静聴雨読

歴史文化を読み解く

好奇心の掘り起こし

2009-11-28 08:24:11 | Weblog
加齢のせいか、このところ、知的好奇心の減退に著しいものがあります。読書の量はめっきり少なくなりましたし、街に出て、音楽や映画を楽しむこともあまりありません。
その一方、家で、テレビを見る時間が増えています。ケーブル・テレビの「囲碁・将棋チャンネル」や「旅チャンネル」で時間を潰すことが多くなっています。

私の日常は、このブログ「歴史文化を読み解く」に載せるコラムを書くことと、インターネット古書店「BIBLOSの本棚」を運営することとで成り立っています。コラムの執筆とインターネット古書店の運営とは互いに関連がないように思えますが、実は、両者が相互に影響し合っていることが最近わかりました。

「BIBLOSの本棚」からお客様が求めていかれた本がきっかけとなって、その本にまつわることをブログ「歴史文化を読み解く」に書くことが時々あります。

画家ハインリッヒ・フォーゲラーに関するコラムをまとめるきっかけは、彼の図録を求めるお客様がいらしたことです。この図録が手元になくなったら、彼について書く機会が永遠に失われてしまうかもしれない、と思い、急いで、筆を執りました。
ハインリッヒ・フォーゲラー http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20081025
がそれです。

また、長い間、本棚に沈んでいた『森有正全集』を「BIBLOSの本棚」から求めるお客様が出現し、それも一人にとどまらなかったため、森 有正への関心が復活し、
 森 有正のこと http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20091023
           http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20091025
            http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20091118
をコラムにまとめました。

森 有正への関心は、同世代の加藤周一への関心も呼び起こしています。これは、海老坂武『戦後思想の模索 森有正、加藤周一を読む』(1981年、みすず書房)を読んだことによるものです。

折りしも、『加藤周一自選集』が新たに岩波書店から発刊され始めました。この自選集は、加藤が生前、企画に係わったもので、彼の著作を年代順に収録するものです。加藤周一の思想の変遷をたどるのに好適なものです。これから、一年間かけて、この自選集を読んでいくことにしました。加藤周一を読み込むことは私にとって長年の懸案でした。ここでそれを果たそうと思います。

以上、二例は、いずれも、「BIBLOSの本棚」でのお客様との交流が刺激となって、私の好奇心の掘り起こしにつながっていったものです。
インターネット古書店「BIBLOSの本棚」の運営とブログ「歴史文化を読み解く」の運営とが両々相俟って、私の日常が成り立っていることを実感しています。  (2009/11)


村上春樹『1Q84』を読む

2009-11-26 07:57:06 | 文学をめぐるエッセー
遅ればせながら、村上春樹『1Q84』を読み終えた。私はベストセラーを追う趣味はないので、実は「遅ればせながら」ではないのだが、世間の常識に合わせれば、やはり、ようやく読んだ、という感がある。

これほどのベストセラーだから、ストーリーを紹介する必要はなかろう。
読後感を箇条書きすると:

1 小学生時代の同級生である天吾と青豆の物語が並行して語られるが、その意味があまり伝わらない。

2 最後に、天吾と青豆が偶然の出会いをしそうになるが、結局出会わずに終わるくだりは、作り物の感が強く残る。

3 新人賞作家ふかえりの造形が最も面白い。抑揚のない言葉遣いなどはなかなかシュールに仕上がっている。

4 村上が物事を形容する仕方に馴染めなかった。一言でいえば、文学としての「品格」に欠けた形容が散見される。

5 スラスラと読めたのはいいが、一級の小説というには疑問が残る。

私は初めて村上春樹を読んだのだが、これを機会に、旧作(『ノルウェイの森』や『ねぎまき鳥クロニクル』)を読んでみようか、という気分にはなっていない。 (2009/11)


「郵便事業会社」の行く末(『郵政民営化』後)

2009-11-16 05:19:21 | 社会斜め読み
郵便事業会社からローカル郵便ネットワークを切り離し、その要員(郵便配達員)と車ごと、郵便局会社に移管した後の郵便事業会社はどうなるか、または、どうなるべきか? 答えは簡単で、銀行事業と生命保険事業と同じく、完全民間会社として、ほかの宅配業者などと競合してゆくこととなる。

