静聴雨読

歴史文化を読み解く

豊穣の秋(とき)

2013-10-03 07:34:34 | 身辺雑録

第三の人生の過ごし方は、人により、様々です。親や配偶者の介護に明け暮れる人、病いを得て療養中の人、ボランティア活動に汗を流す人、日々悠々自適に好きなことをして過ごす人、などなど。

この第三の人生の特徴は、様々な活動のどれを選んでもいいこと、また、どのように組み合わせてもいいことです。第一の人生で蓄積した知識・教養と第二の人生で得た経験・人脈とを活用して、自分の好きな人生設計ができます。

私の場合を振り返ってみると:

第二の人生とは別の仕事(趣味を兼ねた古本屋)、母の世話、ブログ、などを組み合わせて、この第三の人生を設計してきました。ここ数年は、趣味の将棋に打ち込む時間が長くなりました。

これらのうち、古本屋を畳み、母の世話を終えた今は、「日々悠々自適に好きなことをして過ごす」ことが残っているにすぎない、と自覚しました。「晴釣雨読」の生活です。これは、第四の人生です。

その矢先に、将棋のNPO法人に携わる先輩が体調を崩し、その仕事を手伝うようになりました。今年の初めからです。先輩は今年の初夏に早々に亡くなり、私はNPO法人の活動を継続せざるを得なくなりました。第四の人生はお預けです。

さて、第三の人生の特徴は、好きなことを自由に組み合わせて設計できることだと申しました。まさに、第三の人生は「豊穣の秋(とき)」を約束する人生です。しかしながら、第一の人生で蓄積した知識・教養の質、また、第二の人生で得た経験・人脈の多寡によって、第三の人生の豊かさが決まることは否定できない事実です。その意味で、第三の人生とは、第一の人生と第二の人生の「合わせ鏡」だといえるかもしれません。          (2013/10)


第三の人生

2013-10-01 07:08:08 | 身辺雑録

仮に、人生を区切るとすれば、学業を終えるまでを第一の人生、仕事を終えるまでを第二の人生とすることに、大方の異論はないでしょう。私の場合は、大学を卒業した22歳までが第一の人生、サラリーマン生活にピリオドをうった60歳までが第二の人生、ということになります。自営業の方は、この第二の人生が長く、65歳や70歳を過ぎても現役、という方も多く、まったく、これらの方々には頭が上がりません。

さて、第二の人生を終えた後にくるのが第三の人生です。

この第三の人生の過ごし方は、人により、様々です。親や配偶者の介護に明け暮れる人、病いを得て療養中の人、ボランティア活動に汗を流す人、日々悠々自適に好きなことをして過ごす人、などなど。

私の場合を振り返ってみると:

勤め先に「次の仕事に就くのを支援する制度」(正式な名前は忘れました)があり、次の仕事に必要なスキルを身につけるために有給休暇を取ることができました。58歳を過ぎたところで、この制度の適用を申請しました。

私の考えた「次の仕事」とは、研究生活です。「十九世紀歴史文化の研究」を本格的に目指すつもりでした。具体的には、ヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau とウィリアム・モリス William Morris に焦点を充てて、近代文明への対峙の仕方を研究しようとする試みです。

勤め先の了承を得て休暇に入った矢先に、母が脳梗塞で倒れ、私の生活の中心は母の世話に移行し、「十九世紀歴史文化の研究」は棚上げになりました。以来、8年間は、同じ状態で推移しました。

この間、たまたま、ブログを立ち上げることを思いつき、4年前に「歴史文化を読み解く」と題するブログを始めました。本格的な「十九世紀歴史文化の研究」は棚上げせざるを得なくとも、少しでも「歴史文化」に関わりのあるテーマでコラムを発表しようというものです。このブログの心地よさにすっかりはまって現在に至りました。

今年の夏、一通り母の世話が終わり、幸い病いの兆候もない私には、日々悠々自適に好きなことをして過ごす道が残っているに過ぎないことを自覚せざるを得なくなりました。
棚上げにしていた「十九世紀歴史文化の研究」のほこりをはたいて再開するか、思案中です。

そのためには、さらに身辺を整理し、読書力を回復させ、ということが必要です。
また、環境を変えることも有効かもしれません。

「日々悠々自適に好きなことをして過ごす」ことを、昔の人は「晴耕雨読」と称しました。晴れの日には畑を耕し、雨の日には読書で心を耕す、ということです。多くの人の理想でしょう。
私の場合は、畑を耕す趣味はないので、読み替えて、「晴釣雨読」です。晴れの日には海に出て魚釣りで過ごし、雨の日には読書で過ごす、という生活です。

