静聴雨読

歴史文化を読み解く

新藤兼人・百歳で死す

2012-06-01 07:58:54 | 映画の青春

 

日野原重明(聖路加病院院長)、渡辺季彦(ヴァイオリン教師)、吉田秀和(音楽評論家)、新藤兼人(映画監督)。この4人は私の注目し続けている人たちだ。いずれも百歳を超える。

ところが、このうち、吉田秀和と新藤兼人が5月に亡くなってしまった。哀惜に堪えない。

吉田秀和は、私のブログの中でも、スイスの画家フェルディナン・ホードラーを論じた際、その作品に言及した。そのセンスのよい文章は他の追随を許さない。

新藤兼人は映画監督であるとともにシナリオ・ライターであった。昭和20年にマキノ正博監督の手で映画化された『待ちぼうけの女』が新藤のシナリオ・ライターとしてのデビューだった。吉村公三郎監督のために書いた『安城家の舞踏会』はその代表作だ。おそらく、戦後最高のシナリオ・ライターであった、といって言い過ぎではない。

独立プロ「近代映画協会」を設立したのが1950年。それから、監督業に進出する。『原爆の子』『縮図』『女の一生』『第五福竜丸』などの作品を見た記憶がある。

そして、1960年に発表した『裸の島』が新藤の作風の画期となった作品だ。殿山泰司と乙羽信子を主演にした、島の生活を綴った叙事詩のような作品だ。セリフの一つもないところが衝撃的だった。

もともと、映画監督・新藤は、シナリオ・ライター新藤と違って、作り方の無骨な作家だ。華麗なカメラ・ワークを見せるわけでもなく、対象をじっと見据える手法に徹底的にこだわっていたように思える。これは、後に、『にっぽん昆虫記』を作った今村昌平に引き継がれている。また、淡々とシークエンスを重ねていく手法は小津安二郎を髣髴とさせる。

『裸の島』に続く『人間』『母』『鬼婆』『悪党』『本能』などで、人間の性の根源を探る試みに没頭した。これが、初期の社会派と並ぶ新藤の主題になった。

その後40年ほどは新藤の作品と疎遠になったが、新藤といえば、プロフェッショナルなシナリオ・ライター、社会派の監督、性の探求者、の3つが私の印象に残る。

今、私の机上に、『新藤兼人の足跡 全6巻』(岩波書店)が乗っている。新藤を偲びながら、これをひも解いてみようかと思っているところだ。  (2012/6)

 


フランソワ・トリュフォー

2010-12-13 08:06:58 | 映画の青春

(1)神保町シアター

フランソワ・トリュフォー(1932-84)は、ジャン・リュック・ゴダール、クロード・シャブロルと並んでヌーヴェル・ヴァーグの旗手といわれますが、三人の映画手法はまったく異なります。ゴダール=破壊的・前衛的、トリュフォー=伝統継承的かつ前衛的、シャブロル=伝統継承的かつ家族的、という違いがあります。

トリュフォーの映画では、カメラは流れるように、シークエンスも流れるように、主題も家族・仲間・同志などが多いのが特徴です。代表作を一作だけ挙げるのは難しく、『突然炎のごとく』『アメリカの夜』『ピアニストを打て』『華氏451』などみな傑作です。

以上は、「私のバックボーン(近・現代外国人編)」というコラムで、トリュフォーについて述べたくだりですが、やや記憶から薄れかけたトリュフォーを呼び覚ます出来事が昨年秋にありました。東京・神田神保町の「神保町シアター」で、彼の没後25年を記念する回顧上映が企画されたのです。

トリュフォーは生涯に25編の映画を演出しましたが、そのうち14編を「神保町シアター」で見ることができました。

折角なので、プログラムを書き写しておきます:

・アントワーヌ・ドワネルの冒険を描く連作
1 『大人は判ってくれない』、1959年
2 『アントワーヌとコレット』、短篇、1962年
3 『夜霧の恋人たち』、1968年
4 『家庭』、1970年
5 『逃げ去る恋』、1979年
(以上5作は、トリュフォーの分身を連想させるアントワーヌ・ドワネルの少年時から30歳代までのスケッチです。)

・その他の作品
6 『あこがれ』、短篇、1959年
7 『ピアニストを撃て』、1960年
8 『突然炎のごとく』、1961年
9 『柔らかい肌』、1964年
10 『恋のエチュード』、1971年
11 『私のように美しい娘』、1972年
12 『終電車』、1980年
13 『隣の女』、1981年
14 『日曜日が待ち遠しい!』、1983年

今、14本のトリュフォー映画を見直してみると、長編第一作の『大人は判ってくれない』が圧倒的に優れているのがわかりました。文学者について、「処女作にすべてが胚胎している。」といわれますが、同じように、トリュフォーの長編映画第一作『大人は判ってくれない』には、彼のすべての美質が芽を出しています。 