すでに、郵便事業会社は、郵便小包事業(「ゆうパック」)について、日本通運(「ぺりかん便」)と提携して、JPエクスプレスという合弁会社を設立し、「ゆうパック」と「ぺりかん便」を統合して扱わせようとしている。この動きは、「郵政民営化の見直し」に連動して、現在ストップしているらしい。

郵便小包事業を切り離して、郵便事業会社は生きる道をどこに見出そうとしているのだろうか? それがわからない。

結局は、郵便事業会社は旧来の特権にしがみ続けるつもりではないのか? 旧来の特権とは何か? それは、「信書の送達」に関するものだ。

「民間業者による信書の送達に関する法律」という法律がある。郵政民営化後に、「民間業者による」と名乗る法律が生き残っているのが笑える。この法律を要約すれば、「日本郵政グループ以外の『民間業者』は信書を扱ってはならない。」ということだ。

「信書」とはなにか? 送る側が誰で、受け取る側が誰だ、ということを詮索されることなく送られる郵便物などのことだ。「開き封」で中身が見える「ゆうメール」や郵便局で対面で差し出す「ゆうパック」は「信書」に当たらない。そのため、宅配業者は、ダイレクト・メールなどを扱う場合、「これは『信書』ではありません。」という但し書きを入れている。

ということは、「信書」の中身が見えない「閉じ封」と、「信書」をどこでも投函できる「郵便ポスト」が必須の要件となる。「民間業者による信書の送達に関する法律」は、このような「信書の送達」を保証できない限り、「民間業者」は「信書の送達」業務に係わることはできない、といっているのだ。一時、ヤマト運輸が郵便事業に参入しようとして、この「信書の送達」条項を盾に、参入を阻まれたことがある。主として、「信書ポスト」を、郵便事業会社並みに設置しなければ、「信書の送達」を認可しない、ということだった。

このように、時代に合わない「民間業者による信書の送達に関する法律」を盾に、民間業者の参入を頑なに排除しようとする日本郵政グループの姿勢は批判されてよい。郵便事業会社はほかの宅配業者などと対等の競争をすることが求められる。その結果、競争に敗れることがあっても、やむをえないと覚悟すべきだ。 (2009/11)

「地域サービス会社」への転換(「郵政民営化」後)

2009-11-14 00:32:47 | 社会斜め読み
郵政民営化後の3事業のうち、銀行事業と生命保険事業は単独でも利益を出すことができるようだ。一方、郵便事業は自立が困難だとの見方が一般的だ。これは、郵便事業そのものが衰退事業であるとともに、郵便事業に求められている「ユニバーサル・サービス」(どの地域でも同じサービスを受けられる体制)の維持が、経営上の足かせになっているためだ。

その解決策で最も乱暴なものが、赤字の多い地方の集配局(郵便事業会社の場合)や簡易郵便局(郵便局会社の場合)を閉じたり・統廃合したりすることだ。現に、日本郵政公社時代からその動きは続いている。すでに、郵便ネットワークの地方の拠点が痛み始めている。

郵便事業の経営効率化のために取るべき施策の第一は、郵便事業会社からローカル郵便ネットワークを切り離し、その要員(郵便配達員)と車ごと、郵便局会社に移管することだと述べた。ローカル郵便ネットワークを維持し活性化できる知恵を持っているのが地域を担当する郵便局会社の郵便局だからだ。

それが実現した後には、郵便局会社が商品企画力を磨きながら、自立への道を模索したらよい。その際、郵便局会社の独立を阻害するような様々なくびきは除くべきだ。

一例を挙げるならば、郵便局会社は郵便事業会社からの委託事業だけでなく、ほかの宅配業者のローカル宅配ネットワークを受託してもいいではないか。宅配業者の中には、今でも、離島などへの集配を扱っていないところもある。それほど、離島などへの集配は利益を生まない事業なのだろう。

そこで、離島なども含めた地域のローカル宅配ネットワークを郵便局会社に一挙に集めれば、郵便局会社は扱う「荷」が増えるし、宅配業者は利益を生まない事業を安心して切り離せるだろう。一挙両得だ。その上、重要なのは、郵便事業に求められている「ユニバーサル・サービス」を低下させなくて済むことだ。

このように、進化した郵便局会社は、もはや、その名がふさわしくなくなっているだろう。むしろ、「地域サービス会社」というほうが適切だ。
「地域サービス会社」が誕生すれば、郵便事業・宅配事業にとどまらず、銀行事業・保険事業の代理店業務に手を伸ばしたり、電気・ガス・水道などの地域インフラの検針・集金業務などにも手を伸ばしたりすることが可能になる。

