静聴雨読

歴史文化を読み解く

気になるフレーズ 5

2014-02-02 07:51:55 | 社会斜め読み

 

(5)写真とイメージ

なじみの立ち食いそば屋に「小天丼セット」というメニューがあります。かけそば(または、うどん)+小天丼のセットです。このセットの紹介写真が壁に貼ってあります。その写真の片隅に、以下のような文言が書いてあります;

 「写真はイメージです」

さて、これは何を意味しているのでしょうか?

「写真という芸術作品はイメージ表出方法の一つです。」という、スーザン・ソンタグばりの写真論の哲学を表わしたものでしょうか?

「写真」とは、写「真」というように、以前は真実を写し出すものと考えられてきましたが、今や、「真」も「偽」も、カタカナでいえば、ノンフィクションもフィクションも、写し出すものだと考えられるようになりました。デフォルメやトリミングなどによって受ける印象がガラリと変わるのが写真の真髄で、そこに「写真芸術」が生まれてきたといってもいいでしょう。

「写真はイメージです」はそのことをいっているのでしょうか? 街角のコピーとしては何とも高尚です。

ここで、チョイ悪おやじがしたり顔で説明します;

「ここに掲げた写真は商品(小天丼セット)の大まかなイメージを理解していただくためのものであって、実際の商品は、かけそばのつゆが少なかったり、小天丼のエビが曲がっていじけていたり、湯気が立っていなかったりすることがあるのをご承知置きください、と、客に事前の了承を求めているのですよ。」

なるほど。すると、ここでいう「イメージ」とはおおまかであいまいな像を指していることになります。スーザン・ソンタグの写真論とは対極にある「イメージ像」です。

このように、日本人は外来語を本来の意味から離れた日本語に化けさせることを得意としているようです。  (2012/6)


気になるフレーズ 4

2014-01-31 07:49:31 | 社会斜め読み

 

(4)明日では遅すぎる

通勤電車の車内広告で、気になるものが時々あります。以下はその一つです。

「過払い返還請求が曲がり角にきています。明日では遅すぎるかもしれません。」ある司法書士事務所の出している広告です。

消費者金融など高利で貸し付けを行う業者が過去に「グレイゾーン金利」を適用して借り手から利息を取りすぎていた事案について、司法書士が借り手に代わって、高利貸付業者と過払い返還交渉を行い、うまくいった場合には、「成功報酬」として、返還額の20%を借り手から徴収する、というビジネス・モデルです。

ところが、過払い返還請求に応じてきた高利貸付業者の中には、当然のことながら、経営が急速に悪化するところが出てきました。消費者金融大手のアイフルは「事業再生ADR手続き」を申請しています。また、同じく消費者金融大手の武富士は、一時は一株15,000円だったものが、現在では、一株340円です。実に、株価下落率98%弱という惨状です。

このように、「過払い返還請求」の環境が変わってきていることは事実です。高利貸付業者がこけたら、「過払い返還請求」そのものが実現しません。

冒頭の司法書士事務所の広告は、この趨勢を訴求して、借り手に対して、「早く、うちに駆け込みなさい」といっているのでしょう。

それにしても、何という、露骨な広告でしょう。借り手にあせりを植えつける意図が見え見えです。JARO(公共広告機構)の基準に適合するのでしょうか? 

さて、「明日のエコでは間に合わない」というキャンペーンをNHKが繰り広げています。上記の司法書士事務所の広告と同じ手法で、聴視者にエコ推進を「急げ!急げ!」と急き立てています。NHKらしい、何と尊大なキャンペーンでしょう。 (2009/10)

 


気になるフレーズ 3

2014-01-29 07:08:21 | 社会斜め読み

 

(3)エスカレーター作法

これは、最近、駅のエスカレーターでよく見かける標識です。以前からあったと思いますが、最近のある事件がきっかけとなってこの標識が注目されるようになりました。 

ショッピング・モールにある大型の昇りエスカレーターで、人が乗りすぎたために、逆走して下る事故を起こしました。一定以上の負荷がかかると、このエスカレーターは何らかの安全機能が働いて、止まったり、下ったりすることがあるらしいのです。

この駅のエスカレーターの標識は、このような事態が起こることを警告するために設置されているようです。

しかし、この警告を遵守するのはなかなか難しいことです。

ステップに二人乗れる場合には、片側はじっと乗っている人のため、もう片側は追い越していく人のため、というのが、エスカレーターでの「常識」です。ところが、この標識によれば、追い越していく人は歩いてはいけない、ことになります。何とも、じれったい制限です。

今のところ、上のような矛盾を解決する方法は見つかりません。

唯一の解決法は、「二人乗りエスカレーターを廃止して、エスカレーターをすべて一人乗りにする」ことぐらいでしょうか。 (2008/10)

 


気になるフレーズ 2

2014-01-27 07:59:37 | 社会斜め読み

 

(2)「水は出しません。」

 東京・港区のある洋風カレー屋が出している看板です。

「本格的手造り」を謳い、1500円の値段から見ても、主人自慢のカレーのようです。

ここで注目したのは、カレーの評判ではなく、下段にある「お水はいっさい出しません」という断り書きです。

カレー屋なのに水を供しないとはどういうことでしょうか? 少し口内が熱く感じたら水を飲みたい、という客がいてもおかしくないでしょう。

しかし、「お水は出しません」とわざわざ客をけん制しているのです。その上、「いっさい」という副詞まで添えています。

このカレー屋の主人は、単に、カレーに自信があるだけでなく、自らの考える食べ方を客に要求しているようです。これは大きな勘違いです。

カレーを水と一緒に賞味しようがしまいが客の自由で、店の主人が指示することではありません。

折角のおいしいカレーなので、水なしでその真髄を味わってほしいという店の主人の願いは分からないではありません。しかし、だからといって、水を要求する客の願いを踏みにじる権利は店の主人にはありません。

ぎりぎり許せる表示は次のようなところでしょうか。

「ご希望の方には水をお出しします。」

「ミネラル・ウォーター(200円)あります。」

(2008/8)


気になるフレーズ 1

2014-01-25 07:05:31 | 社会斜め読み

 

街中などで見かける標識のフレーズには、思わずうなってしまうようなものがあります。また、頭をかしげるようなものも少なくありません。これらを採り上げて、批評してみます。

(1)「通り抜け無用」

これは、近くで見かけた標識です。

「これより住宅地に付 通り抜け車 ご遠慮下さい」

向こうに住宅地が広がっているのでしょう。だから、通り抜けの車は通らないでください、と訴えているようです。「要請」のパターンと考えていいでしょう。

道路は、対向車が交差できるほど道幅が広く、両脇には、ペンキ塗りの歩行者ゾーンも設けてあります。

(疑問その1)この道路は「私道」なのでしょうか? 住宅地にある道路なので、あるいは、「私道」かもしれません。しかし、仮に「私道」だとしても、詳しくは知りませんが、外部からの車を排除することは、道路関係法規で禁止されているのではなかったでしょうか?

