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バイロイト詣で(24)終わりに

2013-04-23 07:26:26 | 音楽の慰め

 

24)終わりに

 

私のワーグナー体験を述べるのは、ひとまず、ここで終わりにしよう。 

 

実は、まだ次のようなことを書きたい:

         ワーグナーの人物像

         ワーグナーとルートヴィヒ二世

         ワーグナーとコージマ

         ワーグナー家の末裔

 

これらについては、別の機会に回したいと思う。

 

「バイロイト詣で」をして、ワーグナーを卒業できるかと思ったが、どうも、現実はその反対のようだ。

 

バイロイトから帰り、インターネットでドイツ・オーストリアのオペラ・ハウスのプログラムを眺めていたら、何と、20102月に、ベルリン・ドイツオペラが、ワーグナーの『リエンツィ』『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の5作を、5夜連続で上演するのを発見した。これらの舞台を見れば、私のワーグナー体験がほぼ完成するのではないか。そういう思いにかられた。

 

さすがに、来年2月の訪独は難しいが、将来、同じような機会に恵まれる予感がする。

その時には、また、今回と同じようなコラムをまとめたいが、そのタイトルが頭に浮かんだ。そう、「ドイツ:冬の旅」という題だ。神品芳夫氏の著作に同名のものがあるが、何、構うものか。コラムの通奏低音はシューベルトの『冬の旅』で、それに、ワーグナーの楽劇(ベルリン)とヴォルプスヴェーデ村(ブレーメン)の芸術家コンミューンが重なり合う、という構成になるはずだ。  (2009

 

参考資料:

 

三光長治『ワーグナー カラー版 作曲家の生涯』、平成2年、新潮文庫

中野 雄『丸山真男 音楽の対話』、平成11年、文春新書(*)

 

ジャン・クロード・ベルトン『ワーグナーと<指輪>四部作』、横山一雄訳、1987年、文庫クセジュ

ワーグナー『ラインの黄金-ニーベルンゲンの指輪』、寺山修司訳、1983年、新書館(*)

ワーグナー『ワルキューレ-ニーベルンゲンの指輪』、高橋康也・高橋 迪訳、1983年、新書館(*)

ワーグナー『ジークフリート-ニーベルンゲンの指輪』、高橋康也・高橋 迪訳、1983年、新書館(*)

ワーグナー『神々の黄昏-ニーベルンゲンの指輪』、高橋康也・高橋 迪訳、1983年、新書館(*)

ワーグナー『ニーベルングの指輪 上・下』、高辻知義訳、2002年、オペラ対訳ライブラリー、音楽之友社(*)

ディートリッヒ・マック編『ニーベルングの指輪 その演出と解釈』、宇野道義・檜山哲彦訳、昭和62年、音楽之友社

バイロイト音楽祭2009パンフレット『ニーベルングの指輪』

バイロイト音楽祭2009パンフレット『パルジファル』

バイロイト音楽祭2009パンフレット『キャストとスタッフ』

 

ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、昭和63年、名作オペラブックス23、音楽之友社

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、昭和63年、名作オペラブックス7、音楽之友社

 

ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ 夢の王国の黄昏』、三保 元訳、1987年、中公文庫

ジョージ・R・マレック『ワーグナーの妻コジマ リストの娘の愛と策謀』、伊藤欣二訳、昭和58年、中央公論社

清水多吉『ヴァーグナー家の人々 30年代バイロイトのナチズム』、1999年、中公文庫

 

 


バイロイト詣で(23)ワーグナーの哲学

2013-04-21 07:21:44 | 音楽の慰め

 

(23)ワーグナーの哲学

 

ワーグナーの「楽劇」には「哲学」がある、と述べた。これにはいささか解説が必要だろう。

 

単純に図式化してしまえば、ワーグナーの「楽劇」では、現世の価値が、何らかの契機で解きほぐされ、至上の来世的価値に転化する、という構図に収斂する。

 

ここで、

現世の価値とは: 普通の「愛」、「嫉妬」、「官能」、「諍(いさか)い」、「戦争」、「裏切り」、など。

来世の価値とは: 至上の「愛」、「許し」、「至福」、など。

契機とは: 「指輪」や「黄金」(『ニーベルングの指輪』)、「聖杯」や「聖槍」(『パルジファル』)などの超越的威力、誤解の解消、「浄化」、「救済」、などを指す。

 

10編のワーグナー「楽劇」は、みな、驚くほど、以上の構図にあてはまる。

 

ほかにも、ワーグナーの「楽劇」を特徴づけている要素は、「純粋」「無垢」「漂泊」などがあり、いずれも、例えば、イタリア・オペラでは馴染みのない概念である。

 

私の見立てでは、およそ50ほどの抽象的概念を扱っているのがワーグナーの「楽劇」である。

これらの概念を駆使することによって、ワーグナーは、現世的価値を来世的価値に転化させることに成功したのだ。

この点は、これから、深く掘り下げたい課題だ。 (2011/9)  

 

 


バイロイト詣で(21-22) ワーグナーの素晴らしさ

2013-04-19 07:18:22 | 音楽の慰め

 

21)がんじがらめのオペラ

 

オペラほど様々な約束に縛られた芸術はない。

 

1 複雑な台本は受け入れられない。単純な台本は荒唐無稽になりやすい。これは、オペラにまつわる根本的矛盾だ。(ワーグナーは、題材を神話や伝説の時代に求め、台本の荒唐無稽さを和らげる工夫をした。)

