静聴雨読

歴史文化を読み解く

ラーメン屋に行こう

2009-07-31 01:00:00 | 社会斜め読み
(1)荻窪に行く

東京・荻窪はラーメン屋がしのぎを削る街だ。最近訪れる機会があり、何軒かのラーメン屋で店自慢のラーメンを味わった。その報告をしよう。

[まず] 「春木屋」。
狭い店内は、昔ながらのラーメン屋らしく、薄汚い。カウンターの内側の厨房に二人、客席側に二人の体制。
ラーメン一杯800円。強気な値段だ。
かつおだしのスープは意外に濃厚。だが、舌先にツンとくるのは何だ? ひょっとしてだしを煮過ぎたのか?
具は厚さ1mm・4cm四方のチャーシュー1枚、メンマ、それにのり1枚。ねぎは嫌いなので、除いてもらった。

コスト・パフォーマンスが悪い。チャーシューメン1300円など論外だ。店の薄汚なさは、値段に反映して(つまり、安くして)こそ許されるのだが、ここではそれが期待できない。チャーシューを厚く・大きくしてほしい。

[次に] 「丸福食堂」。
同じく、狭い店内のカウンターの内側、二人だけで仕切っている。マスターとおかみさんは仲がいい。
ラーメン一杯630円。チャーシューメン930円。リーズナブルだ。
かつおだしのスープがなかなかいける。
具は厚さ1mm・5cm四方のチャーシュー2枚、メンマ。シンプルだ。
値段とチャーシューで「春木屋」に優っている。

[最後に] 「ちゃぶ屋」。
テレビなどに取り上げられている、新興勢力らしい。
店内はきれいで、薄暗い。
ラーメン一杯680円。チャーシューメンの値段は忘れた。
ラーメンを食べた。とんこつスープの甘い味になじめなかった。これは趣味の領域だが。
チャーシュー(1枚)が原型をとどめないほど、煮崩れていた。
黒いものが入っていて、わかめかと思ったら、焦がしねぎのようだ。

[総評] 3軒に共通するのは、麺の量が少ないことだ。160gくらいではないか。
ある店で食べ終わって、腹ごなしに1時間ほど散歩すれば、次の店でまたラーメンを味わえる、というわけだ。
また、麺はいずれも細麺。私の好みからはずれる。

具がシンプルなのはいいことだ。チャーシューとメンマ、それだけで十分だ。余談だが、のりはラーメンには邪道だ。スープにひたしたら、パリパリとしたのり特有の食感が失われてしまう。

平日の昼休み時で、「春木屋」の行列10人、「丸福食堂」の行列3人、「ちゃぶ屋」の行列なし。

[結論] 再び食べてみたいのは、「丸福食堂」。 (2008/6)

(2)有名店2軒

その1。

東京・池袋の「大勝軒」は足の不自由なおやじの営むラーメン屋で、各地に暖簾分けした姉妹店がある。東京・早稲田、横浜、相模原など。
店の売りは「つけ麺」で、その麺のボリューム(300gあるのではないだろうか)と、とんこつと魚介類をブレンドしたスープで人気がある。

姉妹店のひとつのある店で、「つけ麺」を注文した時のこと。私は長ねぎが苦手なので抜いてくれるよう頼んだ。そうしたら、煮卵をサービスとしてつけてくれた。なにやら申し訳ない気がした。煮卵は特に好物というわけではないが、その気持ちがうれしい。
以後は「煮卵も結構です」と断るようにしている。

その2。

東京・港区にある「二郎」はいつの間にか出店攻勢をかけていて、近々小岩店もオープンするという。朝11時前にもう待ち行列ができている。ちょうど、朝食を抜いていたので、並んでみることにした。

600円の「ぶた入りラーメン」を注文した。どんなものが出てくるか楽しみだ。さて、出てきたのは、大量の太・平麺、山盛りのキャベツともやし、分厚い(焼豚というより)煮豚がたくさん、ギトギトのとんこつスープだった。(長ねぎはなかった。また、にんにくは入れるかどうか聞いてくれる。)

