静聴雨読

歴史文化を読み解く

歩く

2012-02-28 07:22:15 | 身辺雑録

 

「ドクター」から「穏やかな警告」を受けて久しい。「タバコは止めなさい。」「酒を減らしなさい。」「散歩をするといいでしょう。」の3つの忠告のうち、タバコと酒は忠告を受け入れているが、散歩だけはなかなか習慣とはならない。今回の人間ドックで引っかかったのが「体重増加」だった。

 

何とか、歩くことを習慣にしなければ、という思いが強くなった。

私の住むところは新興住宅地で、付近には公園が数多くある。それらを経巡るコースを散歩することにした。

 

しかし、寒い季節は出不精になる。

初日は、家を出て30分で家に帰りついてしまった。未知の道をかなり歩いたつもりだが、いつの間にかなじみの道に出会い、そのまま帰宅の途についた。

 

冬の朝8時台だが、途中同じように散歩する人に多く出会った。犬の散歩のお付き合いの人もいる。30分を徐々に延長して1時間の散歩が習慣になるように早くしたいものだ。  (2012/2

 


新しいワーク・スタイルへ(労働の質の再生)

2012-02-16 07:49:11 | 社会斜め読み

 

(1)労働の質の変容

 

わが国の「バブル崩壊」が1989年。その後の10年間は、内需が停滞し、証券会社や金融機関が破綻するなどして、外国からは「日本の失われた10年」といわれました。世界経済に何の貢献もしてこなかった10年間、というわけです。

 

さて、それからまた10年が経過しました。その10年間を何と表現したらよいのでしょうか?

私は「もう一つの失われた10年」と評したいと思います。

この期間は、ITミニバブルが崩壊した後、小泉純一郎の率いる内閣が「市場原理主義」を推し進めた期間です。「市場原理主義」を推進した結果、地方が疲弊し、格差が拡大し、労働の質が劣化しました。特に、私は、「労働の質の劣化」に注目したいと思います。

 

パート・タイマー、アルバイト、派遣社員、期間工、季節工。これらは、まとめて「非正規労働者」と呼ばれます。個々の間の違いはよく知りませんが、まさに、「正規でない労働者」であることは間違いありません。

 

わが国の経済が低成長時代に入り、企業収益を確保するために、企業は、コストの高い「正規労働者」を抑えて、コストの安い「非正規労働者」を大量に導入しました。それを可能にした一つの要因が、ITの普及だと、寺島実郎氏が述べています。つまり、ITの普及により、熟練労働の需要が減少し、極端にいえば、レジ打ちだけできればいい労働者の需要が拡がった、というわけです。

 

一方で、中小企業に点在する熟練労働者が、低賃金のまま置かれています。

 

このように、わが国では、低成長化に伴い、労働の需要が減っただけでなく、労働の質も劣化し続けています。これでは、国力が浮揚するはずがありません。 

 

(2)ワークスタイルの変容

 

低成長時代に入り、国内需要が爆発的に増大する期待がもてないとすれば、労働のあり様に変化が生まれることは必然です。非熟練労働の需要の増加、「非正規労働者」の増加がそれです。

その中で、できる限り、労働の質を維持する方策が求められます。

 

オランダなどでは、解決策を「ワーク・シェアの導入」に求めています。

「ワーク・シェア」は、少ない仕事を多くの労働者で分担することにより、多くの人の雇用を確保する仕組みです。当然、一人あたりの労働時間は少なくなり、オランダでは、週30時間程度です。また、一人あたりの賃金も減少します。

 

「ワーク・シェア」により空いた労働時間を埋め、目減りした賃金を回復するには、新たな方策が必要です。

 

第一に考えられるのは、空いた労働時間で、もう一つの仕事をすることです。

例えば、会社員の例を挙げると:

 月曜日:会社勤務

 火曜日:会社勤務

 水曜日:河川改修の仕事に従事

 木曜日:会社勤務

 金曜日:会社勤務

 土曜日:休日

 日曜日:休日

 

もう一つの仕事は、本来の仕事と違う内容・違う質のものでもいい。それが、このワーク・スタイルの特徴です。もう一つの仕事は、国や自治体が供給することができます。また、もう一つの仕事は、国の推進する「再生戦略」に基づく地域再生の仕事などにすることもできます。