ここで述べた「地域サービス会社」の役割の一部は、都市部では、コンビニエンス・ストアが既に担っている。地方で同じことをするためには、郵便事業・宅配事業を核にした「地域サービス会社」が最もふさわしいのではなかろうか。  (2009/11)

「経営効率化」という束縛(「郵政民営化」後)

2009-11-12 07:48:56 | 社会斜め読み
話が前後するが、民営化された日本郵政グループは、民間企業らしい「経営効率化」とともに、「ユニバーサル・サービス」(どの地域でも同じサービスを受けられる体制)の維持という、二律背反的使命を負っている。

小泉純一郎元首相と竹中平蔵氏が推し進めたのは、主として「経営効率化」の側面であり、それはそれで、民間企業として必須の課題であった。

「経営効率化」の具体的中身は、一つは、収益を生み出すような商品を企画することであるが、この点では、郵便事業、銀行事業、生命保険事業の3事業会社とも、目に見える成果を挙げていない。もう一つは、無駄な支出を生む事業体質を改善することであるが、「かんぽの宿」売却問題で露呈したように、特定企業との癒着を疑われるような事業執行が、旧日本郵政公社時代から慢延していて、成果を誇れることろまで至っていない。

都会地の郵便局にコンビニエンス・ストアを入れて、収入を増やす試みが、テレビなどに紹介された。「ワン・ストップで郵便も買い物もできて便利だ。」という利用者の声が拾われていたが、これは「まゆつば」だ。都会地では、郵便局の外に出れば、コンビニは近隣にいくらでもある。何も、郵便局内のコンビニを利用する大きなメリットがあるわけではない。郵便局内のコンビニにある程度集客力があるのは、都会地の人口が大きいから当然の話だ。

「郵便局+コンビニ」というビジネス・モデルは都会地にだけ適用できるもので、コンビニそのものがない地方では適用できない。そして、そのような地方の郵便局の赤字をいかに減らすかという課題の解にはならない。 (2009/11)



日本郵政のサービス力(「郵政民営化」後)

2009-11-07 07:41:30 | 社会斜め読み
「郵便局会社が顧客満足向上のための施策を考えるような企画力を身につける方策は何も見えない。」と書いたが、郵便事業会社についても同様のことがいえる。

最近、差し出した「ゆうメール」が相手方に届かず差し戻された。「あて先に尋ね当たりません。」という付箋がついていた。

よく調べると、あて先の住所表示が、A・B二通りに読めるように記述していた。これは、私のミスだ。

しかし、差し出し局を通じて調べてもらうと、配達員はAの住所表示に尋ね当たらなかっただけで、Bの住所表示にトライした形跡はないのだ。これでは、国営から日本郵政公社を経て民営化したメリットがまったく出ていないではないか。なぜ、サービスが上がらないのか?

その大きな原因の一つが、郵便配達事業を郵便事業会社が行っていることにある、というのが私の推測だ。つまり、郵便事業会社の郵便配達員は、実は、土地土地の細かい事情(住所表示だとか土地の区画だとか各戸の世帯構成など)を知らないのだ。これは、人の資質というより、配達区域が広域すぎて、土地土地の細かい事情を知る機会がないのが原因だ。「ああ、これはAと書いているが、Bのことかもしれない。」というふうに頭が働かないのだ。

しかし、郵便配達事業が郵便局会社の配下に入れば、事情は変わってくる。扱う地域が自らの郵便局管内だけになれば、土地土地の細かい事情を把握することが可能だ。キメ細かいサービスはそこから沸いてくる。

郵便事業会社がローカル郵便ネットワークを担当していることが、顧客サービスの向上を阻害していることは明らかだ。郵便事業会社は広域郵便ネットワークに専念し、ローカル郵便ネットワークは郵便局会社にまかせることを考えてほしいものだ。 (2009/11)

日本郵政の商品企画力(「郵政民営化」後)

2009-11-05 07:16:08 | 社会斜め読み
日本郵政公社は2007年10月に民営化され、グループ管理会社の「日本郵政グループ」の下に、郵便事業会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命、郵便局会社の4分社が発足した。郵便事業、銀行事業、生命保険事業の3事業会社とともに、それらの窓口業務を担当する郵便局会社が設けられた。