若者に人気のあるのはこのボリュ-ムも与っているのだろうが、私は食べ切るのに難儀した。1年間はラーメンを食べる気がしないほどの圧迫感だ。
どんぶりの表側にもギトギトのスープが付着していて、手が汚れるのに難儀した。
難儀の二連発である。  (2006/10)



転形期の高校野球

2009-07-29 01:00:00 | スポーツあれこれ
(1)勝負にこだわる高校野球

今年の甲子園球場の高校野球が終わった。決勝戦が引き分け再試合となり、ファンの熱狂がいやが上にも高まった。まずは、早稲田実業におめでとうをいおう。

しかし、である。この熱狂を支えたものに思いをいたすことも必要であろう。
この大会は、ホームランが多く飛び出し、また、逆転による決着が多かったのが印象に残る。その背景は何か? ずばり、投手陣が弱体なのが露呈したことが背景だ。いや、弱体と言っては投手陣が可哀想だ。過酷な日程により、投手陣の磨耗が頂点に達して、打ち込まれるのだ。

準々決勝の帝京と知弁和歌山との試合で、リードされていた帝京は、打順にまわってきた投手にピンチヒッターを出し、逆転に成功した。しかし、その裏の守りで、後続の投手がストライクの取れないほどの荒れようで、3人投入した投手がことごとく失敗して、逆転されて負けた。聞くところによると、この3人の投手は公式戦でほとんど投げたことがない、とのこと。

また、早稲田実業の投手は準々決勝から、準決勝、決勝、決勝再試合と4試合すべてに登板して、すべて完投した。その鉄腕ぶりに、誰もが驚いた。でも、それでいいのだろうか?

一般に高校生の骨格はまだ固まらず、その時点で無理使いをすれば、後々に悪影響を与えかねない。これは、広く知られていることだ。しかし、目先の試合を一つ一つ勝ち抜いていくためには、無理を承知で特定の投手を使い続ける。現在の甲子園では、避けられない宿命かもしれない。

ここで考えてみよう。それほど、勝ち抜くことが重要か? 勝者を一つにすることが絶対に必要か? 

以下、甲子園大会の改善案を考えてみたい。
1.一試合における投手の投球数を90球に制限する。
2.50球以上投げた投手は、翌日の登板を禁止する。
3.延長戦を廃止する。勝者は抽選で決める。勝者を決める必要がない決勝戦は、二校優勝とする。
4.5回で10点差、6回で8点差、7回以降で6点差がついたら、コールド・ゲームとする。
5.試合続行が不可能と判断したチームは棄権を宣言できる。(今回の帝京の例でいえば、9回裏の守りで、最初のバッターに四球を出した時点で、帝京は棄権を宣言すればよかった。そうすれば、勇気ある撤退と賞賛されただろう。)

それでは面白みが減殺する、という意見もあろう。それでいいのだ。別の面白さを見出せばいい。
また、それでは、短時日の日程が組めないという意見もあるかもしれない。それは本末転倒で、上記の要請を満たすような日程を考えるなり、出場チームを減らすなりすればいいのだ。

コンビネーションの良い守備、意図のはっきりと伝わる攻撃、投手の交代作戦など、面白い要素が高校野球には数多くある。そういうところに注目する観戦法があってよい。
勝負へのこだわり過ぎに眼を向けるときが来ているという思いが強い。
高校野球への熱狂が、一部選手の酷使によって成り立っているのは、健全な姿とはいえない。  (2006/8)

(2)高校野球の新しい形

北京オリンピックの影に隠れて、「夏の甲子園」は目立たないが、連日熱戦が続いている(らしい)。今年は90回の記念大会だそうで、例年より多くの高校が甲子園に登場できることになり、お陰で、神奈川県から2校が参加できることになった。

北神奈川大会の決勝(東海大相模高校対慶応義塾高校)はまれに見る熱戦となった。序盤から双方点を取り合い、追いつ追われつの展開が続き、最終回6対4で東海大相模が逃げ切るかに見えたところ、慶応が粘って追いつき、延長戦にもつれ込んだ。

