静聴雨読

歴史文化を読み解く

道州制論議・3(菅首相の野望)

2010-07-31 06:06:19 | 社会斜め読み
参議院議員選挙を挟んで道州制論議を続ける。

参議院議員選挙で道州制を最も強く訴えていたのが「みんなの党」だった。予想通り、「みんなの党」は10議席獲得の大躍進を遂げた。これで、民主党と「みんなの党」の「みんみん連立」かと思ったが、どうもそうは簡単にいかないらしい。それは、参議院議員選挙で民主党が負けすぎたために、参議院で民主党と「みんなの党」とを合わせても過半数に達しないかららしい。これでは、キャスティング・ボートを握りたい「みんなの党」にすれば、連立のうま味に乏しい。しばらく、連立協議は棚上げだろう。

民主党が参議院議員選挙で敗北した原因の一つが、菅直人総理大臣の「消費税増税」発言だとされている。いかにも唐突に見えたこの菅発言は、菅首相の長期政権を見据えた戦術だったという評判がもっぱらだ。菅首相は消費税率10%にまで踏み込んだが、これは自民党案に「抱きついて」、自民党を骨抜きにする策略だったという。この策略は、参議院議員選挙で失敗と出た。

一方、公務員制度改革についても、菅首相は及び腰だという。なぜだろう。市民運動出身の菅首相と公務員制度改革に熱心な「みんなの党」の渡辺喜美党首が組めば、官僚の牙城を崩せるのでは、と期待したのだが、菅首相の心変わりによって、その実現はおぼつかなくなっている。

菅首相は野心的な政治家といわれる。わが国では、「野心家」は嫌われるが、政治家は野心家であって当然だろう。だが、長期政権の野心のために、市民運動以来の信条まで曲げたとしたら、その野心の質を問われなければならない。 (2010/7)

自由が丘の将棋道場・3

2010-07-16 02:12:03 | 将棋二段、やりくり算段
自由が丘の「高柳道場」は、ほかの将棋道場とは雰囲気が違いました。猛烈な早指しをする客は少なかったし、煙草を吸う人もいなかったようです。客の身だしなみも良かったように記憶しています。そのような雰囲気が私を引き付けたのだと思いました。席主の高柳夫人の客あしらいもさわやかなものでした。

自由が丘の「高柳道場」には、当時プロになったばかりの田中寅彦四段(現九段)や大島映二四段(現七段)が詰めていました。

田中氏は、アマチュア相手に平手(ハンディキャップなし)で指してくれました。指し始めて40手か50手で、形勢がはっきりします。そこで対局を止めて、「感想戦」(対局を振り返って、どこがおかしかったか、そこでどう指せばよかったか、などを検討すること)に移行するのが、田中氏の指導方法でした。

このように懇切丁寧に指導してくれるプロ棋士はなかなかいないと思います。田中氏の指導のおかげで、「感想戦」の大切さを体得しました。

その後判ったのですが、「感想戦」に取り組む姿勢で、アマチュアの棋力をほぼ判定できるのです。

・「感想戦」を行うには、棋譜を再現する必要がありますが、棋譜を再現できれば、棋力は二段以上です。
・勝負のポイントを的確に指摘できれば、三段以上です。
・自分の指した手に感想が終始する人は初段以下です。
・感想戦に興味を示さない人は一級以下の級位者です。

「感想戦」は将棋の上達のために欠かせない手段です。特に、下位者は、感想戦で上位者の意見を聞くことが参考になります。

さて、自由が丘の「高柳道場」は今はありません。いつ閉鎖されたか、記憶に残っていません。そういえば、渋谷の「高柳道場」もなくなったようです。時代の変化は争いようがありません。 (終わる。2010/7)

自由が丘の将棋道場・2

2010-07-13 07:22:37 | 将棋二段、やりくり算段
私が、自由が丘の「高柳道場」に足を運ぶことになったきっかけは覚えていません。

ある日、道場の門をくぐると、思わぬ人に出会いました。私の「先輩」が将棋を指しておられたのです。「先輩」の将棋好きは知っていましたが、まさか道場で会うとは。

「先輩」と数局指しました。その結果、「先輩」の私の将棋への評は、「君の将棋は、序盤の構想がなかなかいいが、終盤になると、もたつくなあ。」というものでした。まさにその通りで、終盤にもたつく傾向は今になっても直っていません。

「先輩」は根っからの「将棋好き」で、その後も一貫して、将棋を楽しんでおられたようです。時々、お相手をすることがありましたが、近年では、「先輩」は仲間を募って、年に数回、「合宿」と称する将棋大会を開いていました。私もある時期その「合宿」に参加しましたが、対局中煙草を吸う人がいたり、へべれけになりながら将棋を指す人がいたりして、嫌気が差したため、この将棋大会への参加を取りやめました。  (2010/7)


自由が丘の将棋道場・1

2010-07-11 06:37:06 | 将棋二段、やりくり算段
東京・自由が丘は若者の支持を集める街で、おしゃれなブティック・エスニックの香り漂う小物店・気の利いたレストランなどが軒を連ねています。その街中に、将棋道場が一軒ありました。1970年代か80年代かのことですが、その当時から、ブティック・エスニックショップ・レストランなどと将棋道場が交じり合っていたのかどうかは記憶が定かでありません。いずれにしても、ハイカラな街では、将棋道場はひときわ異彩を放っていたことは間違いありません。

囲碁の仲間が集まるところを碁会所というのに対して、将棋の仲間が集まるところは一般に「将棋道場」と呼び習わしています。

さて、道場の名前は「高柳道場」。高柳敏夫八段(後に、名誉九段)の主宰する道場で、東京・渋谷にあった「高柳道場」が「本店」だとすれば、自由が丘の「高柳道場」は「支店」でした。高柳氏の奥様が席主を勤めておられました。

高柳氏は弟子を多く育てたことで有名です。その一番弟子は、中原 誠第十六世名人。ほかにも、高柳一門には数多くの俊秀が集まっていました。高柳氏は「将棋界の名伯楽」と呼ばれていました。  (2010/7)