 

さらに、重要なことは、「もう一つの仕事」は、好きな時に好きな時間だけ働くことが選べることです。

すると、この「もう一つの仕事」は、空いた労働時間を埋め・目減りした賃金を回復する目的に活用できるだけでなく、ボランティア活動の対象にすることもできるということが容易に類推できます。

 

これまでは、単一労働に従事することが当然のように考えられてきましたが、「マルチ・ワーク」のワーク・スタイルを普及させることにより、多くの「正規労働者」を確保する一方、地域の再生に貢献する労働力も確保することも期待できます。

 

・・・以上は、2010年初頭の三つ目の「初夢」でした。 (2010/2

 

 


温度上昇のわけ

2012-02-14 07:26:47 | 社会斜め読み

 

福島第一原子力発電所の2号機の発電機内部の温度が80℃を超えたと、温度計の一つが表示した。政府はすでに福島第一原子力発電所の「冷温停止」を宣言し、再臨界など起きるわけがないとしているので、さぞあわてていることだろう。

 

何本かある温度計の一つがそのような「異常数値」を示しているのであり、ほかの温度計は通常の数値を示している。だから、・・・問題ない、と政府はいいたいのかもしれない。

 

東京電力は、その「異常数値」を示した温度計を「取り除く」ことを計画しており、政府の悪名高き「原子力安全・保安院」も東京電力の計画を追認する意向だという。

 

ちょっと待ってほしい。

 

80℃を超えた温度計がおかしいとなぜいえるのだろう。

 

ここで取るべき措置は、新しい温度計を80℃を超えた温度計の近傍に送り込み、二つ温度計の数値を比較することがまずやるべきことだろう。

新しい温度計がほかの温度計と同じく通常の数値を示していれば、80℃を超えた温度計の方が異常だといえよう。その検証が終了してから、80℃を超えた温度計を撤去するのが妥当ではないか?

 

一方、新しい温度計が80℃を超えた温度計と同じような数値を示したら、それは、その場所が確かに高温だという証拠になるのではないか?

 

このような「科学的アプローチ」がなぜ取れないか。疑問は尽きない。 (2012/2

 


プロ棋士対将棋ソフト

2012-02-10 07:09:29 | 将棋二段、やりくり算段

 

114日に、プロ棋士の米長邦雄(永世棋聖)対コンピューター・将棋ソフト「ボンクラーズ」との対局が行われ、「ボンクラーズ」が勝利した。将棋ソフトがここまで強くなったかという驚きが広まる一方、この対局について様々な論評が現われた。それをここで整理してみよう。

 

実は、この対局の2年半前に、渡辺 明竜王対コンピューター・将棋ソフト「ボナンザ」との対局が行われ、渡辺竜王が勝ったものの、将棋ソフトの実力向上に多くの人が目を見張ったものである。

 

その1年後、つまり、今から1年半前に、清水市代女流王将(当時)とコンピューター・将棋ソフト「あから」との対局が行われ、「あから」が勝利した。その時、業界すずめが様々に論評した。「コンピューター・将棋ソフトは年々進歩している。プロセッサの集積度が増し、将棋アルゴリズムにも改良が加えられている。1年前、渡辺竜王が手こずったコンピューター・将棋ソフトに対して、女流棋士が相手になるというのは『手合い違い』だろう。」というのが最も厳しい見方だった。実際、「ボナンザ」も「あから」もその時点で最も強いコンピューター・将棋ソフトだった。

 

清水さんはなぜコンピューター・将棋ソフトとの対局を引き受けたのか? 4つほどの理由の候補がある。

1 女流棋士の強さを見せつけてやる。

2 男性棋士が苦戦するのは見るに忍びないので、防波堤になろう。

3 コンピューター・将棋ソフトからいいところを吸収したい。

4 「銭ゲバ」

 

どの理由かはわからない。しかし、コンピューター・将棋ソフトに完敗した後も、清水さんの将棋は崩れることなく、対女流棋士戦で高い勝率を残し続けているのは敬服に値する。

