静聴雨読

歴史文化を読み解く

競馬改革試案・11

2014-01-23 19:22:23 | スポーツあれこれ

 

(11)中央競馬と地方競馬との融合

これまで、中央競馬について改革試案を述べてきたが、地方競馬についても一言ふれるのが適当だろう。といっても、私は地方競馬を知らない。外側から見た地方競馬について述べよう。

そもそも、競馬はぜいたくなスポーツだ。広大な育成牧場や広大な競馬場、コースを維持・管理する造園作業、高額な競走馬、それをケアする牧場厩務員や厩舎厩務員、などなど、競馬を施行するには膨大な人員と莫大な経費がかかる。地方自治体などがその運営に乗り出したのがそもそもの間違いだ。「競馬はぜいたくなスポーツだ」と割り切り、財政負担を全国規模の大きな団体か機構にまかせるべきだった。

今さら愚痴を言っても遅いが、地方競馬の培ってきたノウハウを生かし、いかに中央競馬と融合するかを考えるべきだろう。地方競馬の培ってきたノウハウとは? ずばり、「ダート競馬」だろう。現在、地方競馬のほとんどの競馬場はダート専用だ。一方、中央競馬では、ダート競馬は芝競馬の付けたしの感を免れない。

ここでは、中央競馬のダート競馬と地方競馬を融合する方策を考えたい。

一例として、12月の沖縄競馬場を全国ダート競馬場として開放するのはいかがであろう?

アメリカのブリーダーズ・カップ・デーのように、年末の1日を日本ダート・レースの祭典として催すのだ。

番組は豪華に、

 日本ダート・クラシック(2000m):GⅠ

 日本ダート・マイル(1600m):GⅠ

日本ダート・スプリント(1200m):GⅠ

日本ダート・二歳優駿(1600m):GⅠ

日本ダート・二歳優駿牝馬(1200m):GⅠ

とGⅠレースを豪華に並べ、さらに、

日本ダート・牝馬(1600m):GⅡ

日本ダート・ステイヤー(2400m):GⅡ

のGⅡレースも同時に開催する。以上は、ブリーダーズ・カップ・デーを真似たもので、日本でもできないことはない。

GⅠレースに登録するためには、中央競馬と地方競馬の指定レースで成績を残すことを求める。

このようにして、GⅠレースのステップ・レースを中央競馬・地方競馬ともに体系化する。

(2014/1)

 


競馬改革試案・10

2014-01-21 19:20:38 | スポーツあれこれ

 

(10)賭式の簡素化

近年、競馬の賭式は増え続けている。馬番連勝複式(馬複)・馬番連勝単式(馬単)・三連勝複式(三連複)・三連勝単式(三連単)・拡大馬番連勝複式(ワイド)。さらに、1日5レースの1着を当てるWin5なる馬券が発売されるようになった。これがよいことだろうか?

従来の賭式を整理する必要がある。

まず、複勝式。(3着までの馬を当てるもの。配当が低い。) ワイド馬券が登場した今は、複勝式の存在価値はないので、廃止する。

枠番連勝複式。(全馬を8つの枠に割り振り、その枠番で1着・2着の組み合わせを当てさせるもの。) 同枠の有力馬がレース前に出走取り消しをした際に不公平が生ずるなどの弊害が指摘されている。馬番連勝式の賭式が整備された今では、枠番連勝複式は直ちに廃止すべきである。

Win5。馬券は1つのレースで完結させるべきで、複数のレースにまたがる賭式は邪道で、廃止する。

併せて、単勝式の払い戻し率を大幅にアップするなどの改善を日本中央競馬会に求めたい。

(2014/1)

 


競馬改革試案・9

2014-01-19 19:18:46 | スポーツあれこれ

 

(9)年間レース開催日程

冬競馬(1月・2月):

 1月:沖縄(ダート)・高知(ダート)

 2月:沖縄(ダート)・高知(ダート)

春競馬(3月-6月):

 3月:東京・阪神・沖縄(ダート)

 4月:新潟・京都・高知(ダート)

 5月:東京・阪神・中京(ダート)

 6月:新潟・京都・中京(ダート)

夏競馬(7月・8月):

 7月:札幌・函館(ダート)

 8月:札幌・函館(ダート)

秋競馬(9月-12月):