 

2 登場人物は絶えず歌っていなければならない。レチタティーヴォ(歌い語り)の方法もあるが、オペラ全般に適用することはできない。(ワーグナーはこの制約を正面から受け止め、レチタティーヴォに逃げることはしていない。)

 

3 登場人物は、歌っている間、観客に向かって正面を向いていなくてはならない。これは、舞台芸術に共通する制約だ。(ワーグナーの楽劇では、主役の役割を極限にまでは大きくして、堂々と正面を向いて歌っていても違和感を持たせないようにしている。)

 

4 登場人物が歌っている間、ほかの登場人物は手持ち無沙汰になりがちだ。(ワーグナーはこの点は意に介しない。)

 

5 歌手とオーケストラが最小限必要。ほかに、合唱やバレエがつくと、公演が大掛かりになり、公演費用がかさむ。これは致命的で、オペラは大衆芸術とはなりえない。(ワーグナーは合唱やバレエの入らない楽劇を創造した。公演費用は、ルートヴィヒ二世をパトロンに仰ぐことで解決した。) 

 

22)楽劇の構造

 

ワーグナーはオペラに絡みつく様々な拘束を逆手にとって、自身の「楽劇」を創造した。その概略をスケッチしてみよう。

 

主題と背景。

ワーグナーの「楽劇」のほとんどは中世の神話と伝説から主題をとっている。ワーグナーの思惑の第一は、いわゆる「ドイツ民族の優秀性」を謳うのに、中世の神話と伝説の舞台が格好の場だ、ということにあった。確かに、『タンホイザー』『ローエングリン』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の台本には、直接、「ドイツ民族の優秀性」を謳う個所が見受けられる。

 

だが、他にも、ワーグナーの「楽劇」が中世の神話と伝説の舞台を選んだ理由がある。それは、神話と伝説の舞台では、「楽劇」の筋が、いくぶん、いや、かなり、荒唐無稽であっても、観客に違和感を抱かせない、ということを、ワーグナーは知り尽くしていたのだ。つまり、オペラ(「楽劇」)と神話と伝説の舞台との相性の良さをワーグナーは生かしきった。そういえると思う。

 

歌。

ワーグナーの「楽劇」では、合唱やバレエの場面が少ない。もちろん、『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』では素晴らしい合唱が聞かれるが、それでも、ほかのオペラ作家の作品に比べ、合唱に頼ることは少ない。つまり、合唱のもたらす高揚感を敢えて放棄している、ともいえる。

 

また、『ローエングリン』の上演にあたって、パリの観客から、「必ずバレエを入れるように」と要望されたにもかかわらず、ワーグナーはそれを拒否した。これも、バレエによって舞台を盛り上げることを潔しとしなかった表われだ。

 

代わりにワーグナーはどうしたか?

ソリストの嫋嫋たるアリアをこれでもかというほどに、長く、徹底的に、採用した。その最高の例が、『トリスタンとイゾルデ』の二人(トリスタンとイゾルデ)が代わる代わる歌う長大なアリアであり、二重唱である。ここでは、観客の注視を二人に集めることに、ワーグナーは傾注している。

 

以上を要約すると、ワーグナーの「楽劇」は、時代設定の荒唐無稽さは意に介せず、合唱やバレエによって舞台を盛り上げるのを排し、ソリストの詠唱に集中することで、観客の意識もそこに集まるように仕立ててある、といえる。そこには、ワーグナーの「哲学」さえ窺われるのだ。この点は次回述べたいと思う。  (2011/9)

 

 


バイロイト詣で(16-18) 『パルジファル』

2013-04-17 07:00:50 | 音楽の慰め

 

16)あらすじ

 

『パルジファル』については、日本を発つ前の予習ができなかった。

「ペーパー・オペラ」もリブレットも絶版で入手できなかった。皆はどうやって準備しているのだろうと不思議に思った。

 

私の入手したのは、インターネット百科事典 Wikipedia の「パルジファル」の項だ。それによると、この「舞台神聖祝祭劇」は、中世スペインを舞台にして、聖杯を守る城の王、王を誘惑する女(クンドリ)、流れ者の無垢な若者(パルジファル)、そのパルジファルをも誘惑するクンドリ、聖槍によって王の病を治すパルジファル、そして新しく王になることを誓うパルジファルが描かれている、とある。

 

聖杯や聖槍のモティーフなどはキリスト教的に見え、実際、現在でもイースター(復活祭)の時期にこの「舞台神聖祝祭劇」が上演されるが、Wikipedia では、ワーグナー独自の宗教色が強いと解説している。「純潔」だとか「官能」だとか「救済」だとかの哲学がワーグナー独自のものだというのだ。

 

今回の演出のスタッフを記しておこう。

 

演出:シュテファン・ハーハイム

照明:ウルリッヒ・ニーペル

衣装:ゲジーネ・ヴェルム

 

17)ナチスの時代

 

さて、今回の『パルジファル』の演出で最も特徴的で、かつ、刺激的なことは、その時代設定だ。全編に亘って、ナチスの時代が正面から取り上げられている。具体的に記すと;

 

第1幕では、第二次世界大戦のドイツ軍と連合国軍との戦闘の記録フィルムが、背景に映写される。この時点では何のことか分からなかった。

 

