住宅ができることになります。もちろん、権利問題がたちはだかることは目に見えていますが、それはひとまず措いておいて、大規模な「住居のリサイクル」のシステムを考えてみるべきだと近頃感じています。  (2010/2)


「成長」から「再生」へ・4

2010-02-11 07:58:50 | ユートピア探し
「成長」から「再生」へ。鳩山内閣が策定した「新成長戦略」には、隠されたメッセージがあるのだと私は思います。

さて、「3R」ということばがあります。
Recycle(循環)、Reuse(再使用)、Reform(修繕)のことで、「再生」の中核となるキーワードです。いずれも、成長神話の全盛時代には見向きもされなかった概念です。しかし、環境・エネルギー・医療・介護・観光・地域活性化などを考えるにあたっては、「3R」が重要な役割を担うことになります。

森林の間伐の例をとれば、現在、森林は荒廃にさらされているそうです。間伐をしていないからです。間伐をしないと、森林全体のCo2吸収量は極端に減ってしまうそうです。適当に人手をかけて間伐し、そこから生じた間伐材を有効活用すれば、一石数鳥の効果が生み出せます。河川の堰はコンクリートで作るのが普通ですが、間伐材でも間に合うのではないか、という研究が進められているそうです。これなどは、環境対策(Co2の削減)、雇用の創出、脱コンクリートの一石三鳥が可能な例です。

また、大量に発生する「まだ使える電化製品」を修繕し、購買力のないアジアの人々に供与する事業は考えられないでしょうか? 退役した技術者や技能保持者のボランティア精神に依存すれば、このような物の移転・伝承はスムーズに実現できるように思います。環境対策(使い捨ての撲滅)、生きがいの創出、アジア諸国との共生、というやはり一石三鳥が期待できます。

物づくりの匠に「マイスター」の称号を与えることがあります。
同じように、再生の匠に「Rマイスター」を与えることが考えられないでしょうか?
「森林再生マイスター」「修繕マイスター」や「リサイクル企画マイスター」などの称号は、広く受け入れられるように思います。また、「Rマイスター」にふさわしい人材を、現役世代のみならず、退役世代やボランティア志望の人たちから発掘する助けにもなります。

このように、「再生戦略」はなかなか見捨てがたい魅力があるように思います。
成長を捨てて、再生に走るという考え方に賛同する人は現在ではごくごく少数派です。しかし、50年後、100年後には、このような考え方が多数派になっていることを疑いません。

・・・以上は、2010年初頭の二つ目の「初夢」でした。 (終わる。2010/2)

「成長」から「再生」へ・3

2010-02-09 07:16:07 | ユートピア探し
ここからは、少し夢想が入り込みます。

低成長期においては、華々しく画期的な成長戦略がそもそも無理なのかもしれません。これまでのように、繊維産業、重化学産業、自動車産業、電機産業、情報産業などが牽引する経済成長は、韓国・台湾・中国・インドなどが同様の成長パターンで成長を目指し始めた現在では、もはや期待できません。

その意味で、鳩山内閣の「新成長戦略」が、環境・エネルギー・医療・介護・観光・地域活性化などの分野に成長の可能性を見ていることは、納得できます。環境・エネルギー・医療などの分野は、世界的に見ても、わが国の技術が優位にあります。環境・エネルギーはCo2の削減などのエコロジーにも貢献します。医療・介護などの分野は、高福祉の目的に適いますし、さらに、アジア諸国との経済協力・共生にも役立ちます。観光・地域活性化などの分野は、埋もれた資源の活用という意味があります。いずれも、公共事業と市場原理主義という「二つの呪縛」から脱するという鳩山内閣の政治理念を体現しています。

しかし、これは、本当に「成長」戦略でしょうか? 環境・エネルギー・医療・介護・観光・地域活性化のキーワードから想起されるのは、「成長」戦略というよりも、むしろ、「再生」戦略なのではないか、というのが私の感想です。地球の再生(環境・エネルギー)、人間の尊厳の再生(医療・介護)、地域・国土の再生(観光・地域活性化)などは、わが国の喫緊の課題です。鳩山首相は施政方針演説で「いのちを守りたい。」とのべましたが、その意味は、あらゆる側面で、疲弊し痛んだものを回復させたい、ということでしょう。 (2010/2)


「成長」から「再生」へ・2

2010-02-07 08:07:40 | ユートピア探し
すでに低成長期に入り、少子高齢化の時代に突入したわが国は、中国の例に倣うわけにはいきません。「新成長戦略」に、わが国の実情に見合った戦略が求められます。

鳩山内閣が昨年12月30日に閣議決定した「新成長戦略」を見てみます。印刷したら、34ページもありました。

これまでの自民・公明連立政権が、公共事業と市場原理主義という「二つの呪縛」から逃れられなかった、とやんわり批判した上で、鳩山内閣は新たな需要創造に取り組むと高らかに宣言しています。その需要とは、環境・健康・観光などとともにアジアとの共生により生ずるものだと謳っています。

その骨子は次の3部分に分かれる6点だそうです:

Ⅰ 日本の強みを発揮する産業の強化
1 グリーン・イノベーション(環境・エネルギー分野)
2 ライフ・イノベーション(医療・介護分野)

Ⅱ 新たなフロンティアの開拓
3 アジア経済戦略(製品だけでなく、システムやノウハウの提供を含む)
4 観光立国・地域活性化(外国からの観光客の誘致拡大と地域の物産の振興)

Ⅲ 成長を支えるプラットフォーム
5 科学・技術立国
6 雇用・人材戦略

このような6本柱で、今後20年間にわたって着実な成長を目指すということです。これはこれで結構ですが、20年間の成長戦略というにはやや弱いと思います。それは・・・ (2010/2)