静聴雨読

歴史文化を読み解く

個人誌を作りました。

2012-04-09 07:18:28 | Weblog

 

晴釣雨読 第19集[Ozekia のブログから  2008 - 2009] 

Ⅰ 音楽の慰め

バイロイト詣で・Ⅰ 出発まで            

バイロイト詣で・Ⅱ 現地にて         

バイロイト詣で・Ⅲ 『ニーベルングの指輪』    

バイロイト詣で・Ⅳ 『パルジファル』        

バイロイト詣で・Ⅴ ワーグナーの素晴らしさ      

2009年に訪れた「バイロイト音楽祭」の印象記です。

「音楽と政治」・「ワーグナーの哲学」にも触れています。

個人誌としては最長の26ページになりました。  (2012/4)


栃木の旅

2012-04-02 07:35:17 | 足跡ところどころ

 

(1)芭蕉ゆかりの地

思い立って、栃木県北部の大田原市に旅した。きっかけは、将棋の王将戦第2局(久保利明王将対佐藤康光九段)が大田原市のホテルで開催されるので、その観戦をしてみよう、ということだった。昨年12月の竜王戦第5局(青森県八戸市)に続く将棋観戦の旅だ。

大田原市は、「平成の大合併」で、旧大田原市と湯津上村・黒羽町が合併してできた市で、私は初見参だ。王将戦の開催されるホテルは、黒羽(くろばね)地区にあった。黒羽を流れる那珂川は、そう、鮎釣りの名所ではないか。ホテルは那珂川のほとりに建っている。幅が広い川だが、水量が異常に少ない。

また、黒羽の最大の「売り」は、かの松尾芭蕉が「おくの細道」の旅で通過して逗留した村だというところにある。井本農一『奥の細道をたどる』(角川選書)をひもとくと、芭蕉は、元禄2年4月3日から16日まで、黒羽とその周辺に遊んでいる。土地に芭蕉の有力な支援者がいたことと長雨に降り込められたためらしい。

今は、横浜から宇都宮まで「湘南新宿ライン」が通じていて、宇都宮で乗り換えて西那須野駅までスムーズに行ける。西那須野駅から黒羽まで路線バスでホテルに向かった。

井本によると、かつては、西那須野駅から黒羽まで軽便鉄道が走っていたらしいが、今は路線バスに代わっている。そのバスも一日に6-7便しかない。土地の人は車で移動して、不便なバスなど利用しないのだ。

王将戦第2局の初日は、解説会がなく、対局室に据えられたモニター・カメラの映像を30分ほど眺めて解説会場を出た。相三間飛車の力将棋の様相で、進行が遅い。第1日の封じ手が30手目というのは滅多に見られない遅さだ。それほど難解な序盤戦なのだろう。 

(2)旧友との再会

夕方6時。ホテルのロビー。

ここで、大学時代のゼミナールのクラスメートのHと待ち合わせをしていた。昨年10月に実現したクラスの同窓会にHと私が出席して、Hが大田原市に居を構えていると知って、そこを訪問しようと思ったわけである。

Hと私は昨年10月が40年ぶりの再会だったが、40年の隔たりを感じさせなかった。互いに相手を評価していることにも変わりがない。

Hは10年前の退役後に、林を切り開いて立てた家に住んでいるという。驚いたことに、壁・天井などの内装がすべて杉材を使っている。まるでログハウスのようだ。山男のHにふさわしい家だ。この杉がやさしい雰囲気を醸している。

酒を酌み交わしての歓談が深夜12時までおよび、いささか飲みすぎた。翌朝、酒気が残っているのがわかった。Hに頼んで、付近を散策することにした。付近はいたるところに木立があるので、その中の散策は実に気持がいい。1時間の散策で酒気が抜けていくのがわかった。

杉材の内装といい、木立の中の散策といい、これこそが最高の贅沢ではなかろうか?

その後、Hに解説会場のホテルまで車で送ってもらった。 

(3)王将戦第2局

今期の王将戦は久保利明王将に佐藤康光九段が挑戦している。久保は振り飛車使いの大家で、「さばきのアーティスト」の異名をもらっている。一方の佐藤は、前例にとらわれない指し手を好んで指す。私の持っている佐藤の色紙は「天衣無縫」と認めてある。まさに、佐藤の指し手は「天衣無縫」だ。

第2局は、先手の久保が得意の三間飛車に構えると、後手の佐藤が負けじと飛車を三間に振った。「相三間飛車」というあまり見かけない出だしの力戦将棋になった。両者の特徴がよく出ている。