延長戦は双方チャンスがあるものの決定打が出ず、12回に慶応が決勝打を放って勝ち切った。
まことに、どちらが勝ってもおかしくない好ゲームだった。

この試合で注目されたのが、両チームの投手起用法だ。

東海大相模は、エース・ピッチャーがほとんどの試合を投げきり、この決勝戦も先発して11回まで投げた。12回に次の投手に交代したのだが、試合後の監督談話では、「12回を迎えるにあたって、エース・ピッチャーがダグ・アウトのベンチから立ち上がれなかった。それで、『やむなく』交代させた。」ということだった。図らずも、エース・ピッチャーに頼りきりの姿を露呈させた談話であった。

一方、慶応は、2枚の投手を擁して、継投で試合を乗り切る戦略で北神奈川大会を勝ち進み、決勝にも、同じ戦術で臨んだ。決勝では、延長戦は想定外であったろうが、2枚の投手の継投で乗り切って見事優勝した。

エース・ピッチャーに頼りきる戦略と2枚の投手の継投で乗り切る戦略との戦いは後者の勝利に終わった。

ここで、もし、東海大相模が北神奈川大会の決勝に勝ち上がって甲子園に出場したら、と考えるとぞっとする。あのエース・ピッチャーは慶応戦で190球投げたという。疲労の蓄積は極限に達していたであろう。その投手にまた甲子園で投げさせるのか?

結果として、慶応が北神奈川大会の決勝に勝ち上がって甲子園に出場することになり、本当にほっとした。
慶応の推し進めた「2枚の投手の継投で乗り切る戦略」は、これからの高校野球のあり方の基準というかモデルというかを示していると思う。
実際、「2枚の投手の継投で乗り切る戦略」の方が、チームの結束を高めるのに役立つだろうし、超一流を追わないという高校野球の精神にも合致しているように思うのだが。  (2008/8)



作曲家談義

2009-07-27 01:00:00 | 音楽の慰め

(1)三大作曲家に異変あり!

クラシック音楽の世界は、いわば、閉ざされて澱んだ世界です。18世紀-19世紀の作曲家の作品をその後の演奏家が手を変え品を変え演奏してみせることを繰り返しています。こういうと悪口に聞こえますが、必ずしもそうではなく、演奏の仕方で作品の表情がガラリと変わることは、例えば、グレン・グールドのバッハ演奏で経験したことです。作曲と演奏という二つの要素でクラシック音楽が成り立っていることに間違いありません。

クラシック音楽で大作曲家を三人挙げよ、といわれれば、誰しも、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンを挙げるでしょう。この並びは生まれの順です。このうち、誰が特に好き、という意見は様々にありますが、この三人の一人として「大」作曲家ではない、と主張する人はあまり見かけせん。その訳を私なりに解釈すると、次のようなところにあります。

バッハが人間の宗教的・倫理的側面を代表し、モーツァルトが人間の遊戯的・愉悦的側面を代表し、そして、ベートーヴェンが人間の意志的・構築的側面を代表するというように、三者相俟って人間の総体を作り出すということにわれわれが気づいているからです。一人だけに絞るというわけにはなかなかいきません。このうちで最強の作曲家は誰ですか? と聞かれても答えようがない、というのが大方の意見でしょう。

朝日新聞の2006年3月11日号「be on Saturday」に、「好きな作曲家は誰?」というアンケート結果が載っています。それによると、モーツァルト・ベートーヴェンは上位三人に入っていますが、バッハははずれています。5位です。代わってショパンが2位に入っています。「好き」だけの基準で人気投票をすれば、このような結果もありうるのでしょう。これが、「クラシック音楽の歴史上、最も偉大な作曲家は誰ですか?」と誘導訊問風なもったいぶった設問であれば、違う結果になるのではないでしょうか? そう、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンに。

いずれにしても、この「好き」のアンケートは、クラシック音楽の三大作曲家にも異変のきざしが生じていることを図らずも表しています。

さて、更にワクを拡げて、五大作曲家は? 七大作曲家は? 
興味ある設問ですが、この議論はまた次回にでも。    (2006年4月)

(2)大作曲家の条件

クラシック音楽で大作曲家を三人挙げよ、といわれれば、多くの人が、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンを挙げます。では、五大作曲家は? はたして、共通の見解はあるのでしょうか?