(2)山田宏一

「神保町シアター」でフランソワ・トリュフォーの回顧上映を見た後、一冊の本を読みました。

 山田宏一『増補新版 トリュフォー ある映画的人生』(1994年、平凡社)

これが素晴らしい本だったので、それを紹介します。

これは、長年、トリュフォーと親しく接して来た著者の、「トリュフォーとその時代」ともいうべき評伝です。作家論ではありません。トリュフォーの来日時に学生であった著者は、通訳を勤めたそうです。それ以来、トリュフォーの文章を翻訳し、トリュフォーの映画に字幕を付け(「神保町シアター」で上映された14編のトリュフォー映画には、すべて「翻訳=山田宏一」のクレジットがありました)、トリュフォーにインタビューし、というように、トリュフォー漬けの日々を過ごしたようです。

そのような著者には、「トリュフォーとその時代」を語るにふさわしい経験の蓄積があります。

トリュフォーは少年時に親の愛に恵まれず、学業も嫌いな子になります。この点は、『大人は判ってくれない』にビビッドに描かれています。そういうトリュフォーは映画にのめり込みます。弱冠12歳で、自らの将来を映画監督に措定しています。
トリュフォーの後見人を引き受け、トリュフォーを映画界に紹介したのがアンドレ・バザンで、トリュフォーは生涯、バザンの死後までも、バザンへの恩義を感じ、バザンの顕彰に力を尽くします。この点は日本人の感性に極めて近いと思います。

トリュフォーの映画界でのキャリアは映画評論家として始まりました。クロード・オータン・ララやルネ・クレールなどの「既存の」大物監督をこきおろし、一方、ジャン・ルノワールやアルフレッド・ヒチコック、ハワード・ホークスなどのアメリカ映画の監督をほめちぎります。このような映画観がジャン・リュック・ゴダールなどの仲間に共通してあり、これが「ヌーヴェル・ヴァーグ」という潮流を生み出す原動力になりました。

やがて、監督に転じたトリュフォーは、家族・仲間・同志を主題に選びながら、「愛」を描く映画作家になっていきました。実生活でも多くの女性を愛し、その中にはカトリーヌ・ドヌーヴなどの女優もいました。
「反抗」から「愛」へ、というのがトリュフォーのたどった道で、彼の映画は彼の自画像のようなものです。

以上は、この本から得た知識ですが、この本の素晴らしさを要約すると:

1 「トリュフォーとその時代」の資料を広く博捜して、同時代の映画史の中にトリュフォーを浮かび上がらせていること。

2 トリュフォーへの親愛がにじみ出ていること。しかし、何でもトリュフォーを賛美するのではなく、一定の距離感をもって、トリュフォーの映画に接していること。

3 「反抗」、「愛」、「恩義」などの概念を抽出するのに成功していること。

おそらく、山田宏一『増補新版 トリュフォー』は、トリュフォーの評伝の中でも一番優れたものでしょう。フランス人による評伝よりもさらに優れている、と言っても言い過ぎではありません。 

(3)ゴダール

フランソワ・トリュフォーとジャン・リュック・ゴダール(1930-)。この二人はフランス映画の「ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手として、広く認知されています。

この二人は、映画監督としてのキャリアを始める前の経歴に共通するものがあります。共に、シネクラブ(映画上映運動)を主宰して、アメリカのハワード・ホークスやアルフレッド・ヒチコック、フランスからアメリカに渡ったジャン・ルノワールなどを称揚します。返す刀で、フランス映画界の既成勢力を鋭く否定しました。また、映画評論家としても、二人は頭角を現わしました。

映画監督としてデビューする前には、その準備段階として、二人はシナリオをいくつも書いたようです。

山田宏一『増補新版 トリュフォー』に面白いエピソードが紹介されています。ゴダールの監督デビュー作『勝手にしやがれ』(1959年)の最初のシナリオを書いたのが、実はトリュフォーだったというのです。
ゴダールはそれまで、何本も何本もシナリオを書きましたが、プロデューサーから却下されてしまいます。それで、トリュフォーがいつか自分で演出しようと温めてあったシナリオをトリュフォーから譲り受けたのです。その頃は、それほど、二人の仲は良かったようです。

もちろん、ゴダールはトリュフォーのシナリオを自己流に書き改めましたが、元になったアイディアやエピソードには、トリュフォーの残滓が刻印されているということです。
主人公のチンピラが、路上で死ぬ時に、自分で自分のまなこを閉じるシーンがありますが、このシュールな映像は明らかにゴダールのものですが、トリュフォーならこのシーンをどう演出したでしょうか。

トリュフォーの『大人は判ってくれない』とゴダールの『勝手にしやがれ』は、共に、1959年の製作です。

さて、その後、トリュフォーとゴダールは、1968年に、決定的な仲違いをします。この年は、フランスに「5月革命」が起こった年です。ゴダールは「5月革命」にコミットしましたが、トリュフォーは「5月革命」から距離を置きました。おそらく、それが仲違いの直接の原因でしょう。しかし、元を糺せば、監督として映画に取り組む姿勢の点で、二人は相容れなくなっていたのだと思います。トリュフォーは、家族・仲間・同志を主題に選びながら、「愛」を描く映画作家になっていったのに対し、ゴダールは映画そのものの破壊への道を突き進むようになりました。