「晴釣雨読」は造語ですが、インターネットで検索すると、このことばでブログを書いている人が多く存在することがわかりました。

神奈川県に金沢八景という漁港があります。遊漁船の釣り宿が30軒ほど密集する釣り人のメッカです。私もこれまでよくここに出向き、おそらく10軒以上の釣り宿にお世話になっています。

近くには、金沢文庫・称名寺など、鎌倉時代の遺刹もあり、鎌倉にもほど近い立地です。
まさに、「晴釣雨読」のためにしつらえた場所ではないか。
そうだ。この地に居を移そうか。そんなことを考える今日この頃です。 (2010/10)


カキと天ぷら

2013-03-11 07:33:17 | 身辺雑録

 

「食に対して貪欲な」父は時々街のレストランに連れていってくれたものだ。東京・有楽町の父の勤務先の近くに「レバンテ」というレストランがあり、父の勤務先がひいきにしていることもあって、時々その門をくぐったことがある。

この店は今でもある。冬には的矢湾産のカキを食べさせることで有名だ。生ガキ・レモン添え、焼きガキ、カキ・フライなど。

ところが、私はカキをあまり食べない。とくに、生ガキはまったくダメだ。そうすると、昔父に連れていかれた時には、何を食べたのだろうか? 今では思い出せない謎になってしまった。

 

父の晩年、入院する半年くらい前に、父が「近くにうまい天ぷら屋があるので、食べに行こう。」と誘ったが、何か理由をつけて誘いに乗らなかった。

父の死後かなり経ってから、その天ぷら屋を初めて訪れて、天ぷらを食した。が、それは、何の変哲もない天ぷらだった。父は、この天ぷら屋の天ぷらのどこに惹かれたのだろう。これも、解くことの叶わぬ謎として残ったままだ。  (2013/3)


食い意地の系譜

2013-03-09 07:29:29 | 身辺雑録

 

フランス語で、gourmet は美食家、gourmand は食いしん坊。似通った言葉だが、その意味するところは大いに違う。

ここでは、卑しい食いしん坊について話をしよう。日本語では、「アイツは食い意地が張っている。」というふうに、食いしん坊は軽蔑されるのが常だ。

私の父は新聞記者だったこともあり、全国各地を回ったので、各地の食については一家言持っていた。とくに魚にはうるさかった。大家族だった家族の夕食は2ラウンドに分けられ、第1ラウンドは子供たちが魚などを食い散らかす。

第2ラウンドに父が登場して、子供たちが食い散らかした魚のアラを集めて、酒をちびちびやりながら、文字通り「骨までしゃぶりつくす」。父のいうには、「魚はアラが一番うまいのだよ。」

確かに、魚の身と皮の間や骨周りの身はうまいに違いない。

そのような父を見て、「何と食い意地が張った男だろう。」と評する人がいてもおかしくない。

だが、私にいわせれば、「食い意地が張る」というフレーズをけなし言葉として使うのがおかしいのだ。「食に対して貪欲だ。」ぐらいに言ってほしいものだ。  (2013/3)


近況報告・4

2013-01-12 07:47:47 | 身辺雑録

 

「どうしてインプットが少なくなったの?」

「身辺が多忙になったせいもあります。」

「というと?」

「大学の先輩が体調を崩して、彼の携わるNPO法人の運営に支障が生ずることになりました。それで、彼の業務のお手伝いを始めました。今は決算期で、3月の総会に向けて決算資料の作成に携わっています。予算が100万円に満たないNPO法人でも、それを運営するには多くの労力が必要なようです。」

 

「退役後は『忙しくしない』というのがあなたのモットーではなかったの?」

「はい、これまでは、そのモットーに忠実に過ごしてきたつもりです。忙しくしている人には、近づかないようにしてきました。」

「今回は宗旨替えしたの?」

「そう責めないでください。身近な先輩が窮地に陥ったときに、助けるのは当然ではないか、そう思うようになりました。周りからも、『あまり意固地にならないで。時には、現実を受け入れて、生き方の軌道修正も必要よ。』と忠告されました。」

 