ここで、「大」作曲家の定義は何か、を考えてみたいと思います。
私の考えは単純で、多くのジャンルで良い作品を生み出した人と定義します。
クラシック音楽の楽曲は大きく括ると、(a)管弦楽曲(交響曲・協奏曲など)、(b)室内楽曲(弦楽四重奏曲・ヴァイオリン・ソナタなど)、(c)器楽曲(ピアノ・ソナタなど)、(d)声楽曲(歌曲・オペラ・カンタータなど)に分けられます。これら4つのジャンルのすべてで名曲を生み出していれば、「大」作曲家です。

バッハには、(a)ブランデンブルグ協奏曲、(b)フーガの技法、(c)無伴奏チェロ組曲、(d)教会カンタータ、があります。
モーツァルトには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)「フィガロの結婚」などのオペラ、があります。
ベートーヴェンには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)オペラ「フィデリオ」、があります。
この三人は軽く「大」作曲家の条件をクリアしています。

この三人に続く二人を挙げるならば、シューベルトとブラームスになりましょうか。
シューベルトには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)「美しき水車屋の乙女」などの歌曲、があります。
ブラームスには、(a)交響曲、(b)弦楽三重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)歌曲「美しきマゲローネのロマンス」、があります。
いずれも「大」作曲家の条件をクリアしているといえます。

しかし、以上5人を五大作曲家と呼ぶことには、三大作曲家の場合とは比べものにならないほどの異論が予想されます。ドヴォルザークだって、チャイコフスキーだって、立派に「大」作曲家の条件をクリアしているではないか? というわけです。

興味ある問題ですが、この議論はまた次回にでも。    (2006年5月)

(3)大作曲家の条件・続

ドヴォルザークやチャイコフスキーが「大」作曲家に当てはまるかについての議論の続きです。
ドヴォルザークには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)スラヴ舞曲集、(d)レクイエムがあります。
チャイコフスキーには、(a)交響曲、(b)ピアノ三重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)オペラ「エウゲニー・オネーギン」があります。
この二人も「大」作曲家の条件を十分クリアしているといえます。

しかし、少し引っかかることがあります。この二人は民族色が強く出ていないだろうか?
ドヴォルザークがアメリカに亡命した後に作曲した交響曲「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」には、聴くものが恥ずかしくなるほど、祖国ボヘミアへの望郷の思いが溢れています。
また、チャイコフスキーの作曲法はすみずみまでスラヴ魂で満ちています。交響曲「悲愴」やピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出のために」は、聴くものが締めつけられるほどの郷土愛が感じられます。それはそれで素晴らしいのですが、「普遍性」という観点からは、ややローカル色が強すぎるのではないでしょうか?

ここで、「大」作曲家になるのを妨げる減点要素として、民族性が強いことを挙げておきたいと思います。減点法は気が引けるので、作曲法の「普遍性」を「大」作曲家の条件として付け加えます。

ところで、私の選んだ五大作曲家(バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームス)は奇しくもみなドイツ・オーストリア系です。ところが、この5人からは、ゲルマンの民族色が強く伝わってこないのは不思議なことです。ワーグナーと比べると、その差がよくわかります。どのようにして彼らは普遍性を獲得したのか? いまだに解けない疑問です。

新潮文庫で、「カラー版作曲家の生涯」(*)という10巻のシリーズが出ていました。参考までに、そこで取り上げられた作曲家を列挙すると、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスに加えて、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・チャイコフスキー・マーラーという顔ぶれです。チャイコフスキーを除くと、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーの四人には共通の特徴があるように思います。それは・・・。  (2006年6月)

(4)専門店の魅力

ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーの四人に共通の特徴は・・・。それは、彼らそれぞれが、特定のジャンルで圧倒的な存在感を示していることです。ショパン:ピアノ曲、ワーグナー:オペラ、ブルックナー:交響曲、マーラー:交響曲、という具合です。そう、彼らは専門店なのでした。

バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスなどの「大」作曲家がいわば百貨店に例えられるのに対して、特定のジャンルで余人を寄せ付けぬ傑作を残したのが、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーなどの専門店的作曲家です。ほかにも、パガニーニ:ヴァイオリン曲、ヴェルディ:オペラ、プッチーニ:オペラ、ヴォルフ:歌曲、などが挙げられます。