(疑問その2)「住宅地だから」と表示しているところから見ると、閑静な環境を壊す通り抜け車を忌み嫌っているのかもしれません。すると、「通り抜け車」とは何を指すかが問題です。郵便車や宅配車も通ってもらっては困るのでしょうか? それとも、郵便車や宅配車は通っていいが、自家用車は通ってもらっては困る、ということでしょうか? すると、住宅地の住民の車も通れなくなるではありませんか。住宅地の住民の車と「通り抜け車」とをどうやって区別するのでしょう?

(疑問その3)この道路が、完全な私有地内の道路で、外部の車の侵入を禁止するというつもりならば、外部との間に塀を設け、入口に門番を置くぐらいの配慮が必要ですが、そのつもりはないようです。

このように見てくると、この標識は、住宅地の住民の排他的な考えから出た「要請」だということがわかります。

東京の下町などでは、「この道、通り抜けできます」という標識を持つ路地が多くありました。成瀬巳喜男監督の映画が得意とする街角スナップです。

 「これより住宅地に付 通り抜け車 ご遠慮下さい」という標識と「この道、通り抜けできます」という標識は、全く対照的な、コミュニティ-と外部との係わりを表わしています。外部の人を受け入れるコミュニティ-から外部の人を排除するコミュニティ-への変貌は、戦後日本が、意識的にか、否応なくかは別にして、経験してきた軌跡にほかなりません。(2007/9)

現在、この標識は撤去されています。(2014/1)


企業戦士

2013-02-01 08:43:00 | 社会斜め読み

 

アルジェリアの天然ガス・プラントにたいする襲撃事件を受けた日本政府の反応は、予測できたとはいえ、異様であった。

 

菅官房長官は記者会見で、「情報が錯綜して、あるいは情報がなくて、人質となった日本人の安否は不明」と繰り返した。ところが、その言葉は淀み、視線は宙に泳いでいた。「何か、隠しているな。」と読み取れた。肝の据わらない人だな、と思った。この人は、東日本大震災と福島原発事故が起こった時、菅(こちらは、カン)内閣の対応を口を極めてののしった当人だ。「危機管理の強化」を標榜する安倍内閣の官房長官として、どうかな? と感じざるをえなかった。

 

安倍首相は、人質となった日本人を「企業戦士」と呼んだ。懐かしい言葉だ、しかし、古臭い・嫌な言葉でもある。

 

「企業戦士」とは、企業のために、24時間、世界中で働く日本人のことだ。高度成長時代には、誇らしく持ち上げられた人たちだ。しかし、企業のために自己犠牲を厭わない生き方が流行らなくなった今、この言葉は死語に近い。

 

今回犠牲となった日本人を見ると、日揮の役員を「上がった」特別顧問、派遣会社から日揮に派遣された中高年のエンジニアや職人が多かった。一方、日揮の中枢を担う幹部社員や幹部エンジニアはいなかった。これが、アルジェリアのプラントで働く人たちの平均像なのだろう。彼らは、「企業戦士」というよりも、むしろ、前に述べた「外人部隊」と呼ぶのがふさわしい。日揮という企業に雇われた傭兵。この認識は、日揮の記者会見によく現れていた。日揮は、「日本人10人と外国人7名、計17名の犠牲者を出して、痛恨の極み」と表明していた。日揮にとって、日本人も外国人も日揮のために働く傭兵なのだ。一方、日本政府は、「世界中で働く日本人の安全確保にさらに必要な措置を講ずる決意だ」と述べ、その視野に入っているのは、日本人だけだ。日揮と国のスタンスの違いが際立っていた。  (2013/2)


外人部隊

2013-01-26 08:50:45 | 社会斜め読み

 

アルジェリアの天然ガス・プラントにたいする襲撃事件は、政府軍による鎮圧により、ひとまず収束した。

わが国にとっては、日本人10名が犠牲になり、外国人7名を含めると日揮の関係者が17名も犠牲になるなど、考えられる最悪の結末となった。

一方、アルジェリアにとっては、犯人のテロリスト集団の要求に応じず、テロリスト集団を殲滅するか拘束するかすることができ、その上、国の富の源泉である天然ガス・プラントの損傷を最小限に抑えることができたのだから、考えられる最良の結末だったのだろう。

 

日本やイギリスなどアルジェリアに人材を派遣している国々の国益とアルジェリアの国益とがここまで乖離している現実は衝撃的だ。アルジェリア政府が人質となった外国人の安全な救出に意を用いていなかったことが判明したからだ。

 

ここで、「外人部隊」ということばが浮かんだ。高額で雇われた外国の政府のために、情け容赦なく、戦い、殺人を繰り返す兵士のことだ。近年の例では、リビア政府のカダフィ大佐に雇われた外人部隊がリビア国民を無差別に殺害したことが知られている。「金のためには、命を賭ける」というのが外人部隊の信条だ。

 

図らずも、今回わかったことは、日本やイギリスなどから派遣されたエンジニアは、一種の「外人部隊」ではないか、ということだ。彼らは、イギリスの天然ガス掘削会社や日本のエンジニアリング会社に高額(月収300万円ともいわれる)で雇われているものの、働く場所はアルジェリアの砂漠地帯だ。過酷な自然環境に加えて、セキュリティー管理はアルジェリアまかせにならざるを得ない。

 

「あなたも私も買われた命」というフレーズは、「カスバの女」という歌謡曲の一節だ。北アフリカの街の酒場で働く女が、フランスから来た外人部隊の兵士を想っていうセリフだ。このセリフが痛いほど身に滲みる。 (2013/1)

 