 9月:新潟・京都・中京(ダート)

10月:東京・阪神・中京(ダート)

11月:東京・京都・高知(ダート)

12月:東京・阪神・沖縄(ダート)

障害レース:

 週1回、水曜日に開催。1ヶ月単位で中山競馬場と小倉競馬場を持ち回る。

この日程によると、芝競馬場の開催が延べ18月、ダート競馬場の開催が延べ14月で、芝・ダート比率は、56対44。 (2014/1)

 


競馬改革試案・8

2014-01-15 19:16:30 | スポーツあれこれ

 

(8)競馬場の統廃合

現在、中央競馬の競馬場は全国に10ヶ所ある。シーズン制の導入やダート競馬の拡充を実現するため、思い切った競馬場の統廃合を提案したい。

まず、現行の芝・ダート混用を止めて、競馬場ごとに芝かダートに特化させる。現行の競馬場は芝コース優先のコース設計で、そのしわよせがダート・コースに及んでいる。

冬競馬のために、温暖の地(沖縄や高知など)のダート・レース専用の競馬場を新設する。

芝のレース専用の競馬場として、東京・新潟・京都・阪神の各競馬場を割り当てる。(新潟競馬場を主要競馬場に格上げする。)

ダート・レース専用の競馬場として、中京競馬場と沖縄競馬場を割り当てる。(中京競馬場で春のダート競馬の総決算日を開催し、沖縄競馬場で秋のダート競馬の総決算日を開催したらいかがか?)

夏競馬のために、札幌競馬場と函館競馬場を割り当てるのは従来通り。

では、中山・福島・小倉の競馬場はどうするか?

中山競馬場と小倉競馬場は障害競走専用の競馬場にする。(障害競走にそれだけ需要があるかどうか不透明だが、存続させるのであれば、専用の競馬場と専用の騎手を用意して臨むべきだ。)

福島競馬場は廃止する。        (2014/1)


競馬改革試案・7

2014-01-13 19:14:34 | スポーツあれこれ

 

(1)ダート競馬の拡充

日本中央競馬会に問い合わせたところ、中央競馬における芝のレースとダートのレースの比率はほぼ50対50だという。このデータには驚いた。事前の予測では、芝のレースの比率が圧倒的に高いと思っていたからだ。

一方で、次のようなデータもある。

 重賞レースの比率: 芝88対ダート12

 GⅠレースの比率: 芝91対ダート  9

 つまり、格の高いレースでは芝のレースが圧倒的に多い。芝のレース優先の考え方がはっきりと出ている。この考え方を改めていかねばならない。

ヨーロッパの競馬は芝のレースが主体で、アメリカの競馬はダートのレースが主体だといわれている。このように、芝のレースとダートのレースはそれぞれの特徴を持ち、それぞれが興味深いレースなのだ。「ダート競馬の拡充」とタイトルに書いたが、正しくは「重賞レースやGⅠレースにおけるダート競馬の拡充」と表現しよう。  (2014/1)


競馬改革試案・6

2014-01-09 19:00:35 | スポーツあれこれ

 

(1)距離体系の整備

競馬場の立地などの制約で、コース設計が決まる。このことを承知の上で、距離体系の整備を提案してみたい。

中央競馬では、1000mから3600mまで、様々な距離のレースが実施されているが、その中に「基準距離」を設定したらどうだろう。

私の考える基準距離は:

 1200m – 短距離(スプリント)

1600m – マイル

2000m – 中距離(クラシック)

2400m – 長距離

3歳の三冠レースから古馬の重要レースまで、GⅠレースはすべて基準距離で実施する。これにより、馬の距離適性を測るデータが整備され、種牡馬の距離適性も容易につかめるようになる。また、外国の競走馬との比較も従来より容易になろう。現行の有馬記念(2500m)や宝塚記念(2200m)は距離変更が求められる。

基準距離以外はGⅡ以下のレースに適用すればよい。例えば、新潟競馬場の直線1000mのアイビス・サマー・ダッシュとか東京競馬場の1800mの毎日王冠など、個性的レースはファンの歓迎を受けるはずだ。このような個性的レースを数多く作り出せばよい。 (2014/1)


競馬改革試案・5

2014-01-07 18:59:04 | スポーツあれこれ

 