第2幕では、野戦病院が舞台に現われ、看護師が早変わりして、慰安婦になる場面がある。ドイツ人の直截的性表現の一端を垣間見た思いだ。

 

また、Wikipedia の「パルジファル」の項が「城は崩壊して花園は荒野と化す」と表現している個所がある。そこでは、ナチスの「鍵十字旗」と大きなエンブレムが立ち上り、やがて、それぞれが急激に落下する、という演出をしている。

大きなエンブレムは落下する時に大音声を上げ、破片が砕け散った。隣りの席のご婦人が「おお!」と声を上げた。

 

第3幕で、パルジファルが王となることを宣言する場面では、どこかで見たような法廷が出てくる。そう、ジョン・フランケンハイマー監督の映画『ニュルンベルク裁判』の法廷場面そっくりなのだ。

 

このように、シュテファン・ハーハイムの演出は、いやでも、ナチスの時代を思い起こさせることを意図している。

 

しかし、ワーグナーの原作の歌詞などが変えられているわけではなさそうだ。

結局、ワーグナーの描いた10世紀スペインと今回の演出に取り入れられたナチスの時代がダブル・イメージで観客に残されるのだ。その意味を読み解くことは簡単ではない。

指揮は、ダニエレ・ガッティ。 

 

18)藤村実穂子

 

今年の『パルジファル』の公演で、私たち日本人の最も注目したのは、クンドリ役として藤村実穂子が起用されていることだった。といっても、私は現地に到着するまで、その事実を知らないでいた。昨年の同じ公演のパンフレットでも藤村実穂子の名が見えるから、昨年に続いて起用されたようだ。

 

藤村実穂子のプロフィルを、バイロイト音楽祭2009パンフレット『キャストとスタッフ』と、日本に帰ってからインターネットで調べた情報を併せて紹介すると;

 

東京芸術大学とミュンヘン音楽院を卒業。グラーツ歌劇場でデビュー。以降、各地のオペラハウスに出演し、交響楽団との共演を行っている。

バイロイト音楽祭には2002年にデビュー、というから、今年で8年目。

その間、2002年に出光音楽賞を受賞している。

 

バイロイト音楽祭で東洋人が活躍することは少ない。河原洋子(ソプラノ)が『ニーベルングの指輪』のラインの乙女役で出演したのが、1972年-75年だから、30年以上も前のこと。指揮者の大植英次が『トリスタンとイゾルデ』を指揮したのが、2005年。1年だけで降ろされてしまった。

 

今年のバイロイト音楽祭2009パンフレット『キャストとスタッフ』には、韓国人らしい名前が何人か載っているが、藤村実穂子は東洋人の中では飛びぬけた存在である。

 

クンドリは、魔法使いクリングゾルの手先で、アンフォルタス王やパルジファルを誘惑するという難しい役柄。第1幕から第3幕まで出ずっぱりの大役だ。

 

オペラではよくあることだが、ある登場人物が歌っている間、ほかの登場人物は手持ち無沙汰になりがちだ。そこで、アクションをさしはさむことがよくある。クンドリにもそのアクションが多いのだが、時によっては、歌舞伎の「見得」のように見えることがあるが、ヨーロッパの観客にそのことは伝わっているだろうか?

 

時おり、髪をかきあげるしぐさが少女のように見えることがある。油で固めるか、ピンで留めることを考えたほうがいい。

 

彼女のソプラノはメゾ・ソプラノだが、やや細い感じがする。体型も細いのだ。『ニーベルングの指輪』のブリュンヒルデ役のリンダ・ワトソンとは大違いだ。藤村には、あと10kg増やして、声も太くしてもらいたいと願う。

 

バイロイト最後の夜は、嵐のようなカーテン・コールの中で、日本人として誇らしい気持ちを味わった。  (2009

 

 


バイロイト詣で(13-15) 『ニーベルングの指輪』

2013-04-15 07:59:02 | 音楽の慰め

 

(13)あらすじ

 

日本を発つ前に、『ニーベルングの指輪』については、次の本を読んでおいた。

 

ワーグナー『ラインの黄金-ニーベルンゲンの指輪』(寺山修司訳、1983年、新書館)

ワーグナー『ワルキューレ-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)

ワーグナー『ジークフリート-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)

ワーグナー『神々の黄昏-ニーベルンゲンの指輪』(高橋康也・高橋 迪訳、1984年、新書館)

 

いずれも、「ペーパー・オペラ」と称して、散文形式で楽劇を読めるように工夫している。これで、あらすじを理解するのが捗った。

 

例えば、タイトルにもなっている「ワルキューレ」が、神々の王ヴォータンが女神たちに産ませた女戦士であり、ブリュンヒルデもワルキューレの一員であることは、恥ずかしながら、今回初めて知った。

フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』に使われて有名な「ワルキューレ」のテーマが、その勇壮さに拘らず、女戦士のテーマだというところに、あっと思わせるところがある。

 

また、ジークフリートがブリュンヒルデを救い出し、「愛の成就」が成し遂げられた後に、グートルーネの「愛の媚薬」に心惑わされ、ブリュンヒルデを裏切るくだりも、この「ペーパー・オペラ」を読んで初めて理解した。

 

現地には、次の本を持っていった。

 

ワーグナー『ニーベルングの指輪 上・下』(高辻知義訳、2002年、オペラ対訳ライブラリー、音楽之友社)