1日目の序盤は久保の方が「模様が良く」(形勢が良く)、佐藤はバラバラの陣形をどう立て直すのかと思われた。

2日目の午前10時30分、もう解説が始まっている。解説者は小倉久史七段。いささか心もとない解説者だと思った。指し手に追随するのに四苦八苦なのだ。

と思っていたところ、若手のバリバリの戸部 誠六段が助っ人に現われた。これで救われた。

戸部は久保と同じ振り飛車党であり、解説のうまさも若手の中でもピカ一だ。流れるように、本譜(実際に指された手)と変化(指された手以外の手)を解説してゆく。小倉はそれを「承っている」気配だ。

解説では、久保の攻勢を佐藤がしのげるか、が興味の中心だそうだ。 

(4)昼食休憩

午前の解説が終わり、休憩時間に入った。近くのそば屋でうまいそばを食して、那珂川の近傍を散策した。那珂橋を渡る。かなり長い橋で、川の大きさがわかる。川面を渡る風が冷たい。橋を渡り切った先にある「あゆ」の幟を立てた店に入った。そこでは、鮎漁に使う「おとり鮎」を販売している。

鮎の釣り方の一つに、「鮎の友釣り」がある。鮎は自分の縄張りを作り、その縄張りにほかの鮎が侵入すると、それを追い出すために猛烈に暴れだす習性がある。その習性を利用して、「おとりの鮎」を仕掛けに付けて、鮎の生息していそうな瀬や淵に流すのだ。すると、瀬や淵の主の鮎が暴れて仕掛けにかかる、という寸法だ。何とも高等な釣法だ。私は鮎釣りはやらない。棹が6-8mと長くて、それを扱うのができないし、釣れた鮎をタモに取り込むのにも高等技術が必要だからだ。

さて、その店では、「おとり鮎」を販売するとともに、釣れた生き鮎の買い入れもしているらしい。また、「鮎の塩焼き」や「鮎の甘露煮」の販売もしている。みやげに「鮎の甘露煮」を買い求めた。1尾250円、子持ちが1尾500円。リーズナブルな値段だ。(帰宅後、これを食して、その旨さにたまげた。)

(5)難解な終盤戦

解説会は午後2時に再開した。対局は午後1時30分に再開していて、以後、終局まで休憩はない。午後も、小倉久史七段と戸部誠六段の掛け合いが続く。

久保は馬を作り、竜も作る。一方の佐藤の馬は僻地に幽閉されたままだ。素人目にも久保が指しやすそうだ。やがて、佐藤は焦土戦術で自陣を明け渡し、王様が中段に逃げ出した。「天空の楽園」を求めたのだろうか? これが効を奏し、久保の攻めが渋滞し始めたらしい。

佐藤の持ち時間が先になくなり、次いで久保の持ち時間もなくなった。ともに「1分将棋」(1分未満で手を指さなくてはならない)になった。それでも、解説者はどちらが勝ちといえないという。まさに、「難解な終盤戦」だ。

夕刻、7時を過ぎたころに、久保が指した「1二竜」が自玉の詰みを見損じた手だったようで、以後、佐藤が確実に詰め筋に指していった。23手詰めの詰みで、佐藤が久保玉を討ち取った。解説会場の観戦者から歓声と拍手が沸いた。

佐藤の粘り強い指しまわしが強い印象を残した。佐藤ファンとしては、堪えられない一戦だった。

対局中のモニターに映る佐藤の姿が消え、咳き込む声が聞こえる。これは佐藤の癖で、対局中に緊張すると激しく咳き込むのだ。そんなシーンも何度か見られ(いや、聞かれ、か)、面白かった。

終局後、解説会場に、両対局者が姿を見せた。久保の憔悴し切った表情が痛々しい。佐藤は、詰め手順に入った4手前の「3四香」で勝ちが見えた、と語っていた。一方の久保は、まだ、敗因がわかっていない、と正直に話していた。  

(6)微妙な話題

大田原市は栃木県の北部に位置している。そう、福島県と近接している。場所柄、福島第一原子力発電所の事故に伴う放射性物質の飛散の影響をもろに受けている。落ち葉を踏みしめる散策は快適この上ないが、この落ち葉に放射性セシウムが堆積していないか?

北関東の各県では、この冬、ワカサギ漁を軒並み中止したり自粛したりしている。那珂川で取れる鮎には、放射性セシウムの影響は出ていないか? 気になるところだ。

だが、Hとの会話では、この話題は避けた。外来者が自ら持ち出す話題ではなかろう。

昨年12月の青森の旅も今回の栃木の旅も、直接、東日本大震災の被災地を避けながら、その雰囲気を嗅ぐ目的を持った旅だった。今の私にはそれくらいの冒険しかできない。 (2012/2)