2008年12月、小椋 佳のライブを聴く機会が巡ってきた。東京フィルハーモニー交響楽団と協演する「シンフォニックコンサート」が前年に続いて開催されたのだ。「銀河TV」で見た、彼の30歳代前半のコンサートと変わりがあるのだろうか、ないのだろうか? 興味津々だ。
小椋は「木戸をあけて」や「めまい」などの初期の曲から始めた。懐かしい小椋流だ。
だが、ここで、小椋自身による注釈が入った。「私は、曲の入りが『ズレる』のですよ。ポップス系のバック・ミュージシャンだと、構わずメロディを始めるのですが、オーケストラはまじめですから、私の出るのをひたすら待っているのです。」オーケストラとの協演では、曲の入りを合わせるのが難しい、というのだ。
曲の入りが「ズレる」のは、演歌系のベテラン歌手によくある現象で、水前寺清子・細川たかし・美空ひばりなどはその典型だ。小椋 佳に限ったことではない。それは、若い頃の歌を歳経て歌う際に、若い頃と同じように歌えないから起こるもので、いわば「経年の垢(あか)」のようなもので、決してほめられたものではない。
また、小椋が「必ず曲の入りが『ズレる』」といっているのは間違いで、その証拠に、近作の「山河」などを歌うときには、曲の入りが「まったくズレていない」。曲の入りが「ズレる」のは、長い間歌ってきた楽曲に関してのみ起こることを改めて認識したいものだ。
後半、オーケストラとの協演で「山河」などを歌った小椋には、30歳代前半のコンサートに見られたナイーヴさは影を潜めて、堂々と歌いきっていた。もっとも、オーケストラとまともに競い合えば、小椋の声が掻き消えがちになるのは否めないが。しかし、オペラ歌手でもオーケストラと対抗することなどできないのだから、気にすることはない。
60歳代半ばの小椋 佳は、いまだに存在感のある歌い手であった。同世代として、今後も応援していきたいと思う。 (小椋の項終わる。2009/1)
小椋は「木戸をあけて」や「めまい」などの初期の曲から始めた。懐かしい小椋流だ。
だが、ここで、小椋自身による注釈が入った。「私は、曲の入りが『ズレる』のですよ。ポップス系のバック・ミュージシャンだと、構わずメロディを始めるのですが、オーケストラはまじめですから、私の出るのをひたすら待っているのです。」オーケストラとの協演では、曲の入りを合わせるのが難しい、というのだ。
曲の入りが「ズレる」のは、演歌系のベテラン歌手によくある現象で、水前寺清子・細川たかし・美空ひばりなどはその典型だ。小椋 佳に限ったことではない。それは、若い頃の歌を歳経て歌う際に、若い頃と同じように歌えないから起こるもので、いわば「経年の垢(あか)」のようなもので、決してほめられたものではない。
また、小椋が「必ず曲の入りが『ズレる』」といっているのは間違いで、その証拠に、近作の「山河」などを歌うときには、曲の入りが「まったくズレていない」。曲の入りが「ズレる」のは、長い間歌ってきた楽曲に関してのみ起こることを改めて認識したいものだ。
後半、オーケストラとの協演で「山河」などを歌った小椋には、30歳代前半のコンサートに見られたナイーヴさは影を潜めて、堂々と歌いきっていた。もっとも、オーケストラとまともに競い合えば、小椋の声が掻き消えがちになるのは否めないが。しかし、オペラ歌手でもオーケストラと対抗することなどできないのだから、気にすることはない。
60歳代半ばの小椋 佳は、いまだに存在感のある歌い手であった。同世代として、今後も応援していきたいと思う。 (小椋の項終わる。2009/1)