世界標準・2

2012-09-29 07:37:37 | 社会斜め読み

 

さて、現役の勤め人であった時、企業から派遣されて「JIS」(日本工業標準)の制定を行う委員会に委員として参加したことがあります。

制定するJISは「日付の表記」のでした。年・月・日をどのように表記するかの標準を定めるものです。日付の表記はすでにISO(世界標準機構)でIS(世界標準)が制定されており、JISはそれに基づく日本における標準として位置づけられる、とのことです。これを、「翻訳JIS」というそうですが、近年では翻訳JISが多くなっているそうです。

さて、単に「日付」といっても、その中には、年・月・日という要素があります。また、それらの並びでも、年・月・日という並びもあれば、日・月・年という並びもあり、また、September 29, 2012 のように、月・日・年という並びも使われています。また、年・月・日の間の「区切り文字」として何を認めるか、についても様々な意見があります。さらに、どのような省略形を認めるかにも種々意見があります。このように、日付の表記には多くのバリエーションがあって、混乱してしまいかねません。

もう一つ、「日付の表記」のJISの制定で議論になったのは、日本における「元号」をどう取り扱うか、でした。元号ははなはだ特殊な年表記方法で、わが国でしか通用しません。「JISだから、それでもいいか」という考えもあります。一方、明治・大正・昭和・平成と続いてきた元号ですが、次の元号がいつ・どのような表記になるかはその時にならないと、誰もわかりません。結論として、元号の取扱いをどうしたか、記憶にありません。

少なくとも、外国との貿易などに使うには元号は適さないことは明らかですし、コンピュータで処理するデータとしても元号は望ましくありません。(イスラム諸国はどうしているのだろうか? ムハンマド歴を使っているのでしょうか?)

年を表わすのに「西暦」が万能だとは思いませんが、貿易やコンピュータ処理の上では、西暦は便利な表記法だと思います。「世界標準」とは、実用上の合理性を追求するためのツールではないでしょうか? (2012/9)


なぜ、日本の航空会社のキャビン・アテンダントは英語が下手なのだろう?

2012-09-27 07:36:00 | 社会斜め読み

 

時々海外旅行に出かけるが、日本の航空会社を利用する。私の場合、日本航空(JAL)を利用することが多い。何回も利用しているうちに、妙なことに気づいた。機内の案内放送で耳にするキャビン・アテンダントの英語が聞くに堪えないのだ。機内の案内放送なので、毎度同じフレーズを聞くのだが、いつでも、誰がしゃべっても、下手なのだ。これが機内でなかったら、まったく理解できないのではないか、と思うほどの英語である。

どのように下手なのか具体的に説明するのはしんどいが、例えば、フレーズが流れない、つまり時々つっかえる、口が回らない、抑揚がでたらめ、などなど。

彼女たちは、大学か短大の出身だろうし、中には、英文学を研究したり、アメリカなどへの留学を経験したりした人もいるかもしれない。そのような、出身や素養をまったく感じさせない機内の案内放送が不思議でならないのだ。

出身や素養がまっさらだとしたら、航空会社のトレーニングに問題があるのかもしれない。おそらく、英語の発音のトレーニグなどまったく行っていないのではなかろうか?

JALの乗客は日本人がほとんどといっていい。けれども、まともな英語を話せないキャビン・アテンダントの存在は国の恥といってもいいのではないか?  (2012/9)


奇人変人列伝

2012-07-01 07:19:43 | 社会斜め読み

 

(1)ビブリオマニア

世の中には、変わった趣味を持つ人や特別に細部にこだわる人が少なくありません。原宿を闊歩するお人形ファッションの女の子もそうでしょうし、JR(旧国鉄)の各駅乗りつぶし(正確には「降りつぶし」でしょう、と半畳を入れたくなりますが)に挑む男性もいます。これらの人たちは、「奇人変人」と総称されます。世の中の奇人変人を見てみましょう。

その第1回は、他ならぬ私自身を取り上げましょう。

私と書籍との付き合い方を客観的に見ると、私もまぎれもなく一人の「奇人変人」です。本を集め、それを棚に並べ、そのうちのいくらかは読み、などしているうちに、いつのまにか家中が本で埋まってしまいました。50歳代前半のことです。最盛期には、16本の本棚が本で一杯になっていました。それも、棚の後列に単行本などを入れ、前列に文庫本などを置く、という二重配置でした。

これらの本を読みつぶすためには、少なくとも150年の余命が必要だとわかりました。そこで、意を決して、蔵書を減らすことにしました。一部は廃棄し、一部は古本屋に処分し、また、一部はインターネットで売却しました。これで、蔵書はかなり減りました。ここまでは、「普通の人」の振舞いです。

ところが、ある時点で、インターネット古書店の面白さに惹かれてしまい、新たに「売るための本」を仕入れるようになりました。これでは、元の木阿弥、手元の本は減らなくなりました。「蔵書」は減りますが、「仕入れ本」が増える、というわけです。

遠く宇都宮まで本の仕入れに赴いたことがあります。仕入れた本は5000円。これに要した交通費は6000円。これでは、何のために、遠くまで出向いたのか、わかりません。

しかし、これには、私なりに理屈を用意しており、遠くまで物見遊山に出向いた経費として交通費の6000円を計上しているのです。物見遊山の「ついで」に古本を仕入れたのだ、というわけです。

「病膏肓に入る」ということばがありますが、ことほどさように、本と付き合う(この場合は、本を「売る」)ために奇策を弄することをいとわない。これこそ、「奇人変人」の典型ではないでしょうか? 

