静聴雨読

歴史文化を読み解く

トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」

2006-12-21 05:33:17 | 文学をめぐるエッセー
トーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』(川村二郎訳)(*)を読み終えた。四六版・8ポイント・二段組みで576ページの大作である。

北ドイツのリューベックに住む商人一家の1835年から1875年までの年代記で、その間の没落の過程をつぶさに見つめたものだ。

土地で信望の篤い古い商家が、時代の流れに乗り切れず、次第に没落の渦に飲み込まれていく、というストーリーは、島崎藤村『夜明け前』や映画『山猫』(ルキノ・ヴィスコンティ監督)に似ている、と一読して感じた。没落する家族への温かい視線が共通だ。トーマス・マンはブッデンブローク家のモデルに自らのマン家を充てたという。

裕福な商家を見る視点は俯瞰的・客観的であるが、随所に皮肉を利かせてところは何かに似ていると思った。そう、『失われた時を求めて』において、プルーストが貴族階級を描写する際の皮肉にも共通するところがあるのだ。プルーストの場合は、俯瞰的・客観的でなく、内在的・主観的であるのだが。

トーマス・マンは22歳から25歳にかけてこの作品を執筆し、26歳(1901年)の時に出版したという。恐るべき「若書き」である。その俯瞰的・客観的な描写力や人を見る皮肉さは到底20歳代の若者のものとは思えないし、全576ページの小説の構成力も老成した人間の手になるといっても通用するほどだ。
 
若いころ『魔の山』(1924年)を読んだのが私のトーマス・マン体験のすべてであったが、ほかにも興味を引く小説がありそうである。『ヨゼフとその兄弟』など。いつか、読む機会ができるであろうか?  (2006/12)

木下順二が亡くなった

2006-12-02 06:18:33 | 芸術談義
木下順二が10月30日に亡くなったと11月30日に報道された。
木下順二は「私のバックボーン」で挙げた「十人衆」の一人であり、哀惜の念に耐えない。
「私のバックボーン」の中で、彼について、以下のように述べた:

「『夕鶴』など民話を題材にした戯曲から、現代史に題材をとった重厚な戯曲まで、圧倒的な存在感があります。『山脈』『蛙昇天』『沖縄』『オットーと呼ばれる日本人』『白い夜の宴』『審判』などは、劇場で見ました。
オーソドックスな作劇法で、その後の唐十郎・野田秀樹・寺山修司などとは、自ずと別の立場に立っています。」

ここでいった「オーソドックスな作劇法」とは、劇作の題材・対象などにつかず離れず(不即不離)の立場をとる作劇法のことを指す。この劇作のスタンスは、「蛙昇天」「沖縄」「オットーと呼ばれる日本人」「審判」などの現代史に題材をとった戯曲で効果を発揮する。対象となる人物に抱く共感や親近感をストレートに出すことを抑え、やや距離を置いて描くことによって、対象人物の大きさやリアリティを表現することができる。この作劇法を愚直なまでに貫いたのが木下順二の劇作家としての一生だった。

木下順二は劇作家として以外にも、平和運動家として、また、ことばの探求者としても多くの足跡を残す巨人だった。それらについては今述べないが、木下順二のさらに別の面を紹介しておく。

一つは、「ウマキチガイ」の面。といっても、競馬ではなく、馬術である。前駆の動きと後駆の動きが、ある一瞬だけ、調和して「無」の時間が生まれる、というような哲学的な文章があったように思う。この「ウマキチガイ」の様は、「ぜんぶ馬の話」、文藝春秋、にまとめられているが、今手元にないので正確に引くことができない。

もう一つは、東大での学友だった哲学者・森有正を悼んで編んだ「随筆集 寥廓」、筑摩書房、という書物だ。ともにYMCAのアパートに住み着いて、年がら年中交友する様がビビッドに描かれている。木下順二は大学卒業後もこのYMCAのアパートに居候して、最初の戯曲となる民話劇群を書き続けたという。  (2006年12月)