静聴雨読

歴史文化を読み解く

青森の旅

2012-03-31 07:56:49 | 足跡ところどころ

 

(1)「三八」へ

思い立って、青森を旅した。きっかけは、将棋の竜王戦第5局(渡辺 明竜王対丸山忠久九段)が青森県八戸市で開催されるので、その観戦をしてみよう、ということだった。竜王戦は7番勝負で、どちらかが4勝した時点で勝負は打ち切りとなる。第2局を終わった時点で渡辺竜王が2連勝で、はたして第5局が実現するかどうか決まらなかった。第3局で丸山九段が1勝を返し、ようやく、第5局が行われることが決まり、旅の準備を始めた。

八戸市は青森県南東部にあり、三沢市と合わせて「三八」と呼ばれているそうだ。北西部の「津軽」と北東部の「下北」に比べて、寒さは緩く、降雪量も少ないらしい。

今回は、将棋竜王戦第5局の観戦のほかに、三沢にある「寺山修司記念館」を是非訪れたいと思っていた。三沢は寺山修司が青春を過ごした町で、寺山はこの町に愛憎こもった感情を抱いて後年を生きてきた。

また、地図を見ると、おいらせ町も近いようだ。「おいらせ」というと十和田湖方面を連想するが、実際は東海岸にまで延びた大きな町である。ここに、「大山将棋記念館」があるという。十五世名人・大山康晴の肝いりでできた記念館だから、今回の竜王戦観戦の付けたしとしてピッタリだ。

三沢と八戸へ行くには、東北新幹線を利用する手と飛行機で羽田から三沢まで飛ぶ手とがあるが、今回は飛行機にした。朝一番の便はほぼ満員で、驚いたことに、国内便では滅多にないことだが、アメリカ人が半数を占めている。そう、アメリカ空軍三沢基地にいく乗客が多いのだ。体格がよくて、スキンヘッドの乗客が多い。 

(2)寺山修司記念館

朝の三沢空港に降り立つ。空気がキリっと締まった感じで、寒さが身に染む。

空港から「寺山修司記念館」までタクシーで行く。2240円。

寺山修司を特徴付けるのは、昭和のサーカスやバーレスクに見られたギニョールや奇形人間だが、それらのイメージがこの記念館にも溢れている。部屋の中に机をいくつも置き、それぞれの机の引き出しに寺山の断片を詰め込む演出などはなかなかの見ものだ。このようにユニークで飽きない展示をしている記念館を私は知らない。

ロビーでは、寺山と三沢についての記録映像が放映されていた。寺山は、生前、三沢に帰りたがらなかったそうだ。寺山の三沢への愛憎半ばする感情はこれから解かねばならないことだ。

同じように、故郷に対する愛憎の気持を表わした先輩が、そう、太宰治だ。太宰は津軽の旧家に生まれたことのコンプレックスを文学にし続けた。一方、東京での放恣な生活にひたって、旧家に生まれたことのコンプレックスを増殖し続けた。

寺山の場合は、太宰とやや異なり、自らの三沢に対するコンプレックスを諧謔的に表現した。その最も典型的なのが、母・ハツへの感情の表わし方に見られる。寺山は、そのエッセーや短歌の中で、しばしば、母を「殺して」いる。もちろん、それは一種の「諧謔」なのだが、何回も何回も現われる「母殺し」のテーマの執拗さには驚かされる。

(3)大山将棋記念館

「寺山修司記念館」は何時間でも過ごせる施設だが、次の訪問先に行く予定がある。三沢空港から「寺山修司記念館」まで送ってもらったタクシーの運転手が迎えに来てくれて、おいらせ町の「大山将棋記念館」まで再び送ってもらった。5410円。

大山康晴十五世名人とおいらせ町とのつながりの経緯はよくわからない。わかっているのは、この町が将棋で町おこしをしようと企画し、原子力発電施設の誘致による交付金を財源とした「大山将棋記念館」を設立して運営し、将棋大会を開催するなどしてきた、ということだけだ。

現在の記念館には、旧宮家に贈った珍しい書体の将棋駒だとか外国人向けの将棋駒などが展示されている。王(玉)は「K米」と表記してある。「K」はKing で、「米」は駒の動ける範囲を表わしている。王(玉)は前後左右どこにでも動ける、というわけだ。

ほかには余り見るべきものはなく、早々に記念館を辞した。「青い森鉄道」の下田駅までバスに乗った。下田駅は開業130年とかで、古い伝統のある駅なのだが、駅前には商店が一つもない。一軒ある食堂は閉鎖されたままだ。 

東北新幹線が青森まで開通して1年。八戸から青森までの旧東北本線は「青い森鉄道」に移管された。新幹線の停まらない「青い森鉄道」の沿線駅の周辺は寂れるままなのだろうか?  