 

これはリブレットで、ドイツ語の原文と日本語訳とが対訳形式で載っている。公演当日の午前中に読んだのはこのリブレットだ。もちろん、ドイツ語がわかるわけではないが、リブレットを読んでおくと、各幕・各場でのおおよその進行が頭に叩き込まれる。

 

おそらく、以上のような準備が、ワーグナーの楽劇を理解するために必要なのだということがわかった。 

 

(14)演出・1

 

オペラの演出で注目されるのは、書き割り(装置)・照明・衣装だろう。ワーグナーの楽劇でもこれら三要素が重要だが、その背景となる時代の設定にも留意する必要がある。ワーグナーの楽劇は神話・伝説の時代を扱っている。ということは、物語がいくぶん荒唐無稽になりがちだ。それで、物語にリアリティを持たせるために、時代設定に工夫する場合がある。

 

時代設定には、神話・伝説の時代そのまま、ワーグナーの生きた19世紀、楽劇が上演される現代、時代を特定しない、の四通りある。

 

ワーグナーの生前の舞台では、当然、神話・伝説の時代をそのまま表現する演出であった。

 

一方、戦後、再開後、ヴィーラント・ワーグナーの演出した『ニーベルングの指輪』は、いわば、「時代を特定しない」演出の試みとして、圧倒的な評価を得た。書き割り(装置)は極めて簡素で、抽象的であった。指揮者のハンス・クナッパーツブッシュが、「何だ、まだ装置が完成していないではないか。」と誤解したという伝説が残っているほどだ。このような、書き割り(装置)では、照明が大きな役割を果たす。照明によって、舞台のどの部分が、また、登場人物の誰が注目すべきかを指示することになるからだ。

 

さて、今回の演出のスタッフを記しておこう。

 

演出:タンクレット・ドルスト

照明:ウルリッヒ・ニーペル

衣装:ベルント・エルンスト・スコツィック

 

一言でいえば、後に述べる『パルジファル』とは対照的に、奇を衒うところが少ない演出だった。

 

(15)演出・2

 

『ラインの黄金』では、第1場で、ラインの乙女たちが動き回り、小人族のアルベリヒを翻弄する場面をどのように演出するのかに興味があった。実際、ト書きの通りにラインの乙女たちが動き回るのは無理があるので、どうするのだろう。答えは、歌うラインの乙女たち、黒タイツでうずくまったり、動いたりする黒子のようなラインの乙女たち、そして、映像に映る裸で泳ぎまわるラインの乙女たち、というふうに、三通りの方法で表現していた。

 

映像の多用が現代のオペラ演出のいわば「常識」になっているが、それがここでも確認できた。

 

『ラインの黄金』第3場では、鉄パイプ丸出しの近代的工場が出現する。ラインの乙女たちから指輪などを奪って現世の覇権を獲得したアルベリヒが小人族をこき使って黄金製品を作り出す場の設定らしい。前回述べた「楽劇が上演される現代」の時代設定らしい。

 

と思ったら、近代的工場を映し出す幕が落ちて、アルベリヒが黄金製品を隠し持つ洞窟に変わる。ここでは、「神話・伝説の時代そのまま」の書き割り(装置)が現出する。すると、わざわざ近代的工場を持ち出した意味はどこにあるのだろうか。

 

『ワルキューレ』第3幕第3場、父ヴォータンの怒りにふれたブリュンヒルデが岩山に幽閉され、周りを火の輪で囲まれる場は、想像していたのとは違い、明かりの輪で火の輪を表現していた。意味を伝えるには、これで十分だ。

 

4作を通じて、子どもたちがチョロチョロ動く場面が付け加わっている。かといって、ワーグナーの原作にセリフや歌唱を追加することはないので、子どもたちを追加した意味が伝わらない。子どもたちを何かの象徴として寓意しているのかもしれないが。

 

このように、時代設定に関しては、中途半端で思い切りが悪い、という印象を持った。

照明・衣装に関しては特に感想はない。

 

ミーメ役のヴォルフガン・シュミット、ジークリンデ役のヴィルケ・テ・ブリュメル・シュトレーテ、ハーゲン役のハンス・ペーター・ケ-ニッヒなどへの拍手が多かった。

なお、指揮はクリスティアン・ティーレマン。  (2009

 

 


バイロイト詣で(11-12)

2013-04-13 07:49:00 | 音楽の慰め

 

(11)バイロイトの一日

 

バイロイトの一日は長い。

以下は公演のある日の一日のスケジュールだ。

 

朝食後、9時から12時まで、当日の演目のリブレットを読む。ワーグナーの楽劇は長いので、リブレットを読むにも時間がかかる。

 

昼食のため外に出て、午後1時に戻る。その後、支度をして、午後3時にホテルを出て、祝祭歌劇場に向かう。

午後4時から10時30分まで公演を観て、その後、ホテルへの道すがら、レストランで遅い晩食を終えると夜12時だ。

バイロイトの一日は短くもある。

 

公演の直前にビール、ワイン、シャンパンなどを飲むと、公演中眠くなるので、飲まない。ほかの飲料も、公演中尿意を催すといけないので、飲まない。恥ずかしい話、最近トイレが近くなったので、午後1時以降は、食事もしない。公演中異変が起こったら大変だからだ。