(2)偉大な将棋指し

私の好きな将棋の世界にも、奇人変人といわれる人がいます。加藤一二三九段がその筆頭でしょう。14歳でプロにデビューして、現在(72歳)まで58年現役を張り続けています。名人にもなりましたし、史上最多勝利の記録を持っています。将棋界の第一人者です。

この加藤さんがさまざまな奇癖を持っていることで知られています。

(1)駒の位置を整えるために駒の上をちょんちょんとさすります。あまりそれを続けるためにかえって駒が乱れてしますことがあります。「囲碁・将棋チャンネル」の「銀河戦」の対局で、加藤さんの「駒ちょんちょん」の癖が現われました。指し手が終わったあと、5秒ほど、延々と「駒ちょんちょん」を続け、あろうことか、指した駒を裏返してしまったのです。これは、「待った」をして指し手を変えた行為とみなされます。この行為のため、後日、日本将棋連盟から出場停止などの制裁を受けました。

(2)将棋の対局は夜にまで及びます。昼食と夕食を対局の休憩中にとります。書生が「てんや物」の注文を対局者から取ります。加藤さんは決まって「昼はうな重、夜もうな重」を注文します。「どうして、いつも同じ食事なのですか?」と聞かれて、わけのわからない受け答えをしているのを耳にしました。最近は、「昼はにぎり鮨、夜もにぎり鮨」に代わったそうです。

(3)対局以外にも加藤さんは奇人変人ぶりを発揮しています。自宅の庭に集まる野良猫に餌付けをして、それが近隣の生活環境を乱すとして、近隣の住民に訴訟を起こされ、加藤さんが敗訴しました。詳細は知りませんが、悪臭が発生したり、野良猫の鳴き声が大きかったりしたのでしょう。

加藤さんは判決を受け、「(餌付けという行為は)悪いことだと思っていないが、判決には従う」というものでした。

奇人変人ぶりが度を越せば、非難の対象となります。「駒ちょんちょん」はルール違反になって制裁の対象となりましたし、「野良猫の餌付け」は社会規範に触れるとして社会から非難されたのでした。

(3)変わった文体

サラリーマンは変わったところが少ないのが特徴です。というよりも、サラリーマンは、表面上、変わったところを押し殺して生活しているのが実情でしょう。

私の知人でサラリーマンをしていた男がいます。Aとしましょう。Aは知能が極めて高く、記憶力抜群で、仕事の処理能力も優秀でした。

さて、以下はAの文章です。

「昨日は腕前のほど、しかと拝見。肉体作業といい、魚のおろし方といいスマートその物。垢抜けでした。腰痛を理由に、楽チンコースに回り後のフルコースを堪能するばかり。これに懲りずに次回も声を掛けて。どうも有難うでした。」

何となく、奇妙な違和感を覚えます。体言止めが多いのです。「拝見。」「その物。」「ばかり。」など。「垢抜けでした。」「有難うでした。」も体言に形式的に「でした。」を付けたもの。「声を掛けて。」は「ください。」を省略したものか?いずれも、語尾の収束法に苦労しているようなのです。

言葉の専門家の文章クリニックにかければ、次のような文章に変えます。

「昨日は腕前のほどをしかと拝見しました。貴君の肉体作業といい、魚のおろし方といいスマートその物でした。垢抜けているといってもいいかもしれません。腰痛を理由に、私は何も手伝わず、楽チンコースに回り、後のフルコースを堪能するばかりでした。これに懲りずに次回も声を掛けて。どうも有難うございました。」

ここで気がかりなのは、Aは、サラリーマン時代にも、このような文章作法を続けていたのだろうか、という点です。ビジネス文書で体言止めの多い文章を綴れば、胡散臭い眼で見られ、「奇人変人」扱いされたのではないか? ご本人に確認したことはないのですが、「優秀だが、変わっているサラリーマン」とみなされていた気がします。 

(4)定年後の語学学習

サラリーマンを退役したAの文章を見ても誰も「奇人変人」扱いしません。そう、現役を退いた人は何をやろうとも自由なのです。もはや、サラリーマン社会の規範に縛られないのです。

さて、Aが最近、語学にのめりこんでいると聞きました。

もともとAは外国語の学習が好きで、英語に加えて、ドイツ語・ロシア語・フランス語もマスターしてしまいました。「何でロシア語を習うのか?」とAに聞いたところ、「ドストエフスキーを原語で読みたいから。」と返ってきたことを覚えています。なるほど。Aには外国語をマスターする独特の手法があるらしいのです。

そして、退役後のAが選んだ新しい外国語が中国語でした。なぜ中国語を選んだのか、気になるところです。「中国の取引先とスムーズに話を進めるには中国語を知っていたほうが便利だから。」とか「魯迅を原語で読みたいから。」とかいう答えを予想しましたが、Aの答えはあいまいで要領を得ません。

ここではたと膝を打ちました。Aは、商売とか研究とかの道具として語学学習を見ているのではなく、語学学習そのものが目的なのではないだろうか?

昨年、Aは中国語を学習するために、短期間の「語学留学」を上海で行ってきました。そして、今年になって、本格的に、数ヶ月の「語学留学」を上海で敢行するために現地に飛び立ちました。これほどまでに語学自体が打ち込む対象になりうるとは。驚きです。一般に世間では、Aの行動を「奇人変人」のそれとみなすかもしれませんが、ご本人がそれに意義を見出しているのであれば、それに対してあれこれいうのは、「余計なお世話」かもしれません。 

(5)「軍事オタク」の政治家

北朝鮮がミサイルを打ち上げることになり、その軌道が沖縄の先島諸島をまたぐかもしれないことが明らかになって、国が緊張しています。近辺にイージス艦を配置して地対空迎撃ミサイルの発射準備をしたりと大変です。

さて、このような国の防衛問題に特に詳しい政治家がいます。自由民主党の石破茂氏です。自民党政権時代に防衛大臣・農林水産大臣を歴任し、自民党政務調査会長も勤め、自民党の総裁選挙に立候補したこともある大物です。

決して正面を見ず、斜め右を見ながら話す話しぶりが妖しい雰囲気を醸しますが、話す内容は理詰めで説得力があり、自民党の論客という定評があります。

自民党が野党に回り、石破氏は政府の防衛政策を問う側に回りました。相手は、防衛大臣・田中直紀氏です。石破氏にとって、これほど相手にしやすい、つまり、いじめやすい相手はいません。15年か20年国会議員を勤めた割りには、防衛問題を勉強した跡が見られない防衛大臣が相手だからです。

早速、衆議院の予算委員会で質疑が始まりました。石破氏は田中氏に向かって、防衛問題の基本概念を細かく聞きます。当然、田中氏はしどろもどろになります。

テレビ映像が映し出す委員会風景は、まるで、入社試験の口頭試問のようでした。石破氏が、ここで、「それ見たことか。何もわかってないじゃないか。」と思ったかどうかはわかりませんが、「なるほど、石破氏は『軍事オタク』なのだ」ということを実感しました。

現下の緊迫した朝鮮半島情勢では、国会で審議すべきは、北朝鮮の軍事挑発への対峙の仕方、中国を後押しして北朝鮮の暴走を制止する外交手段、などでしょう。自らと防衛大臣との防衛知識の優劣を争っている場合ではありません。このことを、石破氏は理解していません。彼もまた、政治家としては、「奇人変人」に類するのではないでしょうか?   