「でも、NPO法人といっても、結構運営が大変よ。いろいろな人がいるから。」

「はい、『老いたる覇権争いに加わらない』というもう一つのモットーは死守するつもりです。」

「なら、心配しないけど。」

「私は還暦を過ぎたあたりから、『世話好き』の本性に目覚めました。今回も、その本性が先輩を助けるというところに現われました。当分の間、NPO法人の運営に携わっていくつもりです。」

 (2013/1)

 


近況報告・3

2013-01-10 07:31:23 | 身辺雑録

 

「では、ノンアルコールビールで乾杯!」

「乾杯! ところで、最近、ブログの更新が滞っていない?」

「すみません。その通りです。」

「どうして?」

「単純にいうと、インプットが少なくなったからです。」

「え?」

「ブログに載せるコラムは、必ず、読書・音楽鑑賞・美術鑑賞・旅行などの経験が下地になっています。その経験がインプットになっているわけです。ところが、読書・音楽鑑賞・美術鑑賞の量が少なくなっています。旅行だけでしょうか、頻繁に行っているのは。」

「それで、書くものがなくなった。」

「まあ、そうです。最近、ある人から、『もう、義務のようなブログは辞めて、自分の好きなことに時間を使ったら?』という忠告を受けました。ブログを続けることが決して義務だとは考えていないのですが、痛いところを衝かれた気がします。つまり、ブログにマンネリ性を見つけ出されてしまったようなのです。」

「じゃあ、そろそろ、ブログ卒業ね。」

「いえ、まだ、今のところは・・・」

「何か、歯切れが悪いわね。」

「書きたいことがなくなったわけではありません。その証拠に、書きたいコラムのタイトルだけでも披露しましょう。」

「何々?」

「『セーヌ左岸』・『アンダルシアの思い出』・『1907年のピカソ』・『物見遊山の効用』・『ニュー・イングランドの思い出』・『古本一期一会』・『将棋の国際交流』・『「属する」ということ』・『グローバル・スタンダード』・『近代の詩人たち』・『コンサルティングの思想』などなど。」

「そう、それを書いてみたら。読んでみたいわ。」

「これらのコラムを完成させるためには、多かれ少なかれ、新たな『インプット』が必要なのです。」

「なるほどね。」  (2013/1)


近況報告・2

2013-01-08 07:09:17 | 身辺雑録

 

「部屋がずいぶんすっきりしたようね。」

「はい、甥っ子の助けを借りて、大々的なレイアウト変更を実施しました。」

「居間に本棚4本が並んだわね。」

「居間は書斎でもあるわけですが、ここにこれからも置いておきたい本を並べました。仮に、『究極の本棚』と名づけています。」

「鶴見俊輔、加藤周一、寺山修司、木下順二、大江健三郎、森有正・・・。あなたらしいラインアップだわ。」

「ヘンリー・D・ソローやウィリアム・モリスもあります。種村季弘や池内 紀も登場です。」

「柳宗悦もあるわね。」

「柳宗悦はわが国の民芸運動の創始者として知られていますが、ほかにも、白樺派の人たちとも交わっていました。実は、ヘンリー・D・ソローやウィリアム・モリスをわが国に紹介したのも柳宗悦と白樺派の人たちなのですよ。」

「そうなの。」

「そして、ヘンリー・D・ソロー、ウィリアム・モリスと柳 宗悦との関係を明らかにした思想家が鶴見俊輔なのです。ですから、私にとって、この4人は私の思想形成を支えるバックボーンなのです。」

 

「あちらの部屋は?」

「『座敷牢』と戯れに呼んでいますが、『究極の本棚』に入らない本を収納しています。これらの本は、『BIBLOSの本棚』からお客様のもとに飛んでいくのを待っているわけです。」

「思ったより、『座敷牢』の中もすっきりしているわね。」

「毎月、ダンボール箱で2箱分の本が減っています。お客様と三省堂古書館に送り出すからです。臨時のフェアがあると、一度に6箱ほど送り出します。」

「じゃあ、随分本は減ったんじゃない?」

「1年間で、本棚にして3本減りました。今年秋には『BIBLOSの本棚』を卒業しようと思っています。」

「あら、また、なぜ? もったいないじゃない。」

「本を詰めたダンボール箱を持ち上げようとして、腰を痛めました。それで、辞める踏ん切りがつきました。」

 