結局、午後1時から遅い晩食にありつく午後11時まで、何も飲み食いできない。かなりの苦行であることが分かろう。

 

長い公演時間を椅子に座り続けることが苦痛であることはすでに述べたが、祝祭歌劇場ではこの苦痛もまた格別だ。

 

このように、いろいろ、苦痛・拘禁・緊張が重なるので、バイロイトでは、公演の休みの日に、観光などでさらに体を酷使することは考えなくなる。

 

最後の公演の終わった後は、レストランに立ち寄る気力もなくなり、まっすぐホテルに帰り、ミニバーのビールを一本開けて、ベッドに倒れ込んだ。 

 

(12)バイロイトの街並み

 

バイロイトの夏は、朝は涼しいが、昼間の日差しは厳しい。空気は乾いている。夜は9時まで明るい。

この感覚はどこかで経験している。そう、5月のプラハと瓜二つなのだ。

バイロイトがチェコとの国境に近い街だということを納得させられる。

 

バイロイトの街はいたって清潔。家々の窓には花々が飾られ、道行く人たちを和ませる。こちらでは、色の鮮やかな花、別のことばでいえば、どぎついほどの原色系の花が好まれているらしい。

 

人びとの服装は立派なもので、一目で裕かな人たちだとわかる。

 

バイロイトの街は小さい。私のホテルから南へ緩やかな坂を上ると、10分ほどで、街の中心のマクシミリアン通りに出る。通り Strasse と称しているが、広場といった方が適当だ。太い、しかし、太さが一定でない通りが続いていて、そこに、カフェのテラスが張り出している。ヨーロッパの都市(ウィーン、プラハなど)の旧市街に見られる典型的光景だ。

 

歩いている人には、煙草を銜えた人が多い。アイスクリームをなめながら歩く人よりも多い。どちらも嗜まない私だが、できたら、アイスクリームをなめながら歩く人が多い方が好ましい。女性の喫煙者が多いのが目立つ。

 

広場にも、通りにも、露店はほとんど出ていない。これは、ウィーンなどの街と違うところだ。果物屋の露店は見かけたが。  (2009

 

 


バイロイト詣で(9-10)

2013-04-11 07:46:08 | 音楽の慰め

 

(9)タキシード率

 

バイロイトを詣でるに当たって、服装をどうするかが大きな悩みだった。

 

聞くところによると、祝祭歌劇場では、男はタキシードを着けるのが普通だとのこと。

 

私は保育園や幼稚園には行かなかった。そのためか、粗野なところがあり、それが現在まで残っている。タキシードを着ても似合わないのは目に見える。

かといって、タキシードを着ないと、周りから浮き立って、鑑賞に集中できないのではないか。

このような考えが堂々巡りして、相当期間悩んだ。

 

ある時、心を決めて、平服で音楽祭に参加することにした。

 

さて、実際にバイロイト音楽祭に行ってみると、いるわ、いるわ、タキシードを身に着けた男とイヴニング・ドレスを身にまとった女が集まっている。ざっと見たところ、タキシード率は70%。

 

しかし、平服にネクタイの人もかなり混ざっている。

ビル・ゲイツ(マイクロソフト前会長)も見えたが、彼は、普段通り、Yシャツを着流しただけ。

 

服装が目立つのは、開幕前と幕間。歌劇場の前に大きく広がる公園を、盛服の男女がそぞろ歩く情景は絵になる。まるで、ボテロの絵のようだ。

 

しかし、いったん幕が開くと、場内は真っ暗。互いの服装を気にする必要はまったくない。これに気がついて、いっぺんに肩から力が抜けた。無理して、タキシードを着ることはない。 

 

(10)坂道の記録

 

祝祭歌劇場に到達するには、手前の緩い坂道を上る。この約5分の道程がこの上もなく優雅で贅沢なものであることは経験して初めて分かる。来るべき開演に向けて、期待がいやが上にも高まる。それが坂を上るリズムに表われる。

坂道の両側は手入れの行き届いた公園で、ここで休息するもよし、演目のリブレットに目を通すもよし、池を眺めて時を過ごすもよし、だ。

 

さて、「ノルトバイエリッシャー・クーリエ」紙の「2009年音楽祭特集号」に一連の記録写真が載っている。祝祭歌劇場へ続く坂道の歴史的変遷を記録したものだ。

 

1876年の歌劇場開設時には坂道は舗装が済み、その両側は、現在とは異なる畑地が広がっている。当時の「足」の主流は馬車で、歌劇場に送り、帰る馬車で、坂道は溢れている。着飾った婦人たちや交通整理をする制服警官がにぎにぎしく振舞っている。

 

19世紀末には、屋根つき馬車が歌劇場に続く坂道を埋め尽くしている。

 

そして、1930年代には、ナチスの要人を乗せる高級乗用車(リムジン)が大挙押しかける。

1940年の坂道の両側にはナチスの鍵十字旗が我が物顔に林立している。

 

戦後、1953年は再開後3年目に当たるが、歌劇場に向かう乗用車が列をなす光景が復活している。

 

祝祭歌劇場に到る坂道は、その時々の政治・経済・社会を如実に写す鏡のようだ。

とくに、1930年から1945年までは、ナチスの台頭にバイロイト音楽祭が翻弄されたことはドイツ人の記憶に苦く刻まれている。バイロイト音楽祭とナチスとの蜜月関係を築くにあたっては、ワーグナーの息子・ジークフリートの嫁、イギリス人のウィニフレッド・ワーグナーの働きが大きかったが、この件はまた後に触れる。 (2009) 