(6)「昭和レトロ」の語り部 

映画『三丁目の夕陽』がヒットするなどして、昭和30年代への懐古の情が顕著になっています。特に、経済の高度成長を記憶している世代にとって、高度成長前ののんびりとした時代はかけがえのないものに映ります。

さて、「旅チャンネル」に時々登場する人に、町田 忍がいます。「昭和風俗研究家」を名乗っています。彼は、現在の街中を徘徊しながら、「古き良き昭和」の名残りを探し求めます。

彼の収集物を列挙します;

「偽木(ぎぼく)」:コンクリートで木材を模したもの。公園の境界標識や掲示板などに使われている。

「不二家のペコちゃん人形」:不二家の店頭に置いてあるあれです。

「狛犬」:神社の門前に左右一対に配してある石製の狛犬です。

これらの収集物は自分のものとすることはできないので、町田氏は写真に撮って残します。彼のカメラは銀鉛フィルムのカメラです。決して、ディジタルカメラには手を出しません。

「征露丸のパッケージ」:整腸剤。今は「正露丸」。歴代のパッケージを変わるごとに集めている。

「街頭配りティシュー」:今は、中身のティシュー・ペーパーを捨て、広告主のラベルのみを集めているとのこと。

これらの収集物にどういう意味があるかはにわかにわからない。

「古き良き昭和」を懐かしむ点では同じ気持を持ちますが、だからといって、「征露丸のパッケージ」や「街頭配りティシュー」を集めてどうなるのでしょう。まさに、町田氏は昭和レトロの残り香に魅了された「奇人変人」の一人といえましょう。 

(7)サンタクロースがやってきた 

大学のクラスメート(「B」と呼ぶ)にほぼ40年ぶりに再会しました。サラリーマンを退役したはずですが、最近Bがどのように生活しているかはわかっていませんでした。待ち合わせ場所に行くと、サンタクロースのような男がいました。白髪に加えて、whiskers(ほおひげ), beard(あごひげ), mustache(口ひげ)がもじゃもじゃと生えていて、総白髪でした。まさに、サンタクロースそのものでした。

話してみると、昔の人懐っこさがそのまま残り、知的好奇心も相変わらず活発なことも確認できました。すると、サンタクロース風の風貌は何を意味しているのか? 考えさせられます。

しばらく考えて得た結論は、Bはサラリーマン退役後の生活をそれまでの生活とはっきり区別するために、サンタクロース風を装っているのではないか、というものでした。 

(8)PC卒業

サラリーマンを退役したBは、それまで使っていたPCを使うのを止めた、という。これには驚きました。「PCは持っているが、使っていない。メール・アドレスは忘れた。」

そのため、Bとの連絡はすべて郵便です。

私は主宰する将棋愛好会の連絡で、PCを持たない先輩への連絡で郵便を使うことがあります。80円切手が見る見る減っていきます。したがって、郵便での連絡には違和感を覚えません。しかし、それは「先輩」への連絡に限られていて、「同輩」や「後輩」にはPCを持たない人はいませんでした。今や状況は変わったようです。

さて、Bとの会話の中で、Bから、「昔の懐かしい外国映画をみるにはどうしたらよいか?」と聞かれました。私は、得たりや応と、「それなら、インターネットで検索すればすぐわかるよ。」と答えたのですが、Bは「もう、そういうのはいいよ。」というばかりでした。

ああ、PCやインターネットは「そういうの」に成り下がってしまったわけです。

振り返ってみると、個人がPCを持てるようになったのが、20年前から15年前のこと。それまでは、外国映画のプログラムを調べるために、新聞や「ぴあ」などで情報を集めていたわけです。PCとインターネットのおかげで、新聞や「ぴあ」に頼る必要がなくなったわけですが、PCがなければ情報が集められないわけではありません。PCを拒否するBを「奇人変人」と見ることは必ずしもフェアではありません。

PCを捨て、サンタクロースに変装していても、読書量は多く、知的好奇心も旺盛です。そして、現在、Bは銅板画の制作に没頭しているそうです。 

(9)趣味と収集癖

何をもって人を「奇人変人」と評するのでしょうか?

趣味と収集癖との関係を考えてみたいと思います。

例えば、「いけばな」を趣味としている人、ゴルフを趣味としている人、読書を趣味としている人は、「すてきな趣味ですね。」とか、「健康にいいでしょう。」とか、「博学多才になりますね。」とか評されます。趣味とは人間の生に潤いを与える潤滑油だとして認められているわけです。

ところが、「いけばな」の趣味が高じて高価な花器を集め始めたら周りの人の目が急に厳しくなりますし、ゴルフのクラブを毎年更新すれば奥様からクレームが出ますし、本を読まないで棚に積んでおくだけだと「家が狭くなる。」と周りの猛非難を浴びます。これらは、本来の趣味の範疇を超えた「収集」だとみなされるからです。どうやら、このあたりが「奇人変人」と呼ばれるか呼ばれないかの境界線のようです。

「収集癖」が人の病であることは疑いありません。

「軍事オタク」の政治家が収集しているのは「防衛大臣の失言」でしょうし、「昭和レトロの語り部」が収集しているのは「昭和の残り香のある『偽木』の写真集」です。

また、退役後に中国語の習得に熱中するのも、外国語の一種の「収集」です。

かくいう私も本の収集に明け暮れてきました。いまではそれを逆手にとって、「インターネットで本を売る」ことを趣味にするようになりましたが。

さて、以上のような「収集家」に比べて、PCを捨ててサンタクロースに変装したBの場合は、取り立てて何かを収集しているわけではありません。早くに、「悠々自適」の境遇を獲得したに過ぎません。その意味で、Bは純粋な老人なのかもしれません。「何かを収集する」という俗物の思いつきをはや卒業しているのですから。  (2012/3-4)


ポピュリズムの行方

2012-06-25 07:36:13 | 社会斜め読み

 

