静聴雨読

歴史文化を読み解く

小椋 佳・3

2009-01-27 14:48:53 | 音楽の慰め
2008年12月、小椋 佳のライブを聴く機会が巡ってきた。東京フィルハーモニー交響楽団と協演する「シンフォニックコンサート」が前年に続いて開催されたのだ。「銀河TV」で見た、彼の30歳代前半のコンサートと変わりがあるのだろうか、ないのだろうか? 興味津々だ。

小椋は「木戸をあけて」や「めまい」などの初期の曲から始めた。懐かしい小椋流だ。
だが、ここで、小椋自身による注釈が入った。「私は、曲の入りが『ズレる』のですよ。ポップス系のバック・ミュージシャンだと、構わずメロディを始めるのですが、オーケストラはまじめですから、私の出るのをひたすら待っているのです。」オーケストラとの協演では、曲の入りを合わせるのが難しい、というのだ。

曲の入りが「ズレる」のは、演歌系のベテラン歌手によくある現象で、水前寺清子・細川たかし・美空ひばりなどはその典型だ。小椋 佳に限ったことではない。それは、若い頃の歌を歳経て歌う際に、若い頃と同じように歌えないから起こるもので、いわば「経年の垢(あか)」のようなもので、決してほめられたものではない。

また、小椋が「必ず曲の入りが『ズレる』」といっているのは間違いで、その証拠に、近作の「山河」などを歌うときには、曲の入りが「まったくズレていない」。曲の入りが「ズレる」のは、長い間歌ってきた楽曲に関してのみ起こることを改めて認識したいものだ。

後半、オーケストラとの協演で「山河」などを歌った小椋には、30歳代前半のコンサートに見られたナイーヴさは影を潜めて、堂々と歌いきっていた。もっとも、オーケストラとまともに競い合えば、小椋の声が掻き消えがちになるのは否めないが。しかし、オペラ歌手でもオーケストラと対抗することなどできないのだから、気にすることはない。

60歳代半ばの小椋 佳は、いまだに存在感のある歌い手であった。同世代として、今後も応援していきたいと思う。  (小椋の項終わる。2009/1)


小椋 佳・2

2009-01-23 07:20:26 | 音楽の慰め
小椋 佳の歌の美質は、声の美しさと人をせきたてるような歌いぶりにあって、十分聴衆を引き付ける魅力をたたえている。だが、声楽の訓練が不足していることは否めない。

小椋 佳はシンガー・ソングライターの一人といわれるが、彼がまず評価されるのは、ソングライター(作詞家・作曲家)としての側面である。ソングライターとしての彼は超一流といってよい。
初期の「しおさいの詩」「さらば青春」から中期の「シクラメンのかほり」に至る一連の歌は、愛・憧れ・失恋・喪失・少年少女への期待など、小椋らしいテーマを扱っている。いずれも詞が素晴らしい。擦り切れたことばを排除することで一貫している。

小椋は中期(30歳代初め)から、ほかの歌手にも楽曲を提供している。「シクラメンのかほり」は布施 明に提供して大ヒットした。梅沢富美男に提供した「夢芝居」、美空ひばりに提供した「愛燦燦」、井上陽水に提供した「白い一日」などは、小椋の楽曲の中でもとりわけ優れているのみならず、それぞれの歌手の個性・適性を引き出して、それぞれの歌手の代表曲といわれるまでに評価されている。

「白い一日」に不思議な歌詞がある。
「ある日踏切の向こうに君がいて、通り過ぎる汽車を待つ。遮断機が上がり振り向いた君は、もう大人の顔をしてるだろう。」
私がこちらにいて、踏切を挟んで向こう側にいる君を見ている。しかし、次の瞬間には、振り向いた君の顔を見ている。そうすると、君はそれまで後ろを向いていたことになる。そんなことが気になるが、「振り向いた君は、もう大人の顔をしてるだろう。」ということばのみずみずしさは例えようもない。

小椋は現在までに300人の歌手に楽曲を提供したという。ソングライターとしてひっぱりだこなのだ。  (2009/1)

2008年のベスト・ファイト

2009-01-12 07:53:58 | 将棋二段、やりくり算段
2008年が終わり、将棋の7大タイトル戦は、タイトル防衛が5、タイトル奪取が2という結果になった。タイトル奪取はいずれも羽生善治によるもので、新たに名人と棋聖のタイトルが羽生に渡った。

さて、以下はややマニアックな2008年のベスト・ファイトの話だ。

第1位:竜王戦挑戦者決定トーナメント・丸山忠久九段(先手)対羽生善治名人(後手)戦

今はやりの後手番一手損角換わり戦法の出だし。140手ほどの勝負の前半70手まで、前例のある展開(つまり、事前研究が可能な展開)で、後半は、丸山が猛烈に攻め、羽生が必死にしのぐ闘いが続いた。控え室の検討陣の評判は先手勝勢にまでなった。ここから、羽生の粘りがものすごく、3回にわたり、「底」(一段目)に捨て駒をして、丸山の攻めを遅らせた。「3一歩」「2一香」「5一桂」がそれで、まるで、川の決壊を防ぐための「土嚢」のように見えた。最後の5一桂を見て、丸山は投了した。

