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歴史文化を読み解く

バイロイト詣で(21-22) ワーグナーの素晴らしさ

2013-04-19 07:18:22 | 音楽の慰め

 

21)がんじがらめのオペラ

 

オペラほど様々な約束に縛られた芸術はない。

 

1 複雑な台本は受け入れられない。単純な台本は荒唐無稽になりやすい。これは、オペラにまつわる根本的矛盾だ。(ワーグナーは、題材を神話や伝説の時代に求め、台本の荒唐無稽さを和らげる工夫をした。)

 

2 登場人物は絶えず歌っていなければならない。レチタティーヴォ(歌い語り)の方法もあるが、オペラ全般に適用することはできない。(ワーグナーはこの制約を正面から受け止め、レチタティーヴォに逃げることはしていない。)

 

3 登場人物は、歌っている間、観客に向かって正面を向いていなくてはならない。これは、舞台芸術に共通する制約だ。(ワーグナーの楽劇では、主役の役割を極限にまでは大きくして、堂々と正面を向いて歌っていても違和感を持たせないようにしている。)

 

4 登場人物が歌っている間、ほかの登場人物は手持ち無沙汰になりがちだ。(ワーグナーはこの点は意に介しない。)

 

5 歌手とオーケストラが最小限必要。ほかに、合唱やバレエがつくと、公演が大掛かりになり、公演費用がかさむ。これは致命的で、オペラは大衆芸術とはなりえない。(ワーグナーは合唱やバレエの入らない楽劇を創造した。公演費用は、ルートヴィヒ二世をパトロンに仰ぐことで解決した。) 

 

22)楽劇の構造

 

ワーグナーはオペラに絡みつく様々な拘束を逆手にとって、自身の「楽劇」を創造した。その概略をスケッチしてみよう。

 

主題と背景。

ワーグナーの「楽劇」のほとんどは中世の神話と伝説から主題をとっている。ワーグナーの思惑の第一は、いわゆる「ドイツ民族の優秀性」を謳うのに、中世の神話と伝説の舞台が格好の場だ、ということにあった。確かに、『タンホイザー』『ローエングリン』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の台本には、直接、「ドイツ民族の優秀性」を謳う個所が見受けられる。

 

だが、他にも、ワーグナーの「楽劇」が中世の神話と伝説の舞台を選んだ理由がある。それは、神話と伝説の舞台では、「楽劇」の筋が、いくぶん、いや、かなり、荒唐無稽であっても、観客に違和感を抱かせない、ということを、ワーグナーは知り尽くしていたのだ。つまり、オペラ(「楽劇」)と神話と伝説の舞台との相性の良さをワーグナーは生かしきった。そういえると思う。

 

歌。

ワーグナーの「楽劇」では、合唱やバレエの場面が少ない。もちろん、『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』では素晴らしい合唱が聞かれるが、それでも、ほかのオペラ作家の作品に比べ、合唱に頼ることは少ない。つまり、合唱のもたらす高揚感を敢えて放棄している、ともいえる。

 

また、『ローエングリン』の上演にあたって、パリの観客から、「必ずバレエを入れるように」と要望されたにもかかわらず、ワーグナーはそれを拒否した。これも、バレエによって舞台を盛り上げることを潔しとしなかった表われだ。

 

代わりにワーグナーはどうしたか?

ソリストの嫋嫋たるアリアをこれでもかというほどに、長く、徹底的に、採用した。その最高の例が、『トリスタンとイゾルデ』の二人(トリスタンとイゾルデ)が代わる代わる歌う長大なアリアであり、二重唱である。ここでは、観客の注視を二人に集めることに、ワーグナーは傾注している。

 

以上を要約すると、ワーグナーの「楽劇」は、時代設定の荒唐無稽さは意に介せず、合唱やバレエによって舞台を盛り上げるのを排し、ソリストの詠唱に集中することで、観客の意識もそこに集まるように仕立ててある、といえる。そこには、ワーグナーの「哲学」さえ窺われるのだ。この点は次回述べたいと思う。  (2011/9)

 

 



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