小泉純一郎氏による「郵政解散」によって行われた総選挙(2005年)で自民党が歴史的圧勝を記録したとき、わが国の国民のポピュリズムへの志向が露呈した。ポピュリズムとは「大衆迎合主義」とも訳されるように、国民受けするキャッチフレーズやスローガンを掲げて国民の支持を取り付ける政治手法のことを指す。小泉氏が掲げたスローガンは「自民党をぶっ潰す」だった。それに快哉を叫んで国民は自民党に投票した。(その後、自民党は本当につぶれてしまったのは記憶に新しい。)

4年後の2009年の総選挙では、自民党に嫌気の差した国民は民主党に大勝させた。国民の政治的振り子がここまで大振れしたのは初めてのことだ。民主党の掲げた「子ども手当て」や「農家戸別補償」などのポピュリズム的マニフェストが国民の心を捕らえた結果である。(その後、民主党のマニュフェストが次々と壁にぶつかり、撤回または先送りになっていることが現状だ。)

さて、ここに来て、民主党の政治手法がかつての自民党のそれと変わらないことに気づいた国民は、激しい既存政党離れを表わしている。自民党もダメ、民主党もダメ。そこで、国民の期待は地域を変革することを掲げる地域政治団体に急速に向けられている。橋下徹大阪市長の率いる「大阪維新の会」がその代表だ。反既成政党の民意をたくみに捉えた橋下氏の政治手法もまたポピュリズムに依拠したものであることは明らかだ。

職員の入れ墨調査だとか、労働組合活動調査だとか、教員への「君が代」斉唱の強制だとかを指揮する橋下氏の姿を見て快哉を叫ぶ市民がいる一方、これに違和感を感ずる市民も多い。これを橋下氏をもじって「ハシズム」と名付けた週刊誌があった。なるほど、ファシズムの政治手法に似たところがある。

ポピュリズムの危ういところは、大衆に迎合することにより国民を引き付け、ファシズムに似た政治体制を作り上げることにある。ドイツのナチス政権が典型的な例だ。

現在のポピュリズムの跋扈には警戒してかかる必要がある。 (2012/6)

 


ホルムアルデヒド

2012-05-25 07:58:02 | 社会斜め読み

 

利根川水系から取水している関東各県の浄水場で、基準値以上のホルムアルデヒドが検出されて大騒ぎになった。一時、広域にわたる上水道の断水を引き起こした。

原因はまだ特定されていないが、沿線の化学工場からの漏出が最も疑われている。

化学会社に勤めていた友人から面白いことを聞いた。

水源地から流れ下る川は、扇状地に入るとゆっくりとした流れに変わる。そのため、扇状地の要の地点に化学工場を立地する、というのだ。そのため、彼は、現役時代には、ある扇状地の要から他の扇状地の要へと転勤を繰り返した、という。

彼の観測では、利根川水系に立地している化学会社は内々では自らの「加害性」を自覚しているはずだ、とのこと。名乗り出る勇気と社会的責任に欠けているだけなのだ。ここでも、わが国に特有の企業風土が垣間見えて残念に思う。  (2012/5)


新しいワーク・スタイルへ(労働の質の再生)

2012-02-16 07:49:11 | 社会斜め読み

 

(1)労働の質の変容

 

わが国の「バブル崩壊」が1989年。その後の10年間は、内需が停滞し、証券会社や金融機関が破綻するなどして、外国からは「日本の失われた10年」といわれました。世界経済に何の貢献もしてこなかった10年間、というわけです。

 

さて、それからまた10年が経過しました。その10年間を何と表現したらよいのでしょうか?

私は「もう一つの失われた10年」と評したいと思います。

この期間は、ITミニバブルが崩壊した後、小泉純一郎の率いる内閣が「市場原理主義」を推し進めた期間です。「市場原理主義」を推進した結果、地方が疲弊し、格差が拡大し、労働の質が劣化しました。特に、私は、「労働の質の劣化」に注目したいと思います。

 

パート・タイマー、アルバイト、派遣社員、期間工、季節工。これらは、まとめて「非正規労働者」と呼ばれます。個々の間の違いはよく知りませんが、まさに、「正規でない労働者」であることは間違いありません。

 

わが国の経済が低成長時代に入り、企業収益を確保するために、企業は、コストの高い「正規労働者」を抑えて、コストの安い「非正規労働者」を大量に導入しました。それを可能にした一つの要因が、ITの普及だと、寺島実郎氏が述べています。つまり、ITの普及により、熟練労働の需要が減少し、極端にいえば、レジ打ちだけできればいい労働者の需要が拡がった、というわけです。

 

一方で、中小企業に点在する熟練労働者が、低賃金のまま置かれています。

 

このように、わが国では、低成長化に伴い、労働の需要が減っただけでなく、労働の質も劣化し続けています。これでは、国力が浮揚するはずがありません。 

 

(2)ワークスタイルの変容

 

低成長時代に入り、国内需要が爆発的に増大する期待がもてないとすれば、労働のあり様に変化が生まれることは必然です。非熟練労働の需要の増加、「非正規労働者」の増加がそれです。

その中で、できる限り、労働の質を維持する方策が求められます。

 

オランダなどでは、解決策を「ワーク・シェアの導入」に求めています。

「ワーク・シェア」は、少ない仕事を多くの労働者で分担することにより、多くの人の雇用を確保する仕組みです。当然、一人あたりの労働時間は少なくなり、オランダでは、週30時間程度です。また、一人あたりの賃金も減少します。

 

「ワーク・シェア」により空いた労働時間を埋め、目減りした賃金を回復するには、新たな方策が必要です。

 

第一に考えられるのは、空いた労働時間で、もう一つの仕事をすることです。

例えば、会社員の例を挙げると:

 月曜日:会社勤務

 火曜日:会社勤務

 水曜日:河川改修の仕事に従事

 木曜日:会社勤務

 金曜日:会社勤務

 土曜日:休日

 日曜日:休日

 

もう一つの仕事は、本来の仕事と違う内容・違う質のものでもいい。それが、このワーク・スタイルの特徴です。もう一つの仕事は、国や自治体が供給することができます。また、もう一つの仕事は、国の推進する「再生戦略」に基づく地域再生の仕事などにすることもできます。

 

