「平家物語」の有名な書き出しは次の通りだ。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(角川文庫版)
まことに格調の高い文章だ。人の定め、家の盛衰、国の運命などを見据える眼はどこから生まれたのだろうと思う。今でいえば、成り上がりの企業経営者を諌める文章にも読める。
盛者必衰の例えとして、沙羅双樹の花の色を充てているのが面白い。
沙羅双樹とは? 早速インターネットで調べてみた。
[A]京都を案内するサイト
[B]植物園のサイト
[C]四季の花を紹介するサイト
[D]お坊さんのサイト
花の写真を載せているのが[A]のサイトだ。大きな白い五弁のはなびらの中に黄色い花芯が座っている。
様々な葉の写真を載せているのが[B]と[C]のサイトだ。葉に取りたてた特徴はない。
[C]のサイトでは、ほかに重要な情報が載っている。
まず、原産地がインドであること。[B]のサイトにも同じ記載がある。
釈迦が入滅した際に、この木が枯れて、それで聖木として崇められるようになったこと。[D]のサイトにも同様の記述がある。
二葉柿(フタバガキ)科で、学名は Shorea robusta。
ここまでは、すんなり進んだが、[C]のサイトの次の記述に立ち止まった。「日本では夏椿=なつつばき=のことを沙羅双樹として扱われることが多いが、ほんとうは正しくありません。」と書いてある。
それで、夏椿のページを見ると、[A]のサイトで見た花と同じものが「夏椿」の花として紹介されており、さらに、夏椿は椿(ツバキ)科に属すると書いてある。(なお、[A]のサイトでは、沙羅双樹の学名を「夏椿」としている。)
つまり、釈迦伝説に彩られている沙羅双樹はわが国ではなかなか見られず、それに似た花として夏椿の花を充てたというのが、わが国の先人の知恵だったようなのだ。
結論として、沙羅双樹とはっきり断定できる花は[A]~[D]のサイトを通して見つけられなかった。(2007/6)
近くの道端のお宅の庭に「沙羅双樹」、いや、これまでの学習によると、「夏椿」、の木が一本植わっている。
木の高さは5メートル、冬に落葉した葉が再び茂り、最近、花を咲かせるようになった。最初の開花は6月2日、一輪だけだった。その後、次々に開花して、先に開花したものは次々に落下してしまった。
この写真は6月11日に撮影した夏椿の花だ。
五弁の花びらは開ききると、直径6㎝ぐらいだ。中央の花芯は何とも優美な姿だ。
この写真には写っていないが、開く前の花びらもまた大層優雅で、直径3-4㎝の白い和菓子のような雰囲気をたたえている。
この花(夏椿)を「沙羅双樹」に擬した(平家物語以来の)古来の人たちの心がわからなくもない。
(といって、いまだ「沙羅双樹」の花は、実物も写真も、見ていないのだが。)
「沙羅双樹」の花は一晩で散ってしまう。それが、「はかなさ」の象徴としてもてはやされてきた。平家物語で「盛者必衰」と例えられた所以だ。
一方、夏椿の花は一晩で散ることはないが、その散り方は、(ツバキ科の花らしく)花芯ごと、どさっと散る。その様は「豪快なはかなさ」というところか。
「沙羅双樹」の名が「夏椿」の名以上に人口に膾炙してきたのは、釈迦伝説・平家伝説の力が与っていることは間違いない。また、口に滑らか(サラソウジュ)なのも得をしている。 (2007/6)
丸山勇「カラー版 ブッダの旅」、2007年、岩波新書、の中に、釈迦涅槃の地・クシーナガルの沙羅双樹の木の写真が載っている。サーラ樹が二本で沙羅双樹といわれているのだそうだ。高さ15メートルくらいの木で、幹はかなり細い。花はつけていないので、どんな花かは判らない。 (2007/6)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(角川文庫版)
まことに格調の高い文章だ。人の定め、家の盛衰、国の運命などを見据える眼はどこから生まれたのだろうと思う。今でいえば、成り上がりの企業経営者を諌める文章にも読める。
盛者必衰の例えとして、沙羅双樹の花の色を充てているのが面白い。
沙羅双樹とは? 早速インターネットで調べてみた。
[A]京都を案内するサイト
[B]植物園のサイト
[C]四季の花を紹介するサイト
[D]お坊さんのサイト
花の写真を載せているのが[A]のサイトだ。大きな白い五弁のはなびらの中に黄色い花芯が座っている。
様々な葉の写真を載せているのが[B]と[C]のサイトだ。葉に取りたてた特徴はない。
[C]のサイトでは、ほかに重要な情報が載っている。
まず、原産地がインドであること。[B]のサイトにも同じ記載がある。
釈迦が入滅した際に、この木が枯れて、それで聖木として崇められるようになったこと。[D]のサイトにも同様の記述がある。
二葉柿(フタバガキ)科で、学名は Shorea robusta。
ここまでは、すんなり進んだが、[C]のサイトの次の記述に立ち止まった。「日本では夏椿=なつつばき=のことを沙羅双樹として扱われることが多いが、ほんとうは正しくありません。」と書いてある。
それで、夏椿のページを見ると、[A]のサイトで見た花と同じものが「夏椿」の花として紹介されており、さらに、夏椿は椿(ツバキ)科に属すると書いてある。(なお、[A]のサイトでは、沙羅双樹の学名を「夏椿」としている。)
つまり、釈迦伝説に彩られている沙羅双樹はわが国ではなかなか見られず、それに似た花として夏椿の花を充てたというのが、わが国の先人の知恵だったようなのだ。
結論として、沙羅双樹とはっきり断定できる花は[A]~[D]のサイトを通して見つけられなかった。(2007/6)
近くの道端のお宅の庭に「沙羅双樹」、いや、これまでの学習によると、「夏椿」、の木が一本植わっている。
木の高さは5メートル、冬に落葉した葉が再び茂り、最近、花を咲かせるようになった。最初の開花は6月2日、一輪だけだった。その後、次々に開花して、先に開花したものは次々に落下してしまった。
この写真は6月11日に撮影した夏椿の花だ。
五弁の花びらは開ききると、直径6㎝ぐらいだ。中央の花芯は何とも優美な姿だ。
この写真には写っていないが、開く前の花びらもまた大層優雅で、直径3-4㎝の白い和菓子のような雰囲気をたたえている。
この花(夏椿)を「沙羅双樹」に擬した(平家物語以来の)古来の人たちの心がわからなくもない。
(といって、いまだ「沙羅双樹」の花は、実物も写真も、見ていないのだが。)
「沙羅双樹」の花は一晩で散ってしまう。それが、「はかなさ」の象徴としてもてはやされてきた。平家物語で「盛者必衰」と例えられた所以だ。
一方、夏椿の花は一晩で散ることはないが、その散り方は、(ツバキ科の花らしく)花芯ごと、どさっと散る。その様は「豪快なはかなさ」というところか。
「沙羅双樹」の名が「夏椿」の名以上に人口に膾炙してきたのは、釈迦伝説・平家伝説の力が与っていることは間違いない。また、口に滑らか(サラソウジュ)なのも得をしている。 (2007/6)
丸山勇「カラー版 ブッダの旅」、2007年、岩波新書、の中に、釈迦涅槃の地・クシーナガルの沙羅双樹の木の写真が載っている。サーラ樹が二本で沙羅双樹といわれているのだそうだ。高さ15メートルくらいの木で、幹はかなり細い。花はつけていないので、どんな花かは判らない。 (2007/6)