(4)将棋竜王戦第5局

東北新幹線が八戸駅に停まるので、八戸の街の中心は八戸駅の周辺にあるのかと思っていたのだが、そうではないらしい。八戸駅から八戸線で東に2駅行った「本八戸(ほんはちのへ)駅」周辺が八戸の街の中心なのだ。ちょうど、関東の「本川越(ほんかわごえ)」のような位置関係で、元々の繁華街はこっちにあったのですよと、「本」の字が主張している。

その繁華街は本八戸駅から南に2ブロック行ったところにあった。私のホテルもその近辺にあった。百貨店、飲食店、飲み屋街などが昔ながらの細い道の周辺にひしめいている。

竜王戦の対局は、その繁華街からさらに南下した「スターホテル」で行われた。

ここまで、渡辺竜王が3勝、丸山九段が1勝。この第5局での結果次第で竜王戦が終了するかもしれない。事前の大方の予想は「渡辺竜王有利」で、4勝0敗か4勝1敗という予想が多かった。私も同じような予想をしていた。実際の進行も予想通りだ。渡辺竜王のタイトル防衛の瞬間を現場近くで見てみたいと思ったわけだ。

この第5局は二日目の朝から局面が動き、渡辺竜王が攻勢を続け、ついに勝ちきった。竜王位8連覇の達成だ。

スターホテルのホールでファン向け大盤解説会を聞いた。立会人の中村修九段、先崎 学八段、NHK解説の鈴木大介八段、佐藤和俊五段が入れ替わり解説した。途中、形勢に差がついてしまったのだが、丸山九段が辛抱して盛り返したらしい。しかし、止めの「香打ち」があって、渡辺竜王が寄せきった。解説者の誰も、この「香打ち」を予測していなかった。このあたりに当事者と傍観者の違いが浮き出て面白かった。

さて、将棋界の青森出身棋士としては、この日登場した先崎学八段と行方尚史八段がいる。

先崎八段は棋士には珍しく文才があり、多くのエッセーを出版している。一方、しゃべりの方はあまりうまくない。ということは、青森の先輩、そう、太宰治にそっくりなのだ。先崎八段は十代から二十代にかけて、荒れた生活をしていた(と、本人が言っている)が、その点も太宰に生き写しだ。

行方八段はそのシャイな話しぶりがやはり太宰に似ている。彼は八段になって、今や、地元のアイドルらしい。

先崎八段にしても行方八段にしても、すぐに太宰を思い出させるということは、太宰が青森の人物の原型であり典型であることの証左である。

(5)豊かな魚介類

翌朝、「八戸あさぐる」のサービスを使って、朝市を覗いてきた。タクシーがホテルまで迎えに来てくれて、陸奥湊駅前の朝市会場まで送ってくれ、1時間半後に、ホテルに送り返してくれるサービスで、1200円。

朝市の主役は魚介類と野菜だ。

おばあさんの店で、毛ガニ(800g、2500円)1杯、ウバガレイ(2kg、3000円)1枚、ほっき貝(200円)3個を求めて、自宅まで送ってもらうことにした。

いずれも、品質・価格に取り立ててみるべきものはなかったが、おばあさんとのやりとりが面白かった。

残った時間は、食堂に入り、甘エビをつまみに一杯引っ掛けた。

八戸は魚介類の宝庫で、今回の旅で、さまざまな魚介類を味わった。ホタテ、ツブ貝、イカ焼き、いちご煮、せんべい汁、などなど。中で一番うまかったのはサバの刺身で、その甘味は格別だった。ホヤは時期が終わり、賞味できなかった。 

(6)八戸線の旅

ホテルをチェックアウトして、帰りの飛行機の時刻まで、八戸線に乗ってみようと考えた。

八戸線は八戸から三陸海岸の久慈まで走るローカル線で、東日本大震災で全線不通になった。その後、まず、八戸から鮫まで復旧し、次いで、階上(はしがみ)まで、種市までと復旧して、今は八戸から種市まで通じている。種市から久慈までは未だ不通で、代替バスが運行している。

この八戸線で行けるところまで行ってみようと計画した。幸い、時間はたっぷりある。

前夜の天気予報では、低気圧の通過で風と雨の強い荒天が予報されていた。

八戸から鮫までは住宅地の中を通る平穏な列車旅だった。

鮫を過ぎると、様相が一変した。海を見ると、一面に白波が立っている。恐怖感を催すほどだ。これが冬の東北かと実感する。併せて、3月の大震災が想起された。3月の白波は大津波だったわけだが、そうか、このようにして、大津波は陸地を襲ったのかと、体感することになった。

海岸線と線路の間には、林が敷きつめられるように並んでいる。防風林だが、今では、「防波林」であり「防砂林」でもあることがよくわかる。

冷たい横殴りの雨が強くなる中、種市に着いた。当面の終着だ。久慈まで行く代替バスの時間を駅員に聞いた。「このバスは久慈に何時に着きますか?」「九時です。」だめだ、こりゃ。