 

さて、今回、コンピューター・将棋ソフトとの対局に登場したのは、現役を引退して永い米長さんだった。この人選に多くの人が疑問を抱いた。1年半前、清水女流王将を退けたコンピューター・将棋ソフトに立ち向かう(おや、いつのまにか主客逆転の表現になってしまった)には、少なくとも現役の男性棋士でなければ無理ではないか? これは、もっともな意見だ。

 

米長さんはなぜコンピューター・将棋ソフトとの対局を引き受けたのか? やはり、5つほどの理由が考えられる。

1 引退棋士といえどもプロ棋士の強いところを見せつけてやる。

2 現役の男性棋士が苦戦するのは見るに忍びないので、防波堤になろう。

3 コンピューター・将棋ソフトからいいところを吸収したい。

4 目立ちたい。

5 「銭ゲバ」。

 

どの理由か推測するのは控えよう。しかし、対局1ヶ月後に、米長さんが『われ敗れたり』という本を出版すると聞いて、やはりそうか、と思う。

 

さて、コンピューター・将棋ソフトとプロ棋士が対戦することの「正当性」というか意義というかは何なのだろう。普通に考えれば、「コンピューター・将棋ソフトはどこまで強くなったのか」を測るという点に意義を見出す人が多いだろう。その意味では、引退棋士が相手として出てきても、もはや意味ない。

 

また、米長さんは、2手目に「6二玉」と指した奇手について、「コンピューター・将棋ソフトに『勝つ』ためには最良の指し手だという結論になった。」という。

それほど、コンピューター・将棋ソフトに勝ちたいのですか? その手は対プロ棋士に通用するのですか? 人智を尽くして、コンピューター・将棋ソフトに立ち向かう方法は取れなかったのですか? このような疑問を米長さんに手向けるのは酷だろうか?  (2012/2

 


『新しい世界史へ』を読む

2012-02-02 07:26:36 | 歴史文化論の試み

 

私は、最近、「世界史像の組み換え」と題するコラムを発表しました。(「晴釣雨読」第18号、

20121月、または、末尾のブログ参照

 

その中で、これまでの世界史が、一国史を束ねただけであり、かつ、ヨーロッパ偏重であったことに異議を提起しました。これからの世界史は、一つの歴史事象を多面的に見る交渉史であり、比較史であるべきで、それによって初めて、近代の植民史や官僚制が検討できるようになる、という趣旨でした。

 

同じことを説いている本があるよ、と知人から教えられました。羽田正『新しい世界史へ』(201111月、岩波新書)がそれです。羽田氏は東京大学東洋文化研究所の所長ですが、長い間、イスラームの研究をしておられるとのことです。

それで、ヨーロッパ中心史観に強い違和感を覚えたのは想像に難くありません。私たちは、等しく、2001年の「911」以降、アメリカを中心としたキリスト教文明とイスラーム文明との「衝突」を目の当たりにしたのですから。

 

本書の第3章「新しい世界史への道」が羽田氏の主張の核心です。節の名を並べれば;

1 新しい世界史の魅力

2 ヨーロッパ中心史観を超える

3 他の中心史観も超える

4 中心と周縁

5 関係性と相関性の発見

 

また、羽田氏は、第4章でさらに踏み込んだ「新しい世界史の構想」を提案しています。節の名を一部並べれば;

3 世界の見取り図を描く

4 時系列史にこだわらない

5 横につなぐ歴史を意識する

 

氏は、歴史上のある時点の世界を輪切りにして、各地の歴史事象を集めることを提案しています。これは、歴史事象の連続的継起に過度に意味を持たせるべきではない、という主張と重なり合います。しかし、これはどうでしょう。歴史とは過去の歴史事象の吟味・反省などから未来を切り開く使命を担っているという従来の歴史観を私は捨てることはできません。

 

最後の「横につなぐ歴史を意識する」には全面的に賛成で、私はそれを「交渉史」と「比較史」で実現したいと提案したのでした。詳しくは、以下のブログを参照願います。 (2012/2

 

「世界史像の組み換え」  http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20111104/

http://blog.goo.ne.jp/ozekia/d/20111106/