(5)レース体系の改革

すでに、レース体系の議論に入りかけているが、ここでは、とくに、GⅠレースのレース体系について考えてみたい。

3歳戦については、すでに述べたように、春競馬・夏競馬で牡馬・牝馬の三冠レースを終えるようにしたい。また、ダート競馬の三冠レースを新設したい。

牡馬については、三冠レースの距離を1600m・2000m・2400mとして、現行の3000mの菊花賞を廃止する。牝馬については、三冠レースの距離を1200m・1600m・2000mとして、現行の2400mのオークスを廃止する。

近年、短距離向きの種牡馬の人気が高く、長距離向きの種牡馬が減少している。これは世界的傾向のようだ。(その合理的理由はわからないが。)短距離重視・長距離忌避の考えが馬主・調教師に広がっているからだ。批判の矢面に立っているのが、秋競馬に開催される菊花賞(3000m)で、そのレースを回避して、天皇賞・秋(2000m)に向かう3歳馬が多くなっている。また、牝馬については、2400mのレースを走らせるのは過酷だという声が多くある。  (2014/1)

 


競馬改革試案・4

2014-01-05 18:57:05 | スポーツあれこれ

 

(4)春競馬・夏競馬・秋競馬の改革

競馬にシーズン制を導入するとすれば、以下のような区分けは異論ないだろう。

  冬競馬:1月・2月

  春競馬:3月・4月・5月・6月

   夏競馬:7月・8月

   秋競馬:9月・10月・11月・12月

とくに、秋競馬の改革が必要だろう。

現在は、秋競馬に3歳限定戦(菊花賞・秋華賞などのGⅠレースや3歳未勝利戦など)が組まれているが、これを廃止する。3歳三冠レースはすべて春競馬に組み入れる。4月・さつき賞、5月・ダービー、6月・菊花賞代替レース。4月・桜花賞、5月・オークス、6月・秋華賞代替レース。また、ダート競馬による3歳三冠レースを新設し、春競馬と夏競馬の期間中に、1200m・1600m・2000mのGⅠレースを施行する。

秋競馬は3歳馬と古馬(4歳以上の)との混合戦および2歳戦にする。

とくに2歳戦の拡充に意を用いるべきだ。すでに、日本中央競馬会の発表した2014年のプログラムでは、秋競馬における2歳戦の拡充が謳われている。その背景には、競走馬の育成の飛躍的進歩がある。牧場における育成技術が進み、競走馬として「仕上がる」のが早くなり、それだけ、競走馬としてデビューするのも早くなっている。今では、6月に競走馬としてデビューする2歳馬が多くなっている。この傾向を反映すべく、日本中央競馬会は秋競馬における2歳戦の拡充に踏み切ったわけだ。これは、ヨーロッパにおける競馬番組の組み方を真似たものといわれている。そうであれば、秋競馬に3歳限定戦を残すのが不自然であることがわかろう。(2014/1)

 


競馬改革試案・3

2014-01-03 18:53:32 | スポーツあれこれ

 

(3)冬競馬の改革

最大の見直し対象は冬競馬だ。

本来なら、冬季は霜などで路面が凍結しやすく、競馬の開催が危険になるので、冬場の競馬は休催にするのがよい。ヨーロッパの競馬場では、冬場を休みにあてている競馬場が多くある。

しかし、競馬関係者の生活がある、という声もあろう。

そこで考えたのは、冬場に開催する競馬を限定的にする案だ。

それは:

(1)ダート競馬に限定する。(芝馬場を保護するため)

(2)下級条件戦に限定する。

(3)賞金上位の騎手を除外して、賞金下位の騎手に限定する。

(4)賞金は他の季節に比べて抑制する。

(5)温暖の地で開催する。沖縄・高知など。

このようにして、冬場は、上級馬・賞金上位の騎手は休みにあててもらい、下級馬や賞金下位の騎手の生活救済競馬の色彩を持たせるとよい。

こうして、春競馬は、冬場を休養にあてていた馬と冬競馬で飛躍を見せた馬との対決の場とすることができる。                                   (2013/12)


競馬改革試案・2

2013-12-30 18:51:01 | スポーツあれこれ

 