「こちらの部屋は空いてるようね。」

「オーディオ・ルームにしようと思っています。最近、クラシック音楽ファンやオーディオ・ファンが周りに多くいることがわかりまして、私もそれに刺激を受けて、オーディオを再開しようと考えているところです。」

「そういえば、あなたのコラムに『大作曲家とは』というのがあったわね。この部屋でバッハ・モーツァルト・ベートーヴェンを聴いてみたいわ。」

「いずれ、部屋が整備できたら、ご招待します。」  (2013/1)

 


近況報告・1

2013-01-05 07:20:00 | 身辺雑録

 

「あけましておめでとうございます。」

「おめでとうございます。今年もどうぞよろしく。」

「はい、これ。ノンアルコールビール。あなた、最近太っているから。」

「ビールもノンアルコールビールもいただきます。でも、ノンアルコールはノンカロリーなのかな?」

「ほら、エネルギーは11kcalでしょ。ビールは、42kcalもあるのよ。」

「はいはい、せいぜい、ノンアルコールビールを飲むことにしましょう。」

 

「今日は晴れて、空がきれいね。」

「遠くの、左右の丘が切れたところに、海が見えるでしょ。あれが金沢八景。」

「ほんとだ。海が上・下二段になって見えるわね。」

「なぜ、二段になって見えるか不思議なのですが。」

「左側に観覧車が見えるわね。あれが、『八景島シーパラダイス』ね。」

「そう、夏の週末には、あそこで花火が上がる。規模が小さく、高さも低いので、あまり迫力を感じないがね。」

「でも、素晴らしいじゃない。」

 

「あなた、以前、金沢八景に住みたいといっていたわね。」

「はい、真剣に物件を探しました。でも、なかなか、これはという物件が見つからなくて。そのうちに、東日本大震災が起こりました。」

「金沢八景は海辺に近いから、津波が心配ね。」

「役所に行って、『津波からの避難に関するガイドライン』というのをもらって来ました。それによると、『慶長型地震』を想定した『予測される最大津波高』が4.0mとなっています。金沢八景近辺でも、1m-2mの津波は覚悟しないといけないらしい。」

「それは、考え込まざるをえないわね。」

「最近、売りに出ている中古マンションのほとんどは1階か2階なのさ。」

 

「なるほど。それだったら、ここは高台で、津波の心配もないし、遠くに金沢八景も見えるし、ここに落ち着いたら。」

「私もそういう考えになってきました。」  (2013/1)


目の「霞み」について・2

2012-03-19 07:23:05 | 身辺雑録

 

医師から眼鏡合わせの処方箋を出してもらい、眼鏡を調達した。

現在の眼鏡に比べ、左目の乱視の度合いが少ないという。遠視用と近視用の眼鏡をかけてみると、目の「霞み」は吹き飛んでいる。どうやら、これまでは、乱視の度の合わない眼鏡で目の「霞み」に苦しんでいただけのようだ。

 また、眼鏡の表面にすり傷がたくさんできていたのも、あるいは、目の「霞み」の原因の一つになっていたかもしれない。

 そんなこんなで、思わぬかたちで視力を回復することができた。

これまで控えていた本も読める。早速、バルガス・リョサ『緑の家』(岩波文庫)、村上春樹『1Q84 Book 3』(新潮社)をバリバリと読破した。

結局、新しい眼鏡の調達に要した費用は、白内障の心配を払拭するための「安心料」とみなすことにした。まるで、「人間ドック」の「安心料」と瓜二つだ。 (2012/3)


目の「霞み」について・1

2012-03-01 07:25:29 | 身辺雑録

 

1年前から目が霞むようになった。とくに左眼がよく霞む。細かい活字を追うと疲れる。読書家の私にとっては深刻な問題だ。しかし、事が深刻であるだけに、まともにその事実を受け入れられない。できたら、その事実をやり過ごしておきたい。

 

そんなこんなで1年経過したが、眼医者の門を叩くことにした。

 

一通りの検査が終わり、医師の所見を聞いた。

「白内障はあまり進んでいません。視力も、今の眼鏡では0.5 ですが、1.2 までは見えるようになります。」

「では、目が霞む原因は何でしょう?」

「今の眼鏡が微妙に合わなくなっているためかもしれません。」

 

納得のいく所見とはいえなかったが、白内障の心配が払拭されて安心し、眼鏡を作り直すことにした。 (2012/3

 