 


バイロイト詣で(6-8)

2013-04-09 07:35:38 | 音楽の慰め

 

(6)祝祭歌劇場

 

バイロイトから戻った。そこでの印象を記していきたい。楽劇については、補習が必要なので、しばらく措いて、歌劇場の印象などから記していく。

 

バイロイトの駅から外に出て、北側(右側)を望むと、丘の上に、祝祭歌劇場の茶色の瀟洒な建物が見える。ああ、バイロイトに来たな、という実感が湧いてくる。

駅から祝祭歌劇場まで、歩いて20分。私のホテルは駅から南に5分のところにあったので、毎日25分かけて、「バイロイト詣で」の儀式に参加したことになる。

 

最初の日、開演の15分前に歌劇場に入り、自分の席を探そうとして、奇妙な光景に出くわした。それぞれの座席に到達した観客が、皆、立っているのだ。貴顕の列席に敬意を表しているのかと思った。プレミアの日には、メルケル首相はじめ、錚々たる面々が列席したことが新聞で報じられていたから、この日も同じようなことがあるのかと思った。

 

どうも様子が違う。

座席に到達した観客が、後から来る観客が自席に到達するのを助けるために、立っているのだ。何故なら、座っていると、前を人が通れないほど、前後の座席間隔が狭い。これで謎が解けた。

 

座席そのものも、粗末で、観客の中には座布団を2枚持参する人もいた。1枚は尻の下に敷き、1

枚は背中に当てるためだ。小柄の私の場合、足が床につかず、これを含めて大変な難行苦行を強いられることになる。 

 

(7)建築基準法

 

祝祭歌劇場は、横幅が広く、奥行きが狭い印象を受けた。これは、客席にも舞台にも当てはまる。

 

1階の平土間を例に引くと、30列あり、各列におよそ60席がびっしりと並んでいる。いかに奥行きが狭いかがわかろう。30列は歌劇場としては少ない方だ。その30列を確保するのも並大抵のことではなく、前回述べた「前後の座席間隔が狭い」設計にして初めて30列が可能になった。通常の設計では、20列か22列を配置するのが精一杯のはずだ。

 

一方、各列におよそ60席というのもずいぶん詰め込んだものだと思う。そして、驚くことに、60席を区切る通路がまったくない。そのため、観客は左と右の入口からしか自分の席につけない。前回述べた「座席に到達した観客が、後から来る観客が自席に到達するのを助ける」必要はここから生じている。

 

『ニーベルングの指輪』が上演された4晩、毎回、必ず開幕間際に入ってくる人がいた。その人が自席につくまで、我々はいつも最後まで「立って」いなくてはならなかった。

 

『ジークフリート』の公演の第2幕の前でも同じ事態が起こった。貴婦人とその連れが開幕ぎりぎりに入って来た。私は、そこで、「ノー! (扉を指して)そこに居たら。」と話した。彼女の顔が見る見る蒼白になった。彼女は連れと一緒に扉のところに戻り、係員となにやら話している。「彼は正しい。あなたたちはいつも遅く戻ってくる。」隣の席の男性が係員のことばを英語に通訳してくれた。

 

なおしばらく彼女と係員のやりとりが続いた後、係員が私に向かって「 Excuse me. 」と話しかけてきた。(この二人連れのために通路を作っていただけませんか?)といわれることがわかっていたので、私は席を立った。同時に、左右の観客も一斉に立ち上がった。私の前を仏頂面をさげて貴婦人が通り過ぎていった。

 

このような輩(やから)はどこにもいるものだ。

女性のわがままは世界共通だ。それをやんわりと諌める役割が連れの男性に求められているのだが、この男性は頼りない存在だった。

 

楽劇そのものは定時に開始する。定時間際に係員が入口のドアを閉鎖する。

 

さて、客席を縦に区切る通路をまったく持たない客席構造は、ドイツの建築法規は知らないが、わが国の現在の建築基準法では承認されないにちがいない。ひとたび、火災や地震が起これば、中央部の観客は避難・脱出するのが遅れて大惨事になることが明らかだ。 

 

(8)オーケストラ・ピット

 

祝祭歌劇場の大きな特徴の一つがオーケストラ・ピットの構造にある。オーケストラ・ピットが客席から見えず、舞台の下にあるということだが、実際の配置はどうなっているのだろうか? こう考えたのだが、実際、歌劇場に赴いてみると、本当に、客席からオーケストラ・ピットはまったく見えない。

 

市内のワーグナー博物館に、このオーケストラ・ピットの模型が展示してあった。これで、その構造を理解することができた。

 

ひな祭りの「ひな壇」を想像してもらえばわかりやすい。「ひな壇」を表裏逆にして、指揮者が最上段に座り、楽員が下の段に配列されているのだ。そして、その段は7段。上段から、指揮者、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、木管楽器、金管楽器、打楽器の順に並ぶ。図体の大きいコントラバスやハープなどは脇の壁にへばりつくように配置されている。

 