(2)シーズン制の導入

競馬は年中開催されている印象がある。実際、1月から12月まで、中央競馬は毎週末に開催されている。

サラブレッド種は暑さに弱く、夏負けしやすい。また、冬季は霜などで路面が凍結しやすく、競馬の開催が危険になる。年中開催するのが望ましいか、考えざるをえない。

一方、牝馬は夏場に好成績を残すという定評がある。

これらのことを合わせて考えると、冬場と夏場は開催地を選び、レース編成にも工夫をこらすのがいいのではないか。

ここでは、1年の競馬を4つの季節に分けることを提案したい。今でも、春競馬・夏競馬・秋競馬・冬競馬という考え方はあるが、それをもっとメリハリを付けて、各季節の競馬の特色を出すようにしたらよい。                                            (2011/8)

 


競馬改革試案・1

2013-12-26 18:47:53 | スポーツあれこれ

 

長らく競馬を楽しんできたファンから見た競馬の改革について書いてみる。主として、中央競馬(*1)に話題は絞られる。

構想している内容を箇条書きにすると、以下のようになる:

・シーズン制の導入

・レース体系の統廃合

・距離体系の整備

・ダート競馬の拡充

・競馬場の統廃合

・賭式の簡素化

・中央競馬と地方競馬との融合

(1)競馬の由来

競馬の由来を尋ねれば、明治時代以来の軍馬の改良と農耕馬の改良に行き着く。

軍馬の改良のためにサラブレッド種の改良が進められ、農耕馬の改良のためにアラブ種の改良が進められたのがそもそもの始まりだ。その改良のため、「競馬」という手段が用いられたわけだ。

しかし、軍備の近代化によって軍馬の利用が止み、また、農作業の機械化によって農耕馬の利用も減った。その結果、「軍馬の改良と農耕馬の改良」という競馬の大義名分はなくなってしまった。

そこに、「スポーツとしての競馬」の魅力を見出す考え方が出て、競馬が市民権を得た。しかし、おかしなことに、競馬を主管する役所は今でも農林水産省なのだ。中央競馬を主催する「日本中央競馬会」は農林水産省の所管する独立行政法人になっている。この点は、競馬発足当初の「軍馬の改良と農耕馬の改良」の大義名分を後生大事に保持している。

「スポーツとしての競馬」を謳うのであれば、競馬を主管する役所はスポーツ振興を所管する文部科学省であるはずだ。この点に矛盾がある。

もう一つ、競馬には「ギャンブルとしての競馬」の側面がある。「競馬にギャンブルは付き物だ」という人もいるが、実はそうではない。現に、アラブ首長国連邦では、金を賭けない競馬が大々的に行われている。「ギャンブルとしての競馬」が推進され、一般に容認されてきたのは、国や地方自治体の税収補填のために、競馬からの収益金を見込んできたからに他ならない。「地方競馬」でこのビジネス・モデルが破綻していることは最後に見てみるつもりだ。

(*1)中央競馬:わが国の競馬は、国(の管轄する独立行政法人)が主催する「中央競馬」と地方自治体が主催する「地方競馬」の二本立てになっている。この両者は、主催団体が異なるだけでなく、経営状態においても、レース体系においても、まったく相異なる様相を見せていて、両者を同時に論ずることは不可能だ。それで、馴染みの深い「中央競馬」を中心に論ずることになるが、両者の融合は可能か、という点は重要な論点で、これを最後に論じようと思う。      (2011/8)

 


凱旋門賞を勝つには(オルフェーブル)

2013-10-11 07:50:02 | スポーツあれこれ

 

オルフェーブルが凱旋門賞に昨年に続き今年も挑戦し、またも、2着に終わった。日本の競馬関係者の落胆は大きい。

昨年は、スミヨン騎手の騎乗ぶりが酷評された。最後の直線で追い出すのが早すぎたこと、その後、馬が急激に内斜行するのを防げなかったこと。この2つのミスがなければ、昨年は、オルフェーブルが2馬身差で優勝できた、というのだ。

今年のスミヨン騎手の騎乗ぶりに大きなミスはなかった。しかし、優勝したトレヴ(牝3歳、フランス)に5馬身も離されてしまった。日本の競馬関係者の落胆ぶりがわかる。明らかに力の差を見せつけられたのだから。

