静聴雨読

歴史文化を読み解く

左手で輪をつくった・6

2010-03-08 07:09:06 | Weblog
Mortal という英語がある。Man is mortal. といえば、「人は死すべきもの。」という意味で、人は死ぬように定められていることを表わしている。このことを改めて思い知る今回のできごとだった。

3年と5ヶ月。
この二つの数字が、今、私にのしかかる。

兄と私の歳の差が3年。つまり、3年後の私に、今回兄に起こったことと同様な事態が起こっても、何ら不思議ではないという事実を突きつけられているわけだ。その間に是非やっておきたいことを洗い出して、実行する。それが求められている。

そして、5ヶ月。死を覚悟して過ごす終末期の過ごし方が、この間、問われることになる。
兄のように、従容として死を受け入れることは到底できそうにない。では、どうすればいいのか。容易に答えは出ない。

最近、マージャンを習い始めた。団地の同好会で、初心者に手ほどきをしてくれるという。
兄の無聊を慰めるために、一緒にマージャンを打てたら、という目論見だったが、私がマージャンを覚えるよりも早く、兄は逝ってしまった。文字通り、あっという間のことだった。  (終わる。2010/3)

左手で輪をつくった・5

2010-03-06 07:00:27 | Weblog
兄の亡くなる前日、退出しようとして、「帰っていいか?」と兄に聞いた時に、兄が左手の親指と人差し指で「○」を作ったのは、「OK」のサインだった。

このサインには他にもいろいろ含意があるのでは、と思い、次のようなことに思い至った。

まず、「○」は「輪」を表わすとともに、「和」をも表わしているのではないか? 残される家族が仲良くしてほしい、という兄の願いが「○」に乗り移っているのではないか?

次に、指で「○」を作る仏像があったのではないか?

望月信成・佐和隆研・梅原 猛『仏像 心とかたち』(昭和40年、NHKブックス)を参照すると、浄土教の阿弥陀如来像が指で「○」を作っている、とある。親指と人差し指で作る輪を「上品(じょうぼん)」、親指と中指で作る輪を「中品(ちゅうぼん)」、親指と薬指で作る輪を「下品(げぼん)」というそうだ。すると、兄は「上品」を自ら作って見せたのではなかろうか?

兄は、1940年(昭和15年)から1948年(昭和23年)まで、愛知県葉栗郡(現・一宮市)で過ごしたが、その間、浄土真宗の読経を日課にしていた、ということを聞いたことがある。阿弥陀如来のまねをしても不思議ではない。
    
兄が左手の親指と人差し指で作った「○」は様々な連想を誘い、今後、忘れられそうにない。 (2010/3)

左手で輪をつくった・4

2010-03-04 08:37:39 | Weblog
兄の生活は極めてシンプルだった。文明の利器に頼らない。

薄型テレビは持たない、ケイタイは持たない、PCも持たない、インターネットもやらない。
電気クリーナーも使わない。代わりに、どこでも水拭きする。

テーブル・クロスが嫌い、じゅうたんやフロア・マットが嫌い、スリッパを履かない。

ある時、介護のため訪れていた母の自宅のフロア・マットを取り外してしまったことがある。「母の自宅では母の流儀を尊重すべきだ。」と兄を諌めたことがある。

クレジット・カードを作らない。銀行のキャッシュ・カードを作らない。さすがに、「たんす預金」ではなかったようだけれど。



若いころの兄は、酒を飲む、煙草を吸う、ゴルフに興じる、囲碁を打つ、マージャンを打つ、競馬をやる、パチンコをやる、というサラリーマンの誰もが手に染めることに手を染めていた。私は、競馬とパチンコを兄から手ほどきを受けた。

歳をとるに従って、ゴルフを止め、パチンコをやめ、という風に、生活をシンプルにしていった。最近では、競馬も止めていたかもしれない。 (2010/3)

左手で輪をつくった・3

2010-03-02 06:14:00 | Weblog
兄は、病院における検査や手術を信用していなかった。検査や手術は医師のモルモットになるだけだ、という信念からだった。20歳代に胃かいようで入院した際も、薬だけで治したという。

人間ドックは受けていたようだが、がんの兆候を見つけられなかったのが不運だった。「検査嫌い」・「手術嫌い」ががんの発見を遅らせたとしても、それをもって兄の信念を責めることはできない。 (2010/3)