19世紀末に北ドイツ・ブレーメン近郊のヴォルプスヴェーデ村に集まった芸術家集団があり、その中に、フリッツ・マッケンゼン、オットー・モーダーゾーン、ハインリッヒ・フォーゲラー、パウラ・モーダーゾーン・ベッカー、クララ・ヴェストホフなどがおり、詩人ライナー・マリア・リルケがこの集団を援助し世に喧伝するのに貢献した、ということを、種村季弘『ヴォルプスヴェーデふたたび』、1980、筑摩書房、を引きながら、「パウラ・モーダーゾーン・ベッカー」と題するコラムで述べた。
http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20081023
今回は、このヴォルプスヴェーデ村に集まった芸術家集団のうち、ハインリッヒ・フォーゲラーに焦点をあてて紹介してみたい。
ハインリッヒ・フォーゲラー(1872-1942)は、ブレーメンで商人の子として生まれ、デュッセルドルフ美術学校で学んだ。1895年には、23歳の若さでヴォルプスヴェーデに移住している。
フォーゲラーは多才で、エッチング、装飾、工芸、団地設計など、活躍の場を拡げていった。
もちろん、油彩にも長けていて、白樺の林を背景にして女性のたたずむ姿を描いた「春」、1897年、や、バルケンホフの玄関前の中庭にヴォルプスヴェーデ村の芸術家集団の面々を配した「夏の夕べ」、1905年、などの傑作を残している。
特に、「夏の夕べ」は、芸術家集団のつかの間の団欒を写しとっていて、身につまされる。以後、芸術家集団は散り散りになるのだが、その運命の予兆があるのだろうか、ないのだろうか。芸術家集団は個性の強い人たちの集まりだから、いずれ、個々が独立するのは避けがたい。
フォーゲラーの場合は、その芸術上の主張とともに、社会改革への激しい姿勢が、自己の立場を一層困難にした。以後、彼は、ヴォルプスヴェーデを離れるだけでなく、ソ連の社会主義建設に自らを賭ける。社会主義建設と民衆の姿を重ね合わせた多くのプロパガンダ絵画はフォーゲラーの理想を実現しているはずであった。
ところが、社会主義建設に貢献すれどもすれども、ソ連から疎外されることになる。理想に裏切られることを身をもって感じても、なおも理想を信じる彼の心境は痛々しい限りだ。
晩年には、ソ連政府からの年金の支給を絶たれ、生活物資に困窮し、物乞いに歩き、栄養失調にかかり、北カフカズのコルホーズで亡くなった。
芸術の理想とは何か、芸術が社会に貢献する道は、と愚直に突き進むフォーゲラーには、ソ連とその社会主義は余りにも冷たく写ったのではなかろうか。
2000年に大規模な「ハインリッヒ・フォーゲラー展」が東京駅ステーション・ギャラリーで開かれた。私はそこでかれの生涯と芸術のすさまじい相克を見て、息を詰めたものである。
参考文献:
ジークフリート・ブレスラー『ハインリッヒ・フォーゲラー伝』、2007年、土曜美術社出版販売
『ハインリッヒ・フォーゲラー展』、2000年(*)
(2007/9)
http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20081023
今回は、このヴォルプスヴェーデ村に集まった芸術家集団のうち、ハインリッヒ・フォーゲラーに焦点をあてて紹介してみたい。
ハインリッヒ・フォーゲラー(1872-1942)は、ブレーメンで商人の子として生まれ、デュッセルドルフ美術学校で学んだ。1895年には、23歳の若さでヴォルプスヴェーデに移住している。
フォーゲラーは多才で、エッチング、装飾、工芸、団地設計など、活躍の場を拡げていった。
もちろん、油彩にも長けていて、白樺の林を背景にして女性のたたずむ姿を描いた「春」、1897年、や、バルケンホフの玄関前の中庭にヴォルプスヴェーデ村の芸術家集団の面々を配した「夏の夕べ」、1905年、などの傑作を残している。
特に、「夏の夕べ」は、芸術家集団のつかの間の団欒を写しとっていて、身につまされる。以後、芸術家集団は散り散りになるのだが、その運命の予兆があるのだろうか、ないのだろうか。芸術家集団は個性の強い人たちの集まりだから、いずれ、個々が独立するのは避けがたい。
フォーゲラーの場合は、その芸術上の主張とともに、社会改革への激しい姿勢が、自己の立場を一層困難にした。以後、彼は、ヴォルプスヴェーデを離れるだけでなく、ソ連の社会主義建設に自らを賭ける。社会主義建設と民衆の姿を重ね合わせた多くのプロパガンダ絵画はフォーゲラーの理想を実現しているはずであった。
ところが、社会主義建設に貢献すれどもすれども、ソ連から疎外されることになる。理想に裏切られることを身をもって感じても、なおも理想を信じる彼の心境は痛々しい限りだ。
晩年には、ソ連政府からの年金の支給を絶たれ、生活物資に困窮し、物乞いに歩き、栄養失調にかかり、北カフカズのコルホーズで亡くなった。
芸術の理想とは何か、芸術が社会に貢献する道は、と愚直に突き進むフォーゲラーには、ソ連とその社会主義は余りにも冷たく写ったのではなかろうか。
2000年に大規模な「ハインリッヒ・フォーゲラー展」が東京駅ステーション・ギャラリーで開かれた。私はそこでかれの生涯と芸術のすさまじい相克を見て、息を詰めたものである。
参考文献:
ジークフリート・ブレスラー『ハインリッヒ・フォーゲラー伝』、2007年、土曜美術社出版販売
『ハインリッヒ・フォーゲラー展』、2000年(*)
(2007/9)