レース後のスミヨン騎手の談話によれば、「馬群の中でもまれて、オルフェーブルは消耗してしまった。」ここに敗因が示されている。

以前も書いたが、「フランスの競馬は日本のそれとは異なる。芝が深く、馬場は柔らかい。時計のかかるタフなコースだ。レースはスローペースで流れ、最後の600メートルの瞬発力と持続力の勝負になることが多い。」

4コーナーでは、勝ったトレヴとオルフェーブルとは同じ位置(馬群の後方・外側)にいたのだが、そこから抜け出すトレヴの瞬発力がすごくて、オルフェーブルはついていけなかった。スタミナ・スピード・瞬発力がすべて揃わないと凱旋門賞を勝てないことを、エルコンドルパサー・ディープインパクトに続いて、オルフェーブルは実証したわけだ。この課題を克服して凱旋門賞を勝つ日本馬が出現することを期待しよう。                                                    (2013/10)


凱旋門賞を勝つには(ディープインパクト)

2013-10-09 07:53:37 | スポーツあれこれ

 

10月1日のフランスの凱旋門賞から1週間が経ち、ディープインパクトの敗因を論ずる論調にある結論めいたものが見える。それは、「ぶっつけ」で挑戦させたこと、である。「ぶっつけ」というのは、長期休養明け、という意味と、フランスの馬場を経験させずに、という意味の二つがある。

ディープインパクトは6月の宝塚記念以降レースを使わず、休養とヨーロッパへの順応に時間を充てた。その間、凱旋門賞まで3ヶ月半。決して長すぎるとはいえない。「長期休養明け」は当たらないだろう。

「フランスの競馬を経験させずに」という指摘は要を衝いている。

フランスの競馬は日本のそれとは異なる。芝が深く、馬場は柔らかい。時計のかかるタフなコースだ。レースはスローペースで流れ、最後の600メートルの瞬発力と持続力の勝負になることが多い。騎手同士のかけひきが激しい。日本の馬と騎手はこれらのことに戸惑う。今回、騎手はフランスで数多く騎乗している武豊だから、問題ない。

問題は、ディープインパクトに馬場の特徴やレースの特徴を覚えさせる必要があったのではないか、という点である。凱旋門賞の前に一度、同じロンシャン競馬場でディープインパクトにレースを経験させれば、馬場のタフさ、レースのタフさ、を人馬とも会得したと考えられる。利口な馬は「馴致」という訓練で驚くほど新しい環境を学習するという。

どうして、事前にディープインパクトにフランスの競馬を経験させなかったか? 以下は推測だ。

6月の宝塚記念から凱旋門賞までの3ヶ月半の間に一度レースを使うには間隔が少なすぎる。それで「ぶっつけ本番」になったのだろう。

馬主や調教師に、6月の宝塚記念をスキップして、早めにフランスに渡るという決断があれば、一度フランスでレースを使う余裕ができていたことだろう。その結果で、本番の凱旋門賞に臨む作戦を立てるヒントをつかめたはずだ。

馬主が求めるのは名誉と金銭だ。ディープインパクトは天皇賞・春を勝った時点で日本の古馬(4歳以上の馬)ナンバーワンの称号を手に入れてしまったのだから、宝塚記念は(金銭を別にすれば)パスしてもよかった。その決断を欠いたことが残念だ。

1999年にエルコンドルパサーがやはり凱旋門賞に挑戦した。この時は、6ヶ月前にフランスに渡り、2度レースを経験させ、その上で凱旋門賞に出走した。結果は惜しい2着だった。最後の600メートルの瞬発力と持続力の勝負でやや競り負けた、という評価が一般であったが、準備過程については誰もが賞賛した。これだけ用意万端準備して負けたのだから、馬の力が足りなかったと素直に納得した。

今回のディープインパクトは、本当に馬の力が足りなかったのか、まだ霧中のままだ。まだ、やり残したことがあったのでは、という思いが捨てきれない。

海外の競馬に挑戦するには、現地の競馬に慣れる努力が必要だということを、今回のディープインパクトの敗戦は如実に示した。そう批評することは、今回のディープインパクトに限れば結果論かもしれないが、次回のディープインパクトの海外挑戦やほかの馬の海外挑戦を考えた場合、必ず役立つ教訓ではなかろうか?                        (2006/10)


国技かスポーツか、はたまた見世物か?