種市で20分ほど休憩した後、折り返しの八戸行きに乗車した。雨と風はますます強くなっている。

出発後、列車のスピードが遅くなった。風を警戒しているに違いない。階上を過ぎて、鮫に近づいたところで、列車はノロノロ運転となり、ついに停車してしまった。「風が強くなったため、中央運転指令所の指令で一時停止します。停止解除の指令が出ましたら、運転を再開します。」と車掌のアナウンスが流れる。

さて、今日は羽田に帰らなければならない。時間は大丈夫だろうか? 一抹の不安が胸をよぎる。

窓外を見やると、柵で囲った牧場に、親馬2頭と仔馬2頭が身を寄せ合って草を食んでいる。時に、一斉に駈け出す。馬たちの黒いシルエットが印象的だ。

牧場と線路の間は、葉の落ちた木々が、強風になびいている。その姿は一種のオブジェだ。

20分後、列車が動き出して、すぐに鮫に着いた。鮫から先は市街地を走行するので、もう安心だ。

本八戸に到着して、駅の掲示板を見ると、「種市-鮫間は運転を休止しています。」とあった。私の乗った列車が最後の運転だったらしい。危ないところだった。時間に余裕があったからよかったものの、旅の最終日にしては無謀な八戸線の旅だったかもしれない。

 悪天候のせいか、三沢から羽田までの飛行機は揺れずめで、降りてからも、ギシギシという揺れの体感が残るほどだった。  (2011/12)


目の「霞み」について・2

2012-03-19 07:23:05 | 身辺雑録

 

医師から眼鏡合わせの処方箋を出してもらい、眼鏡を調達した。

現在の眼鏡に比べ、左目の乱視の度合いが少ないという。遠視用と近視用の眼鏡をかけてみると、目の「霞み」は吹き飛んでいる。どうやら、これまでは、乱視の度の合わない眼鏡で目の「霞み」に苦しんでいただけのようだ。

 また、眼鏡の表面にすり傷がたくさんできていたのも、あるいは、目の「霞み」の原因の一つになっていたかもしれない。

 そんなこんなで、思わぬかたちで視力を回復することができた。

これまで控えていた本も読める。早速、バルガス・リョサ『緑の家』(岩波文庫)、村上春樹『1Q84 Book 3』(新潮社)をバリバリと読破した。

結局、新しい眼鏡の調達に要した費用は、白内障の心配を払拭するための「安心料」とみなすことにした。まるで、「人間ドック」の「安心料」と瓜二つだ。 (2012/3)


ひな祭り

2012-03-03 07:04:28 | Weblog

 

33日の「ひな祭り」を前にして、近くのスーパーでは、絶え間なく「ひな祭り」の歌を流している。そう、「あかりをつけましょ ぼんぼりに」というやつだ。聞くとはなしに聞いていると、何番かの節に、次のような歌詞があるのに気が付いた。

 

「お内裏様とおひな様 二人ならんですまし顔」・・・なかなか細かな観察とユーモアたっぷりの批評が込められている。

 

そして、結びは;

「お嫁にいらした姉さまに よく似た官女の白い顔」・・・こちらは、姉を亡くした喪失感を官女の顔に寄せて詠っている。

 

この歌詞の作者は? インターネットで調べると、サトウハチローであった。有名な童謡作家だ。また、タイトルは「うれしいひな祭り」が正解らしい。

 

タイトルはともかく、短い歌詞の中に少女の情感の機微を表わすテクニックは相当なものだと感じ入った。

 

2月の「バレンタイン・デー」の前は、このスーパーでは、AKB48の「 I want you 」と発する歌(タイトルは知らない)が鳴り続けていた。こちらは極めて直截な愛の表現で、余韻はまったくない。

  (2012/3

 


目の「霞み」について・1

2012-03-01 07:25:29 | 身辺雑録

 

1年前から目が霞むようになった。とくに左眼がよく霞む。細かい活字を追うと疲れる。読書家の私にとっては深刻な問題だ。しかし、事が深刻であるだけに、まともにその事実を受け入れられない。できたら、その事実をやり過ごしておきたい。

 

そんなこんなで1年経過したが、眼医者の門を叩くことにした。

 

一通りの検査が終わり、医師の所見を聞いた。

「白内障はあまり進んでいません。視力も、今の眼鏡では0.5 ですが、1.2 までは見えるようになります。」

「では、目が霞む原因は何でしょう?」

「今の眼鏡が微妙に合わなくなっているためかもしれません。」

 

納得のいく所見とはいえなかったが、白内障の心配が払拭されて安心し、眼鏡を作り直すことにした。 (2012/3