何ヶ月か前、「郵政民営化」の効果を検証する特集番組がNHKから放映された。そのうちの一部が印象に残った。郵便事業会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3事業会社から郵便局に(すなわち、郵便局会社に)個別に「ちらし」が送りつけられ、郵便局(すなわち、郵便局会社)はそれらの「ちらし」を無条件に展示しなければならない、という問題点が郵便局会社から提起された。郵便局の個別の事情(局内の広さ、お客様のニーズなど)を配慮した展示方法を考える権限が郵便局会社にまったくない、ということだった。3事業会社と郵便局会社とが合議して改善案を検討したはずだが、その結果は知らない。

問題は、郵便局会社にまったく企画機能がないことだ。3事業会社に言われたように動き、窓口手数料だけで郵便局会社を運営する仕組みになっている。だから、業務改善提案が郵便局会社から出ることはない。

例えば、上記の「ちらし」の展示方法について、郵便局会社がいくつかの展示パターンを考え、それを個々の郵便局に提示して、最適の展示方法を採用させる、というような企画力がまったく欠けているのだ。

郵便事業に限っていえば、郵便局会社を強くするには、個々の郵便局管内の集配業務を郵便事業会社から郵便局会社に移管することを考えたらいい。現在は配達業務を郵便事業会社が担当しているが、集配業務に対するエンドユーザの要望事項を理解しているのは、個々のお客様に接している郵便局(すなわち、郵便局会社)にほかならない。

ネットワークの世界では、基幹ネットワークとローカル・ネットワークの2種に分けて議論するが、郵便の世界でも、基幹郵便ネットワークを担当する郵便事業会社とローカル郵便ネットワークを担当する郵便局会社とで業務分担することが望ましい。こうすることによって、郵便局会社に顧客満足向上のための施策を考えるような企画力が身につくようになると思う。 (2009/4)

この秋の政権交代に伴って、日本郵政をめぐる政策にも新しい動きが出てきた。それに対する私の考えを記しておきたい。

その1。日本郵政の社長を更迭して、大蔵官僚OBを充てたことはまったく評価に値しない。官僚の「天下り」と「渡り」の厳禁の原則を破ってまでやる人事ではない。
 
その2。郵便局のネットワークを維持して、郵便局を公的サービス機関として活用の拡大を図る考えは賛同する。

以上が私の基本的なスタンスだが、前回(4月)に述べた「郵便局会社が顧客満足向上のための施策を考えるような企画力を身につける方策」は何も見えない。

現在、郵便の配達を郵便事業会社が担当していることを理解している人がどれだけいるだろう。
一方、郵便の集荷は、郵便事業会社が郵便局会社に委託したり、郵便ポストやローソンなどのコンビニエンス・ストアから集荷したりしている。つまり、郵便を配達する配達員とその車は、もっぱら「配達」という「行き」の作業だけを行っている。

物流業界では、例えば、九州から首都圏に物資を運ぶ物流業者は、九州から首都圏への「行き」の物流を終えた空のトラックにどのようにして荷を積んで「帰り」の道を走らせるかに腐心している。そのために、「帰り」の荷を扱う業者と提携したりして、トラックの効率を上げる。それができた物流業者が「勝ち組」として生き残っていける。

それに比べると、郵便集配事業では、膨大な人と車をかけて、「行き」だけの作業をしている。ここに大きな無駄があることに気づかねばならない。「帰り」の荷を増やすためには、例えば「産直品」のプロモーションなどが考えられると以前のべたが、それだけではない。

もう一つ、別の業界の例を引けば、例えば、コンピュータ・メーカーがある法人にPC300台を納入したとする。すると、そのPCの保守のために、法人と保守契約を結び、定期保守などを実施する。この保守契約だけでも安定的な利益を確保できるものだが、それに加えて、保守員の才覚次第で、さらに利益を生み出すことができる。日常的に法人に出入りしていると、その法人のPC拡大計画などを早期に入手できるようになる。この「情報」を営業部門に伝えれば、更なる販売拡大に結びつくというものだ。

同様のことを郵便配達員に当てはめれば、使い方次第で、郵便配達員は、お客様のニーズを汲み取って、郵便局や3事業会社に有益な「情報」を伝達するパイプ役に変身することができる。ただし、現状のような、郵便事業会社の郵便配達員にそれを求めても無理だ。郵便配達員が郵便局会社の配下に入って初めて実現可能なアイディアだ。  (2009/11)