2011-02-13 07:04:29 | スポーツあれこれ

相撲を「国技」としてとらえるか、「スポーツ」と見做すか、二通りの考え方が国民にあることを紹介したのは、2007年のことでした。相撲がわが国の古来の「神事」であることを主張するのであれば、外国人力士を制限する「鎖国化」もやむをえません。一方、相撲は、アスリートの極限の身体能力を楽しむものだと主張するのであれば、外国人力士を制限するのはナンセンスで、「国際化」を推進せざるをえません。日本相撲協会はどちらの道を進むのか、というのが当時の関心事でした。

ところが、その後、日本相撲協会は、報道されたように、数々の不祥事を引き起こし、「鎖国化」か「国際化」か、という論を立てることさえ、無意味になりました。そこに来て、今回の「八百長相撲」のスキャンダルです。

「八百長相撲」に関与したとされる一人が、ほかにも大勢「八百長相撲」に関与しているといっていると報ぜられ、さらに、「八百長相撲」に関与した力士を糾合して「相撲レスラー協会」を設立する動きがあると、まことしやかに報ぜられてもいます。ここで、はたと膝をたたきました。そうか、その道があったか?

相撲の力士が日本相撲協会から離れて、プロレスに身を転じた例は過去にもあります。力道山、北尾、曙(現、ボノ)など。何十人ともいわれる「八百長相撲」に関与した力士が集まれば、一大プロレス勢力を形成できます。そして、そこでは、もう「八百長」をする必要もありません。プロレスとは「見世物」だからです。「見世物」が悪いイメージを引きずっているならば、「エンタテインメント」と言い換えても構いません。

ケーブル・テレビでアメリカのプロレス興行を見ることがあります。そこには、筋骨隆々たるレスラーがいて、華麗なプロレス技を繰り広げ、「ヒール」役のレスラーもいて、ヒーロー役のレスラーとの対決を演出し、悪徳マネージャーが観客の反発を煽り立て、色気たっぷりの女子レスラーや女子マネージャーが花を添える、という具合に完璧な「エンタテインメント」に仕上がっています。そこでは、観客の誰も、真剣勝負を求めたり、「八百長」を疑ったりしません。

「相撲レスラー協会」はこのアメリカのプロレス興行に範を求めればいいのではないか? 日本のプロレス興行がいま一つ面白みに欠けるのは、登場人物が完全な「エンタテイナー」に成りきれていないからだと思います。ここは、アメリカのプロレス興行のいいところを吸収すべきです。

相撲は、古来の「神事」を伝承する「国技」であり、身体能力を見せ付ける「スポーツ」でもありますが、そのほかに、相撲をベースにした「エンタテインメント」でもありうる、ということが、図らずも今回の「八百長相撲」がもたらした醒めた相撲観です。 (2011/2)

モンゴル力士の教え=相撲の話=

2011-02-11 07:37:13 | スポーツあれこれ
(1)奥が深い話

大相撲夏場所は、いよいよ白鵬が単独トップに立ち、横綱が視野に入ってきました。

白鵬の強さは独特で、朝青龍の強さとは別のものです。

朝青龍の相撲は速く・鋭くというものですが、白鵬の相撲は、相手の攻勢を受け止め、相手の力を吸収してしまうものです。相撲用語では「懐が深い」と称するものです。背が高く、腕が長い力士は「懐が深い」力士になる「素質」がありますが、背が高く、腕が長い力士すべてが「懐が深い」力士となれるわけではありません。それが不思議なところです。

おそらく、相手との間合いを計るタイミングとか感覚とかに特別の才能を必要とするのでしょう。白鵬はものすごく背が高いわけでもなく、ものすごく腕が長いわけでもないのに、「懐の深さ」が余計目立ちます。

白鵬の直接の先輩を探せば、昭和の大横綱・大鵬に行き着きます。相手の突進の勢いを吸収して何もさせない、という「懐の深さ」の点で、白鵬は大鵬と瓜二つです。

さて、これからは世間どこでも使われることばを紹介します。「奥が深い」ということばを耳にしたことがあると思います。例えば、「テニスはずいぶん長く続けているけれど、続ければ続けるほど、奥が深いことがわかってきました。」というように。こういうセリフをよどみなくいえるようになれば、その人はその道(この場合は、テニス)の達人だといえます。

よく見ると、この人は「奥が深い」ということばを使って自分の技量を自慢しているのですが、そのいやみが表に出ません。「奥が深い」ということばには「いやみ消し」の効用があります。