オーケストラ・ピットは舞台の奈落に展開していて、指揮者が舞台の床のレベルにいるらしい。

客席から聴くオーケストラの音は限りなくまろやかなものだ。ちょうど、大きなラッパの口から、オーケストラ全体の音が混じりあって出てくるような味わいで、かつ、舞台の木のぬくもりも音をまろやかにすることに貢献している。これは、聞きしに優る音響効果だ。

 

1876年、この祝祭歌劇場の柿落としに、バイエルン国王ルートヴィヒ二世が訪れて、『ニーベルングの指輪』を鑑賞した。初めの『ラインの黄金』は、国王ただ一人のために上演された。これが国王の流儀で、国王は民衆とともに鑑賞することが嫌いであった。

 

ところが、『ラインの黄金』が終わったあと、以降は、歌劇場内を観客で満たした状態で聴いてみたいとの仰せがあり、実際、『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』は満員の客を入れた状態で上演された。この件に関する国王の感想は残されていないが、おそらく、満員の客を入れた歌劇場の音響効果にご満悦だったのだろう。そして、ワーグナーもまた、建物と人間が織り成す音響効果に国王自身が気づかれたことに、また、満足したはずである。

 

このように、バイロイト祝祭歌劇場は、オーケストラがまるで一つの楽器のように鳴ると同時に、歌劇場全体が大きな一つの楽器として響くように設計されたワーグナーの会心作だったわけだ。

 

だが、楽員は辛いだろう。4時間にわたって、大音量を狭いオーケストラ・ピットで味わい続けなければならないのだから。 (2009)

 

 


バイロイト詣で 5

2013-04-07 07:12:27 | 音楽の慰め

 

(5)バイエルン州

 

バイロイトのあるバイエルン州は、ドイツ南部に広がる大きな州だ。ヴュルツブルクから始まる有名なロマンティック街道が、ローテンブルク・アウグスブルクを経てフュッセンまでバイエルン州内を南北に縦断しており、また、ヴュルツブルクから東に伸びる古城街道がバイエルン州を経由してチェコのプラハまで達している。バイロイトはこの古城街道の中継地点に属している。

 

バイエルン州の最大の都市はミュンヘンで、ほかにニュルンベルク・バンベルクなどの中都市がある。

 

ルートヴィヒ二世はバイエルン王国の王だった。バイエルン王国の版図が現在のバイエルン州のそれと同じかどうかは定かでないが、今回は、バイエルン州を探索する旅にすることに決めた。ということで、バイロイトとミュンヘンを2つの軸にして、旅程を組むことにした。日本から直接ミュンヘンに入り、前半はバイロイト、後半はミュンヘンに根拠を置く。

 

バイロイトでの滞在期間中、2日間の休日があるが、その1日はニュルンベルクに行きたい。ワーグナーとのつながりでいえば、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の舞台となった中世以来の街なので、必見だ。

 

ミュンヘン滞在中には、ルートヴィヒ二世の夢想の結晶であるノイシュヴァンシュタイン城と、ルートヴィヒ二世が侍医とともに入水したシュタルンベルガー湖に是非足を延ばしたい。

 

以上が大雑把な旅程だ。

はじめはチェコにまで入ろうかと思ったが、日程が忙しくなりすぎるので、あきらめた。

今回は、もっぱら、ワーグナーとルートヴィヒ二世の事跡を追うことに集中するつもりだ。

2009/3

 

 


バイロイト詣で 4

2013-04-05 07:10:06 | 音楽の慰め

 

(4)ワーグナーの楽劇

 

ワーグナーは、生涯、楽劇の大作を10作完成した。発表順に、『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『ジークフリード』『神々の黄昏』『パルジファル』。いずれも、上演時間3時間、幕間の休憩を入れると、5時間の大作だ。

 

バイロイト音楽祭では、毎年、これらの10作から、『ニーベルングの指輪』を構成する四部作(『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリード』『神々のたそがれ』)を中心に選んで上演作が決められる。

2009年は、『ニーベルングの指輪』を構成する四部作のほか、『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『パルジファル』を加え、合わせて7作が上演される予定だ。私はこれらすべてに申し込んだのだが、当選したのは、『ニーベルングの指輪』を構成する四部作と『パルジファル』だった。

 

外国の歌劇場の日本での引越し公演で接したことがないのが、ちょうど、今回当選した5作だったので、ある意味でラッキーだった。これで、ワーグナーの10作の楽劇を一通り鑑賞できることになる。

 

ワーグナーの楽劇のテーマは、ほとんどがゲルマン民族の中世期以来の伝説に拠ったもので、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』と『パルシファル』を除く8作はすべて、ゲルマン民族の伝説の読み下しが基となっている。

また、『パルシファル』も中世スペインの伝説に基づいたものというから、これも「伝説物」の一種といえる。

 

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』だけは市井の人びとを題材にして、小市民の悲しみを謳い上げている。ドイツの伝統の親方・徒弟制度(マイスター制度)が発想の源だ。19世紀初頭のゲーテが『ウィルヘルム・マイスターの徒弟時代・遍歴時代』を記したように、ドイツではマイスター制度が人格の養成と技能の習得に欠かせない制度だとみなされていた。その伝説を利用して、各分野のマイスターが「歌」で腕を競い合うというのが『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の趣向だ。

 

今回は、『ニーベルングの指輪』を構成する四部作と『パルシファル』に集中して、ワーグナーの伝説の咀嚼ぶりをじっくりと理解してみたいと思う。 (2009/3)

 