歩く

2012-02-28 07:22:15 | 身辺雑録

 

「ドクター」から「穏やかな警告」を受けて久しい。「タバコは止めなさい。」「酒を減らしなさい。」「散歩をするといいでしょう。」の3つの忠告のうち、タバコと酒は忠告を受け入れているが、散歩だけはなかなか習慣とはならない。今回の人間ドックで引っかかったのが「体重増加」だった。

 

何とか、歩くことを習慣にしなければ、という思いが強くなった。

私の住むところは新興住宅地で、付近には公園が数多くある。それらを経巡るコースを散歩することにした。

 

しかし、寒い季節は出不精になる。

初日は、家を出て30分で家に帰りついてしまった。未知の道をかなり歩いたつもりだが、いつの間にかなじみの道に出会い、そのまま帰宅の途についた。

 

冬の朝8時台だが、途中同じように散歩する人に多く出会った。犬の散歩のお付き合いの人もいる。30分を徐々に延長して1時間の散歩が習慣になるように早くしたいものだ。  (2012/2

 


夏の夜の暴れ者

2011-07-19 07:28:39 | 身辺雑録

 

新しい部屋に越して、別の新しい発見もある。それを記してみよう。

 

ベランダから見える、同じ団地の別の棟々の間に拡がる50m ほどの空間。そこは、高速道路の支線の通り道でもある。週末の夜になると、そこを、マフラーを思い切り噴かせた車やバイクが通っていく音を発見した。まことに、世の中にはストレスを溜めた人間が多いものだ。

 

ある終末の夜のこと。隣家から時ならぬ大音声が聞こえてきた。ご主人が何かわめいている。「オレが、こんなに働いているのがわからないのか?」というようなことを叫んでいるのだが、その叫び方はブルーカラーの「ため口」そのものだ。

 

やがて、ガラスや陶器の壊れる音が聞こえてきた。

さらに続いて、奥さんと娘さんの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。「言っていいことと悪いことがある」というような声も聞こえた。

 

ただならぬ気配に、一瞬考えた末、110番通報した。奥さんと娘さんの身に危害が及ぶことを心配した。

 

やがて、警察から電話があった。

「これから事情を聴きに夫婦喧嘩の家に赴きます。そちらの事情も伺ったほうがいいですか?」

「奥さんと娘さんの身に危害が及ぶことが心配です。私に危害が及ぶことは考えられません。」

「わかりました。それでは、夫婦喧嘩の家の事情聴取に止めます。」

 

事情聴取がどのように進んだか知らない。また、その後、夫婦喧嘩が再発した気配はない。

蒸し暑い真夏の夜の出来事だったのだろうか。ここにもストレスをもてあます人たちがいる。

 

アメリカ南部の作家にカースン・マッカラーズという女史がいる。『心は孤独な狩人』『悲しきカフェのうた』『結婚式のメンバー』などの作品で知られる。上記のドリフト族と夫婦喧嘩から、マッカラーズを想起した。いずれも、暑熱が背景にあって、自分の居場所を見つけられない女と男を扱っている。溜めたストレスを発散させる方法が、マッカラーズの登場人物とドリフト族と夫婦喧嘩する夫婦とには共通するものがある。いずれも、「暑さ」のせい、だという点だ。 (2011/7

 


「晴釣雨読」の理想を求めて・2

2011-07-17 05:31:16 | 身辺雑録

 

新しい部屋に越して、新しい発見もある。それを記してみよう。

 

ベランダに出てみると、同じ団地の別の棟々が右と左にそびえており、その間が50m ほど開いている。それがあたかも額縁に切り取った景観のように見える。額縁の中の遠くを見晴るかすと、小高い緑の丘が右と左に相似形であり、その間に、何と、海面らしきものが見えるではないか。このところ、晴れた日々が続いているので、海面は深緑色している。まだ確認していないが、金沢八景あたりの海に違いない。憧れの金沢八景に住まうことは失敗したが、その海を遠くに望む場所に引越しできたのは幸いだといわねばなるまい。

 

海面の上(つまり奥)には車の走る道路が見え、その上(つまり奥)には再び銀色の海面が見え、さらにその上(つまり奥)には陸地がみえる。まるで、段々畑のような景観だ。海面に段差があるはずがないので、これは目の錯覚だろうか? この遠景は、額縁の中の額縁に収まったようにみえる。

 