さらに、重要なことは、「もう一つの仕事」は、好きな時に好きな時間だけ働くことが選べることです。

すると、この「もう一つの仕事」は、空いた労働時間を埋め・目減りした賃金を回復する目的に活用できるだけでなく、ボランティア活動の対象にすることもできるということが容易に類推できます。

 

これまでは、単一労働に従事することが当然のように考えられてきましたが、「マルチ・ワーク」のワーク・スタイルを普及させることにより、多くの「正規労働者」を確保する一方、地域の再生に貢献する労働力も確保することも期待できます。

 

・・・以上は、2010年初頭の三つ目の「初夢」でした。 (2010/2

 

 


温度上昇のわけ

2012-02-14 07:26:47 | 社会斜め読み

 

福島第一原子力発電所の2号機の発電機内部の温度が80℃を超えたと、温度計の一つが表示した。政府はすでに福島第一原子力発電所の「冷温停止」を宣言し、再臨界など起きるわけがないとしているので、さぞあわてていることだろう。

 

何本かある温度計の一つがそのような「異常数値」を示しているのであり、ほかの温度計は通常の数値を示している。だから、・・・問題ない、と政府はいいたいのかもしれない。

 

東京電力は、その「異常数値」を示した温度計を「取り除く」ことを計画しており、政府の悪名高き「原子力安全・保安院」も東京電力の計画を追認する意向だという。

 

ちょっと待ってほしい。

 

80℃を超えた温度計がおかしいとなぜいえるのだろう。

 

ここで取るべき措置は、新しい温度計を80℃を超えた温度計の近傍に送り込み、二つ温度計の数値を比較することがまずやるべきことだろう。

新しい温度計がほかの温度計と同じく通常の数値を示していれば、80℃を超えた温度計の方が異常だといえよう。その検証が終了してから、80℃を超えた温度計を撤去するのが妥当ではないか?

 

一方、新しい温度計が80℃を超えた温度計と同じような数値を示したら、それは、その場所が確かに高温だという証拠になるのではないか?

 

このような「科学的アプローチ」がなぜ取れないか。疑問は尽きない。 (2012/2

 


URとは何だろう?

2011-10-03 07:40:08 | 社会斜め読み

 

(1)名前をめぐって

 

首都圏・関西圏・福岡県の人には馴染みかもしれないが、URとは「都市再生機構」という独立行政法人だ。上記以外の地域の人にとっては縁のうすい機構かもしれない。賃貸住宅の供給を主たる事業としている。URは Urban Renaissance の略だ。

 

昔の「住宅公団」は広く知られた名前だった。戦後の住宅不足を補うために国策として住宅を大量に供給する使命を担って大いに名を馳せた。首都圏では、多摩ニュータウン・高島平団地・千葉ニュータウンなどの大規模な集合住宅のコミュニティーが形成されたのは、ちょうど高度成長時代の最中のことだった。「団地」のことばが一気にポピュラーになった。

 

その後、「住宅公団」は「住宅・都市整備公団」→「都市基盤整備機構」→「都市再生機構」とめまぐるしく名前を変え、現在にいたっている。名称変更の理由は定かでないが、主管である国土交通省の方針に沿ったものであることは間違いない。

 

ところが、都市再生機構の面々はこの組織名を嫌っているらしいのだ。

賃貸借契約書には、さすがに、「独立行政法人 都市再生機構」の名称が使われている。しかし、この正式名称はそこにしか現われない。

 

例えば、URの発行している入居者向けの「住まいのしおり」の表紙には、「UR賃貸住宅」・「UR都市機構」の名称とともにURのロゴが印刷されている。どこにも「再生」の二字は見えない。また、「はじめに」のページを開けると、「この度は、UR賃貸住宅にご入居いただき、誠にありがとうございます。UR都市機構」とあり、ここでも「再生」の二字を無視する徹底ぶりだ。

 

「再生」を嫌う一方、「UR」を重用する。これが都市再生機構の基本スタンスのようだ。これが国土交通省の指導によるものとは考えにくい。

むしろ、JR→旧日本国有鉄道、NTT→旧日本電信電話公社などと同じく、UR→旧住宅公団を想起させるための、都市再生機構のイメージ戦略のようにみえる。 

 

(2)申込み

 

さて、都市再生機構(UR)の賃貸住宅に入居するには、2回、その事務所に赴かなければならない。申込み時と契約時だ。

 

URは募集・契約業務を担当する事務所を、首都圏でいえば、新宿・大宮・横浜などに構えている。そのどれかに入居希望者は赴いて、申込みと契約の手続きをする。私は近くの横浜の事務所を利用した。

 

入ると、ずらっと、40歳代か50歳代かの窓口係員が並んで出迎える。この人たち、給料は高いし、退職金の負担があってURは大変だろうな、と余計な感想を持つ。

 

申込み時に、契約書の原案と「修理細目通知書」を渡され、次回の契約時までに目を通すように言われた。また、次回の契約までに、前払い金を銀行に納めて、その領収証を持参するように言われた。 

 

(3)賃貸借契約書・第12条

 

前払い金を銀行に納め、その領収証を持参して、横浜の事務所を再び訪れた。契約するためだ。

事前に契約書の原案と「修理細目通知書」をチェックしたところ、不明な点があって、それを明らかにしたいと思った。

 

まず、契約書第12条(賃借人の修理義務)にはこうある:

「賃貸住宅について、次の各号に掲げるものの修理又は取替えは、賃借人の負担において賃借人が行うものとする。

 一 畳

 二 障子、ふすま等外回り建具以外の建具及び外回り建具のガラス

 三 その他別に機構が定める小修理に属するもの

2 機構は、前項各号に掲げるものの細目については、あらかじめ、賃借人に通知するものとする。

3 (略)」

 

これだけの文言では、賃借人の修理義務とは何か、をにわかに判定しがたい。

 

ところが、「修理細目通知書」がこれにリンクしているらしいことがわかった。

「賃借人各位 独立行政法人都市再生機構」と題する「修理細目通知書」は、契約書と同じA4判の紙の表裏にびっしりと「修理細目」が記載されている。その項目を掲げれば、「畳」「建具」「壁」「床」「浴槽等」「放熱器・エアコン」「備品その他」「給排水設備」「電気設備」「換気設備」「ガス設備」「換気乾燥設備」に渡っており、それぞれの項目ごとに修理の細目が書き込まれている。

 