 


バイロイト詣で 3

2013-04-03 07:08:11 | 音楽の慰め

 

(3)丸山真男の体験

 

イスラム教徒にとっての「メッカ」。キリスト教徒にとっての「サンチャゴ・デ・コンポステラ」。いずれも「聖地」として名高い。それぞれの教徒は、願掛けのため、あるいは、大願成就のお礼参りのために「聖地」を目指す。わが国でいえば、伊勢神宮への「お伊勢参り」がそれにあたる。

 

クラシック音楽ファンやオペラ愛好家やワーグナー狂がバイロイト音楽祭を目指してバイロイトに赴くことを、上記の宗教的儀式になぞらえて、「バイロイト詣で」という。

私は、クラシック音楽ファンであるが、オペラ愛好家とはいえないし、ワーグナー狂でもない。だが、一度は「バイロイト詣で」をしてみたいといつからか念願するようになった。

 

ワーグナーといえば、俗臭芬々としたところがあり、その政治的スタンスも危ういところが気がかりなのだが、その音楽は圧倒的に迫るものを持っている。ワーグナーを否定すべきか肯定すべきか、悩ましい問題だ。

 

この問題を率直に吐露したのが、政治学者の丸山真男だ。彼は無類の音楽好きで、特にドイツ・オーストリア系の音楽家に共感を抱いていた。中野 雄『丸山真男 音楽の対話』(平成11年、文春新書)に、丸山の音楽観が表われている。この本は、中野が聞き手になって、丸山の音楽体験を存分に語らせているものだが、丸山はオペラ作者のワーグナーと指揮者のフルトヴェングラーへの思いを語っている。

 

第1部が「ワーグナーの呪縛」と題して、丸山のワーグナー体験を明らかにしている。ワーグナーの反ユダヤ主義という政治体質に対する嫌悪に加えて、ワーグナーがヒトラーに利用されたことへの反発が、ワーグナーへ距離を置くきっかけになったという。

 

その丸山の「ワーグナー嫌い」を覆したのが、1962年の「バイロイト詣で」だった。そこで聴いた『ローエングリン』(ヴォルフガンク・サヴァリッシュ指揮)に丸山は打ちのめされたらしい。

 

私のワーグナー体験も丸山のそれに類似している。だから、一度、バイロイトでワーグナーの楽劇に身を浸して、どれだけ共鳴するか、または反発するか、を試みてみたいのだ。 

(2009/3)

 

 


バイロイト詣で 1・2

2013-04-01 07:04:10 | 音楽の慰め

 

(1)チケットが取れた

 

思いがけず、ドイツ南東部のバイロイトで遊ぶことになった。来年夏の「バイロイト音楽祭」の切符が入手できることになったのだ。

 

「バイロイト音楽祭」は、作曲家ワーグナーが時の皇帝ルートヴィヒ二世をパトロンに抱いて、バイロイトに建てた祝祭歌劇場で、自らの歌劇(彼は「楽劇」という。)を専門に上演する音楽祭で、ワーグナーの没後も延々と続いている催しだ。そのチケットは「プラチナ・チケット」で、入手することが難しいことで知られている。

 

私もここ12年か13年ほど申込みを続けていたが、「残念ですが、申込み殺到により、ご希望に応えられないことをお詫びします。」の返答が帰ってくるばかりだった。

 

噂では、「あれは辛抱強く継続して申込みしていれば、いずれ、当たるはずですよ。」ということであり、その言葉を頼りに、申込みを続けた。途中、私は何度も転居し、その都度、転居通知をチケット・オフィスに送り続けた。そして、チケット・オフィスは律儀にも、申込み者リストを更新して、新しい住所に翌年の案内を送ってくれていたのだ。

 

そして、今年、噂通りに、「当たり」を引く順番になったようなのだ。申込み倍率が12倍か13倍なのだろう。

 

今更ながら、チケット・オフィスの公正さに感じ入った。

チケット・オフィスは、今年の申込者が昨年からの継続申込者なのかをチェックして、継続申込みの年数までカウントしているようなのだ。

また、チケットが闇市場に流れないよう、音楽祭会場で本人確認をしているらしい。

 

さて、これから、長い長い準備作業に入ろうと思う。

 

(2)準備項目

 

前回、「長い長い準備作業」と書いた。

折角訪れた機会なので、念入りに準備をしようという心積もりなのだが、それは以下のようなものだ。

 

・ルートヴィヒ二世とワーグナー(「芸術と政治」の事例研究として)

・バイロイト祝祭劇場の建設史

・ワーグナー家の末裔

・『ニーベルングの指輪』の演出の変遷史

・『ラインの黄金』のCD(バイロイト祝祭歌劇場のライブ録音がデッカから発売されていて、それを入手した。指揮・カール・ベーム)

・『ワルキューレ』 CD・ビデオ・リブレット(同上)

・『ジークフリード』 CD・ビデオ・リブレット(同上)

・『神々のたそがれ』 CD・ビデオ・リブレット(同上)

・舞台神聖祝祭劇の意味

・『パルジファル』 CD(バイロイト祝祭歌劇場のライブ録音がデッカから発売されていて、それを入手した。指揮・ジェームズ・レバイン)

 

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・チケット・ホテル・航空便の手配

・バイロイト周辺の観光地

・服装、など。

 

まだまだあるかもしれない。 (2008-09)