ベランダのサッシを開け、反対側の廊下側の窓を開けると、風が吹き渡る。エアコンなしでも過ごせるほどだ。10階なので、人目を気にする必要もない。ただ、風のない日は、やはり、たまらなく暑い。

 

開け放った廊下側の窓から、鶯の鳴く声が聞こえてくる。これが毎日の日課になった。「ホーホケキョ」というより「フーフヘホ」と聞こえる。裏に幅150m ほどの木群れがあり、そこに巣くっているのだろう。100m 離れた隣りの旧居ではまったく経験したことのない鶯鳴だ。これには心底驚いた。鶯は春のものと思われがちだが、夏でも鳴く。

 

鳴くのはオスで、求愛のためで、夏にも鳴くオスはそれまでの求愛に失敗したためだと、地井武男がテレビで話していたが、本当だろうか? すると、私の聴く鶯は「ストーカー」ではないのか? (2011/7

 

 


「晴釣雨読」の理想を求めて・1

2011-07-15 06:31:41 | 身辺雑録

 

5月に引越しをした。同じ団地の隣りの棟へのささやかな引越しだ。

第三の人生の新しいステージを迎えるにあたり、それにふさわしい環境を整えたいという思いから決断した。

 

昨年秋に金沢八景に住まおうかと思案し始めた。しかし、金沢八景には適当な物件が見当たらず、環境を変える試みは頓挫した。それで、これまでより少しましな環境を確保したいと思い、同じ団地の隣りの棟へ越すことにしたわけだ。

 

新しい部屋はこれまでより若干広い。それを生かして、まず目標にしたのが、「目の前の蔵書の削減」だ。新しい部屋には小さなサ-ビス・ルームがある。賃貸借の世界では、おそらく4.5畳以下の部屋は寝室として表示しないで、サ-ビス・ルームと表示することになっているらしい。わが家は、2LDK+S で、3.5 畳のS (サ-ビス・ルーム)がついている。この部屋を「書庫」に充てることにした。

 

小さなサ-ビス・ルームといっても、本を収容する能力は十分ある。ここに、本棚6本を収容した。中央の空きスペースに段ボール箱入りの本も積み、「書庫」が完成した。長い人生で書庫を設けたのは初めてのことだ。

 

書庫以外の部屋に残った本棚は4本。もっぱら、美術・音楽・演劇・映画・芸能・詩とメルヒェン・将棋という趣味の本だけを並べ、さらに、これから是非読みたい本も揃えた。「晴釣雨読」の理想を追い求める環境準備の第一歩を歩み始めた。

 

ひるがえって、書庫に入った本の運命はというと、そう、お客様に求められるのを待つことになる。「BIBLOSの本棚」に注文が入った本は、いそいそと書庫から飛び立つ。また、最近は、リアル古書店に出品することが多いので、書庫から出ていく本たちは多い。

 

残った本たちは書庫で逼塞することになる。それで、この書庫を「座敷牢」と名付けることとした。ながい間、寄り添ってくれた本たちには申し訳ないが、今や、状況は変わったのだ。本当に身近に置きたい本たちとそうでもない本たちとを区分けする必要が出てきたのだ。 「座敷牢」にいる本たちは、早く、お客様を見つけ、お客様の元に旅立ってほしい、と願うばかりだ。 (2011/7)  

 

 


便利(?)なのか

2011-01-24 07:33:47 | 身辺雑録

長い間、下痢に困っていた。といって、医者にかかるほどではなく、ただ毎日の軟便に閉口していただけだ。牛乳やヨーグルトを飲めば、途端に便意を催す。また、朝食後には決まって便意を催す。長い間、その原因はわからないままだった。

人間ドックを受診することが決まり、その一週間前から、酒を絶つことにした。すると、便に変化が現われるようになった。下痢が少なくなり、便が固まってきたのだ。日を追って、便が固くなっていくのが手に取るようにわかった。

何ということだ。下痢の原因は飲酒だったのだ。
その後も節酒を続け、便はますます固くなっていった。ついに、適度の固さを通り越して、お通じに困難を感じるまでになってしまった。

それで、胃腸科のクリニックの門を叩いた。医者から、便をうながす薬と便を柔らかくする薬を処方してもらって、今それらの服用を続けている。
しかし、便の固さを適度に保つのは難しい。下痢でもなく、便秘でもない状態を維持するのは、意外に骨が折れることだ。  (2011/1)