専門店的作曲家の特徴は、熱狂的ファンの付いていることです。例えが適当かどうかわかりませんが、ヴェルディのオペラのファンはワーグナーのオペラを歯牙にもかけない、ということがしばしば言われます。ヴェルディのオペラがあればそれで十分で、ほかの作曲家・ほかの作品は目に入らないというわけです。

専門店的作曲家と百貨店的作曲家との優劣は論じられません。どちらも、それぞれの存在価値を持っています。  (2006年9月)

(5)私の好きな作曲家

ここで、私の好きな作曲家を披露しましょう。

バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスの五大作曲家はもちろん大好きで、敬意を表しています。それぞれについて、曲目を挙げると:

バッハ:無伴奏チェロ組曲(ピエール・フルニエの典雅な演奏)や教会カンタータ群など。
モーツァルト:部屋で聴くなら弦楽四重奏や弦楽五重奏、劇場で聴くなら「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」などのオペラ群。
ベートーヴェン:交響曲第4番・第3番。この組み合わせのコンサートなら、いつでもどこでも聴きたいと思います。
シューベルト:「美しき水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3大歌曲。
ブラームス:交響曲第3番・第1番。これも、この組み合わせのコンサートなら、いつでもどこでも聴きたいと思います。

いわゆる専門店的作曲家の中では、ワーグナーのオペラとマーラーの交響曲に強く共感する自分を発見します。

ワーグナーについては、時の帝室を政治的に利用しただとか、逆にナチスに政治的に利用されただとかで、毀誉褒貶の評価があります。それでも、例えば、オペラ「タンホイザー」序曲を聴けば、ゲルマン民族の深奥を見つめた感じになります。ワーグナーの音楽の真髄です。政治学者で音楽好きの丸山真男が、ワーグナーの政治的野心と音楽の深みとの間にさまよった経験を吐露していますが(「音楽の対話」、文春新書(*))、私も似た感情にとらわれます。ほかに、「ローエングリン」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」など。
今は、一度、バイロイト祝祭歌劇場に足を運ぶのが、念願となっています。まだ、実現していませんが。

マーラーの交響曲からは俗なものと高尚なものとの交感が響くのを感じます。民謡の旋律を取り入れているのと、交響曲にヴォーカルを取り込んでいるためだと思われます。「交響曲第1番」「子供の不思議な角笛」など。
マーラーの音楽にはユダヤ人の特徴がいやが上にも刻印されていますが、どこがどうと問われると答えるのが難しいところがあります。とりあえず、「亡命者の悲哀」と表現しておきましょうか。

ほかには、スメタナ・ドヴォルザーク・ヤナーチェックなどのチェコの作曲家、バルトーク・オルフなどの東欧の作曲家。いずれも、民族と民俗、の2面が際立つ人たちです。それぞれ曲目を挙げると:

スメタナ:交響詩「モルダウ」など。
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」やチェロ協奏曲など。
ヤナーチェック:「イェヌーファ」「死の家の記録」などのオペラ。
バルトーク:弦楽四重奏曲。
オルフ:「カルミナ・ブラーナ」。

人それぞれに、何らかの基準で好きな作曲家を選びます。その基準が何かを探求するのもまた楽しい営みです。  (2006年10月)


「政治的アパシー」と無党派・2

2009-07-25 01:00:00 | 社会斜め読み
「政治的アパシー」が現われる典型は、投票行動における「棄権」です。
「政治的アパシー」は、地方よりも都会地でより激しく観測される、といわれます。都会地の方が、例外なく、投票率が低いのです。
また、「政治的アパシー」は、若年層により顕著に見られることが実証されています。

さて、「無党派」ということばがあります。特定の政党の支持層ではなく、投票ごとに、投票先を決める人たちのことを指します。かつては、「浮動票」ということばが充てられましたが、現在では、侮蔑感が漂うという理由で、使われなくなったようです。