初め、この「修理細目通知書」は、機構が賃貸するにあたり、これらの修理を実施しました、という通知書かと思った。ところが違うらしい。賃借人が賃借期間中にこれらの修理の細目を実施する必要を認めたら、賃借人の費用負担で修理を実施しなければならない、ということらしい。

 

例えば、10年も住んでいたら、「給排水設備」のうち、「各種給水・給湯栓」がへたってくることも当然起こってくる。その修理も賃借人負担だという。これには驚いた。

「民間の賃貸契約とずいぶん違いますね。」と聞くと、係員は「はい、違います。」と涼しい顔して答える。

 

「それで、私の借りる部屋は、この多くある細目のうち、どれとどれを気にする必要があるのでしょう?」「そういう(情報提供)サービスは行っておりません。」これにも驚いた。自分の部屋に、どの設備があるのか、ないのかは自分で判断しなさい、ということらしい。結局、「修理細目通知書」に関して、係員の説明を一切受けられなかった。

 

(4)賃貸借契約書・第13条

 

契約書第13条(原状回復義務)にはこうある:

「賃借人は、賃借人の責に帰すべき理由により、賃貸住宅を汚損し、破損し、若しくは滅失したとき又は機構に無断で賃貸住宅の原状を変更したときは、第12条の規定にかかわらず、直ちに、これを原状に回復しなければならない。」

 

例えば、入居後、エアコンを取り付けたならば、退去時に、それを撤去して部屋を明け渡さなければならない、ということだ。その限りでは理解できる条項だ。

 

「しかし、個々の事案で、本当に賃借人の責に帰すべき理由にあてはまるかどうかは、判断が難しいのではないですか?」

「いいえ、大丈夫です。ここにある『原状回復等のご案内』というパンフレットをご覧いただければ、お判りになると思います。」

 

壁(クロス張)では、「傷・破れ」「クレヨン、マジック等による落書き」「タバコのヤニによる甚だしい黄ばみ」は入居者負担で、「テレビの放熱跡(電気焼け)」「ポスター跡(日焼け)」は機構負担となっている。

 

「それでは、このパンフレットを契約書の付属文書にしてください。」

「それは、できません。」

「???」

「パンフレットに書いてあるのは、あくまで『例示』であって、実際は、機構の査定員が個々に査定いたします。」

「査定員は何を基準に査定するのですか?」

「・・・」  

 

(5)押し問答

 

ここから、延々と押し問答が始まった。

 

こちらの言い分は、賃貸借契約書だけ読んでも、抽象的であいまいなので、「修理細目通知書」と「原状回復等のご案内」を契約書の付属文書としてほしい、というものだ。

 

応対者が窓口の係員から「責任者」と称する人に代わった。名刺を求めた。

「所属 UR都市機構 募集業務受託者 財団法人住宅管理協会東京支部

 受託業務従事場所 UR都市機構 募集販売本部 UR横浜営業センター

 受託責任者 xxxx」

とあって、下欄に所在地・電話番号・FAX番号が書いてある。

 

ずいぶんいろいろ書いてある名刺だが、要するに、都市再生機構が募集販売業務(の一部)を外部委託しており、その委託先の責任者というわけだろう。「上は?」と聞いたら、「新宿の・・・」と言っていたから、「UR都市機構 募集販売本部」のことだろう。

 

なぜ、押し問答になったか?

 

1.「修理細目通知書」に重要な意味があるのだが、その細目の説明をしようとしない。

 

2.「修理細目通知書」と「原状回復等のご案内」を契約書の付属文書とする要求については、窓口の一存ではできない、という。「それはわかります。上の方と協議してください。」「でも、すぐには無理ですよ。」「しかるべき速さで協議してください。」「そうすると、本日の契約はできないことになります。」「それは困ります。すでに、前払い金を払ったことでもありますし。」「なんとか、現状のままで、ご契約いただけないでしょうか?」「上の方と協議するという確約をください。」「それは、もう、協議しますよ。」「その言葉ぶりでは、信用できません。この名刺の裏に、『賃借人からあった契約書変更についての申し入れを、誠意をもって上に伝え、その結果を速やかにご回答します。』と書いてください。」「弱ったな。そんなこと、できないですよ。」「それでは、私は、『修理細目通知書』に捺印できません。」「弱ったな。そんなこといわれる賃借人は初めてですよ。それでは、『電話させていただきます。』と書きましょう。」「わかりました。それでは、『修理細目通知書』に捺印します。よろしくお願いいたします。」

 

数日後、この責任者から電話があった。「お客様のご要望を上に伝えて検討してもらったのですが、お客様のご要望にお応えするのは難しい、とのことでした。誠に、申し訳ございません。」こういう回答が来るのはわかっていた。これ以上、窓口の責任者を責めるつもりもない。

 

ところで、最初に応対した係員も次の責任者も、「宅地建物取引主任者証」を提示しなかったが、これは法律違反ではないか?  

 

(6)その存在価値

 

都市再生機構の前身の住宅公団は、戦後の住宅不足を補うために国策として住宅を大量に供給する使命を担って、それなりに意味があった。今はどうであろうか?

 

LDK(65)の住宅の家賃が月額134,100円。

基準月収額が330,000円または基準貯蓄額が13,020,000円。

 

これがUR賃貸住宅の入居条件だ。明らかに、低所得層は相手にしていないことがわかる。

発足当時の住宅公団は低所得層でも手が届くところに存在価値があったが、今やその存在価値は変質している。中産階級しか相手にしていないのだ。それに対して、多額の国の補助金が投入されている。これはおかしいではないか? ということで、「事業仕分け」に取り上げられた。「民間でできることは民間に」という理念からすれば、中産階級相手の住宅供給は民間の最も得意とするところだ。なぜ、あえてこれに国が関与しなくてはいけないのか? 国(国土交通省)と都市再生機構がどう答え、「事業仕分け」の結果がどうなったかは知らない。

 

少なくとも、私の経験からいえば、窓口係員の重要事項の説明能力不足や横柄な態度など、同種の民間不動産業の足元にも及ばないことは明らかだ。窓口業務の委託先への丸投げや契約相手との真摯な交渉の拒絶などは、国の出先機関(独立行政法人)の最も悪いところを忠実に踏襲している感がする。ここに戦後官僚制の悪しき残渣が露呈しているという思いを抱いた。   2011/6-7