日野原重明(聖路加病院院長)、渡辺季彦(ヴァイオリン教師)、吉田秀和(音楽評論家)、新藤兼人(映画監督)。この4人は私の注目し続けている人たちだ。いずれも百歳を超える。
ところが、このうち、吉田秀和と新藤兼人が5月に亡くなってしまった。哀惜に堪えない。
吉田秀和は、私のブログの中でも、スイスの画家フェルディナン・ホードラーを論じた際、その作品に言及した。そのセンスのよい文章は他の追随を許さない。
新藤兼人は映画監督であるとともにシナリオ・ライターであった。昭和20年にマキノ正博監督の手で映画化された『待ちぼうけの女』が新藤のシナリオ・ライターとしてのデビューだった。吉村公三郎監督のために書いた『安城家の舞踏会』はその代表作だ。おそらく、戦後最高のシナリオ・ライターであった、といって言い過ぎではない。
独立プロ「近代映画協会」を設立したのが1950年。それから、監督業に進出する。『原爆の子』『縮図』『女の一生』『第五福竜丸』などの作品を見た記憶がある。
そして、1960年に発表した『裸の島』が新藤の作風の画期となった作品だ。殿山泰司と乙羽信子を主演にした、島の生活を綴った叙事詩のような作品だ。セリフの一つもないところが衝撃的だった。
もともと、映画監督・新藤は、シナリオ・ライター新藤と違って、作り方の無骨な作家だ。華麗なカメラ・ワークを見せるわけでもなく、対象をじっと見据える手法に徹底的にこだわっていたように思える。これは、後に、『にっぽん昆虫記』を作った今村昌平に引き継がれている。また、淡々とシークエンスを重ねていく手法は小津安二郎を髣髴とさせる。
『裸の島』に続く『人間』『母』『鬼婆』『悪党』『本能』などで、人間の性の根源を探る試みに没頭した。これが、初期の社会派と並ぶ新藤の主題になった。
その後40年ほどは新藤の作品と疎遠になったが、新藤といえば、プロフェッショナルなシナリオ・ライター、社会派の監督、性の探求者、の3つが私の印象に残る。
今、私の机上に、『新藤兼人の足跡 全6巻』(岩波書店)が乗っている。新藤を偲びながら、これをひも解いてみようかと思っているところだ。 (2012/6)