実は、「無党派」には2種あります。「棄権する無党派」と「投票ごとに、投票先を決める無党派」とです。この2つは一緒くたにできません。

先日の東京都議会議員選挙では、投票率が54%に上がりました。前回が44%ですから、10%も上がったわけです。
その原因は、「棄権する無党派」が減り、「投票ごとに、投票先を決める無党派」が増えた、というところに求められます。「政治的アパシー」に沈むだけの有権者が確実に減少しているようです。

今年に入って何度かあった世論調査では、例えば、「定額給付金」の施策に賛成しない人が60%以上いたり、「世襲政治家」の制限を求める人が過半数いたり、民主党党首に「政治と金」の説明責任を果たすよう求める意見が70%を超えたり、というように、わが国の国民が急に賢くなったような印象を受けます。

その究極の選択が、「一度は政権交代させてみよう」という「民意」のようなのです。政権与党がどうだ、民主党がどうだ、との議論は措いておいて、一度政権交代させてみて、その結果を見てみよう、という考え方は、今まで見られなかったものです。このような「民意」の形成に、「投票ごとに、投票先を決める無党派」の力が与っていることは間違いないでしょう。

8月30日に衆議院選挙が行われます。  (終わる。2009/7)

「政治的アパシー」と無党派・1

2009-07-23 19:37:39 | 社会斜め読み
「アパシー」ということばがあります。英語で apathy 。手元の英和辞典によると、「無感動。冷淡。無関心。」とあります。
社会心理学や政治学でも、このことばは使われます。社会心理学では、「(他者に対する)無感動。冷淡。無関心。」の意味で使われ、政治学では、「(政治状況に対する)無感動。冷淡。無関心。」の意味で使われます。

政治の場面で「アパシー」が現われる典型は、投票行動における「棄権」でしょう。投票しても、政治状況は何も変わらない、という無力感が国民に染み付いています。

確かに、4年前に、「郵政解散」で当時の小泉首相が獲得した衆議院300議席が、後続の安倍首相・福田首相・麻生首相によって、「ねじれ現象」を解決する「打ち出の小槌」として乱用・悪用され、政権与党の評判は著しく落ちました。

対する野党は、二代続けて党首の「政治と金」問題が発覚して、昔の自民党とどこが違うのか、といぶかられています。

加えて、与野党とも、世襲議員の党首をかかえ、なおかつ、富裕層の党首を抱いています。
これでは、二大政党制に期待するのは無理な話だ、という無力感が国民を覆っていても不思議ではありません。「政治的アパシー」が慢延する素地は十分にあるわけです。 (つづく。2009/7)



季節の移ろい

2009-07-21 05:26:04 | Weblog
首都圏では7月14日に梅雨が明けた。例年に比べ、一週間から10日ほど早い梅雨明けだ。
それに合わせるかのように、ニイニイゼミの初鳴きを7月14日に、アブラゼミの初鳴きを7月16日に、ミンミンゼミの初鳴きを7月17に観測した。ニイニイゼミの初鳴きは平年並みだが、アブラゼミとミンミンゼミの初鳴きは平年より一週間から10日ほど早いようだ。季節の移ろいが早まっているように感じる。

そういえば、5月26日に、満開になっているアジサイの株を発見したことが思い出される。平年であれば、6月初旬に見られる光景だ。

そればかりではない。近くで定点観測しているチョウセンアサガオが、今年は、やはり5月26日に開花した。例年だと、6月初旬がチョウセンアサガオの最初の開花期なので、平年より10日ばかり早く開花しているようなのだ。このチョウセンアサガオは5月下旬から6月初旬にかけて第一波の50輪が開花し、続いて、6月下旬から7月初旬にかけて第二波の80輪が開花した。明らかに、例年に比べ、開花の時期が早く、開花の勢いも強まっている。

なぜだろうか?

今年は、冬から春にかけて、温かい陽気が続いたので、そのせいではないか? おそらく、そうであろう。

だが、それだけではないものも感じる。それは何かというと、季節の移ろいと暦が合っていないように思えるのだ。つまり、季節の移ろいのスピードが暦のスピードを上回っているのではないか? つまり、1年が365日ではなく、363日ぐらいで回っているのではないか、という思いが離れない。

おそらく、今年の夏の終わるのも早く、秋の訪れも早いという予感がするのだが、どうだろう?
(2009/7)