静聴雨読

歴史文化を読み解く

「開業講座」の講師を勤めました

2009-03-27 20:06:33 | BIBLOSの本棚
「スーパー源氏」を運営している紫式部から委嘱されて、「古本屋開業講座」の講師を勤めました。今回で二回目です。これまで、インターネット古書店として経験したことを中心に1時間ほど話しました。受講者は3名、気楽な座談形式のお話にしました。

「楽天フリマ」に古本を出品し始めたのが2003年。一昨年から「スーパー源氏」にお世話になり、インターネット古書店の運営は通算6年を超えたので、それなりに経験を積み、ノウハウは貯まっています。それを話しました。

受講者は、定年後に古本屋を創めてみようかという人が2人、新刊書店の若い店員が1人。新たに、古本屋の主人として巣立っていただきたいものです。

以下、この時のお話を紹介します。

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開業を目指す人に           

(1) 自己紹介

こんにちは。「BIBLOSの本棚」の主人です。
定年後にインターネット古書店を始め、まもなく5年になります。

私は本が好きです。
まず、本を買うのが好きです。そして、本を本棚に並べるのが好きです。
若いころから、本を買い、本棚に並べてきたところ、気がついたら、家中に17本の本棚が並び、それも前列・後列に本がひしめき合うようになりました。
  
もちろん、私は本を読むのも好きですが、これだけの本を読破するにはあと150年ほどの余命がなくてはかなわぬことがはっきりしました。

50歳を越えたある日、突然、集めてきた本を減らそうと考えるようになっていました。
「人生縮退作戦」の一環です。

(2)古本屋に処分

それで、古本屋に来てもらって、本を引き取ってもらいました。その時の感触が何とも忘れられません。

古本屋は、私の処分しようとする古本を、市場価値に乏しいとか売れる見込みがないとか、あれやこれやと難癖をつけるのです。集めてきた本のコンテンツには自信をもっていた私には、これがショックでした。引き取り価格が低いのは我慢するとしても、本のコンテンツの価値を否定されたことが尾を引きました。 

(3)ネットで古書を扱うに至ったきっかけ

それで、自分で顧客を見つけてみようかと思うようになりました。本当に良いコンテンツであれば、必ず求める人がいるはずだ、という信念でした。

楽天の仮想商店街に「楽天フリマ」というフリーマーケットがあり、誰でも気軽に出品できました。2003年、そこに出品してみようと思いたちました。

手始めに、『日本思想大系 全67巻』、岩波書店、を出品してみました。素人が出品する大掛かりな書籍に反応があるのかと心配しましたが、まもなく引き合いが入りました。

お客様は、本の状態を確認したいとわざわざ「BIBLOSの本棚」まで足を運ばれました。そして、本の状態に満足して、段ボール箱4箱分の『日本思想大系』を持って帰られました。

その時のお客様のうれしそうな顔が忘れられません。先の古本屋の親父の苦虫を噛み潰したような顔とは対照的です。 

(4)「スーパー源氏」にお世話になったきっかけ

2006年秋、突然、「楽天フリマ」が閉鎖になり、途方に暮れました。

ほかに仮想商店街としては、「ヤフー・オークション」がありましたが、必ずしも多くのセリ手がいるわけではない古本には、出品期間が短いオークションは向いていません。

それで、固定価格方式の古本仮想商店街「スーパー源氏」にお世話になることにしました。
出品のための登録作業に多くの労力がかかり、また、本棚の借り賃もコンスタントに出ていくことを考えると、ここで気合を入れ直す必要があると考えました。2007年初頭のことです。 

(5)ホームページ「BIBLOSの本棚」

そこで、「BIBLOSの本棚」のホームページを作ることにしました。

ここで、お客様の古本の探求・購入行動を説明します。
まず、求める書名・著者などで「スーパー源氏」のサイトで検索をかけます。そこで気に入った本が見つかれば、購入まで進みます。
その際、この古本屋はほかにどのような本を扱っているのだろう、という気持ちがお客様にはあります。
その時、古本屋のホームページがあれば、お客様をそちらに誘導できる、というわけです。

それまで、ホームページを持ったことはありませんでした。何もかも新しい経験です。プロバイダのサーバを借りることも、ホームページのラフ・デザインをすることも、すべてが初めてです。

HTMLを使ってホームページを記述することを含めて、私の「先生」に制作を依頼しました。

 BIBLOSの本棚 : http://enjoy1.bb-east.ne.jp/~biblos/

一方で、出品のための登録データ作成作業を進め、2007年3月、「BIBLOSの本棚」を開業しました。 

(6)定年後のサイドビジネス

ここで、店名の由来を説明しておきます。
「BIBLOS」はギリシア語で、「聖書」です。そう、英語の bible と同根のことばです。書誌学は bibliography 、書痴は bibliophile です。
ただ、調べると、マッキントッシュ用書体(フォント)の商品に「BIBLOS」があり、また、富士通のPCに「BIBLO」のシリーズがあるため、紛らわしさを避けるため、「BIBLOSの本棚」という長い店名を採用しました。

