静聴雨読

歴史文化を読み解く

ソローのこと

2012-10-31 07:50:35 | 歴史文化論の試み

 

「名古屋で学会の研究会があったので、寄らせていただきました。」

「その歳で研究とは立派なことね。」

「いえいえ、ヘンリー・D・ソローの思想は歳をとってからの方が理解が進むように思えます。」

 

「彼は十九世紀アメリカの人でしょう? 何が本職なのかしら。」

「詩人・エッセイスト・教師・旅行家・社会活動家・エコロジストなどが彼のレッテルです。総称して「思想家」といわれています。」

「今は「哲学者」と呼ばれることもあるそうね?」

「はい、「思想家」と「哲学者」との違いはよくわかりませんが。アメリカの哲学史では、いまだに、ソローの名前は出てこないそうです。」

「なぜかしら?」

「難しい問題です。私自身もソローを哲学者と呼ぶにはためらいを感じます。」

「どうして?」

「哲学といえば、プラトンにしてもヘーゲルにしてもサルトルにしても、きらきら輝く言葉の断片が有名ですが、それでその哲学者の思想の全体が表わされるとは思わないのです。サルトルを引けば、「私とは、あなた(相手)に見られている存在です。」という言葉があります。確かにその通りですが、そういうあなたも私に見られている存在であり、それを連結すると、「私とは、私に見られているあなたに見返されている存在です。」となり、議論は無限ループに陥ります。哲学はそのような言葉の遊びに堕す危険性をたえず孕んでいるように思います。」

「なるほどね。」

 

「ここに、ソローの著作から断片を編んだ本があります。『ソロー語録』(岩佐伸治編訳)です。名古屋に来る新幹線で読んだのですが、これを読むと、ソローの哲学者ぶりを表現する「箴言」が数多くあることがわかります。でも、ある言葉の正反対の箴言が別の個所に存在することも多いのです。つまり、ソローの思想を理解するためには、『ウォールデン』や『日記』を通して読まなければ、その真髄をつかまえられないと思うのです。哲学者という呼称はソロー理解の妨げになりかねない、と感じています。」

「でも、ソローを哲学者と呼ぶ人たちは、ソローの中に観念的な哲学ではなく、生活に直結する哲学を見出しているのではないの?」

「はい、その通りです。わが国では、鶴見俊輔が開拓した分野です。生活の営みの中に、人生の奥儀が秘められているということを、ソローはやや難しい言葉で表わしました。むしろ、ソローの哲学を理解させる原動力になったのは、ウォールデン湖畔に掘立小屋を建てて移り住んだ行動であったといえるでしょう。」

「彼の『ウォールデン』には、自然の移り変わりの記述のほかにも、経済などの記述もあるのが特徴でしょ。」

「はい、日々の営みにも哲学があるという考えを自然に表出しているのが『ウォールデン』です。その考えは、わが国の北村透谷の『人生に相渉るとは何の謂いぞ』にも共通するものです。」

「なるほど。それだったら、『ソローと北村透谷との関連を鶴見俊輔風に読み解く』というような論文にまとめたらいいのに。」

「いえいえ、私には。」 (2012/11)


ある日

2012-10-25 09:41:16 | Weblog

 

「おう! 久しぶり。元気にしているか?」

「はい、先輩。仕事を退役し、母の看取りも終えましたので、今は趣味を糧にしております。」

「何をやっているのかね?」

「はい、5つほどの顔を持っています。第一に、十九世紀歴史文化の研究者として。今は開店休業ですが。第二に、ブログ「晴釣雨読」のブロガーとして。6年半続けています。第三に、古書店「BIBLOSの本棚」の経営者として。始めて10年を超えました。ただし、あくまで、趣味の範囲です。第四に、美術館の学芸員として。亡くなった母の絵を整理して、ヴァーチャルとリアルでギャラリーを作ろうとしています。第五に、将棋クラブの主宰として。大学同窓会に将棋クラブを立ち上げ、その世話役をしています。また、外国の将棋指しとの交流を始めました。」

「いろいろやっているんだな。でも、みんな遊びごとのように見えるが。」

「その通りです。人生の「義務」をし終えると、「趣味」しか残りません。美術館の学芸員だけは、亡母の追憶という義務感がついていますが。」

 

「先輩はいかがですか?」

「おう! いろいろ頼まれてな。NPO法人の役員を2つさせられていて、加えて、町内会の役員も仰せつかって、結構忙しいよ。」

「生きがいがあって、素晴らしいですね。」

「おう! 忙しくしていないと、手持ち無沙汰になる性分でね。これだけは、一生抜けきれないね。」

「で、趣味は?」

「月に1度ゴルフに行っている。囲碁の寄り合いにも顔を出している。もっとも、NPOの会合とぶつかることが多くてね。」

 

「ボランティア活動は何かなさっていますか?」

「忙しくて、体を動かすボランティア活動には参加できないので、もっぱら寄付で気持を表わしているよ。」

「素晴らしいですね。私も何もしていません。東日本大震災の際には、被災した仲間に寄付したりしましたが、一時的なものに終わりました。」

「OBの交流会には、せいぜい顔を見せろよ。世間との付き合いを継続することは、老化防止にも役立つぜ。」

「はい、先輩。先輩もどうぞ余生を享受してください。」  (2012/10)


なぜ、町と村とで違いがあるのだろう?

2012-10-01 14:42:59 | Weblog

 

大阪府・大阪市が推進している「大阪都構想」。これを実現するために、国会が法律化した「大阪都実現法」(正式な名前は知らない)。これによって、東京都以外でも、大阪府のような大都市が「特別区」を持つことができるようになった。

だが、地方自治体を管轄する法律(現在では、地方自治法)は難しくて、よく判らない。

まず、都道府県だが、なぜ都・道・府・県という4つの呼称を許したのか?

石原・東京都知事は、大阪府が「大阪都」と名称変更するのにヒステリックに反発している。そもそも、都と府は、その権限などに違いがあるのか? 判らないことばかりだ。

さて、都道府県の下に市町村がある。これは誰でも知っている。

だが、市と町と村との間にどのような区別があるのだろう? 恥ずかしながら、私は知らない。

それで、Wikipedia で調べてみた。

市町村はいずれも「基礎自治体」に位置づけられる。

そのうち、市には要件があり、「人口5万人以上(合併に伴う特例を受けた場合は3万人以上)」のほか、あえてあいまいな言葉を使えば、「商業・工業・市街地など、いかにも都市的であること」が市の要件となる。すると、漁業で栄える港町などは市の要件を満たさないことになりかねない。

町にも要件があり、「都道府県が定める一定の人口(神奈川県の場合、5000人)があること」がその要件だ。

すると、「村」は? 村には要件はない。市でも町でもない自治体が「村」となるらしい。

つまり、基礎自治体としては、もともと、「村」しかなくて、それに人口などの要素が加わって、「町」ができ、「市」ができるのだろう。

その割りに、「村」の存在が貶められている気がする。呼び方も、「市・町・村」が一般的で、「村・町・市」とは誰も呼ばない。市町村に序列・階層構成を認める考え方は、旧憲法(大日本帝国憲法)下の市制・町村制のなごりが色濃く残っているのだろう。

なお、「市」の要件を満たす自治体が「町」に留まっても、また、「町」の要件を満たす自治体が「村」に留まっても問題ない。 (2012/10)