一度このことばを使ってみることをお勧めします。
「料理は毎日の日課だけれど、なかなか奥が深いのよ。」
「マージャンに運がつきものといいますが、実際は奥の深いゲームだと思います。」
「ブログはただ書き散らすものだと思われがちですが、実は奥の深いコミュニケーション手段だとわかってきました。」、などなど。

私は料理の達人です、私はマージャンのプロです、私は一端(いっぱし)のブロガーです、ということをいやみなく婉曲に表現することばが「奥が深い」ということばです。

横綱昇進が決まったときに、白鵬がインタビューに答えることばに注目しています。「日々稽古していますが、ますます相撲の『奥の深さ』に驚かされています。ますます精進してまいります。」
このようなセリフが出てくれば、この力士は横綱の自覚が備わっていると判断して間違いないでしょう。 

本当に日本語は奥が深いですね。エヘン。  (2007/5)

(2)スピードと「キレ」

朝青龍がついに休場しました。近いうちに引退に追い込まれそうです。残念なことです。

朝青龍の相撲は速く・鋭くという特徴がありましたが、別のことばでいえば、スピードと「キレ」が朝青龍の相撲の最大の特徴です。

立ち合いの速さ、相手をいなす技がスピードと「キレ」の本性ですが、朝青龍ほどのスピードと「キレ」を兼ね備えた力士を探せば、直近では、千代の富士でしょうか。朝青龍と千代の富士、どちらが偉大な力士であったか、という疑問には、どちらともいえないと答えるよりほかありません。

さらにルーツをたどれば、「栃若時代」の栃錦と若乃花の二人に行き着きますが、朝青龍と千代の富士の2力士は、スピードと「キレ」の面では、栃錦と若乃花を凌駕しています。

さて、話変わって、ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が18勝目を賭けた試合での投球には目を見張りました。ストレートのスピードが素晴らしいのみならず、球が打者の前でホップするように見えたのです。ソフトボールにおける「ライズボール」のように、打者の前で「浮き上がって」いました。これが球の「キレ」なのかと分かりました。

相撲においても野球においても、スピードだけでなく、「キレ」がいかに重要かということを知らされました。 (2008/9)

(3)国際化と鎖国化

大相撲秋場所は白鵬の優勝で幕を閉じました。朝青龍の休場後、孤軍奮闘して土俵を盛り上げていた、その姿に頭が下がります。白鵬も朝青龍もモンゴル出身の力士です。

大相撲に外国人力士が増えてきました。増えすぎると困るというので、日本相撲協会は外国人力士をすでに制限していると聞きます。何とおかしな規制でしょう。

外国人力士が増えてきた背景には、優れた身体能力を持つ外国のアスリートを手っ取り早く相撲に導入したいという相撲界の考えがあります。それが成功すると、今度は、外国人力士の数を抑制する。まるで、日本相撲協会は外国人力士を「琵琶湖のブラック・バス」のように扱い始めました。

日本相撲協会のもう一つの「錦の御旗」は、「相撲は日本の神事」だというわが国古来の考えです。それはその通りかもしれませんが、外国人力士に「日本の神事」を押し付けようとしても無理があります。外国人力士から見れば、相撲はスポーツの一競技であって、そこで自らの身体能力を発揮することで、ファンを引き付けているわけです。

「スポーツ」か「神事」か。どちらを取るか、日本相撲協会は迫られています。別のことばで表わすと、「国際化」か「鎖国化」か、となりましょうか。「国際化」を推進するのであれば、外国人力士の制限は撤廃しなければなりません。一方、「日本の神事」を尊重するのであれば、「鎖国化」する方が良いでしょう。

相撲界はそのどちらかを選ばなくてはなりません。私の考えは、どちらでもいい、ただし、どちらかに徹底してもらいたい、というものです。

柔道の例があります。
国際化を進めた結果、柔道は完全に国際スポーツとして認知されるに至りました。フランスの柔道人口はわが国のそれを凌ぐほどだといいます。
しかし、「国際化」とは、日本の言い分がそのままでは通りにくくなることでもあります。青色の柔道着などは、日本が反対しても、採用されました。

「スポーツ」と「神事」は互いに矛盾することを肝に銘ずるべきでしょう。 (2007/9)