フルネームの「BIBLOSの本棚」と読んだり書いたりしてくださるお客様はいまだ20%ほどで、まあ、これは、仕方のないことです。

店名が象徴するように、私にとって、古本屋は一種の趣味であり、あくまでもサイドビジネスです。この原点を忘れないようにしたいと思っています。 

(7)扱う古書

「BIBLOSの本棚」の扱う古書は、「歴史・地誌・思想・文学・美術・音楽・演劇・映画・芸能・遊び」という10個のジャンルで表わすことができます。

ホームページでは、これらのジャンルから書籍を検索できる仕掛けになっています。

そこで工夫したのが、歴史・地誌・思想・文学については、あえて区分けせず、代わりに地域別の区分けを入れたことです。つまり、フランス・イギリス・ドイツ・ロシアなどの地域ごとに、歴史・地誌・思想・文学をまとめて分類しました。それ以外のヨーロッパは「ヨーロッパ」で括り、その中に歴史・地誌・思想・文学をまとめて入れました。

小さな古本屋では、得意な分野だけに絞って特徴を出することが重要だと思います。

(8)経営数値

古本屋は一種の趣味であり、あくまでもサイドビジネスだといっても、漫然とした経営姿勢では破綻を来たします。

私の場合は、売り上げ目標と粗利目標を掲げています。   

(9)古書の価値

古本(古書ともいいます。)は、独特の価値を主張しています。

最大の価値は、その希少性でしょう。
次に、人気の高いこと・コンテンツの良さが挙げられます。
三番目に、状態の良さが挙げられます。

以上のような古本あるいは古書の価値をお客様に判っていただくのはやさしくありません。

普通のお客様は、「新刊当時の定価」から離れることができません。そのため、「新刊当時480円だった本がなぜ3000円もするのだ」(購入の場合)とか「この全集は3万円で買ったのですよ。それが1500円の引き取り価格とは、ひどいじゃないですか。」(売却の場合)とか、というケースが生じます。 

(10)「お客様」とは?

「お客様」とはそのような矛盾を抱えた存在です。

ここで、ネットユーザの特性を挙げるとすれば、リアルサイトを訪れるお客様に比べて、やや「いい加減」なところがあることでしょう。簡単に注文する、簡単にキャンセルする、という傾向がネットユーザにはあります。

そのような傾向を頭に入れて、対処する必要があります。
私の心がけていることは、一週間ルール(一週間の間に入金・連絡のない場合、督促するかキャンセルする)を励行することです。趣味で続けている仕事でストレスを溜めては元も子もないではありませんか。 

(11)古書店の3つの功徳

ネット古書店を続けてみて、三つの功徳があることを実感しています。

その1。蔵書スペースの縮小。長年の悩みだった蔵書スペースの増大を食い止めて、さらに蔵書スペースを縮小できたことは私にとって大きな成果です。

その2。お小遣いの確保。もっともそれはすべてコニャックに消えてしまいますが。

その3。お客様とのふれあい。手元の本が、本当に求めているお客様の手に渡り、再び役に立つのを見るのはうれしいものです。
いつのまにか、「本を買うのが好き」「本を本棚に並べるのが好き」「本を読むのも好き」だけでなく、「本を売るのが好き」になっている自分を発見しています。ネットで古本を扱うことが、IT時代の一つの「癒し」なのだと実感しています。

(12)70歳には引退

古本を扱って60歳代半ばを迎えました。これからは、おそらくは現行ペースを維持して、70歳には引退しようかと思い描いています。

今、私は、これから是非読みたい本を選んで「究極の本棚」を作る作業に取り掛かりました。「究極の本棚」には、今まで読みたいと思って読んでいない本、もう一度読みたい本などを選んで、自分だけの図書館に仕上げるもくろみがあります。

「BIBLOSの本棚」から「究極の本棚」へ。これがこれからの私の本との付き合い方になるはずです。 (2009/3)

記憶のよみがえり現象・2

2009-03-18 07:07:48 | Weblog
(2)記憶の「よみがえり」

「圧縮」されて「仮死状態」になった過去の経験・体験は、別の例でいえば、考古学でいう「古層」のようなものだ。年代を刻みながら、幾重にも、薄い薄い層の重なりとなって堆積している。過去の経験・体験が決して死んでいないことは、ひょんなきっかけで、そのような過去の経験・体験が再びよみがえることがあることから、証明される。