トリュフォーがわずか52歳で早世したのに対し、ゴダールは生き延びて、今も生きていれば、80歳。何と、不可思議で不条理な二人の後半生でしょう。 (2010/1)

参考資料:

山田宏一『増補新版 トリュフォー ある映画的人生』(1994年、平凡社)
フランソワ・トリュフォー『わが人生 わが映画』(1979年、たざわ書房)
『ゴダール全集 全4巻揃い』(1970年・71年、竹内書店)
『ゴダール全評論・全発言Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(1998年、筑摩書房)
ゴダール『映画史 Ⅰ・Ⅱ』(1982年、筑摩書房)


神保町シアター

2009-09-29 05:57:02 | 映画の青春
東京・神田神保町に神保町シアターという映画館があることを最近知った。

このところ、新聞の購読を止めているので、情報に疎くなっている。たまたま、ある食堂で見た新聞の映画広告欄に、「没後二十五年|フランソワ・トリュフォーの世界」が神保町シアターで開かれることが予告されていた。それで、神保町シアターの存在を知った。

フランソワ・トリュフォーは私の好きな映画監督の一人だ。それで、神保町シアターに通ってみようかという気になった。この件については、別のコラムで報告する機会があるかもしれない。

ここでは、神保町シアターそのものを紹介してみたい。
どうやら、新しく建てた映画館らしい。客席100のミニシアターだ。
座席はゆったりと取ってあり、クッションは硬からず柔らかすぎずで、心地よい。
各回の上映ごとに入れ替える「完全入替制」だ。
1回1200円、シニアは1000円。5回通うと、1回無料になる。

神保町シアターの最大の特徴はその企画だろう。今回のフランソワ・トリュフォーの特集のように、テーマを決めた特集を打ち出しているのだ。

ちなみに、フランソワ・トリュフォーの特集の次は、「思ひ出は列車に乗って」という企画が待っている。川本三郎の企画になる「鉄道映画紀行」という趣向だ。
鉄道にまつわる映画を28本選び出して上映する。『素晴らしい蒸気機関車』など、鉄道そのものをテーマにした作品もあるが、例えば、『カルメン故郷に帰る』とか『飢餓海峡』とかも選ばれている。

『カルメン故郷に帰る』の説明文を引くと、「高峰秀子が草津と新軽井沢を結ぶ軽便鉄道、草軽電気鉄道(昭和37年廃線)に乗って故郷北軽井沢に帰ってくる。」
また、『飢餓海峡』の説明文では、「三国連太郎は下北半島の川内森林鉄道と岩内線(昭和60年廃線)に乗る。」というふうに、なるほど、鉄道が重要な小道具になっていることがわかる。

古い列車や廃線となった路線などが改めて確認できる・・・この企画は鉄道ファンにとっては堪(こた)えられないのではないか。

神保町シアターのようなミニシアターでは企画がすべてだといういい例だ。 (2009/9)

「もがりの森」を観る

2007-05-30 06:19:35 | 映画の青春
カンヌ映画祭で審査員特別賞を受けたばかりの「もがりの森」が早くもテレビで放映された。まだ、劇場公開されていないはずで、どうしてこのようなテレビ公開が可能になったのかわからないが、ともかく観てみた。

すでに報道などで紹介されているように、妻に死なれた認知症の老人と子供を死なせた介護士との交流を描いたものだが、その「筋」以外のことが気になった。

まず、冒頭の葬列らしきものが畑中をゆっくり行進するのを遠くから望遠でゆっくり追う場面。どこかで観たことがあると思ったが、黒澤明監督の「夢」の冒頭で描かれた「きつねの嫁入り」の場面にそっくりだ。河瀬直美監督は、この世界的名監督の名声をちゃっかり利用しているらしい。

次に気がついたのは、樹々の緑、下生えの緑、森の緑、畑の緑、というぐあいに、緑が全編を覆いつくしていることだ。奈良県の山中で撮影されたこの映画は、さながら「緑の日本」のプロモーション・フィルムのようだ。そういえば、白神山地の霊気、屋久島の大樹、熊野古道の土いきれ、を連想させるシーンがちりばめられている。これは、日本の誇る「世界遺産」のイメージをちゃっかり利用しているのではないか?

ひねくれて観ると、以上のことが目に付くが、そこを通り越せば、人と自然との交流などのアニミズム思想が良質のカメラワークで捉えられているのに感動する。
ただ、老人が老人らしくないこと、認知症があるようには見えないこと、などは計算通りなのか、計算外なのか、河瀬監督に聞いてみたい。  (2007/5)