昔、大山康晴名人の終盤は二度あるといわれたが、羽生の終盤は大山を彷彿とさせる域まで達したといえる。

第2位:竜王戦第4局・羽生善治名人(先手)対渡辺 明竜王(後手)戦

渡辺が第1局から第3局まで落とし、いきなり「カド番」になってしまった。

第4局は羽生の先手番。渡辺は絶体絶命にピンチに立たされた。
将棋の進行も終始羽生の優位で進み、対局直後の渡辺の感想で、「何度も負けを覚悟した。」というほど渡辺は追い詰められた。しかし、そこからの渡辺の粘りがすさまじかった。手段を尽くして「入玉」(王将を相手陣に入れること)を目指し、ついに入玉を実現して、勝ちきってしまった。

羽生の側にも二、三、最善手を逃す逸機があったようだが、終盤は渡辺の鬼気迫る執念に根負けしたようにも見えた。

第3位:王位戦第7局・羽生善治名人(先手)対深浦康市王位(後手)戦

両者3勝で迎えた最終局。これもおなじみ、後手番一手損角換わり戦法の出だし。
羽生が先攻して急戦になり、深浦の防戦にも破綻が出たかと思われたところ、巧みな応接で危機を脱出してしまった。ギリギリの局面での深い「読み」が深浦を王位防衛に導いた。

以上3局とも、先手有利といわれる将棋で後手番が勝利したところが共通している。
また、すべて、羽生善治の登場する対局だが、これは偶然ではなく、それだけ、昨年の羽生の活躍ぶりが著しかったということだ。  (2009/1)


定額給付金の行方

2009-01-09 23:58:37 | 社会斜め読み
「定額給付金」をめぐって国が混乱している。

もともと、定額給付金の発想は公明党から出てきたものだ。

公明党は、共産党と並んで、都市部の下層生活者を主たる基盤とする政党だ。だから、都市部の下層生活者の生活を支える「社会政策」の一環として公明党が提案し、連立政権を組む自民党を説き伏せたものだ。だが、公明党と自民党との協議が進むに連れ、「景気刺激対策」の面が自民党から押し出され、公明党がそれに妥協する形で、「社会政策」と「景気刺激対策」の両面を追求する政策となり、その名も「定額給付金」に落ち着いた。

しかし、「二兎を追うものは一兎をも得ず」の例えがあるように、政策のあいまい性が民主党などの格好の餌食となってしまった。

公明党がその支持基盤である都市部の下層生活者を考えた施策を展開するのであれば、例えば、「年収300万円未満の世帯に、向こう1年間にわたり、月3万円の給付を行う」という方が、はるかにわかりやすいだろう。

ところが、この考え方は、すでに民主党にとられてしまい、公明党の出る幕はなくなってしまった。

世論調査によると、「定額給付金」への反対は70%に上るらしい。それだけの原資があれば、「派遣切り」などに苦しむ人たちに厚く給付すべきだ、という理由のようだ。わが国の国民は、いつの間に、これほど賢くなってしまったのだろう。わずか4年前に、「郵政解散」という名目の総選挙で舞い上がった同じ国民が、ポピュリズム的な政治にはっきり「ノー。」というほど、成熟していたとは。

今週発売の「週刊文春」に、次の総選挙の議席予測が載っている。驚くことに、定数480議席のうち、民主党が280議席で単独過半数を獲得するという。自民党は議席を半減させ、公明党も議席を4割減らす、という。

今こそ、各政党は、誰のためにどのような政策を打ち出すのかを国民に示す必要に迫られているのではないか。そうでないと、上の議席予測のような史上まれに見る地殻変動に見舞われることも覚悟せねばならない。  (2009/1)


飲食店の憂鬱

2009-01-04 07:46:40 | 社会斜め読み
横浜駅西口の地下街「ザ・ダイヤモンド」にスープ・カレーの専門店がある。入口を入ると、ウェイトレスが「当店は全面禁煙で運営しております。よろしいでしょうか?」と聞く。「だから、来たのですよ。」と返す。最近、全面禁煙に移行したようで、客の反応を確かめながら、店を運営している姿が微笑ましい。

店内は家族連れのほか、女性同士も多く、女性ひとりで食事している姿も目に付く。

さて、神奈川県が検討している「公共禁煙条例」は「受動喫煙防止条例」という名になるようだ。県が進めている各業界のヒアリングから、条例に最も反対しているのが、パチンコ・ホールなどの遊戯業界とバー・居酒屋などの飲食業界だということが明らかになった。これは、まあ、予測できることだ。

飲食業界の主張は、「分煙」を実施するには、設備投資の負担が大きく、とくに零細飲食店では立ち行かない、というものだ。

「分煙」店として承認を受けるためには、「喫煙空間」から「禁煙空間」へタバコの煙が流れない設備を備えるのが要件となる、というのが県の見解だ。この当たりまえに見える要請が飲食店には高い障壁と映る。

これまで、飲食店は受動喫煙防止対策を何一つ講じて来なかった。例えば、店の一角に空気清浄装置をこれまでに取り付けていれば、その一角を「喫煙空間」にするよう間仕切りする設備更新も可能かもしれない。しかし、空気清浄装置もこれから、間仕切りもこれから、というのでは、確かに設備投資の負担は小さくなかろう。

このまま、「受動喫煙防止条例」が制定され施行された暁には、「禁煙」店への移行が5割、「分煙」店への移行が2割、残りの3割は廃業を余儀なくされる、というのが私の予測だ。しかし、飲食業界の危機意識は薄い。

私としては、上のスープ・カレー専門店が繁盛して、新しい「受動喫煙防止条例」下での飲食店のモデル・ケースになることを希望しているのだが。 (2009/1)