完全に「忘却」された記憶はよみがえることはない。
一方、「圧縮」されて「仮死状態」に置かれた記憶は、何かの拍子によみがえることがあるのだ。
この現象が不思議だ。

形状記憶合金は変形圧力を受けた後も、元の形に戻る。水に落とした乾燥花は水の中で花開く。
同じようなことが、「圧縮」されて「仮死状態」に置かれた記憶にも起こるらしい。

問題は、記憶の「よみがえり」のきっかけは何か、ということだ。
大脳への何らかの刺激が記憶をよみがえらせることは間違いないだろうが、その刺激がどのように生まれるのかはわからない。

私たちのありふれた経験によると、「あれ? 以前似たようなことがあったな。」とか「ヨーロッパのキリスト教国だけじゃなく、日本にも見られるじゃないか。」とかいう形で、過去(あるいは、身近な環境の)の経験・体験の記憶が現前によみがえることがしばしばある。つまり、現前の経験・体験が刺激剤となって、過去の経験・体験が掘り起こされると見るのが正しい。

過去の経験・体験を掘り起こす営みは、個人においても、国家・国民レベルにおいても行われる。
個人の場合は「文学」などの形で、国家・国民の場合は「歴史学」「民俗学」などの形で、過去の経験・体験を掘り起こす営みが行われる。

以上が、「記憶」の構造とその「よみがえりに」ついての概観だが、以下、いくつかの事例に当たってみよう。  (つづく。2009/3)


記憶のよみがえり現象・1

2009-03-14 13:38:59 | 歴史文化論の試み
(1)「記憶」の構造

いきなりだが、「記憶」について、述べてみたいと思う。記憶がどのような構造をしているのか、また、その記憶の「よみがえり」はどのように起こるのか、などについて、私の関心のある様々な分野で検証してみたい。

「記憶」についての本格的研究は、哲学・心理学・大脳生理学の専門家にまかせるよりほかないが、身の回りにも、「記憶」をめぐる不思議な事象がいろいろとある。

平たくいえば、記憶は過去の事象に関する経験・体験を大脳に刻みつけたものだから、経験・体験の量が多くなれば、すなわち、加齢が進めば、脳内におけるそれらの整理が進むのだと推測できる。

膨大な過去の経験・体験の「整理」は、一つは、それらの一部分の「忘却」となって表われ、もう一つは、それらの「圧縮」となって表われるのではないか、というのが私の試論である。

「忘却」については、戸井田道三『忘れの構造』、1984年、筑摩書房、が参考になる。この点は後に述べることにしたい。

過去の経験・体験の「圧縮」とは、記憶容量の限界などの理由により、必要に迫られて、膨大な経験・体験を押しつぶすことだ。卑近な例を引けば、かさばる段ボールを圧縮して紙のブロックを生成するのに似ていようか。紙のブロックから個々の段ボールの属性を推測することは難しいが、個々の段ボールの属性がまったく失われたわけではない。過去の経験・体験は「圧縮」されて、「仮死状態」に置かれているといえばわかりやすいだろうか。  (つづく。2009/3)

三都市巡回

2009-03-12 08:37:44 | Weblog
日本は四季がはっきりしていることで知られています。私の住む首都圏では、一日の最高気温が、冬には2℃程度、夏には35℃程度になります。最低気温は、冬には-2℃程度、夏には28℃程度。いずれも、冬と夏で30℃も違います。

一方、日本は南北に細長い地形になっています。札幌の最低気温が-10℃の日に、那覇の最低気温が15℃、という具合に、北と南では、温度差が25℃もあります。

そこで考えるのですが、一年をいくつかに分割して、首都圏・札幌・那覇の三都市を巡回することができれば、快適ではないでしょうか。

 4月-5月 首都圏
 6月-8月 札幌
 9月-11月 首都圏
 12月-3月 那覇

これが一案です。

首都圏の梅雨と暑さが耐え難いので、これから避難するには札幌が適しているでしょう。

冬は温暖な那覇が快適です。もう一つ、2月から3月にかけての花粉を避けたいのですが、那覇で花粉が飛ぶかどうか、まだ調べていません。もし、飛ぶようであれば、もう一地点、花粉避けの地を探す必要がありそうです。

こう考えてきましたが、このアイディアは「夢のまた夢」で、実現する見込みはありません。  

インターネットで調べると、沖縄には花粉症がないらしい。元となる杉が植わっていないそうです。2月から3月にかけての2ヶ月間だけでも沖縄に滞在することを本気に考えようか、とも思います。 (2009/3)


様々な丸山真男論

2009-03-01 07:35:54 | 歴史文化論の試み
政治学者で政治思想史研究の第一人者・丸山真男が亡くなったのが1996年。生前からそうであったのだが、没後においても、丸山を論ずる論文は数多く、まさに枚挙にいとまがないほどだ。これは、現代の学者・思想家には見られない稀有の現象だ。

丸山は、「丸山学徒」と呼ぶべき信奉者に取り巻かれ、学界のカリスマとして君臨していた。信奉者は学界にとどまらず、ジャーナリズムや政界にも、少なからぬ「丸山学徒」が存在していた。

一方、そんな丸山をうらやましそうに、また、ねたましく、見ている一団が同時にあったことも事実である。
同僚の政治学者にそのような人が多いのはうなずける。また、「全共闘世代」の学生が、丸山を「東大エリート」の典型として徹底的に叩いたのは記憶に新しい。

さて、最近、二つの丸山論を読んだ。

竹内洋『丸山真男の時代』、2005年、中公新書
苅部直『丸山真男』、2006年、岩波新書

いずれも、同じ政治学者からの丸山論で、丸山の政治状況の分析に舌を巻きながらも、学者としての現実政治との関わり方に違和感を持つというスタンスが共通している。

丸山の学者としてのキャリアは、荻生徂徠などの日本政治思想史研究で始まったが、丸山の名を広めたのは、彼のジャーナリズム論壇での発言だった。その成果が、『現代政治の思想と行動』、1957年、未来社、として発表された。

丸山自身の説明によれば、戦前に軍国主義の跳梁跋扈を止められなかったという知識人しての苦い反省に立って、戦後の政治状況に深くコミットすることを決意した、ということだ。この丸山の意気が、学界・ジャーナリズム・政界を広く動かし、多くの共鳴者を輩出した。

さて、『現代政治の思想と行動』というタイトルに違和感を覚えないだろうか?

「現代」が戦前・戦後の昭和期を指すことは、丸山の問題関心から明らかだ。
だが、「政治の思想と行動」とは一体何を指すのだろうか? 通常は、「政治思想と政治行動」というのではないだろうか?

政治思想は、国家観・国民の政治意識・天皇観などのことであり、政治行動は、有権者の投票行動・政治家の大衆操作・大衆の示威行動・ロビイング活動などのことであるとすれば、省略せずに、「現代の政治思想と政治行動」とすべきであった。「現代政治の思想と行動」は、判ったようで判らない不思議なネーミングであった。

同様の不思議なネーミングが、丸山真男『日本の思想』、1961年、岩波新書、にも現われている。
「日本の思想」とは何だろう? 日本という国家に政治意思があるとでもいうのだろうか? それでは、丸山の忌み嫌う国体護持史観ではないか? おそらく、「日本人の政治についての思惟方式」のことを指しているのだろう。そうであれば、そういうべきだ。ちなみに、哲学者・中村哲には『東洋人の思惟方式』という著作があり、内容を十分推測できるネーミングだ。

丸山の文章はレトリックの巧みなことで知られている。例えば、括弧の使用によってことばを浮き上がらせる手法や傍点を振ることによって力点を明示する効果は目を見張らせるほどだ。

それに引き換え、本のタイトルのネーミングに現れる「漠然たるあいまいさ」は際立つように思う。

さて、元に戻ろう。

丸山真男は戦後政治にコミットしながらも、たえず自分の「本分」は日本政治思想史の研究であるとし、早く現実政治へのコミットメントから「足を洗いたい」と周辺に漏らしていたらしい。その姿勢が丸山一流の「知識人の韜晦」として反発するグループを生み、後に、東大紛争で学生のつるし上げに遭うという屈辱を経験することになる。

それが契機となって、東大教授を退官し、以後は日本政治思想史研究に沈潜する。その成果が、『忠誠と反逆』、1992年、筑摩書房、として発表された。(現在は、ちくま学芸文庫、に収録されている。)

そこでは、日本人の歴史意識に伏在する無意識的意識を探り出すことに精力が注がれている。音楽に造詣の深い丸山は、「歴史意識に伏在する無意識的意識」を「バッソ・オスティナート Basso Ostinato」に例えている。「通奏低音」のことで、主旋律とは独立に、たえず、執拗に、流れ続ける旋律のことで、バロック音楽ではチェンバロが担当することが多い。

表面的な政治現象や政治意識の底に、大衆の、というか、国民の、原始的意識を探し出そうという試みである。丸山は、この大衆の原始的意識を、「原型」とか「古層」とか「執拗低音」とか、時によって様々に表現している。

「原型」は、マックス・ウェーバーの「理念型」を想起するように、一種の「型」を析出する方法の産物である。
「古層」は、考古学から出たことばで、何重にも重なった地層の下の方を指す。
「執拗低音」は「通奏低音」と同じだ。

このように、社会学・考古学・音楽の用語を援用しながら、大衆の原始的意識を析出しようとしたのが丸山の日本政治思想史研究の核心であったが、それを定義する政治思想用語が丸山から提案されることはなかった。この点について、丸山を批判し、丸山のライバルを自認する政治学者にも問うてみたいと思う。「あなたなら、どのような政治状況にあっても、たえず見られる大衆の原始的意識を何と定義しますか?」と。  (2008/3)